JCLIF レポート

廬暉臨:政府と富豪は農民工生産体制から恩恵を受けている

• Talk1 農民工は高度に中国の特色を有する現象で、非常に奇怪な現象である
• Talk2 農民工は工業化大生産の労働力になったが、人としての欲求はなおざりにされている
• Talk3 農民工生産体制の受益者は国家と資本であり、財政収入は増加し、富豪の成長速度は驚くべきものである
• Talk4 広東増城に類似する集団事件の背景の多くには、新世代農民工に徐々に蓄積される憤怒の情緒が見られる
((ドキュメント))


廬暉臨:政府と富豪は農民工生産体制から恩恵を受けている

工場で働く女児らは当局の検査があると宿舎に隠れる

ゲスト紹介
廬暉臨 (lu Huilin) 北京大学社会学系副教授。香港中文大学社会学博士、ハーバード大学燕京研究所客員研究員。農村社会学、農民工に関する研究に従事、研究成果は『中国社会科学』、『社会学研究』などの学術誌に掲載されている。「新世代農民工集団の階層形成と身分アイデンティティ」等の国家社会科学基金の研究に従事。



スペシャルサマリー
改革開放の30年は、農民工と呼ばれる膨大な集団を生み出した。我々は「農民工」という用語を普通に使っているが、実際には農民工は高度に中国の特色ある現象であり、極めて奇怪な現象である。
農民工生産体制の受益者は国家と資本である。GDPに占める財政収入の割合は高まる一方であり、通俗的な言い方をすれば国家は金持ちになった。
中国の農民工体制は、労働力の生産と再生産と分離させる。農民工のかなりの部分の再生産は農村に押し込まれ、資本が農民工に支払う賃金は完全な都市労働者の賃金ではなく、尊厳ある都市住民生活を維持することは不可能である。
若い農民工のあいだには、常に一種の憤怒の情緒が見られる。広東省増城市の事件に類似する集団事件の背景のすべてにおいて、新世代農民工が通年の出稼ぎで蓄積する屈辱や不満を多く見ることができる。


「分割」された中国農民工:生産は都市で、生活は農村で

廬暉臨:農民の未来は、その大部分が農民工自身の肩にかかっている。改革開放の30数年のなかで、中国は計画経済から市場経済に転換し、新しい都市化も30年が経過し、その結果、出現したのは農民工と呼ばれる膨大な集団である。これは極めて興味深いことであり、また極めて厄介な問題であり、極めて困難な結果でもある。
中国モデルは経済的に言えば輸出指向型経済と呼ばれるが、私はそれを世界の工場の発展モデルと呼んでいる。西側の時代遅れの生産能力[設備]を中国に移行して中国で生産を行い、中国の安い労働力、土地、設備[ツール]を使用し、製品を輸出する。これが世界の工場の真の意味するところである。
フォックスコンは世界の工場のもっとも典型的な縮図である。2011年3月までに、フォックスコンの中国工場は中国全域のほぼ半分に分布している。フォックスコンは極めて短期間のうちに成長し、フォックスコンの工員は全世界で100万人を上回るが、そのほとんどが中国の工場で働いている。この20年でどのように成長してきたのであろうか。もっとも説得力のある変数は、中国の改革開放による世界の工場への歴史過程が、フォックスコンの発展に集中して具現化されているというものである。
フォックスコンは世界最大の電子消費品の受託製造工場で、アップルブランドの製造会社である。しかしバリューチェーンにおける利益配分は最も少なく、アップルが「肉を食べる」のなら、フォックスコンは「スープを飲み骨をしゃぶる」といえる。中国も世界の工場として同じ状況にある。資本は「おかしら」を持ち去り、中国は「骨をしゃぶる」のであり、国際的なサプライチェーンでは不利な位置におかれており、わずかの利潤しか得ていない等の問題がある。
メイド・イン・チャイナの背後の最も重要な制度設計は、農民工生産体制であり(農民工生産体制は清華大学の瀋原教授等が提起した概念)、中国が世界の工場となった謎が農民工生産体制にあるといえるかもしれない。
農民工生産体制の核心は農民工を労働の主体とすることであり、その労働力の生産と再生産の弁証法的統一が、社会および空間的意義において分断されている。労働力の生産はある種の意味において労働力が使用され、工場に入り、生産ラインで働いたり管理業務を行うということである。労働力の再生産とは労働力を使用した後、常にそれを回復させなければならず、最も重要な含意は体力を回復させるということであり、食事と睡眠をとり、生命を継続させることであり、家庭を構築し、子を産んで育てることも含まれる。一般的には、労働力の生産と再生産は一体であり、たとえば農民の労働力は農村での農作業に使用され、労働力の生産も再生産も農村で行われる。
現代の中国の農民工はある種の特殊な生活状態にあり、労働力の生産と再生産の一部は都市で行われるが、他の大部分は農村に押し付けられている。この意義において、農民工は労働の主体として、労働力の生産と再生産は分断されている。労働力の生産は都市でおこなわれ、再生産のかなりの部分は農村で行われている。これこそが、農民工が一種の生産体制と制度設計であるという理由である。


