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第8次「日中不再戦の誓いの旅」

4年ぶりの訪中、北京・南京を友好訪問

伊藤彰信(訪中団団長)

 日中労交の第8次「日中不再戦の誓いの旅」は、12月11日に出発し、北京、南京を訪問して15日に帰国しました。コロナの世界的な流行により、4年ぶりの訪中でした。今回も学生2名が参加し、平均年齢をぐっと下げた老・壮・青の訪中団になりました。

 訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)、副団長=新崎盛吾(元新聞労連委員長)、秘書長=有田純也(新潟県平和運動センター事務局長)、団員=佐久原智彦(全港湾大阪支部特別常任執行委員)、今村錬(上智大学4年)、遠山和泉(長崎大学4年)の6名です。

 訪中団は、南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加するとともに、北京では中国職工対外交流センターの張広秘書長と懇談し、南京では南京師範大学の林敏潔教授ならびに学生と交流してきました。以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。

<12月11日>

 訪中団は前日、東京で結団式を行い、11日は羽田空港から飛び立って北京首都空港に着きました。前日の東京の気温は21度でしたが、北京の気温は1度で雪が積もっていました。空港には中国職工対外交流センター技術経済交流部の石晶晶さんが出迎えてくれました。昼食をとったあと、マイクロバスで宿泊先である職工之家に向かいました。職工之家は中華全国総工会が経営するホテルです。

中国職工対外交流センターの張広秘書長と伊藤彰信訪中団団長が懇談

 中国職工対外交流センターの秘書長は、前任の王舟波秘書長が5月に定年退職して以降空席のままでした。10月に中華全国総工会の第18回全国大会が開かれ、総工会の新しい体制が選出されましたが、職工対外交流センターの秘書長はなかなか決まらず、張広秘書長が着任したのは、訪中団が北京に着いた当日でした。歓迎夕食会の前に少し懇談する時間がありました。張秘書長は「国家公祭に毎年参加している日中労交の訪中団を歓迎する」と述べたあと、第18回大会について以下のように簡単に報告しました。

 中華全国総工会は、世界最大の労働組合であり、中央、省、市、県、郷・鎮、職場のレベルまで整った組織である。第18回大会では、この5年間の総括、向う5年間の方針の確立、章程(規約)改正、役員の選出を行った。方針の主な柱は、労働者の権益の擁護、経済の発展、調和のとれた労使関係である。この5年間で、職工図書室、職人学院をつくった。貧困者への支援やカンパ支給、農民工の相談業務、屋外労働者向けのサービスステーションの設置、コロナ対策では77.5億元を使って労働者対策を行った。また活動項目のひとつに組合交流を加えた。一帯一路の交流、技術交流、国際的な労組交流などを行う。交流を通じて平和に貢献したい。

 伊藤団長からは、日中労交が名実ともに日中労交として再出発したことを報告し、「市川誠初代会長の『日中不再戦の誓い』の精神を継承し、加害の歴史を忘れずに『台湾有事』を阻止するために活動している。日中友好運動を若い人に引き継ぐようにし、平和構築に努力している。来年は日中労交結成50年にあたる。8月に祝賀会を行うので参加してほしい。」と述べました。

 懇談会・夕食会には、何際霞技術経済交流部部長、2019年の東北旅行でお世話になった李明亮さんも参加し、4年ぶりの再会を喜び合いました。

<12月12日>

 7時30分にホテルを出発し、北京南駅から高鉄(新幹線)で南京に移動しました。何際霞部長も同行しました。乗車時間は3時間25分ほど、途中の停車駅は済南だけ、時速350㎞の運転でした。到着した南京南駅では、江蘇省職工服務センターの盛卯弟副主任、南京市総工会の付光宇弁公室副主任が出迎えてくれました。駅近くのレストランで昼食をとった後、南京市総工会の工人文化宮と職工服務中心(労働者サービスセンター)を訪問しました。工人文化宮は、1951年につくられたものですが、2021年に新しい施設がオープンしました。総建設面積は約73,000㎡、トレーニングジム、プール、バスケットやバトミントンのコート、健康相談室、劇場、イベント広場があり、貸衣装など文化芸術活動の支援などを行っています。職工服務センターは、2019年にも訪れた施設ですが、以前のところから移転して工人文化宮に併設してつくられ、2022年5月に新装オープンしました。業務内容は、①職業訓練、②起業への貸付、③職業紹介、④困難な労働者の生活支援、⑤インターネットを活用した包摂的なサービスの5部門です。インターネットでの事務手続きがほとんどなので、窓口に来て相談している人はいませんでした。新しい施設になって、以前より活動が充実しているように感じました。

 宿泊先は南京市総工会が経営するホテルである天豊大酒店です。夜は、江蘇省総工会のミョウ(糸へんに翏)建華二級巡視員が主催する歓迎宴が開かれました。ミョウさんは以前、江蘇省職工対外交流センターの秘書長をしていた方で古くからの友人です。白酒がすすみました。

<12月13日>

 南京大虐殺受難者追悼国家公祭に参加するため、8時40分にホテルを出発し、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館に向かいました。「日中不再戦の誓い」の碑を見たあと、式場に入りました。4年ぶりの参加ですが、参加者の顔ぶれが変化しているのに気づきました。隣との間隔が今までより広くなっていました。全体の参加者を以前より制限しているように感じました。昨年のビデオをみるとマスクを着用していましたが、今年はマスクを外すように言われました。外国の大使館からの参加がありませんでした。日本人参加者のブロックには日本からの高齢者の参加がほとんどなく、南京在住日本人留学生が参加しているとのことでした。初めて前から3列目での参列となりました。

