JCLIF レポート
たくさんの呉貴軍たちと中国の夢
こんにちは。会員のIYです。
中国深センの香港資本工場の移転にともない、労働者らが正当な補償をもとめた争議のなかで、中心的な活動家と見られた呉貴軍さんが、2013年5月23日に警察に拘束・逮捕された事件は、何度か紹介させていただきました。
◆ 迪威信労働者から深セン市総工会への公開状―ストライキは無罪 労働組合は労働者を守れ
◆ 呉貴軍の家族から深セン市政府への公開状
◆ ストライキ労働者代表の呉貴軍の釈放のために深セン市総工会に尽力を求める署名
それから2ヵ月後の7月29日になってやっと地元の検察に送検されましたが、その後、地元検察局は一端身柄を警察に差し戻して補充捜査を行うよう二度(9月と11月)も要求。本来であれば嫌疑不十分などで不起訴処分とすべきですが、これによって長期拘留がつづき、裁判が延ばし伸ばしになる事態となっていました。
そしてついに、地元の深セン市宝安区人民検察院は、今年1月21日に正式に呉さんを「交通秩序集団騒乱罪」の嫌疑で起訴しました。
検察の起訴状では、呉さんが工場移転に反対するストライキを組織し、ひとり10元のスト基金を集めていたことなどが記されており、交通秩序集団騒乱も呉さんが中心で引き起こしたことだと関連付けています。しかし騒乱状態を作り出したのは労働者の正当な権利を侵害した警察の規制であり、「改革開放のさらなる深化」のために工場の内陸移転を進めてきた当局の政策にあります。
呉さんの弁護人はツイッターでこう述べています。
「呉貴軍の案件は起訴され裁判所に送られました。宝安地裁は2013年2月17日14:30に第四法廷を開廷して審理することになりました。呉は交通秩序集団騒乱の容疑で起訴されていますが、呉は無罪を主張。現在の証拠からみて呉の犯罪性を証明することはできないと弁護人は考えています。証拠不十分と事実曖昧では無罪の他ありません。今日、証人出廷の申請にいきましたが、自分で[担当官に]電話をかけろ、と[裁判所の]書記にいわれてしまいました。この国の法律はどうなっているのかと、返す言葉がありませんでした。」
呉さんが拘束されたのが昨年5月23日。それからおよそ9ヶ月もたつ週明けの2014年2月17日にやっと裁判が開かれることに。
呉さんは2002年に内陸の湖南省から深センに出稼ぎに来た典型的な「農民工」のひとり。2004年に香港資本の工場に職を見つけて働いてきました。妻も深センで働き、二人の子どもを持ち、月収は夫婦合わせても5000元程度という、普通の「新工人」でした。自らの労災経験や周囲の労働者らの境遇のなかで独学で労働法を学び、不当な扱いを受ける労働者に無償で協力する真面目な労働者でした。
一昨年の共産党18回大会では「偉大な中華民族の復興という夢」が語られ、昨年の共産党3中全会では「改革開放の更なる深化」が語られ、今年3月に開かれる全人代では、都市化の推進と農民工らの市民権の拡充についての議論が行われるでしょう。
昨年の共産党3中全会開催の直前に書かれたものでちょっと古いですが、「世界の工場」を支える幾億万の呉貴軍たちに思いを馳せるエッセイを見つけましたので翻訳紹介します。
たくさんの呉貴軍たちと中国の夢(赤旗 2013年11月7日)
誰もが「中国の夢」ということばを聞いたことがあるだろう。しかし具体的に何が中国の夢なのか、私は知ることができない。ただ、血統純潔で大統継承の人物が意気軒昂に言うところの、偉大な中国の夢の実現は、13億中国人民の共同の夢という以外は。この人物によると、中国の夢とアメリカンドリームには共通するところがある、改革開放が始まる30年前と始まってからの30年にも共通するものがあるとのことだ。はたしてこの夢の中には、普通の中国労働者人民の夢が含まれているのだろうか?