農民工は都市に受容されておらず、人としての欲求はなおざりにされている

改革開放の30年は、農民工と呼ばれる膨大な集団を生み出した。我々は「農民工」という用語を普通に使っているが、実際には農民工は高度に中国の特色ある現象であり、極めて奇怪な現象である。われわれは長年にわたり、このような不正常な現象とあいまみえてきた。それをおかしいと思わないのは、それを真剣に反省もせず直視もしてこなかったからだ。
工業化にともない農民が農村から都市にやってくることは、何ら特殊なことではなく、世界中で発生してきたことであり、早くはイギリスから、後には東アジアの4匹の龍[韓国、台湾、香港、シンガポール]もそうであった。中国の特色は、工業化と都市化が高度に分離した二つの過程であったということである。工業化は同じ速度で都市化を伴わなかった。大量に都市に移動した労働力は真の都市住民にはならなかったということでもある。かれらは都市で仕事をしているが、都市で家庭を築くことはできず、労働力の生産と再生産の空間に分離が発生しているのである。
今日の中国における2億人の農民工は、都市での滞在期間は長いものも短いものもあり、時には20年にもわたって都市にとどまっているものもいる。彼らは往々にして労働力を売り、生産活動に参与し、都市に奉仕するが、農村でしか生活と増殖することができず、あるいは高度に簡素化された方式ゆえに、それを行うことができない。「町の中の村」(都市の未開発地区:訳注)に居住する多くの人々も、妻や子どもと一緒に生活しているが、高度に簡素化された不完全な生活で暫定居住を余儀なくされている。それゆえこれらの「農民工」と呼ばれる人々は、工業化大量生産の労働力となったが、しかし人としての欲求はなおざりにされている。30年が経過し、すでに農民工は全体として第二世代に突入したにもかかわらず、[都市化の]実質的な進展はいまだみられない。
農民工は農村に僅かであるが生産手段を所有しており、完全な無産者ではないという人もいるだろう。だが別な一面を見るならば、彼らは都市に受け入れられず、都市労働者が有すべき生活状態を有していないのだから、故郷に僅かばかりの土地があることを理由にそのように言うことは、あまりに残酷ではないだろうか。これは完全に口実に過ぎない。農民工に示される中国の特色ある現象は、一種の制度設計なのである。