 国家公祭のあと、長江ほとりの南京大虐殺遭難者中山港記念碑を訪れました。南京市内には20か所以上の記念碑があります。慰霊式が行われます。10時には歩いている人も、バスも自動車も止まって、黙とうをします。昼食後、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館を見学しました。17時30分からキャンドル祭に参加しました。キャンドル祭も演出が変わりました。宗教行事がなく国際平和集会となりました。参加人数も制限された代わりに、大型ビジョンが設置され、ドローンを使って記念館全体を撮影しながら中継で発信されていました。マギー牧師のお孫さんがあいさつし、南京紫金草芸術団の小学生が歌いました。紫金草合唱団の日本からの代表者が、南京の子どもたちに引き継いだというあいさつは、今回の集会を象徴する出来事でした。幸存者が38人になった現在、南京大虐殺の記憶を若い人に伝えていくことを重視した集会だったと思います。

<12月14日>

 午前中、2015年12月にオープンした利済巷慰安所旧址陳列館を見学しました。中国各地の慰安所、アジアの慰安所の資料が展示されています。

南京師範大学、東アジア文化研究所所長の林敏潔教授と同大学院学生と訪中団が交流

 午後は、南京師範大学を訪ね、東アジア文化研究所所長の林敏潔教授と同大学院学生と交流しました。林教授は、日本民間反戦記憶に関する多分野研究をおこなっており、戦争関係のあらゆる分野についてデータベース化をすすめています。過去の歴史を忘れず、日中は平和共存しなければならないと熱い挨拶で迎えてくれました。そのあと、新崎副団長を司会役にして、日中学生の交流会が行われました。学生たちは校門まで見送ってくれました。日中の学生たちはウィチャット仲間になったようです。若者交流、民間交流の実際を見たような気がしました。その後、南京博物院、夫子廟を見学して南京での日程を終了しました。

<12月15日>

 5時にホテルを出発し、マイクロバスで上海浦東空港に向かいました。9時30分に空港に到着し、午後の便で関空、成田へと飛び立ちました。

 通訳として全行程を同行してくださった石晶晶さんには大変お世話になりました。

平坂春雄(日中労働者交流協会元事務局長)

平坂春雄さん(日中労交元事務局長)が逝去―心からご冥福を!

 8月2日に亡くなられた平坂春雄元事務局長(元全港湾関西地本書記長)の葬儀
が、8月4日通夜、5日告別式の日程で兵庫県尼崎市で執り行われました。
 私が参列したのは告別式ですが、コロナ対策がしっかり行われ、椅子も間隔を置いて配置され、参加者はマスク着用、導師もマスクしての読経でした。20人ほどの参列者でしたが、通夜には、もっと多くの方がお別れにみえていたとのことです。
 弔電拝読では、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館の弔電が最初に読み上げられました。会員の方からも多数弔電をいただきました。喪主の長男匡史様からは「故人の遺志をついでこれからも頑張ってください」と逆に激励されました。

 平坂さんは、養成工として尼崎製鋼所に入社。1954年の尼鋼闘争を指導。1955年兵庫県評書記となり、中小企業対策オルグとして数々の争議を指導しました。 1966年全港湾のオルグとなり、登録日雇港湾労働者の組織化を手掛けました。1967年全港湾神戸支部書記長、1981年全港湾関西地本書記長を歴任しました。
 日中労交には結成当時から参加。初代事務局長の兼田富太郎さんのあとを継いで、1985年から日中労働者交流協会の事務局長に就任し、市川会長と共に1985年8月15日の侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館の開館式典に参加しました。以来、南京大虐殺展の開催、毒ガス展の開催、中国人強制連行犠牲者の慰霊、中国人研修生問題などに取り組み、日中友好活動を積極的に行った方です。
 市川会長の「日中不再戦の誓い」の碑を南京紀念館に立てることを提案し、2009年12月13日 の除幕式に参加しました。その後、事務局長を退任し、最近は、高齢者施設で療養生活を送っていたところです。
 8月2日永眠されました。93歳でした。心からご冥福をお祈りいたします。

侵華日軍南京大虐殺史国際学術シンポジウム(1997 年8月南京)で発言する平坂さん
侵華日軍南京大虐殺史国際学術シンポジウム(1997 年8月南京)で発言する平坂さん

伊藤 彰信 (日中労働者交流協会代表)

訪中記  ― 改めて戦争しない、させない決意を新たに

渡部公一 (前目黒区職労委員長)

平和友好にむけ南京市を訪問

私は、日中労働者交流協会平和友好訪問団の一員として、毎年12/13に開催される南京大屠殺死難者国家公祭儀式に出席するため、12/11から12/15まで中国を訪問しました。昨年に続き2回目の参加です。日韓関係が徴用工問題などで厳しく、また中国と米国の貿易戦争が世界経済に大きな影響を及ぼし、香港で度重なる抗議活動が多発している中の訪中でした。日本と中国は、田中内閣の時に戦後処理で国交回復、平和条約を締結しましたが、明治から「脱亜入欧」の感覚もあるようで、差別意識があります。日本は、朝鮮半島を植民地支配していたことから戦後処理で双方の歴史認識に深い溝があり、朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)については戦後処理、国交回復すらできていません。

