chinalabor のすべての投稿

「人民網日本語版」2019年9月前半 抜粋(2019/9/16)

<20> 「人民網日本語版」2019年09月13日
新中国成立70周年チベット成果展が開催
色鮮やかなタンカ(チベット仏教関係の掛け軸)、美しすぎて一度ではその魅力を見尽くすことのできないチベット族の踊り、起伏に富んだ高らかな調子が響くチベット族の芝居……国務院新聞弁公室報道発表ホールでこのほど、中華人民共和国成立70周年西蔵(チベット)自治区成果展が行われ、会場を埋め尽くした観客から大きな歓声が上がった。さまざまな文化芸術パフォーマンス、精彩に富んだ展示内容を通じて、新中国が成立して以降、西蔵が各種事業で達成した非常に大きな成果が紹介された。

<19> 「人民網日本語版」2019年09月13日
暴徒が「生活の糧」を破壊 香港の観光バス運転手が収入9割減
数ヶ月前から続いている香港の暴動は、現地の観光業に極めて深刻な影響を及ぼしている。業界は10日、「スローデモ」を発起。過激派が業界関係者の生計を脅かしていることに抗議し、社会の紛争が1日も早く収まってほしいとの願いをアピールした。ある観光バス運転手は、「6月からの3ヶ月間、収入は9割激減した。9月に入り、仕事をした日は1日もない」と訴えた。10年以上観光バスの運転手をしている林さんは、「香港で抗議デモが起こった6月から今まで、生活の糧は大きく脅かされ続けている。それまでは、月に20日以上仕事があり、4-5日しか休みが取れず、月収は2万香港ドル(約28万円)ほどあった。だが、今は、月に1-2日しか仕事がなく、1ヶ月も仕事がないこともあった」と話した。

<18>  「人民網日本語版」2019年09月12日
無印良品「フランス租界」で中国人のレッドラインに触れる
中国の若者に大人気の「雑貨店」無印良品がまたもや問題を起こした。最近行った商業イベントの中で、上海の一部地域を指すのに「フランス租界」という言葉を使い、イベント参加者に「MUJI淮海755フラッグシップショップを起点に、フランス租界のプラタナスの並木道をジョギングしてください」と伝えた。この言い方がネットユーザーの怒りを引き起こし、「目を覚まして!もうフランス租界なんてない!」といった書き込みが相次いだ。無印は現在すでに関連の微博(ウェイボー)を削除している。租界は、屈辱に満ちた歴史的用語だ。アヘン戦争が勃発し、英国は戦艦と大砲で中国のドアをこじ開けた。「南京条約」が結ばれると、西側の列強諸国は種々様々な不平等条約により、弱くて無能な清政府の手元から「中国の中の外国」を作った。このような租界の存在は国の領土・主権の完全性を大いに侵害するものであり、形を変えた植民統治だ。そこでは中国人の地位は最も低く、あらゆる侮辱を受けた。

<17> 「人民網日本語版」2019年09月11日
アリババ商学院初のアフリカ越境EC本科クラスが9月からスタート
ルワンダのキガリ国際空港で9日、中国に向かうルワンダ人の若者・マイク・マンツィさんが親友との別れを惜しんでいた。マイクさんは浙江省杭州市で4年間かけてインターネットや国際貿易、越境ECに関連する知識、特に中国のECノウハウについて学ぶ予定だ。アリババグループとルワンダ政府による国際電子取引プラットフォーム共同構築のための重要な内容として、アリババ商学院とルワンダ高等教育委員会が共同で立ち上げたアリババ商学院初のアフリカ越境EC本科クラスが、9月にスタートした。第一陣となる学生22人は全てルワンダからやって来る留学生となる。

<16> 「人民網日本語版」2019年09月11日
中国の独身人口が2億超 成長し続ける「おひとりさま」消費
「長蛇の列に並んで、ようやくあなたへのプレゼントを入手できた。手持無沙汰なとき、この子とお喋りすれば、寂しさを紛らわすことができる。とっても面白いわよ」と親友の女性から劉さん(31歳女性)に誕生日プレゼントとして贈られたのはAIスピーカー。このAIスピーカーの対話機能に関する親友からの説明を聴きながら、劉さんは興味を感じるのと同時に、グサッとくるものを感じたという。中国民政部(省)が発表した「2018年民政事業発展統計公報」によると、中国には、2億人以上の成人の独身者がおり、うち7700万人以上が一人暮らしをしている。この膨大な消費層をめぐり、市場には対話可能なスマート家電やミニカラオケ、一人用ミニ鍋、コンパクトタイプのマンションといった関連商品が出回っており、カスタマイズ化された製品やサービスを独身者に提供する消費が拡大しつつある。

<15> 「人民網日本語版」2019年09月10日
秋吉楓さん:ヒトを繋いだ2年間
長年にわたり、中国ではごく普通の、愛らしい日本の若者たちが常に活躍してきた。彼らは自身の知識と熱意を中国の地に捧げてきた。彼らの中には社会人になったばかりの若者もおり、中国語もほとんど話せないものの、努力と楽観的な姿勢で、異国の地で人としての価値を実現させようとしている。日本国際協力機構(JICA)が中国に派遣するボランティアたち、それがこうした若者たちだ。ボランティアたちは通常、1~2年間中国に滞在し、そのほとんどが条件的にも厳しい遠隔地や貧困地域へと派遣され、そこで教育や医療といった業務に従事し、現地の人々と一緒に生活する。人民網日本語版では「中国の日本人ボランティア」コンテンツにおいて、こうした日本人ボランティアたちが中国で経験したエピソードや思いを紹介する。今回は、環境教育協力隊の秋吉楓さんが中国で2年間にわたって青年協力隊員として活動したさまざまな経験と感想を紹介する。

<14> 「人民網日本語版」2019年09月10日
上海初の警官ロボットが南京路をパトロール
上海市で初となる警官ロボットが9日、南京路の歩行者天国をパトロールし、道行く人々が興味深そうにその様子を眺めていた。この警官ロボットは正確には「警察用パトロールロボット」といい、広角ハイビジョンビデオカメラ4つ、サーマルイメージングスコープ1つ、ズームハイビジョンカメラ1つを搭載しており、パノラマで無死角のパトロールを実現している。また、カメラを取り付けてある雲台は昇降式で、カメラを360度回転させることができ、最大1.8メートルまで高くすることができる。このほか、ロボットは異なるシーンに応じた防犯PRコンテンツを放送することができるほか、現場の画像をリアルタイムで転送することもできる。5 Gネットワークが搭載された暁には、ロボットが転送する画像はより鮮明になり、現場とバックヤードのリアルタイム通話もより便利にスピーディに実現できるようになるという。