政府と富豪は農民工生産体制から恩恵を受けている

農民工生産体制の最大の被害者は、2億数千万もの集団である農民工本人である。さらによく言われる留守児童[親が出稼ぎで農村に残された子ども]の問題がある。2年前のデータでは中国には5800万人の留守児童がおり、数千万の流動児童[親の出稼ぎについてきた子ども]をあわせると、1億人近くにもなる。さらに留守女性[出稼ぎに行った夫の妻]問題および留守老人問題がある。
長年働いてきたところ以外で生活をするという構造は当然にもきわめて不合理である。しかし、なぜそれが長期的に存在可能なのか、それを変革することは難しいのだろうか?この問題に答えるもうひとつの考え方は、誰がここから恩恵を受けているのかを追及することだろう。
誰が農民工生産体制から恩恵を受けているのだろうか? 実際のところ、それははっきりしている。過去30年で二つの結果がでている。ひとつは中国経済が年平均10%もの成長を維持しており、世界第二の経済体となり、経済的実力も強くなったことである。ふたつには、最速で最多の富豪が生み出されたことである。富豪全体の実力は中国ではいまだナンバーワンではないが、富豪の人数と財産規模の成長速度は驚くべきものである。
農民工生産体制の受益者は国家と資本であるとも言える。資本は利潤を獲得して富豪を生み出した。富豪は資本が人格化し体現されたものにすぎない。今日、中国は世界第二の豪奢品消費国となっている。豪奢品は中国が最速で最多の富豪を生み出していることのプリズムである。普通の消費者が、流行を追い求めて数か月の食事代を節約したとしても、小さな装飾品を購入することもそうできることではなく、ましてや膨大な豪奢品市場を支えることはできない。豪奢品市場はおもには数千万から数億元の資産を所有する富豪によって支えられており、これらが中心的な消費グループである。
もうひとつの受益者は国家である。だが国家という言い方はあまりに抽象的すぎる。もう少し具体的に言うとすれば、政府の財政収入がGDPに占める割合はますます高くなっているということである。それは90年代中ごろから現在にいたるまで増加してきた。これは世界の工場という立場と関連している。財政収入がGDPに占める割合はますます高まっているが、通俗的な言い方をすれば、国家は金持ちになったということである。今日の中国には底力があり、インフラもそこそこの水準であり、都市も近代化しており、海外旅行をする国民は自信と誇りを持っている。
もしさらに細かく述べるとすれば、官僚の腐敗は前人未到の水準に達している。過去には数万元、10数万元の汚職についてよく語られたものだが、現在ではややもすれば数億元や10数億元でも不思議ではない。国家経済の急速な成長、財政収入の大幅な増加は、一見よいことのように思える。しかしその背後で誰が恩恵を受けているのかが重要なのである。今日、誰もが公務員になりたがっており、政府部門に就職できれば生活に憂いがなく保証もあるという感覚をもっている。

農民工生産体制は農民工が都市部で生活できないほどの賃金抑制を招いた

なぜ農民工生産体制が世界の工場を支えるもっとも基礎的な支柱なのだろうか? なぜ農民工生産体制が中国の経済成長の背景の秘密だといえるのだろうか?
たとえば深センでは1992年から2011年までの最低賃金は、245元から1320元に増加した。絶対数では増加しているが、GDPの成長率と比べると、最低賃金の上昇は緩慢である。最低賃金の引き上げだけをみても、2005年までの増加速度は非常に緩慢であり、1992年の245元から2005年の460元、2倍になった程度である。
1992年の最低賃金245元は当時の労働者平均賃金(494元)の半分であり、比較的合理的な水準だったといえる。一般的に最低賃金が平均賃金の40~60%程度であれば比較的合理的だと考えられている。北欧の最低賃金は平均賃金の60%を上回っている。貧富や収入の格差が比較的小さいからだ。しかし、深センの最低賃金は絶対額では引き上げられ続けているが、平均賃金との比較では下がり続けている。2010年には20数%しかなく、30%にも達していない。
農民工もそれを感じている。20年前の出稼ぎは、お金を儲けるという感覚があったが、今日の出稼ぎは儲けにならず、必至に働いてもなんとかやっと喰っていける程度で、ちょっと何か買ったりすると、すぐに「素寒貧」になってしまう。
最低賃金水準は農民工の稼ぎの水準を代表するものではないかもしれないが、もしあなたが生産ラインで働いたとしたら、8時間労働だけで得ることができる稼ぎは最低賃金レベルだということが分かるだろう。あるデータを紹介しよう。2010年のフォックスコンの生産ライン労働者の賃金は950元だった。2009年水準の最低賃金をわずかに上回る程度の金額である。賃金は2010年7月になってわずかに引き上げられた。フォックスコン全体の労働者に占める生産ライン労働者の割合は85%である。生産ラインでの8時間労働の賃金が、最低賃金をわずかに上回るだけという状況は、比較的普遍的な状況である。
結局のところ労働者はどうするか? 進んで残業することになる。フォックスコンの残業状態は深刻で、2011年以前の残業はひと月あたり80~100時間あったという人もいる。自発的な残業の背後には強制があることを見なければならない。2011年に、残業をして稼げる月給は2000元近くであった。つまり半分以上は残業による稼ぎであり、毎日3時間ほどの残業になる。
このようなケースも農民工生産体制のひとつの結果である。なぜ農民工が生産体制を構成することができるのか。農民工生産体制は資本に賃金の下限を突破させる。資本が高速で蓄積を望むのであれば、労働力の賃金を低く抑えようとするからだ。経営者個人が善人であるか悪人であるかは関係ない。資本の本質は蓄積の速度を速めようとすることで、これは資本のもつ性質なのである。
資本の急速な蓄積による労働力コストの引き下げにも下限はあり、無制限に引き下げることはできない。下限は労働力の再生産コストである。現在の社会水準においては、衣食住、子どもの養育、基本的な交際などがそれにあたる。
それゆえ、どうして農民工生産体制が資本に賃金のデッドラインを突破させるのか、その秘密はどこにあるのか? それは、中国の農民工体制が労働力の生産と再生産を分離させ、農民工のかなりの部分の再生産を農村に押し込め、資本が農民工に支払う賃金は都市労働者の完全な賃金ではなく、農民よりもわずかに高く、都市労働者には遥かに及ばないものである。なんとか雨露をしのぐことができ、とりあえずのメシにはこまらず、ときには一杯ひっかけることぐらいができる水準でしかなく、尊厳ある都市住民としての生活を維持することは不可能で、家庭を築くことなどは到底できそうにないものである。

