日中労働者交流協会

日中労交訪中団―南京大虐殺犠牲者国家追悼式に参加(2014/12月13日)

日中労交訪中団は、2014年12月10日から14日まで、北京、南京、上海を訪問して、南京大虐殺犠牲者国家追悼式に参列するとともに、中華全国総工会、中国職工対外交流センター、中国国際交流協会と懇談し、友好を深めました。13日、南京大虐殺犠牲者国家追悼式に参加。会場は中国国旗の半旗が掲げられていました。当時の生存者には椅子席が用意されましたが、出席者、約1万人は起立したまま参加しました。私たち外国代表は、外国大使、公使の後ろで、前から7列目でした。式典は、国歌斉唱、黙祷(市内でサイレン、クラクション、汽笛が鳴る)、花輪奉奠、小中学生の朗読による平和宣言、鼎の除幕、習近平国家主席の演説、平和の鐘の打鐘、放鳩と続き、30分ほどで終了しました。
  報告:伊藤彰信(訪中団団長、日中労交副会長、全港湾顧問)  <詳報>

南京大虐殺76周年追悼式典と平和集会(2013/12/13)に日中労交を代表して参列・献花

「日中不再戦の誓い」の碑 1937年12月13日 日本軍の南京入城、この日より、南京市とその郊外で虐殺が繰り返される。2013年の同日、南京市内では10時より33分間空襲警報がならされ、市民がその故事を胸に留めている。10時から国際和平集会が開催される。日中労交として献花する。日本からもJR総連や曹洞宗や真宗の関係者、銘心会(南京虐殺の証言集や日本での集会を企画している。本会とは友好関係にある)などの参加者があった。 
 2013年12月16日 北京へ 全国総工会の邱氏と連絡を取りつつ、総工会の職工の家へ着く。そこから総工会の車で国際交流協会へ表敬訪問。倪秘書長と面談。前川ごときに秘書長が応対いただくので恐縮する。意見交換。 最近の情勢、また、日中労働情報ファーラムへの協力要請を行った。
 その後、総工会甘福祥副部長先生出席の夕食会。今回の訪中団目的である南京虐殺記念館の記念碑の台座の件、順調に話がすすんだこと、また、総工会の助力があった事へのお礼を述べた。
 後日南京より連絡が入り、写真のように記念碑の台座が出来上がったようです。
            前川武志(日中労働者交流協会事務局長)   詳報

「反覇権・日中不再戦の誓い」の碑 (2006/12)

 碑の表面には「誓い われわれは1931年および1937年を契機とする日本軍国主義の中国侵略戦争を労働者人民の闘争によって阻止し得なかったことを深く反省し、南京大虐殺の犠牲者に対して心から謝罪するとともに、哀悼の意を表し、ご冥福を祈ります。 われわれは、日中不再戦、反覇権の決意を堅持し、子々孫々、世々代々にわたる両国労働者階級の友好発展を強化し、アジアと世界の平和を確立するため、団結して奮闘することをあらたに誓います。
 公元1985年8月15日

抗日戦争及びファッショ戦争勝利40周年記念日

 日中労働者交流協会会長市川誠ら有志の呼びかけによる南京大虐殺犠牲者の慰霊行事に賛同する有志一同」
裏面には「この碑文は市川誠前会長が生前揮毫したものです。 2006年12月吉日 日中労働者交流協会 反戦反覇権の誓い記念碑建設実行委員会 代表吉岡徳次 事務局長平坂春雄」と日本語、中国語、英語の3ヶ国語で記されています。

日中労働者交流協会とは

 1974当時のナショナルセンターであった総評の各単産と中華全国総工会との交流窓口として結成されました。初代会長は市川誠総評議長(当時)であり、主な活動は幹部間の交流と相互の意見交換でした。
 連合結成と総評解散の流れの中で、当時同盟側は台湾(中華民国)との交流関係があったため双方とも連合に引き継がないということになりました。
 そのため、本会は個人加盟に切り替えて、会の存続を図り、隔年の相互訪問団派遣や、「日本軍の毒ガス撤去」等のキャンペーンや日中友好団体との共催によるイベントを行ってきました。
 なかでも、南京虐殺記念館との交流は、1985年に南京を訪れた市川会長が虐殺犠牲者の発掘作業に遭遇したことから始まります。同年8月15日の同館開館の際に出席を望みましたが南京市政府からは断られました。それでも、市川会長が南京まで赴いて出席を要請し、やっと許可されたというエピソードがあります。
 歴代の会長は、市川誠(故人)、吉岡徳次(元全港湾委員長・故人)、元木末一(前全港湾委員長・現在)、歴代の事務局長は、兼田富太郎(元全港湾委員長・故人)、平坂春雄(元全港湾関西地方書記長)、前川武志(現在)です。
2009年12月13日に南京虐殺記念館において、市川誠会長の「反覇権・日中不再戦の誓い」の碑を建立し、除幕式を行いました。