<13> 「人民網日本語版」2019年09月09日
広州で初となる昇開橋が開通 広東省
広東省広州市の広州光明大橋が9月6日、正式に開通した。光明大橋は広州市で初、広東省内でも2番目の昇開橋で、全長約116メートル、幅24メートル。双方向4車線で、両側にそれぞれ4メートルの歩道が設置されている。

<12> 「人民網日本語版」2019年09月09日
中国警察による偽造品一掃に感謝 日本のゲーム企業大手が「限定版」を贈呈
中国政府による知的財産権保護事業が、外国企業によって認められている。日本のゲーム大手任天堂は昨年末、深セン市市場・品質監督管理委員会福田局に対し、「法律執行の先鋒、権利保護の規範」を讃える横額を贈呈し、「知的財産権を厳格に保護し、企業の権益を積極的に保護した」ことに対して賞賛ならびに感謝の意を表した。また、バンダイナムコはこのほど、上海市公安局黄浦支局に対し、金色の限定版「ユニコーンガンダム」と「法律執行・権利保護先鋒、知的財産権の護衛」を讃える横額を贈呈し、警察職員が違法者を逮捕したことに感謝した。ネットユーザーらは、「これらの外国企業は、『郷に入れば郷に従う』をかなり理解している」と感嘆のコメントを寄せている。

<11> 「人民網日本語版」2019年09月09日
上海市のゴミ分類条例実施から2ヶ月 「回収可能なゴミ」の回収量5倍増に
上海市緑化市容局は今月6日、7月1日からゴミ分類条例が実施されて以降初となるゴミに関する情報を発表し、8月末の時点で、上海市の「回収可能なゴミ」の回收量が1日当たり4500トンに達したことが明らかとなり、2018年末と比べて5倍増となった。分類して出された「水分を含んだゴミ」の量は1日当たり9200トンで、18年末に比べて130%増だった。「乾燥したゴミ」の処理量は1日当たり1万5500トンに抑制され、18年末に比べて26%減となった。上海市は既に、分類してゴミを出すゴミ捨て場を約2万ヶ所設置し、道路沿いに置かれているゴミ箱4万個の表示を全て新しくした。また、「水分を含んだゴミ」回収車1092台、「乾燥したゴミ」回収車3197台、「有害ゴミ」回収車80台、「回収可能なゴミ」回収車154台を導入したほか、「回収可能なゴミ」回收地点9609ヶ所、中継地点144ヶ所、集散場8ヶ所を設置している。

<10>「人民網日本語版」2019年09月09日
70年で激変を遂げた中国人の職業 続々増える新興職業
「プロリーグの新鋭」に「リーグ・オブ・レジェンド・ワールド・シャンピオンシップ参加者」といったように、「00後(2000年代以降生まれ)」の喻文波さんは、数々の栄誉に輝いた経歴を持つが、彼にとって最もエキサイティングな出来事といえば、今年、「eスポーツ選手」という、正式な職業上の身分を獲得したことだ。中国人力資源・社会保障部(人社部)など関連部門は今年4月、13種類の新職業に関する情報を発表し、「eスポーツ選手」や「ドローン操縦士」などの新職業が正式に承認された。このような新興職業が続々と増え始めるのと同時に、一部の伝統的な職業は、「過去の遺物」として消えてなくなる運命にある。40年近く転轍手として働いてきた安貴涛さんは、「私の仕事は列車が問題なく駅に入れるよう、指示にもとづいてレールのポイントを切り替える仕事だったが、電動ポイントがだんだんと増えてきたため、すでに別の部門に移っている。人の手によるポイント切り替えの仕事はあと数年もすれば無くなってしまうだろう」と感慨深げに話した。

<9> 人民網日本語版 2019年09月09日
天安門で新中国成立70周年祝賀行事の初回合同リハーサルを実施
新中国成立70周年祝賀行事プレスセンターによると、7日午後11時から翌8日早朝にかけて、北京天安門エリアにおいて、祝賀活動の初回合同リハーサルが実施され、リハーサルと警備業務に約9万人が参加した。初回合同リハーサルには、祝賀大会式典、閲兵式、市民によるパレード、交歓イベント、場所移動、応急処置の6項目が盛り込まれた。このうち、約1時間にわたって行われた閲兵式のリハーサルでは、主に閲兵式と分列式の練習が行われた。市民パレードのリハーサルでは、集合と解散、全体行進、合同軍楽団および合唱団によるリハーサル、閲兵式での方形陣形や交歓イベントとの前後の繋ぎなどの練習が重点的に実施された。交歓イベントでは、テーマパフォーマンスとメインの交歓パフォーマンスのリハーサルが行われ、出演者たちが会場での位置確認を行い、花火打ち上げコントロールシステムの実地テストも行われた。

<8> 「人民網日本語版」2019年09月06日
日本の創価大学が最大規模の代表団で訪中
中日友好協会の招待を受け、日本の創価大学代表団一行80人が9月4日から9日にかけて北京や成都などを訪問している。9月5日、中日友好協会の袁敏道秘書長は代表団を歓迎して開かれた夕食会で、創価大学と中国の友好と交流の歴史を振り返り、「長年、創価大学は創始者である池田大作氏の下で、積極的に対中友好交流を展開し、両国教育分野の交流協力のために努力を重ねてきた」と述べた。さらに袁秘書長は、「今年は『中日青少年交流促進年』であり、両国の青年がさらに中日友好交流に参加し、中日友好の伝統を受け継ぎ、友好の種をまき、両国の友好の懸け橋を堅固なものにするために貢献してほしい」と述べた。代表団の団長で、創価大学学生部長の奥富雅之氏は池田大作氏の伝言を伝え、中国側が創価大学代表団を中国に招請したことに感謝し、「創価大学は今後も引き続き中国側と協力して多くの分野で交流活動を展開し、理解を深め、信頼を高め、両国の友好協力関係を絶えず発展させていく」と述べた。