農民工は都市では仕事はあるが生活はできない

それがもたらす結果は、農民工は都市では仕事はあるが生活はできないというもので、その生活は極めて簡略化されたものである。
たとえば深センの第六回人口調査の結果によると、定住人口、つまり半年以上の居住者は1030万人余りで、そのうち深セン地元民は200万人余りしかいない。他はすべて農民工である。深セン市街地を旅行しても、かれらに出会うことはほとんどない。町並みもきわめて清潔である。しかし深センの郊外区(注:深セン市は中心地区である経済特区と郊外区に分けられる)は完全に別世界であり、郊外区はあたり一面が工業生産地帯の風景である。
労働者は、工場内の7~8人一部屋の寮に住んでいる。寮はとても生活空間と呼べるものではなく、単に睡眠をとるだけの場所であり、ある意味で生産ラインの延長といえる。つまり一刻も早く労働者を生産に組織するためのものである。このような場所で労働者がまっとうな社会的交際を維持することは不可能であり、家庭を築くことなど、フィクションもいいところである。
北京にはそれほど多くの工場はないが、都市機能が発達しており、労働力需要が非常に旺盛で、露天や清掃などで大量の非正規雇用が存在する。これらの人々は「町の中にある村」に住んでいる。「町の中の村」は流入する農民工に寄り集まる空間を提供してた。地元の農民[「町の中にある村」が存在する未開発地区の土地使用権を持つ農民のこと。かれらは都市化による賃料収入で生活している]がアパートを貸し出し、安い住居を求める農民工らがそれを必要とした。
その後、このような「町の中の村」は、衛生や治安、犯罪などが問題になり、政府による整理が行われた。整理の際、政府は地元農民とだけ補償価格について合意したが、その何倍、何十倍もの人数がいる外来人口(農民工)の需要についてはまったく省みることはなく、農民工らはつぎつぎに移転を余儀なくされた。三環路[北京市の中心部を囲む環状道路]の内側の「町の中の村」がなくなっていき、かれらは[その外側の]四環路に移転し、四環路の「町の中の村」がなくなると、つぎは五環路に移転した。現在、大量の農民工は五環路のさらに外側にある都市部と農村部の境界で生活している。
当初の生活空間は除去され、家賃も上がり始めた。このような場所で農民工はなんとか生活はしているが、私はこれを高度に簡略化、圧縮化された生活と呼んでいる。不完全な生存状態であり、段階的で不安定なものである。夫婦であれば子どもも生まれるだろうが、養育費が足りなければ、故郷の老父母に預け、もう少し大きくなれば学校へ通わなければならないという問題もでてくる。これが、仕事はあるが生活がない、という問題である。