こうした状況でなんとか一番近い国が仲良くなり、東アジアの非核平和の実現を願っています。

2つの成果

私たちは、労働者の立場から日中平和友好をテーマに交流しています。社会主義国の労働組合の活動について知識が乏しい中で皆さんと交流できたことは大きな成果でした。この中で私にとって二つの成果がありました。

第1に、昨年は訪中団にユニオン三重の若きリーダーも参加していましたが、今年は、来年4月に社会人になる学生インターン2人が参加し、一挙に平均年齢が若返りました。そのこともあり、私たちも新鮮なまなざしで訪問交流することができました。

第2に、現場の皆さんと交流できたことです。中国側は、全国総工会(日本だとナショナルセンターで全労連や連合)が窓口で、江蘇省総工会(日本だと県本部)が受け入れ、工場見学など地元現場の対応は南京市総工会が案内してくれました。今回の訪問で中国の労働組合が中央、県本部、南京市、工場レベルの人達と交流できました。

南京大虐殺受難者追悼国家公祭の式典に出席

今回の訪中の最大の目的である南京大虐殺受難者追悼国家公祭の式典出席です。私たちは労働者の立場から市川誠さん(元総評議長)らが建設した碑で誓いの言葉を確認、記念撮影しこの式典に臨みました、その式典終了後、侵華日軍南京大虐殺遭難同胞紀念館を見学し、この後、キャンドル祭に参加し世界平和を誓いあいました。その夜は、初公演オペラ「ラーベの日記」の観劇で、ラーベさんの南京市民を守る活動を描いた作品です。

南京市の経済開発区、主力工場、労働者サービスセンターを見学

Skywellの展示室

南京市の経済開発区の溧水区を見学しました。溧水区は、広大な土地を教科書にあるような都市計画の手法で新しい都市をモデル地区として開発し、現在と将来の都市像の説明を受けました。

次にこの地区にある主力産業の一つ、バスやワンボックスの電気自動車メーカーSkywellを見学。工場長から自社開発の部品やバッテリー、5 Gを活用した自動運転の説明がありました。特に印象に残ったのはワンボックスの組み立てラインで、労働者の微笑ましい作業風景を見ました。日本だと一人一人が一つの工程を機械的に対応しますが、ここのチームでいろんな作業をし、次のラインへ送るシステムで、日本でよくあるロボット溶接は見当たりませんでした。この後、Skywellの生産目標など説明がありました。この後、場所を移して産休制度など意見交換しました。

次に南京市総工会の職工服務中心(労働者サービスセンター)の訪問です。労働者、疾病や倒産などで窓口となる業務内容の説明を受けました。不慮の事故などで失業になった人へ再就職の訓練や起業するための融資などについて説明がありました。昨年は会議室で総工会の説明を受けてきました。今年は実際の事務所で具体の事業内容や訓練状況の説明を受けることができました。

バスやワンボックスの電気自動車メーカーSkywellを見学

全体を通じて責任者(各級の副主席クラス)は、シニア世代もいましたが、現場の工場長や開発主任も含め組合幹部の多くが 30代から40代の若い人たちでした。日本も若い世代へ早くバトンタッチしていかなければと改めて思いました。

長江大橋など南京市の大事なところも見学

南京長江大橋

南京市を訪問して長江大橋の見学ができたことは、とても良かったです。長江(揚子江)の大きさを目の当たりにし、この橋の中にある建設資料館も見学し、何よりもこの橋を地面から見ることができとても良かったです。この長江大橋の見学の前に長江のほとりにある南京大虐殺遭難者中山港記念碑も訪問できたことはとても良かったです。

中国各地の慰安所を展示している利済巷慰安所旧址陳列館を昨年に続き見学しました。説明してくれた案内人は、私の事を覚えていました。改めて戦争しない、させない決意を新たにしました。

ありがとうございました

伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)団長をはじめ団員の皆さん、中国側の受けいれていただいたみなさんへ感謝すると同時に、来年は誰か参加できる人を募っていきたいと考えています。 以上

新たな交流の始まりを感じた ~南京市を訪問して~

藤村 妙子 (訪問団秘書長)

 今年も12月13日の「南京大虐殺犠牲者国家公祭」を中心に12月11日~15日南京市を訪問した。

 12月11日上海浦東空港で通訳の中国職工対外交流センターの李晶宇技術経済交流処副部長と再会した。バスに乗ると南京市総工会の付光宇さんから「日中労働者交流協会平和友好訪問団 ご案内のパンフレット」を手渡された。パンフレットまで用意して私たちを待っていてくれていたことを知り、改めて来てよかったと思った。今回の訪問団は伊藤彰信日中労働者交流協会会長(全港湾元委員長)を団長に70歳台から20歳台までの多彩な10名だった。今回は12日の訪問先についてのレポートをしたい。

 新たな街づくり

 12日は南京市南東部、市中心部から32キロにある溧水区(りすいく)の経済開発区に行った。開発区は昔、畑や草原だった所とのことだった。南京禄口(ろくこう)国際空港に隣接している面積138㎢、現在開発中であるが将来は60万人の都市にする予定であるという。大田区は面積約60㎢に約66万人が居住しているから二倍の面積に同じくらいの人が暮らす予定だということになる。大田区も羽田空港に隣接しているので何となく話を聞きながら比較してしまった。ここに作られる新しい町の居住区の地図を観ながら田園調布の街を連想していた。もしかしたら田園調布を作った人たちが夢想したのもこのような街だったのかもしれない。規模は小さいが、田園調布も駅を作り、道路を整備し、街路樹を植え、公園を作っていた。