<7>「人民網日本語版」2019年09月06日
世界各地で爆買いの中国人 海外旅行者数と海外での支出額、ともに世界一
中国国家統計局はこのほど、「国際的地位の目覚ましい向上と国際影響力の持続的な増強―新中国成立70周年経済社会発展成果シリーズ報告の23」を発表した。報告によると、中国の海外旅行者数および海外における支出額はいずれも、世界トップの座を占めている。中国の海外旅行者数は、世界トップの座を安定的に維持している。1995年の時点で延べ500万人だった海外旅行者数は、2017年には延べ1億4300万人まで増加、増加率は年平均17%に上っている。中国の海外旅行者数は、1995年時点では世界第17位だったが、2013年に初めて世界トップに躍進して以来、2014年から2017年までずっとトップの座を守り続け、世界最大の海外旅行市場となっている。

<6> 「人民網日本語版」2019年09月06日
重慶で人気を集める「新小売」スタイル
食品の自動販売機に、セルフ試着体験エリア、携帯アプリによるショッピングといった「新小売」モデルが重慶で人気を集めている。9月5日、そんな人気の新小売を取材した。新小売とは、インターネットを通じて、ビッグデータや人工知能(AI)といった技術手段を利用して、商品の生産や流通、販売をアップグレードさせ、更に業態構造とエコシステムを再構築し、オンラインサービスやオフライン体験及び現代物流を深く融合させた新しいタイプの小売スタイルのことをいう。この日、重慶では第19回アジア太平洋小売業者大会及び国際消費財博覧会が開幕した。

<5> 「人民網日本語版」2019年09月06日
中国の平均寿命が70年で35歳から77歳まで2倍に
ちょっとした病気で命を失ってしまうという時代は終わり、寿命が延び100歳以上の高齢者も決して珍しい存在ではなくなっている。この70年間で中国人の平均寿命は35歳から77歳まで、2倍以上伸びた。元教師の陳志祥さん(81)は陝西省西安市で育った。子供頃は肉を口にできることなどほとんどなく、疫病が流行した場合は、一度感染してしまうと、ほとんど助かる見込みなど無かったと記憶している。「あの頃は食料も服も不足していたし、医療保障なんてもってのほか。30-40歳で多くの人が亡くなり、60歳まで生きられたら長寿だった」と振り返る。中国国家統計局の報告によると、中国人の平均寿命は、1949年は35歳、1957年は57歳、1981年は68歳、2018年は77歳とどんどん伸びている。中国は、飢えと寒さに悩まされる時代から、物の豊かな時代へ、医療が立ち遅れて薬も少なかった時代から、病気になっても病院に行けば治療してもらえる時代へと、「華麗なる転身」を遂げた。

<4> 「人民網日本語版」2019年09月06日
空から眺めた広東珠海大劇院 海上に建つ「月日貝」
広東省珠海市情侶路野狸島北部の埋め立て地にある珠海大劇院は、中国で唯一島に建設されたオペラハウス。デザインは「月日貝(ツキヒガイ)」をモチーフとしており、大小2つの「貝」がある。大きな貝の「日貝」は高さ90メートルで、1600人近くが収容できる大劇場。一方の小さな貝の「月貝」は500席の多機能ホールとなっており、室内コンサートや小規模な演劇などに適している。また、劇場内には展望台もあり、そこから海や山の景色を楽しむこともできる。

<3> 「人民網日本語版」2019年09月05日
黒竜江省が中国侵略日本軍七三一部隊安達実験場跡の保護計画を発表
黒竜江省文化・観光庁によると、黒竜江省は先ごろ、「中国侵略日本軍第七三一細菌部隊安達特別実験場遺跡保護計画」を発表し、実施を開始した。この計画は、同遺跡の重要な歴史の証人としての価値を完全かつそのままの形で保存し、文化財建築物と歴史環境の安全性を守ることを目的としている。「中国侵略日本軍第七三一細菌部隊安達特別実験場遺跡」は黒竜江省安達市にあり、1941年に建設された。同実験場は中国侵略日本軍第七三一細菌部隊第二部に属し、動物や生きた人間に対して細菌実験を行い、各種細菌の殺傷力を検証する重要な野外細菌実験拠点だった。1945年に日本が降伏した後、その残忍な細菌実験の犯罪行為を隠蔽するため、七三一部隊は撤退時にここの全ての実験場施設を爆破し、今では建築物の遺構のみが残されている。

<2> 「人民網日本語版」2019年09月03日
教師ロボットの新学期もスタート 重慶の山奥の小学校
新学期がスタートした今月2日、重慶市城口県の山中にある蓼子郷第一中心小学校では1体の教師ロボットもまた新学期を迎えていた。この教育スマートロボットは、蓼子郷第一中心小学校を支援する重慶市九龍坡区重慶鉄路小学校が、重慶智加美科技有限公司と共同で提供した。教師ロボットは、同小学校と、他の村にある附属小学校で、科学の知識を紹介する授業を1日行った。僻地の子供たちに人工知能などの知識を伝え、広い視野を持ってもらうのがそのねらいだ。

<1> 「人民網日本語版」2019年09月02日
関東大震災から96年 儀式者追悼する大法要
関東大震災から96年目となった9月1日、東京都墨田区の都立横網町公園の慰霊堂では犠牲者を追悼する大法要が営まれ、秋篠宮夫妻の次女・佳子さんも参列した。1923年9月1日、関東地方でマグニチュード(M)7.9と推定される大地震が発生し、東京や神奈川、千葉、静岡、山梨などの被災地で、合わせて10万5000人余りの死者・行方不明者が生じた。建物被害は全壊が約10万9000棟、全焼が約21万2000棟で、190万人余りが被災。その被害総額は65億円にのぼったとされている。その後、被災地ではコレラが流行し、東京都は、そのさらなる蔓延を防ぐために、戒厳令を宣告し、都市への進入を禁止した。日本政府はさらにその混乱時に紛れ、革命家や在日中国人、朝鮮人を虐殺した。1996年9月16日、日本の鹿島建設・技術研究所などの再評価により、関東大震災の地震の規模を示すMは8.1だったと推定された。

第6次「日中不再戦の誓いの旅」に参加しました ―  町田貞一

町田貞一(東京東部労組ディベンロイ労組支部委員長)