集団事件が新世代農民工の憤怒の感情のはけ口に

農民工問題はすでに30年間存在してきたが、もし改革がなければ大きな問題になるかもしれない。これは新たな集団の登場と関係しているそれは、われわれが新世代農民工と呼ぶ集団である。
新世代農民工は、前世代の農民工とおなじく農民工であり、同じように抑圧されている。しかし前世代にはない新しい特徴が、これ以上の抑圧を拒否させている。新世代農民工の大多数は80年代や90年代以降に生まれており、物質的な生活水準の相対的な上昇期に成長した世代で、前世代の農民工に比べて高い文化的教養をもっている。
もっとも重要な点は、新世代農民工の若さにあるのではなく、土地、農村、都市とかれらとの関係にある。前世代の農民工に比べ、新世代農民工の大多数は農業経験がなく、いわゆる郷土感情もない。かれらは消費社会で成長し、農村でもテレビなどのメディアを通じて都市生活の扉はかれらに大きく開かれ、美しい青写真が提示されている。かれらは生活の目標を都市においている。
この特徴によって、多くの新世代農民工が、いったん家を後にすると、親の世代のように再び故郷に帰ることはなくなった。かれらは都市へ向かう出稼ぎの一方通行の道へと踏み出すことになる。故郷を離れると農村の扉は閉じられる。帰郷は短い休息をとるだけとなることがほとんどである。
かれらは、飲食や起居、ファッション、交友概念、ひいては文化の消費などの面で、都市の生活方式を志向しようと努力を惜しまない。しかしその前には巨大な現実のコントラストが立ちはだかる。物質面と精神面のどちらも都市からの排除を受けている。多くの農民工が北京で5年、10年と仕事をしているが、すぐ目の前に都市はあっても、自分と都市の間に巨大な亀裂が存在することを実感している。超えることのできない「巨峰」がある。住宅、教育、医療、社会保障など各種の制度支援が欠如するがゆえに、かれらが都市で定住する可能性は実際にはない。多くの農民工の収入は低く、市場を通じて上記の保障を獲得することはできない。
それゆえ、これらの農民工が都市生活の追求に努力すればするほど、目標ははるか遠くにあって及ばず、労働という手段ではますます目標に接近することができないことに気づく。こうして労働の意義は儚くも崩れ去る。親の世代は、苦しく、疲弊したとしても、労働は手段のひとつであり、すばらしき故郷での生活につながる道であり、故郷に家を建てるために、我慢することができた。農村は老後の保障の一つであり、都市での苦しみと疲弊は現在の過渡的な段階にすぎない。しかし新世代農民工にとって、目標は都市である。にもかかわらずその目標へ向かう道筋を発見することができず、かといって農村にも戻りたくはない。労働は都市を漂流する手段となるのである。
フォックスコン労働者の自殺[2010年に相次いだフォックスコンで働く新世代農民工の飛び降り自殺事件]に関しては、個別ケースからの解釈はできない。背後には構造的な原因もある。これらの新世代農民工らは都市で希望を見出すことができない。農村にも戻りたくはないが、都市にも溶け込めない。結局、退くに退けず進むこともままならないという状況になる。
新世代農民工は一億人近くになろうとしている。これほど大規模な集団が、このような状況下で生活していては、どれだけ努力しても目標を実現することはできない。かれらは努力していないという指摘もあるが、このような意見は不公平である。新世代農民工は、現有の社会構造の中で自らの位置を確立することはできない。
漂流する生存状態は「自分は誰なのか」ということを深刻な問題として浮かび上がらせた。多くの農民工がこのような希望あるいは能力表現を持っているとは限らない。しかし実際のところ、これは一種の集団的情緒なのである。自分は農民なのか労働者なのか? 自分は結局のところ何なのか? これはアイデンティティに関わる大問題であり、アイデンティティは一億余りの新世代農民工を困惑させ影響を及ぼしている。
長期的な展望を見いだせず、どの道筋を進んでいいのか分からない。いったい誰がこのような巨大な屈辱に耐え忍ぶことができるのだろうか。ある経営者が社員に対して行ったアンケートは、制度面での意見を問うものであったが、この経営者から直接聞いたところによると、新世代農民工らの回答は「ムカつく」のオンパレードだったという。これらの若い農民工にとって「ムカつく」という情緒は骨の髄までしみ込んでいる。
彼らが普段も苦渋に喘いでいるといいたいのではない。街で遊んだり酒を飲んだりするときには楽しいだろうし、スケート場で遊ぶときもウェブゲームをしているときも楽しんでいるだろう。しかしこのような快感は夏夜の蛍火に似ており、一瞬一瞬はまばゆいが、暗闇を明るく照らしつくすことはできず、すぐにまた暗闇に包み込まれる。将来が見えず、最後には焦慮の中に立ち戻るのだ。
若い農民工のあいだでは一種の憤怒の情緒がつねに見られる。憤怒の対象は誰か。それは資本だったり、経営者だったり、さらには他のだれかだったり。それはさほど明確でないときもあるが、憤怒は確かに存在し、それは体内で成長し、膨張する。
憤怒のはけ口は何か。2011年広東省増城市新塘鎮で発生した集団事件は、露店を出していた四川省出身の妊婦が、地元の都市管理員に、取り締まりの際に地面に押し倒された。よく知られているように、普通、よそ者はこのようないじめにも我慢する。しかしこのときはたくさんの人が[抗議で]集まったし、妊婦が死んだというデマも流れた。政府は事態収拾のために、病院に運ばれていたその妊婦の姿をテレビで放送して無事であることを伝えたが、人びとが集まることを阻止することはできず、それは大規模に膨れ上がった。数万人、ひいては十万人近くも集まったともいわれ、政府は大量の軍警察を出動させることになった。
事件は偶然であったが、見通しは危険なものである。市街における「内戦」ともいえる状況であった。類似するすべての集団事件の背後には、新世代農民工が一年を通しての出稼ぎで累積させる屈辱と不満、そして徐々に成長し膨張する憤怒の情緒が往々にして見られる。
新世代農民工の問題を解決することができるかどうかは、社会的安定、そして中国の発展全体に影響を与えるまでになっている。もちろん、この問題は自然と解決するものではないし、さらには、きわめて強力な力がこのような体制[農民工生産体制]を維持させているといえる。
この問題は、今日は広東省新塘鎮では解決できるかもしれない。局地的には解決できるかもしれない。しかしそれはずっと存在し続け、最後には巨大な破壊的な結末を招くことになるかもしれない。