また、街づくりの重要なポイント生活インフラの上水・下水設備、エネルギー(電気・ガス)、ごみ処理の事などがほとんど説明されていないことが気になったので質問してみた。水は揚子江から引き、下水は共同溝において水処理をしているとのこと。発電は揚子江の三峡ダムの発電によること。ゴミ処理は、現在の中国の最重要環境課題となっているとのことだった。分別収集と再利用や処理の際のエネルギーの活用などこれから日本などに学びながら行いたいとのことだった。私は、次回は是非そうした生活インフラの見学をできれば水道や清掃で働く人たちを訪中団に加えて行ってみたいと思った。

 新たな産業

 この経済開発区には、新エネルギー企業の産業用電気自動車工場が集まっている。その一つである「Skywell 新エネルギー自動車集団有限公司」に行った。2000年に黄宏生氏が設立した私企業である。同社は大型電気エネルギーバスの製造が主力で現在では5Gを使った電気自動車を開発中ということだった。

 ここでは、バスやワゴン車を製造している現場を見た。日本の有名自動車工場のようにオートメーション化されていないで、何人かがバスや自動車を取り囲み作業をしていた。何となく大田区の町工場の現場のようでとても親しみが持てた。機械化され無人化された中を自動車がつるされながら動きロボットが作業し、所々にいる労働者が機械のスイッチを押しているような工場ではなく、皆で語り合いながら共に力を出し製品を仕上げていく。こうした働き方は効率が悪いかもしれないが、技術を伝承し切磋琢磨し合える本当の働く姿があるような気がした。見学後使用者の人と労働組合の人とミーティングを行った。労働組合には従業員が全員加盟している。労組法に基づいて労働協約を結んでいて、この協約がしっかり実施されているかを一年に一度会社は報告している。儲かったときには、管理者には利益配当を行い、労働者には特別給を支給したとのことだった。南京市模範労働組合であり、南京市人民代表委員にこの工場の組合から一人推薦されているとのことだった。亡くなった人や病気になった人に寄付金を払っているとのことだったが、日本のような企業内の共済制度があるのかが少し気になった。また、労働安全衛生委員会のような仕組みはないようであったが、従業員は危ないところや、改善すべきところをいつでもスマートフォンで写して会社に通報や提案できるとのことだった。

 労働組合の労働者救済事業

 続いて、南京市総工会職工服務サービスセンターに行った。この施設は2002年6月に設立された所である。失業した労働者や本人や家族が病気になり、困難を抱えた労働者が行政のサービスの他に緊急的、即応をするための施設であるとのことだった。労働組合のリーダーシップの下に行われているこの事業は「雇用のための国家先進作業単位」という称号が国務院から2012年授与された。主な内容は職業紹介、起業のためのサポートや資金の融資、起業のための職業訓練などが行われている。

 とても面白いと思ったのは労働組合の交渉力を高めるために「交渉力コンテスト」が全国的に行われていて、南京市のグループは第一位だったということだ。訪中団のほとんどのメンバーは労働組合の活動家で自分たちもコンテストをやってみたい。どういう問題が出るのか、だれか採点するのかと質問が集中した。問題はすぐにはわからないとのことだったが、採点しているのは労働法の学者や労働組合の顧問の人たちということだった。

 以上のように、侵略遺跡の見学だけではなく、現在中国の一端に触れ、交流できたことは、新たな友好・交流の第一歩を踏み出したと思う。今後も進めていきたい。

第7次「日中不再戦の誓いの旅」 ―「日中不再戦の誓いの碑」建立から10年、南京を友好訪問

伊藤彰信(訪中団団長)

 日中労交の第7次「日中不再戦の誓いの旅」は、12月11日に出発し、南京を訪問して15日に帰国しました。学生2名が参加し、平均年齢をぐっと下げた訪中団になりました。
 今年は、日中労交の市川誠初代会長が1985年に侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館が開館した時に贈った「鎮魂の時計」に刻んだ「誓い」を碑にして建立してから10年にあたります。訪中団は、南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加するとともに、電気自動車工場見学、職工サービスセンター訪問など、現場の労働者と交流してきました。
 訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)、副団長=松本耕三(日中労交副会長、前全港湾委員長)、秘書長=藤村妙子(日中労交事務局長、東京の満蒙開拓団を知る会共同代表)、団員=清水英宏(全国自治体労働運動研究会運営委員長)、渡部公一(前目黒区職労委員長)、池田和則(西日本NTT関連労組執行委員)、新崎盛吾(元新聞労連委員長)、吉本賢一(全港湾大阪支部執行委員)、相澤一朗(東洋大学4年)、猪股修平(東海大学4年)の10名です。
 以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。

<12月11日>

 訪中団は、羽田、成田、関空から上海浦東空港に着きました。空港には中国職工対外交流センター経済技術交流部副部長の李晶宇さんが出迎えてくれました。バスで高鉄(新幹線)の上海虹橋駅に移動。昼食をとったあと、高鉄に乗って1時間13分で南京南駅につきました。駅には、江蘇省総工会弁公室科長の費震さん、南京市総工会弁公室の付光宇さんが出迎えてくれました。
 駅の近くで夕食をとり、ホテルに向かいました。ホテルは天豊大酒店。南京市中心部の新街口にある南京市総工会が経営する29階建てのホテルです。