北京市内は緑が多い

中国訪問は初めてでした。北京空港について初めに感じたことは、空港そのものが広いことでした。異動はマイクロバスでした。北京市内に向かうにつき驚いたことは、第一に、緑が多いことです。どこまで行っても高速道路の両脇は大木でおおわれていました。北京中心部に来ても緑の多さは変わりありませんでした。ギンドロという街路樹だそうです。遠くから見ると記の表面が白く一見白樺の木のようにも見えます。葉っぱはポプラのようにも見えます。今回訪問した各都市にはこの木が大変多く植えられていることを見ました。

北京市内の車の渋滞
北京市内の車の渋滞(8/19)

 次に感じたことは、車が多いことでした。空港を出たときはそれほどでもなかったのですが、北京の中心部に近づくと車の渋滞にはまり、動きは鈍くなっていました。一般道路でも車の渋滞はひどく、各都市中心部ではどこも渋滞していました。

やたら高層住宅とビルが多い

次に気づいたのは、バイクが多いことでした。しかも、電動バイクです。免許証も、ナンバーもいらないということで、大変多くが走っていて、市民の足としての役割を果たしている感じがしました。以前映像で見た中国は自転車の行列でしたが、今はレンタル自転車が至る所にあるが、圧倒的に電動バイクが多いのに感心しました。又、電動三輪車もあり簡単に乗り出すことが出来るようです。

高層ビルが並ぶ瀋陽の街並み
高層ビルが並ぶ瀋陽の街並み

 次の感じたことは、やたら高層住宅、高層ビルが多いことです。空港を離れると高層ビルがあちこちに立っていて、昔見た中国の光景とは結びつきませんでした。今回通訳とツアーの案内をしてくれた李さんは3LDKの130平米に住んでいるそうです。日本の住宅の平均の2倍近くあり非常に羨ましいことだと感じました。この高層ビルが、私たちが訪問した各都市に次々と建設されています。内需の巨大さに驚きました。どの都市に行っても高層ビルが10や20は建設途中のものがあり、これからもどんどん建設されていくさまが見て取れました。

住民を残らず殺しまくった痕跡

撫順炭鉱の露天掘り
撫順炭鉱の露天掘り

 さて肝心の旅の感想ですが、本では知っていましたが、日本が戦前中国に何をしたかということを、見てきました。それは虐殺の連続だと感じました。日本は明治以来天然資源を奪うため中国のその地に住んでいる住民を残らず殺しまくった痕跡が、いまもはっきりと形として残っています。日本ではよく知られています撫順炭鉱近くの平頂山の住民の大虐殺だと思います。私は、あっても1カ所か2か所ぐらいかと思っていましたが、中国の資料では、至る所に大量虐殺の跡がある事を知りました。撫順に次ぐ規模の炭鉱の阜新炭鉱でも万人坑があると、瀋陽の方から紹介されたときには、びっくりしました。阜新炭鉱そのものを知らないし、想像もできませんでした。

1894年旅順占領が侵略と虐殺の始まり

 旅順の203高地は日本人にはよく知られていますが、旅順の萬忠墓記念館は日本人には知られていない模様です。私も知りませんでした。1894年旅順を占領し、百姓の家を捜索し、女性、子供、老人、あった人全員を殺しました。侵略と虐殺の始まりです。日本の記者は書いています。「市内には日本兵ばかりだ。死体の他に支那人が見つからない。ここの支那人は殆ど絶滅した。」(日本「中央新聞」1894,12,27)と。白髪の老女から子供までが暴行されて殺されたとあります。見るに堪えがたい写真です。

侵華日軍731部隊罪証陳列館の前で
侵華日軍731部隊罪証陳列館の前で

哈爾濱では侵華日軍731部隊罪証陳列館、瀋陽では9,18事変陳列館、撫順戦犯管理所、平頂山惨案遺跡記念館、大連では大連現代博物館を見学してきました。どれも、日本の歴史を学ぶ上で重要な施設と展示であったと思います。

軍国主義の戦争なのか、納得がいかない

 私たちは軍国主義が悪かったから戦争になった、と思い込んでいます。軍国主義の戦争だと思い込んでいます。そのことに、私には今ひとつ納得がいかないのです。江戸幕府が終わり、明治になってイキナリ軍国主義になったのか?不思議でなしませんでした。1870年代(明治)、1910年代(大正)にかけて資本の発展があったことがあり、その行き着いた先に資本と軍が結びついた戦争があったのだと思いましたが、今回、資本と軍が一体的に中国の資源を奪いに行ったことがハッキリしました。1872年(明治5年)には日本の鉄道は開業しています。当然石炭は鉄道にも使われるし、工場動力としても、蒸気のエネルギーとしても必要であった。この年は富岡製糸工場も出来ています。ですから、100年以上も露天掘りをしている撫順炭鉱が欲しかったことは想像がつきます。だからと言って農民、住民を虐殺して奪ってきていいとは思いません。

哈爾濱から瀋陽まで約600キロ大平原の穀倉地帯

ハルピンから瀋陽へ・新幹線の速度計は304キロを示す
ハルピンから瀋陽へ・新幹線の速度計は304キロを示す

もう一つ哈爾濱から瀋陽に新幹線で移動しました。その移動の間中無限に広がる畑が見えました。穀倉地帯であることが分かりました。北部はトウモロコシ畑、南に降りてくると水田が多くなりました。見渡す限り畑のみどりです。小さな畑を耕し苦労している日本人なら広大に広い穀倉地帯が無限に広がっているように見えても不思議ではない光景でした。満州の満鉄が奪った石炭を運び、穀物を運んだことは想像がつきます。新幹線で哈爾濱から瀋陽まで、時速300キロでノンストップなら2時間、約600キロ大平原の穀倉地帯。日本の本州を超える広さの平原で穀倉地帯。想像をはるかに超えていました。広大です。だから積出港としての旅順が最初に攻撃されたのです。

 1868年明治になったその年もコメは不作で飢饉でした。この年も食糧難で多くの日本人は海外に移民を始めていました。明治政府は海外から大量の製糸機械や、蒸気機関車など買いあさり、代金を支払うため農民により重税を敷いていったのです。日本国内は数年おきに不作、冷害が繰り返され農民は娘や妻を売らざるを得ませんでした。農村を破壊し工場労働者を奴隷のようにこき使うことが、1800年代の工業化を支えました。工業化は発展してきたが、農村の疲弊は激しくコメの不作、冷害、基金は工業製品を消費できませんでした。そこで目を向けたのが満州であった。市場として、そして、資源の供給地、食料の供給地としての満州が日本の生命線としていった。資本が作り出したプロパガンダです。