(本文は廬暉臨教授から権限を受けたものであり、許可なく転載を禁ずる)
セミナー情報
テーマ:中国発展モデルと農民工問題
ゲスト:廬暉臨
主催:北京師範大学「農民の子」社団
時間:2012年11月29日
場所:北京師範大学
編集:周東旭

原文ページ http://news.ifeng.com/exclusive/lecture/special/luhuilin/

[増城事件:http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0710&f=national_0710_009.shtml 参照 日本語]
広州増城事件で現地行政トップ2人更迭、11人を起訴=中国

中国共産党広州市委員会は、増城で6月中旬に起こった騒乱事件の後始末として、現地の役人2人を更迭、事件に関わった容疑者11人を起訴したと発表した。英BBC(中国語電子版)が報じた。
新華社通信が広州市委員会関係者の話を引用して報じたところによると、更迭処分となったのは、増城市新塘鎮党委員会の劉書記と麦副書記。2人はすでに免職され、麦副書記が担当している新塘鎮の鎮長職も解かれるという。
このほか、村の党支部書記1人と村民委員会主任の1人が党内部で厳重警告処分を受けた。また、増城市は、騒乱事件を誘発したとして、治安・保安担当者を処分した。騒乱の発端となった被害者の露天商・王聯梅夫妻とトラブルを起こした末端の治安維持機関「治保会」の係官は、10日間の拘留処分を受けた後、治保会を除名された。
6月10日夜、増城市新塘鎮大敦村の露天で衣類を販売していた四川籍の王聯梅夫妻と村治保会の保安係員との間にいざこざが原因。保安係員が妊娠していた王夫人に暴力を振ったことが発端となり、3日間に及ぶ大規模な騒乱に発展した。農村からの出稼ぎ労働者数千人が集まり、警察への投石、車両の焼き打ち、建物の破壊などが行われた。
広州市共産党委員会の蘇志佳副書記は、「一部の地域では、出稼ぎ労働者に対する管理業務がきちんと行われていないのが現状だ。彼らに対する関心や気配りが足りず、管理力やサービスのお粗末さが、今回の騒乱事件を招いた原因だ」と認めている。
アナリストは、「出稼ぎ労働者は、最も危険で、皆が最もやるのを嫌がる過酷な作業に従事している。彼らはまた、地方当局は現地の住民から差別的な扱いを受けることが多い。増城の騒乱事件は、このような社会的背景と彼らの積み重なった不満を火種として、起こるべくして起こった」と指摘した。

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