<12月12日>

溧水経済開発区企画館で説明を受ける

 8時30分にホテルを出発し、1時間ほど離れた南京市溧水区に向かいました。
最初に溧水経済開発区企画館を見学しました。経済開発区は南京空港に隣接しており、新エネルギー車、空域産業、電子情報、スマート家電などの産業が集まっています。
 続いて開沃(スカイウエル)新能源汽車集団有限公司の工場を見学しました。新能源とは新エネルギーのこと、汽車とはバスのことで大型電気バスの工場です。技術研究室、ボックスカーの組み立てライン、展示室を見学しました。組み立てラインは数人のグループが部品を取り付けていました。展示室には、大型電気バス、小型電気バス、無人自動車、最近開発した電気乗用車などが展示されていました。
 会議室では、会社のプロモーションビデオのあと、党書記で董事長助理の張威さんが説明をしてくださいました。会社は2000年に創立、2011年に再編して現在のグループになった。従業員は約4000人。自動車産業は成長産業であったが、最近は下降している。しかし、当社は労働条件を維持して経営している。従業員は全員、工会(労働組合)の組合員であり、労働協約を結んでいる。苦情は工会の関与の下で調停して解決している。スポーツやイベントの福利厚生に従業員が参加している。貧しい人、病気の人など困難な家庭への手当や見舞金を支給している。
 溧水賓館で溧水区総工会の幹部を交えて昼食をとりました。話題は、新しく開発された溧水区のこと。50万人の都市をめざすという開発計画、エネルギー、水利、自動交通、公園、ごみ処理など都市計画について話が弾みました。

南京職工服務中心の料理教室

 午後は、市内に戻って南京市総工会の職工服務中心(労働者サービスセンター)を訪問しました。センターは2002年に設立され、32人の職員が5つの部門で仕事をしています。①職業訓練、②起業への貸付、③職業紹介、④困難な労働者の生活支援、⑤インターネットを活用した包摂的なサービスの5部門です。行政が行っている就業と社会保障サービスなどと違い、工会の場合は突然困った状況におかれた労働者の緊急支援のためのプラットフォーム的な事業団体です。1階の相談窓口を案内された後、2階の教室を案内されましたが、起業をめざす人たちを対象にした料理教室が開かれていました。
 案内してくれた南京市総工会副主席の劉輝さんの司会で、センターの熊載璽さんを交えて交流が行われました。労働組合としてこのような活動に取り組んでいることに感心しました。団体交渉指導員の教室もあり、交渉委員を養成しているとのことでした。

 夕方からは、江蘇省総工会と交流しました。
 張柯副主席候補が、江蘇省の状況と江蘇省総工会の活動について説明してくださいました。総工会の役目として、①労働者の合法的な権益を守ること、②国の建設に労働者を動員すること、③労働者を代表して国の社会づくりに参加すること、④労働者の文化、思想活動をおこなうことです。要するに労働者の権益を守り、労働者にサービスを提供することです。
 労働と経済工作部の董雷副部長が、①労働者の経済的地位の向上のための模範労働者の表彰、②効率、革新、安全、環境保全などの技能競技大会、③労働者保護のための安全教育、危険個所の指摘などの安全健康活動、④産業労働者のチームづくりなどについて説明しました。
 教育科学技術工会の陳副主席から同工会の活動について説明がありました。
 訪中団を代表して伊藤団長が、「日中不再戦の誓いの碑」を南京紀念館に建てる際にお世話になったことにお礼を述べ、「誓い」を実現するために、安倍政権が中国敵視を煽りながら戦争する国へ歩んでいることを阻止し、両国労働者階級の友好発展を発展させることが世界の平和を築く上で重要だとあいさつしました。(あいさつ文参照
 夜は、江蘇省総工会の朱勁鬆党組書記副主席が主催する歓迎宴が開かれました。北京から中国職工対外交流センターの彭勇秘書長、何際霞技術経済交流部部長も駆けつけてくださり、盛大な宴会となりました。

<12月13日>

南京大虐殺受難者追悼国家公祭

 南京大虐殺受難者追悼国家公祭に参加するため、8時にホテルを出発し、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館に向かいました。松岡環さんの銘心会の皆さんと同じバスです。国家公祭には、彭勇秘書長、何際霞部長、張柯副主席も一緒に参加しました。前から4列目、私の隣は旅日華僑中日交流促進会の林伯耀さんでした。
 国家公祭のあと、彭勇秘書長、何際霞部長と一緒に食事をとりました。午後、ホテルで休憩した後、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館を見学しました。偶然、南京師範大学の林敏潔教授にお会いしました。日本語学科の生徒たちが日本人の団体の案内をしていました。
 17時30分からキャンドル祭に参加しました。急いで夕食をとって、19時30分から創作オペラ「ラーベ日記」を鑑賞しました。この日初めて上演されたもので、南京安全区国際委員会の委員長を務めたジョン・ラーベをはじめ、ミニー・ヴォートリン、ジョン・マギーたちの南京市民を守る活躍を描いた作品です。

<12月14日>

 午前中、2015年12月にオープンした利済巷慰安所旧址陳列館を見学しました。中国各地の慰安所、日本、アジアの慰安所の資料が展示されています。南京での虐殺、強姦を契機に慰安所が軍の管理下に置かれるようになり、強制的に女性が連れてこられるようになっていく経緯が分かるようになっています。
 午後は、長江ほとりの南京大虐殺遭難者中山港記念碑を訪れました。また、1968年に中国独自の技術で完成した自力更生の象徴である長江大橋を見学しました。夕方、ホテル近くのスーパーで買い物をしました。
 夜は、南京市総工会の孫強党組書記常務副主席が主催する歓送宴が開かれました。ポケトークのような中国製の音声翻訳機を使って会話が弾み、楽しい夜となりました。