呉貴軍とは誰か。それを知る者は少ない。彼は億千万の普通の中国の労働者のひとりに過ぎない。呉貴軍、40歳、湖南省常徳の人、農村戸籍、深センで12年間はたらき、月の収入は2500~3500元。妻も深センで働いており、月収は2000元程度。子どもは2人。ひとりは中学生、もうひとりは幼稚園に通う。郷里の両親は健在で典型的な湖南農民で、齢70で、息子の仕送りで生活する。呉貴軍には夢があった。将来も深センで働きながら親の面倒を看るという夢だ。だがいまではこの夢も実現は難しくなった。
2006年、呉貴軍は労災に遭った。呉は納得のいく補償を得るために独学で法律を学び、権利回復の活動を始めた。その後、多くの同僚らの権利をかちとる手伝いをして、休みの日にはボランティアで労働者街での法律普及宣伝をおこない、労働者らに法律の解説をしてきた。
2013年5月、彼が9年間働いてきた香港資本の工場が[広東省]恵州に移転することになったが、労働者に対して法律に定められた正当な補償をおこなわなかった。このような不当で違法なやり方に対して、労働者たちはストライキを打った。誠実で法律知識もあった呉貴軍は交渉代表に選ばれた。経営者による恫喝に対しても彼はひるむことはなかった。労働者らが工場から繰り出して政府への陳情を行おうとしたとき、呉は相手の思う壺になるので工場を離れないほうがいいと主張した。それでも労働者らが陳情を行うと決定したときには、何かあってはいけないと思い労働者らに付き従っていった。
「なにか」はやはり訪れた。人民民主主義独裁の「鉄拳」は街頭の労働者ら300人を一網打尽にした。騒動の親玉と見なされた呉貴軍への弾圧は厳しかった。その場に居た労働者によると、警察が呉を連行しようとするのを阻止しようとして4、5人の女性労働者が呉にしがみついたが、人民警察は女性たちに暴力をふるい、呉を連行してしまった。
そして呉貴軍は一切の消息を絶たれて120日以上も拘束され続けることになった[2013年5月23日に拘束]。彼の同僚や家族もあせって彼を捜し求めた。彼の老母が不注意で転んで怪我をしても、弁護士が再三警察局に足を運んでも、呉貴軍の消息は不明のままだった。同僚が呉の消息を知ったのは、警察がすでに「交通秩序集団騒乱罪」で彼を正式に起訴した後であった。もし有罪が確定すると、40歳の呉貴軍は最長で5年間の懲役となる。深センで両親の面倒を看たいという彼の夢はさらに遠のいてしまうだろう。
呉貴軍は有名なブロガーでもなく、権利闘争の有名人でもない。今日までに160日も拘留されているが、彼を支援するウェイボー[中国版ツイッター]のフォロワーも220人余りしかいない。だからウェイボーで500回リツイートされて当局に「デマを取り締まられる」こともない。
彼はごく普通の労働者で、ごく普通の家庭を持ち、幾億万の労働者と同じように取るに足らないがとても大切な夢をもっている。真面目に仕事をして、家族を養い、両親を敬い、幸せな家庭を築く。しかし、呉貴軍、彼の家族と同僚らを待っていたのは悪夢であった。憲法の規定では労働者階級が指導的階級であるといういわゆる社会主義国家にあって、労働者が自らの権利を守ろうとすれば牢獄に押し込められてしまう。そして資本家は権力を笠にきて威張り散らしている。これは悲劇なのか、それとも喜劇なのか。
いまでは「大国としての台頭」を叫ぶ人や「わしら庶民の生活はますます良くなっている」と謳う人、「中国のすばらしき夢」を大いに語る人。しかし呉貴軍と幾億万のごく普通の呉貴軍たちにとって、夢はますます遠のいているようだ。
ある革命に参加した老人いわく、共産党は幾千万の人命を賭けて新中国を打ち立てたのだから、もし権力がほしいなら同じだけの犠牲を払う必要がある。そのとおり。人民共和国は無数の革命烈士らの鮮血と命と引き換えに建国された。しかし引き換えたのは決して一党や一族の国ではないはずだ。
かれらが死を厭わず立ち向かったのは、ひとつの夢、つまりひとつの人民共和国という夢、古今東西の志士たちが幾千年もかけて実現しようとしてきた夢があったからだ。
しかしこの夢のなかには、社会主義の名において資本主義を推進し、人民の名において世界で最も裕福な「議会」(人民代表大会)を組織し、革命の継承者の名において世襲公卿を続け、改革開放の名において貧富の格差、社会腐敗、道徳荒廃と環境破壊を拡大し、人民民主主義独裁の名において労働者農民を抑圧することは断固として含まれない。
直面する数々の現実の前に、これら先達らの初心を敬うことを知らない者たちがどうして烈士を祭ることができるのか。先達らは革命の名の下に抑圧者を打倒し、その後継者たちは革命の名の下に新たな抑圧者となっている。かれらは心配には及ばないかもしれない。なぜなら彼らは「唯物論者」であり、烈士たちの亡骸は不動産開発のなかで地中深くに埋もれてしまっているからだ。
たくさんの呉貴軍たちを牢獄の中に押し込めていては、中国の夢は実現できないだろう。幾億万の呉貴軍たちの夢を包み込むことのできなければ、それは決して中国人民の夢とはいえないだろう。もし本当に広大な中国の夢というものがあるとすれば、それは権力者やエリートたちが貪る夢ではなく、幾億万の中国労働者人民の共同の夢であり、幾億万もの呉貴軍らのささやかだが、具体的な現実の夢でなければならない。
<編集部注> 署名は終わりました。団体68、個人259が署名して、昨年10月22日(国際人権デー)に香港にある中国政府事務所に提出した。