過去に学び同じ過ちを繰り返さない

実際やったことを中国東北部を見てくることで、日本がここでやったこと、そしていまだにその責任を1つもとっていないことに非常に怒りを覚えます。それどころか過去のことはなかったことにしようとの政府の姿勢が許せません。すべてを認めたところから出発するしかないのに、1つも認めようとしない政府と、一部の日本人は、過去に学ばなければ取り返しのつかないことを繰り返してしまいます。過去に学び同じ過ちを繰り返さないようにしたい。

左から池田和則さん、町田貞一さん、津和崇さんの団員3名
左から池田和則さん、町田貞一さん、津和崇さんの団員3名

 掲載写真はすべて津和崇さんが撮影

第6「日中不再戦の誓いの旅」参加報告 ― 池田和則

池田和則(N関労西執行委員)   

はじめに

列車から見た東北の田園地帯
列車から見た東北の田園地帯

 標記の旅行が8月19日~25日にあり、参加してきました。行き先は、北京、ハルピン、瀋陽、大連(と旅順)でした。さすがに大陸は広く飛行機、高速鉄道(中国の新幹線)での移動でした。午前に移動で、午後に見学という感の旅行でした。鉄道での移動は、15年戦争(アジア・太平洋戦争)中、「満洲国」と日本で呼ばれたところでした。車窓に広がるのは見渡す限りの大平原で、土は黒く、耕されていて「トウモロコシ」と「水稲」(ハルピンは稚内と同じくらいの緯度だそうですが、熱帯・亜熱帯性の稲をしかも陸稲ではなく、水田で作っていました)が植えられており、葉葉(はば)が一面に揺れていました。日本も欲しかったのでしょうが、よそ様のものを奪ってはいけません!

 さて、旅の主催は「日中労働交流協会」で、中国側の受け入れは「中国職工対外交流センタ」でした。そのため、私も「N関労西執行委員」の肩書での参加でした。また、歓迎夕食会がセットされる形式がとられて、先方のそれなりの幹部の方も参加されるので、各「宴会」では肩が凝る思いでした。が、我慢して聞いていますと、社交辞令とともに日中間の今日的な情勢の反映などもありで、双方に微妙な意見の違いなども垣間見られ、一般的な観光旅行ではえられない経験ができました。考えさせられるところがありました。が、初めて触れた私には難しくて最後まで十分に理解したとは言えないところです。少しずつ慣れて「肩の凝り」は減りました。

 参加の動機について

 鳥取県においては1987年より「反核・平和の火リレー」を始めましたが、‘85年から始めていた広島県から学んだことが多かったと思います。「原爆被爆者の被害の実相に限りなく近づく」を私たちの姿勢として強調しつつも、「加害責任」を忘れてはならないとも言われました。栗原貞子さんの詩「ヒロシマというとき」が紹介され、「<ヒロシマ>というとき、<ああヒロシマ>とやさしくこたえてくれるだろうか、(中略)<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>(中略)<ヒロシマ>といえば血と炎のこだまが返ってくるのだ(中略)<ヒロシマ>といえば<ああヒロシマ>とやさしいこたえがかえって来るためにはわたしたちはわたしたちの汚れた手をきよめねばならない」でした。さらに、「中国帰還者連絡会」が紹介され、鳥取でも会員のかたの講演を企画したりもしました。鳥取高教組青年部員の勧めで、旬刊「中帰連」を会の解散・廃刊まで購読しました。「撫順の奇跡」はもとより、「三光作戦」、「戦時性奴隷」、「731部隊」、「毒ガス作戦」、「南京事件」、「重慶爆撃」……と中国に対する加害と犯罪が特集されていたし、当時の日本の「右翼」側の「妄言」への冷静な反批判なども載っていました。いつか直接現地に行って見たいと思っていました。今回それが実現しました。

ハルピン

731部隊犯罪陳列館
731部隊犯罪陳列館

ハルピンでは、郊外にある「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」を見学しました。「陳列館は1985年に開館し、2015年に新しい陳列館がオープンしました。陳列館の展示は、細菌研究基地の建設、細菌戦部隊の設立、特別移送扱い、細菌研究の実験と生産、細菌戦の実施、731部隊の逃走、細菌戦犯罪者の裁判と系統的に展示されています。731部隊は約3000人の「マルタ」を虐殺しましたが、敗戦を目前にした撤退時に生き残っていたすべての「マルタ」を殺し、建物を破壊して証拠隠滅を図りました。罪証陳列館に多くの遺品が展示されていました。また、本部、研究棟、生物飼育場、農場、飛行場、鉄道駅、宿舎、運動場、小学校まであり、広大な敷地を占めていました。」。(伊藤団長文より引用)

その後、スターリン公園から松花江を眺め、中央大街を散歩しました。団員のT氏が松花江の先の「チャムス」の生まれとのことで、思いもひとしおであったのだろうと思います。

瀋陽

 次に瀋陽に移動しました。「はじめに」でも触れましたが、高速鉄道は時速300キロだそうです。この区間に限れば(広い大陸ですから、チベットなど条件は種々違うでしょうが)、起伏も少なく、トンネルもなく、カーブも少ないとなれば建設コストも比較的にかからずで、スピードも出やすいとのことでした。

9.18歴史博物館の前で
9.18歴史博物館の前で―左から2人目が池田和則さん

「午後から9・18事変陳列館を見学しました。1931年9月18日、柳条湖において鉄道爆破した関東軍は、これを中国軍の仕業と偽り、一気に遼寧省、吉林省、黒竜江省を占領しました。いわゆる満州事変です。その経過が描かれ、日本の侵略に抵抗して闘った抗日軍民の様子が展示されています。」(伊藤団長文より引用)

「養父母の像」((9・18歴史記念館)
「養父母の像」((9・18歴史記念館)

 「同陳列館」の出口の手前に日本人孤児を真ん中に両側から手をつないでいる養父母の像がありました。私は涙がこぼれました。「奪いつくし、焼き尽くし、殺し尽くした」日本人の子どもを育てる中国人の夫婦。養父母の貧しさは、想像できますし、親兄弟、親戚、親友を日本人に殺されたり、傷つけられたりしていたかもしてないのに。次の「撫順戦犯収容所」でも触れますが、中国の人の心の奥底にある「究極の人としてのやさしさ」に心打たれました。どの民族であれ究極の人間らしさは持ち合わせていると思いますが、世界のすべての人が、日本人が、その中の私がとなると確信はありません。売店で買ったその「像」を自宅の本棚に飾りました。