南京市総工会主催の歓送会

<12月15日>

 南京駅から上海まで高速鉄道を利用し、上海虹橋駅から浦東空港まで車で移動しました。浦東空港で昼食をとったあと、夕方の便で羽田、成田、関空へと飛び立ちました。
 江蘇省総工会の費震さん、南京市総工会の付光宇さん、通訳として全行程を同行してくださった李晶宇さんには大変お世話になりました。

南京市を訪問して―藤村 妙子改めて戦争しない決意を新たに―渡部公一

あいさつ― 2019年12月 江蘇省総工会との交流会

2019年12月12日
第7次「日中不再戦の誓いの旅」訪中団長・伊藤彰信

 私ども第7次「日中不再戦の誓いの旅」訪中団を暖かく歓迎してくださり、また、私たちの要望を受け止めて訪問先を手配してくださったことに、心から感謝いたします。
 日中労交は2014年から南京大虐殺受難者追悼国家公祭に毎年参加してきました。さらに「日中不再戦の誓いの旅」と名付けて、南京をはじめ日本軍国主義の侵略遺跡を訪問してきました。
「日中不再戦の誓い」とは、日中労交の市川誠初代会長が、1985年に侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館が開館した時に贈った「鎮魂の時計」に刻んだ「誓い」の言葉です。私たちは「誓い」の碑を南京紀念館に建てようと運動し、10年前の2009年12月13日に碑を建立することができました。建立にあたっては、中華全国総工会、とりわけ地元である江蘇省総工会に大変お世話になりました。あらためてお礼を申し上げます。

 私は、今年6月、南京紀念館で「和平の旅」のインタビュー受けました。日中労交にとっても、南京紀念館との交流の歴史を振り返ることができまし、あらためて「誓い」をどう実現するか、考える機会になりました。

「誓い」には「われわれは、1931年および1937年を契機とする日本軍国主義の中国侵略戦争を労働者人民の闘争によって阻止し得なかったことを深く反省し」とありますが、現在の日本は再び戦争をする国への道を歩んでいます。
安倍政権は、中国敵視を煽るとともに、南京大虐殺は無かった、従軍慰安婦はいなかったと言い、沖縄の辺野古基地の建設、南西諸島への自衛隊の配備、ミサイル基地建設を行っています。また、韓国の徴用工問題の責任を認めず、植民地支配を正当化し、ナショナリズムを醸成して憲法改悪を図ろうとしています。日中労交は、このような動きを「労働者人民の闘争によって阻止」したいと思っています。

「誓い」には「われわれは、日中不再戦、反覇権の決意を堅持し、子々孫々、世々代々にわたる両国労働者階級の友好発展を強化し」とありますが、安倍政権の中国敵視政策の下では困難な状況もあります。
それを克服するために、日本の労働者階級は、まず、正しい歴史を知り、歴史を鑑にして未来を見つめる視点を持つ必要があります。その上で、「子々孫々、世々代々」に繋ぐために、時代の変化、働き方の変化を踏まえながら、「持続可能な社会」の実現を探ることが、両国労働者階級の友好・連帯を強化する重要な課題だと思います。
 中国職工対外交流センターとともに昨年8月に北京で「日中友好労働者シンポジウム」を開催したり、昨年10月の中華全国総工会第17回大会の報告を聞いたりするうちに、中国の労働組合が、労働者と結びつく活動を現場でどのようにしているのか、労働組合改革をどのように展開しているのか、知りたくなりました。なぜなら、日本の労働組合の多くは、あまりにも企業主義に陥り、企業利益ばかり追求するため、労働者からかけ離れた存在になってしまいました。日本でも「大衆路線」による労働運動の実践が重要な課題だと思っているからです。
今まで、国家公祭に参加する際に、江蘇省総工会の皆さんにお会いし交流を重ねてきましたが、今回、企業を訪問し、また、総工会の最前線の活動を見ることができ、あらためて労働者同士の交流の大切さを実感したところです。

 米中貿易摩擦は世界の大きな問題です。中国とアメリカは広い意味での戦争状態になっていると思います。安倍政権が、アメリカを後ろ盾としながら、中国への圧力を強めている現在、日中労働者の友好交流は世界平和を築く上で益々重要になっていると思います。今回の交流の成果を、日本の平和運動、護憲運動、労働運動に役立て、日中友好を若い人に伝えていきたいと思っています。
 最後になりますが、このような交流ができたことに再度感謝を申し上げ、ご挨拶といたします。

歓迎あいさつ 常品超(中国職工対外交流センター副秘書長)

皆様と北京でお会いできて誠に嬉しく思います。私は、中国職工対外交流センターを代表して皆様の来訪を熱烈に歓迎します。皆様は、歴史を尊重し、平和を愛する友好的な信念を持って中国を訪問されました。私たち中国労働組合の友達であり、また中国人民の友達でもあります。伊藤先生は私たち職工センターの老朋友です。今年の6月に南京大虐殺遇難同胞紀念館の招きに応じて、日中労交と南京紀念館の開館以来の交流の歴史のインパクトを語られたそうですが、貴協会と南京紀念館のホームページで見ました。私たちは、それを見て当時の貴重な歴史を振り返ることができ、また中日友好の基礎が民間であることを再確認することができました。本日はこの場をお借りして、日本の右翼と果敢に闘い、長期にわたり中日友好と世界平和に取り組んでこられた皆様に崇高の敬意を表したいと思います。

