JCLIF レポート

呉貴軍の家族から深セン市政府への公開状

事件の続報、というほどでもないですが、情報です。

拘束後なんの消息もないまま120日が過ぎた9月19日は中国では中秋節(中秋の名月)で、中国では家族団らんですごす日とされています。

家族のかた(おそらく妻)が深セン市政府にあてた手紙がウェブ上で公開されていますので、翻訳してみました。

ウェブ上には、「父さんが早く帰ってくるのを待ってるよ!中秋節は一家団欒で!」というメッセージを掲げた呉さんの子どもの写真なども公開されています。

また以前会社に養老年金の加入を要求した際に撮ったのでしょう、「私は湖南の常徳出身です。深センに来て11年になります。深センで年金をもらい、本当の深セン人になることが夢です」というメッセージを掲げた呉さんの写真とともに、呉さんを紹介した仲間の書き込みもありましたので、翻訳してみました。

原文のリンク先などを貼り付けて、写真なども見てもらいたいのですが、どちらも実名登録をしないと利用できない中国のミニブログ「ウェイボ」に掲載されているので残念ですが、日本語訳のみの紹介です。

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呉貴軍の家族から深セン市政府への公開状

深セン市人民政府の指導者の皆様へ

こんにちは!

私は呉貴軍の家族です。みなさんに呉貴軍の事件について情状酌量のうえ対処していただくよう心よりお願いする次第です。なぜなら呉貴軍は政府に敵対する悪人ではなく、彼はつねに他人のことを思いやってきただけの人間だからです。

今回のストライキは労働者が自発的に始めたことであり、彼が組織したのではありません。呉貴軍は労働者たちに推薦されて経営者と交渉した代表の一人に過ぎません。工場が移転するにあたり、経営者は労働者に妥当な補償をおこなわず、経営者から要求されて何人かの代表を選んで20数日間交渉を続けてきましたが、回答は納得できない違法なものでした。経営者は労働者一人につき勤続年数に400元をかけた補償額しか提示しませんでした。

対立が長引いたことで労働者は生活費にも事欠き、憤りに無力感が加わり、5月23日に集団で市政府に支援を求めに行きました。そのとき呉貴軍は行き先を知らず、遠くに向かっていた労働者たちを呼び戻しましたが、感情が高まった労働者たちには通じませんでした。しかし呉貴軍と他の2名が捕まり看守所に拘留されました。37日後に、他の2名は釈放されましたが、呉貴軍はいまだに何の消息もなく、家族の一人として心配しており、他に頼るすべもないことから、指導者の皆様に理解していただきたいと思いました。

呉貴軍には70歳をこえる両親がおり、在学中の子どもが二人います。このような家庭を私一人で支えることは困難です。彼の家族であるにもかかわらず、現在までに何の処分通知も受け取っておらず、呉貴軍が生きているのか死んでいるのか、何の消息もありません。農民工の権利を守ることがそんなに大きな罪なのでしょうか。

法律は公平なものだと思います。政府部門のみなさまには人民のことを第一に考えていただき、家族が納得のいく回答をいただけるよう、強くお願いする次第です。

もう何日かすれば中秋節です。中秋節は一家団欒の日です。指導者のみなさまが呉貴軍を釈放し、家族で中秋節を過ごすことができるよう希望する次第です。

呉貴軍の家族:周玉芝

※5月23日に拘束されてから、9月19日の中秋節の現在まで、呉貴軍は120日も拘留されており、何の消息もない。

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一人の平凡な労働者――呉兄貴

呉貴軍、湖南の人、多くの農民工と同じように、家庭環境は困難、両親ともに高齢、呉夫婦とその妹は出稼ぎに出ており、高校生と幼稚園に上がったばかりの子どもは高齢の両親が面倒を見ている。彼が迪威信で働き出して9年が経つ。2006年に労災に遭った時に労働者の権利を知り、それからずっと法律を宣伝し、仲間の労働者の争議を支援してきたことから、仲間の労働者たちは尊敬をこめて呉兄貴と呼んでいる。

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