 また、「同陳列館」の「あとがき」にあたる文章には「中華民族の団結」、と「中国共産党の功績」が主張されているように感じました。間違いではないのですが、ただ、強調しすぎると「民族主義」は「排外主義」につながりますし、世界第二位の大国の「民族主義」は「覇権主義」ともなることもありましょう。また、「抗日戦争」勝利は、中国共産党の功績ですが、だけでなく、国民党の功績もありましょうし、名も知れぬ中国民衆の抵抗、貢献もあったでしょう。在外華僑の支援もあったでしょう。世界の反ファッショ勢力の力もあったでしょう。

一歩引いた余裕もあったらとも思いましたが、いつまでも「安倍政権を許している」日本で活動している者が大きな顔して言わないほうがいいとも思います。つぶやきです。

撫順

 翌日、撫順を訪れました。撫順は、巨大な露天掘り(すり鉢状を想像していましたが、見学した露天掘り炭鉱はⅤ字カットでした。)炭鉱があり、石炭の町として有名です。余談ですが、撫順の石炭は満鉄で大連に運ばれ、八幡製鉄所で鉄作りの原料に供されたそうです。近くの鞍山に製鉄所があるのに?

撫順戦犯管理所の窓
撫順戦犯管理所の窓

 「午前は撫順戦犯収容所を、午後は平頂山惨案遺址紀念館を見学しました。

 撫順戦犯収容所は、日本人戦犯約1000人が収容され、教育、坦白、認罪という思想改造が行われたところです。食事、健康にも配慮した生活が行われ、戦犯は処刑されることなく日本に帰国しました。満州国皇帝であった溥儀も収容されていたところです。

 平頂山惨案遺址紀念館は、1932年9月16日、日本守備隊や警察は、抗日軍が日本人を襲撃したことに対する仕返しとして、平頂山村の住民約3000人を野原に集めて射殺し、遺体にガソリンをかけて燃やし、山を爆破して埋めるという虐殺事件の現場に建てられた記念館です。遺骨館には発掘された遺骨がそのままの姿で横たわっていました。折り重なるようになった遺骨には、子供や赤ん坊、妊婦の遺骨もあり、脇にある黒くなった坑木やガソリン缶が惨状をリアルに伝えていました。」(伊藤団長文より引用)

 「撫順戦犯収容所」では中国人の見学者が多いので当然ですが、「日本人戦犯」より溥儀をはじめとした「中国人戦犯」に力点がおかれていました。が、ともあれ、ここから「日本鬼子」に改造されていた「日本人戦犯」が再び、「人間」に還っていく場所であったと思い、私にとって、貴重なフィールドワークであったと思います。「中帰連」の皆さんが帰国後に果たした日中友好への功績は計り知れないものです。帰国が遅く、しかも革命後の中国からということで、「アカ」呼ばわりで周りから警戒されたり、公安に監視されていた人もいたといいます。そのために、安定した就職につけず生活に窮した会員もいたとのことです。日本側の革新団体の事情に翻弄されたこともあったようです。が、死ぬるまで、自らの加害責任・戦争責任に向き合い、講演をし、書籍を広め、加害地に赴き謝罪を続けるという真摯な態度は何よりも美しい。「日本鬼子」の限りを尽くした人達とその時代に甘い汁を吸った旧支配層とその末裔たちはその事実に触られたくないのでしょうが、「謝罪」することをせず、よりにもよって、あったことを無かったこととしようとする「再びの加害」をおこなっています。謝ってもいないのに、「何度謝ればいいんだ」と平気で言う。そこからは、中国とも、南北朝鮮ともアジア各国とも真の「和解」はあり得ない。日本は「戦後責任」を果たさないままで時を重ねてはいけません!私たち「老人」は、自分たちを経由して、若い人に「継承」していく責任があります。それが戦争責任・加害責任を背負う日本に生まれた私たちの責任です。かっこ悪くても、謝って、謝って、謝って、被害者からもういいから、気持ちは分かったからといわれてはじめて「許され」本当の「和解」になると思うのです。であるなら、そういう政府を作らねばなりません。

平頂山虐殺遺跡記念館の展示
平頂山虐殺遺跡記念館の展示

「平頂山惨案遺址紀念館」で観たものは覚悟をしていたとはいえ、あまりにむごいものでした。「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」でも感じたのですが、人はここまで残酷になれるものなのでしょうか。信じられないことが行われました。大陸に来る前は善良な農民であったり、妻子(つまこ)を愛する工員だったかもしれない。軍隊や国家に改造され、生きた人間を「解剖」し、撃ってもこない人々を機関銃でなぎ倒し、一人一人銃剣でとどめを刺す。そのことに何も感じない。(大体、日本は「侵略」されたことは有史以来ありません。もとい蒙古がありますか!「侵略」したことはいっぱいあります。)そんなことをさせる、軍隊も国家もなくてもいいのです。

大連・旅順

 次に大連に移動しました。高速鉄道は上野駅を模して造られたという大連駅まで延伸していたそうです。

大連駅(上野駅を模して造られた)
大連駅(上野駅を模して造られた)

「大連現代博物館を見学しました。アヘン戦争以後、遼東半島は、渤海の防衛拠点として重要な位置を持ち、清が旅順を開発、日清戦争で日本が旅順を占領、「三国干渉」でロシアがハルピンから旅順までの鉄道敷設権を得て大連を開発、日露戦争で日本統治へと目まぐるしく変わります。日本軍国主義の残虐行為を展示するだけでなく、大連の歴史を民衆の視点から「多元文化の交流と融合」と見る博物館の捉え方に敬服しました。近くの星海広場を散策し、景勝地の老虎灘をドライブしてホテルに戻りました。」(伊藤団長文より引用)

 翌日、大連から1時間ほど離れた旅順を訪れました。旅順と大連と合併して、「旅大」となり、さらに、「現在は大連市の行政区だそうです。1894年11月21日に旅順を占領した日本軍は、4日間にわたって民間人を含めて約2万人を虐殺しました。その犠牲者を祭った墓が萬忠墓です。萬忠墓紀念館は、日清戦争の経過と虐殺の様子、その報道、萬忠墓の建立経過が展示されています。日本の中国侵略は、当初から虐殺を伴っていたことが分かりました。なぜここまで残忍なことができるのか?