常品超副秘書長の顔写真
常品超副秘書長

中国労働組合の状況

ここで中国社会、中国労働組合の主な状況について紹介したいと思います。紹介を通じて中国に対する理解を深めることができれば嬉しいです。

 現在、中国で話題になっているホットな言葉があります。それは「初心を忘れず、使命を胸に刻む」です。これは実際に中国共産党が上から下まで展開している特別教育活動です。つまり、刃を自分に向けた革命です。中国共産党員の初心と使命は、中国人民の幸福そして中華民族の復興の実現です。中国共産党は設立して以来、初心と使命をしっかり守っています。そして人民の強固な支持を得ています。初心と使命を守ることによって、中国共産党は小さな党から世界で一番大きな党に成長しました。今年は新中国成立70周年にあたります。それは中国共産党が全国で政務を執ることが70周年になるということです。中国では古い言葉があります。「勇敢に生き、安楽に死す」です。

習近平総書記は「私たち共産党は世界第一の党であり、私たちを倒す敵はありません。私たちを倒すことができるのは私たちです。」と言いました。ですから、「初心を忘れず、使命を胸に刻む」という教育活動を展開することは、現在、共産党内部に存在する初心と使命に背く問題を見出して、すぐに直して、中国の特色ある社会主義が新時代に入った肝心な時期に、共産党全員が力と認識を合わせて、全人民を率いて美しい生活へのあこがれを実現するように活動することです。

 皆様はご存知のことと思いますが、中国の労働組合は、結成以来、中国共産党の指導の下に活動を展開し、党と労働者大衆を結びつける架け橋であり絆です。今回の特別教育活動の中で、中国労働組合は労働組合の特色に応じて以下の活動に取り組んでいます。

  労働者の合法的権益を擁護し、労働者に奉仕する

一番目の活動は、労働者の合法的権益を擁護し、労働者に奉仕するという労働組合の基本的職責を果たすことです。現在、各レベルの労働組合組織は、調査・研究を行って現場労働者が最も関心のある、最も差し迫った難しい問題を解決して、大きな成果を上げました。例えば、今話題の中米貿易摩擦、サプライサイドの構造改革、労働者権益の問題を重視して過剰生産能力の削減の過程における労働者の就職の道を確保して生活を保障します。

もうひとつは、都市部における困難ある労働者の貧困脱却です。過去3年間において、各レベルの労働組合は合わせて252万世帯の困難ある労働者を救助して貧困脱却を実現しました。そして、2020年までに中国の労働組合は、現在登録している困難ある労働者の全員の貧困脱却を実現する見込みです。

もうひとつは、例えば、出稼ぎ農民工、トラック運転手、じん肺症労働者などの特別グループに注目して、彼らが理性的に自分の要求に応えるように指導して、関連部門と協力して彼らの問題を解決するように努力しています。全国総工会と交通運輸部は共同で「運転手の家」を建設する活動をしました。「運転手の家」とは、運転手が集まっているところ、例えば高速道路のサービスエリア、貨物・物流の集散地、物流の作業基地などに運転手のためにつくられた休憩場所です。「運転手の家」で運転手は、お湯を飲んで、あったかいご飯を食べて、シャワーを浴びて、睡眠をとることもできます。現在「運転手の家」は全国で76箇所がオープンしてます。今年の年末までに100箇所オープンする見込みです。

産業労働者の技能レベルと待遇レベルを引き続き向上させる

二番目の活動は、産業労働者の技能レベルと待遇レベルを引き続き向上させることです。インターネット、人工知能などの新興産業の発展につれて、伝統的な産業に働く労働者が沢山の問題とチャレンジに直面しています。問題は、例えば、所帯地位の弱化、職業発展進路の狭さ、養成システムの不完備、待遇レベルの欠陥などです。これらの問題を解決するために、2017年4月に中国共産党中央と国務院は、新時期における産業労働者チームづくり改革法案を打ち出しました。中華全国総工会は、この改革法案を実施するにおいて先導的な役割を果たしています。この改革法案は、国レベルの法案ですが、実施の任務は労働組合に与えられました。それも、労働組合の地位の重要さを表していると思います。というのは、この改革法案を実施する任務は、政府の行政部門が入っていますが、これらの行政部門も総工会の指導のもとに実施しています。これから長い間、中国労働組合は改革法案の実施を重要な活動としています。この法案の実施にあたっては、産業労働者の発展の進路をさらに広げて、産業労働者の技能レベル、待遇レベルを向上させて、広大な知識型・技能型・都市型産業労働者待遇づくりに取り組んでいきます。

労働組合の改革をさらに深化して労働組合の活力を強化する

三番目の活動は、労働組合の改革をさらに深化して労働組合の活力を強化することです。伊藤先生は労働組合改革に関する興味が深いと聞いていますので、活動の状況について紹介したいと思います。実は2016年から中国労働組合は力と資源を末端組織に傾けて、末端組織の活力を強化する活動を始めました。現在この改革はある程度成果を上げましたが、また新しい状況と問題に直面しています。中国経済の発展のスピードが非常に早いので、状況もいつも変わってきます。経済の発展の状況に合わせて、今後主に三つの活動に取り組んでいきたいと考えています。

民間企業、配達者(出前持ち)、トラック運転手などのいわゆる非正規労働者の組織化活動に取り組みます。皆様は労働組合の専門家ですので、非正規労働者の組織化が非常に難しい課題であることはご存知だと思います。大手企業労働者の組織化よりは、非正規労働者を既存のグループに加入させることは非常に難しいです。ですので、中国労働組合は力と資源を使ってこれらの労働者を組織するために非常に努力しています。