 差別意識とナショナリズムの恐ろしさを改めて考えさせられました。」(伊藤団長文より引用)

 さらに、詳しく、藤村秘書長は「日清戦争、日露戦争の戦場となった大連、旅順」と題して、次のように記述されています。「日本は1894年日清戦争、1904年日露戦争を行いました。今回の旅でこの二つの戦争は、戦場が大連、旅順のある遼東半島であり、この半島の領有を争うものであったことを改めて実感しました。日本軍は、日清戦争時の1894年11月に旅順を占領しました。この際、日本軍は旅順で中国人たちを虐殺する大量殺人を行っていたことを「大連現代博物館」や「萬忠墓記念館」で知りました。当時の日本人新聞記者は市内の死体が放置されている様子をスケッチしていました。また日本兵は手紙の中で「市内は日本兵ばかりだ、死体の他に支那人(当時中国人を指す蔑称)が見つからない。ここの支那人はほとんど絶滅した」ということを書いていました。アメリカ人やイギリス人たちもこの惨状を伝えています。私は、中国国内の炭鉱などや日本軍による虐殺などで中国人が沢山殺されていることは知っていましたが、それは1932年の以降のことだと思っていたので、日清戦争の時既に皆殺しの行為を行っていたことを知り、暗澹たる思いがしました。そして、戦争が人間性を破壊することを改めて感じました。」

 そうなのです、日露戦争はロシアの領土でも、日本の領土でもなく、中国の領土内で行われました。理不尽と思いませんか。家を焼かれ、工場や店を破壊され、田畑を荒らされる中国人の視点が必要だと思いませんか?

旅順大虐殺(大連博物館)
旅順大虐殺の写真(大連現代博物館)

昔、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を面白く読んだのですが、ここでも「中国人の視点」は全くありませんでした。だからといって司馬氏に押し付けて、「責任」のがれをするわけにはいきません。旅順港を一望できる白玉山に上がりました。旅順港の出入口は本当に狭く、つい、広瀬中佐が「杉野はいずこ、杉野はいずや」と部下を探し回り、砲弾の直撃を受け戦死したことを思ってしまいます。また、203高地はこっちの方向と説明版にあると、昔見た映画の仲代達矢演ずる乃木大将の悲壮な表情を思い出してしまうのです。

 しかし、先に引用したお二人の文のとおりで、日清戦争の旅順陥落で2万人の中国人が日本軍に虐殺されたことを、今まで知りもしませんでした。司馬氏の本であったか定かではありませんが、日露戦争では、欧米各国の評判を気にし、捕虜を丁重に扱ったと読んだ記憶があります。第一次世界大戦でのドイツ人捕虜の徳島での収容所での扱いの話、ベートーベン「第9」の初めての演奏とまあ「事実」なのでしょう。私も無差別の民間人も含めた日本軍による虐殺行為は満洲事件前後からだろうと思い込んでいました。澤地久枝さんの「記録ミッドウェイ海戦」だったと思いますが、澤地さん本人の解説で、「日本軍に捕虜となったアメリカ兵は0人であった。なぜなら、捕虜は取らない全員殺したからだ。」とのことでした。

でも、やはり当初から日本の中国侵略は、虐殺を伴っていたのです。なぜここまで残忍なことができるのか?ロシア人やドイツ人の扱いには、気を使うが、中国人(や、朝鮮人、さらに、アジア人)には、別の扱い方をする、殺しても構わないとすれば、日本人はアジア人だが、欧米グループ内、悪くても大東亜の盟主ということでしょうか?差別意識、蔑視感は明治維新からわずか25年で定着したと見なければならないでしょう。改めて恐ろしさを感じました。

 おわりに

 いくら「おもてなし」だからといって、宴会の料理が多すぎる宴会以外の食事も)。朝食など3/4も残ってしまう。もったいない。地球の資源は有限です。

ショッピング客でにぎわうハルピンの中央大街
ショッピング客でにぎわうハルピンの中央大街

 ハルピンで、マトリョショカのストラップを買ってしまった。近くの店員さんに購入品を記載してもらい、カウンターで金を払い、その領収書を再び店員さんに見せて、品を袋に入れてもらう。旧ソ連の国営店の方式?

 やはり後発国は有利でした。

日本では有線での電話網を国土の隅々に張り巡らすのに膨大な費用が掛かりました。国土の広い中国はもっと困難だと思われましたが、携帯・スマホで有線網の必要が少なくなり同様の負担の必要はなくなりました。また、スマホといえば、この旅行中わが団のお世話をしていただいた李さんはたばこ一箱をスマホで購入されていました。キャッシュレス化は日本より何歩も進んでいます。さて、日本の銀行は、人員削減のため、ATMを社会の隅々まで配置したが、キャッシュレス化で不要となるでしょう。ATMの廃棄は、たいへんな負担となるのではないでしょうか!

さらに、ガソリン車から電気自動車への転換も急でしょう。ハイブリッド車は飛び越えられようとしている。日本の自動車会社はついていけるのか。

戦争責任に向き合い心からの「謝罪」の上の真の「和解」が不可欠

日本は世界第2位の「経済大国」から滑り落ち、予想年は忘れましたが、インドにも抜かれるそうです。過去の栄光を引きずって、アメリカ合衆国の子分であり続けても、取り残されるだけでしょう。今後、発展が有望視される、中国、統一されるであろう朝鮮、そして、アジア諸国との友好が、日本の「少しの成長」と「安定」の土台となるでしょう。そのためには、大日本帝国の犯した加害責任、戦争責任に真摯に向き合った心からの「謝罪」の上の真の「和解」が不可欠だと思います。結局、またここに還って来ました。

いい旅行でした。皆さんにお薦めします。が、先の長い若い人に特に、お薦めです。

掲載写真はすべて団員の津和崇さんが撮影

関東大震災96周年「中国人受難者追悼式」(9月8日)

関東大震災96周年「中国人受難者追悼式」―ヘイトな時代を跳ね返す歴史を見る眼

伊藤彰信

 関東大震災96周年「中国人受難者追悼式」が9月8日、東京都江東区の東大島文化センターで開かれた。

 主催者を代表してあいさつした一橋大学名誉教授の田中宏さんは「この会場で初めて追悼式を開くことができた。この場所は関東大震災が起きた翌々日の9月3日に300人近くの中国人が虐殺されたところである。現在、嫌韓、ヘイトなど排外主義が高まっている。96年前に何が起きたか見つめ直し、今の日本を考える機会にしてほしい」と述べ、「虐殺は、内務省が『朝鮮人が暴動を起こしたと認定した』ことによるものであり、流言飛語によって民衆が起こしたものでなかった」と指摘した。