労働組合の組織率を高める

次に労働組合の組織率を高めるための活動です。労働組合を運営するには三つの条件が必要です。組織、組織のスタッフ・幹部、活動の場所です。全国で、労働組合の組織化、幹部の育成、活動の場所を積極的につくっています。例えば、労働組合の上部組織のスタッフの人数を減らして末端組織のスタッフを増やす。労働組合の会費を末端組織にもっと多く振り分ける。このようにして、末端組織に人手と資金を保障することができます。

インターネットプラスを利用して快適で普遍的なサービスを

もうひとつの活動は、インターネットプラスを利用して労働者にさらなる快適で普遍的なサービスを提供することです。中国労働組合の末端組織は、それぞれ数多くのアプリをつくって、アプリを利用して労働者にサービスを提供しています。会員の利用者は、アプリを通じて、まず労働組合を理解することができます。そして、労働組合から救助、サービスを受けることができます。ひとつ例を上げると、トラック運転手向けにアプリを利用してガソリン代の割引ができます。労働組合はガソリン会社と交渉して、一番多い割引は2割引き、年間で利用者はガソリン代を2万元節約することができます。このアプリによってトラック運転手の収入を月1000元ほど増やすことができました。

以上、中国の労働組合の状況について紹介しました。

皆様は、遠路はるばるいらっしゃった、労働組合の専門家でもありますし、中日友好の民間大使でもあります。現在の中日関係の全体的な勢いは良いです。8月10日に7年ぶりに副部長(次官級)クラスの戦略対話を再びスタートさせました。中日両国の副部長は、大阪で行われた中日首脳会談で達成した重要な書式を徹底して新時代のニーズに合わせる中日関係の構築に努力することを確認しました。皆様が今従事されている仕事は、非常に必要で非常に有意義だと思います。

貴協会に対してふたつの希望

ここで、貴協会に対してふたつの希望を述べさせていただきたいと思います。

まずは、皆様に正義の声を益々広めていただきたい。もっと多くの日本の大衆に本当の歴史を理解して、とくに若い人に正しい歴史観を確立していただきたいです。そして、もっと多くの日本の方々、とくに若い人を中国に連れてきていただいて、中日友好の種を撒くことを期待しています。

二番目は、皆様のホームページで中国労働運動に関するポジティブな報道をもっと多く宣伝していただきたいです。現在はとても怪しいことがあると思います。国外のメディアは中国労働組合に起きているホットな話題に対して報道は多くしていますが、その中で多くの報道は一方的で事実を歪曲する報道です。中国労働運動のこの数年間の成果については無視しています。

貴協会の皆様は労働分野の専門家です。我々両組織は、中日両国の労働組合、そして労働分野における共同の課題に対する研究と検討を強化することができると信じています。その上で中国労働組合のホットな話題にたいする全面的そして事実にあった報道をもっと宣伝していただきたいと思います。

伊藤先生、皆様に、私たちのアドバイスをぜひ検討してもらいたいと思います。

最後になりますが、皆様の今回の訪問が所期の目的を達成し、皆様の滞在中の健康と楽しい旅をお祈りします。

台湾:民主主義をかちとるための6・4労働者デモ行進

6月4日、中国では厳しい統制下でしたが、台湾では「台湾工人争民主6.4大遊行」(民主主義をかちとるための6・4労働者デモ行進)という労働者のデモがありました。

6月4日ですが、天安門事件30年とは関係なく、エバー航空やチャイナ・エアラインの客室乗務員らが加盟する「桃園市空服員職業工會」が、スト権投票がおわる6/6のまえに、会社側(エバー航空)に対して、誠実な交渉と要求の受け入れを求めるデモでした。 続きを読む 台湾:民主主義をかちとるための6・4労働者デモ行進

甄凱さん(岐阜一般)の活躍が「朝日新聞」に紹介される(3/25)

今朝の朝日新聞に日中労働情報フォーラムの会員でもある岐阜一般の甄凱さんの活躍が紹介されていますので、記事を添付します。(伊藤彰信)

   甄凱さんの活躍が紹介され[た「朝日新聞」(3/25)記事

中国人の労組支部長 実習生支える

賃金未払やパワハラなどに苦しむ技能実習生ら外国人労働者を助ける労働組合に、一人の中国人がいます。日本の労働運動の仕組みを学び、労働条件の改善に15年にわたり取り組んできました。…(以下略)

* 記事全文(PDF)

中華航空のパイロット組合がストライキ(2019/2/8)

台湾の中華航空のパイロット組合がストライキに突入したという記事です。

◎反疲勞航班 華航機師展開罷工(過労フライト反対!中華航空パイロットがスト突入:苦労網)

台湾の中華航空のパイロット組合がストライキに突入

ストに突入したのは、桃園市パイロット職業組合中華航空分会のみなさん。

昨年8月にスト権投票でスト権を確立して経営側と、パイロットの労働条件(長時間のフライトではパイロットを増やす等)や組合差別を止めるようにという要求について協議を続けてきたようですが、すべての要求に対してゼロ回答ということでやむなくストへ、という感じです。今年に入り別会社ですが、パイロットが過労が原因とみられる心筋梗塞でなくなったりしていることなども背景にあるようです。

いまのところ桃園市労働局も強制仲介(スト中止)する予定はなく、労使が話し合って解決して欲しい、という態度のようです。

桃園市パイロット職業組合のFBページです。