 黙祷のあと、遺族を代表して王旗さんと周江法さんがあいさつした。王さんの祖父・王希天さんは、9月9日亀戸警察署に逮捕され、12日に日本軍によって逆井橋のたもとで殺され、遺体は切り刻まれて中川に投げ込まれた。王希天さんは在日中国人労働者のために「僑日共済会」をつくった人であり、1918年「中日共同防敵軍事協定」反対運動を周恩来氏とともに行い、官憲から「反日の巨頭」と睨まれていた人物である。周さんは、大島町に多く住んでいた浙江省温州・処州出身の中国人労働者・行商人の遺族を代表してあいさつした。現在、日本政府に関東大震災で虐殺された700余人の中国人に対する謝罪と賠償を求めて闘っている。

関東大震災96周年「中国人受難者追悼式」(9月8日)
福島みずほ参議院議員が挨拶 関東大震災96周年「中国人受難者追悼式」(9月8日)

 中国大使館のあいさつの後、日本側から社会民主党副党首の福島みずほ参議院議員、中村まさ子江東区議会議員があいさつした。福島さんは「日本では嫌韓が官民ともに高まっている。日本は歴史の真実に学ぶのかヘイトを続けるのかの岐路にある」と警告した。中村さんは「大島8丁目で生まれ育った。関東大震災のときの朝鮮人虐殺は学校でも教わったが、中国人が虐殺されたことは10年ほど前に知った。江東区には3万人の外国人が住んでおり、その半数は中国人である。外国人とともに暮らせる平和な社会をつくりたい」と述べた。

 在日朝鮮人歌手の李政美さんが弔歌を歌う中、参列者が献花をして追悼式は終了した。

 関東大震災では、朝鮮人、中国人、社会主義者、労働組合指導者が殺された。この虐殺を侵略と植民地支配との脈絡で捉えなければならない。日本の労働者は、第一次大戦後、中国で中国人労働者とともに闘った。東京の南葛地域は、工場が密集し、労働者の街であった。日本の労働者も朝鮮人、中国人と手を組み始めていた。権力にとって、反植民地運動、独立運動を弾圧するためには、日本の社会主義運動、労働運動も弾圧する必要があった。関東大震災の戒厳令のもとで虐殺を実行した。そして、時代は大正デモクラシーから戦争へと変わっていく。

 自衛隊は、阪神大震災の時も東日本大震災の時も、「港湾労働組合が救援物資の荷役を拒否している」というデマ情報を流した。いま、戦争に反対する労働組合への弾圧が行われている。安倍政権は、侵略や植民地支配の謝罪や反省をすることなく、緊急事態条項の新設を含む憲法改正を実現しようとしている。外国人労働者の導入をすすめ、「嫌韓」を煽り、中国敵視政策を続けている。

 さて、日本の労働組合は、何をめざして、どのように闘えばよいのか。

 関東大震災中国人受難者を追悼する会は、このたび「東えん惨案―史料が語る1923年関東大震災中国人虐殺事件」を発行した。A5版16ページ、300円。連絡先は、〒136-0071 東京都江東区亀戸6-57-19 丸字本社ビル6階 亀戸法律事務所。電話080-1142-2515

中国東北部への旅―日清・日露戦争の戦場となった大連、旅順、日本人と中国人労働者は共にストライキ

第6次日中不再戦の旅訪中団秘書長 藤村妙子

国東北部への旅

 8月19日~25日私は、日中労働情報フォーラムのメンバーと中国職工対外交流センターの案内で中国東北部への旅をした。主な訪問先は、ハルピンの「731部隊罪証陳列館」(日本軍の731部隊が細菌戦の研究・実践のために人体解剖などを行ったところ)、瀋陽の「9.18事変陳列館」(1931年「満州事変」勃発、以降日本は中国東北部での侵略戦争を開始。中国から見た侵略戦争の実相が展示してある)、撫順の戦犯管理所(戦後、日本軍の将兵らを監護、教育した所)、平頂山の万人坑記念館(1932年9月16日日本軍が村民を虐殺した所)、大連の現代博物館と旅順の萬忠墓などです。ハルピンや瀋陽などは、前回(2017年夏)も行き、報告しているので今回は、初めて訪れた大連、旅順のことを報告します。

 日清戦争、日露戦争の戦場となった大連、旅順

重点遺跡の萬忠墓

 日本は1894年日清戦争、1904年日露戦争を行いました。今回の旅でこの二つの戦争は、戦場が大連、旅順のある遼東半島であり、この半島の領有を争うものであったことを改めて実感しました。日本軍は、日清戦争時の1894年11月に旅順を占領しました。この際、日本軍は旅順で中国人たちを虐殺する大量殺人を行っていたことを「大連現代博物館」や「萬忠墓記念館」で知りました。当時の日本人新聞記者は市内の死体が放置されている様子をスケッチしていました。また日本兵は手紙の中で「市内は日本兵ばかりだ、死体の他に支那人(当時中国人を指す蔑称)が見つからない。ここの支那人はほとんど絶滅した」ということを書いていました。アメリカ人やイギリス人たちもこの惨状を伝えています。

日清戦争の虐殺スケッチ
日本人従軍記者が書いたスケッチ

私は、中国国内の炭鉱などや日本軍による虐殺などで中国人が沢山殺されていることは知っていましたが、それは1932年の以降のことだと思っていたので、日清戦争の時既に皆殺しの行為を行っていたことを知り、暗澹たる思いがしました。そして、戦争が人間性を破壊することを改めて感じました。

 日本人労働者と中国人労働者は共にストライキに立ち上がった

旅順の帝政ロシアの建物がある通りにある「ダルニ―市政庁舎」(正面)[注1]

 初めて大連、旅順を訪れるので「大連・旅順歴史ガイドブック」(大修館書店)を買いました。1905年のポーツマス条約によって南満州鉄道の利権をロシヤから譲渡されると、この地の石炭や鉄などの資源を得るために日本の会社が進出しました。この会社には多くの日本人労働者と中国人労働者が働いていました。私は、この本によって今から約100年前、この地で工場の劣悪な労働条件やリストラに対して闘った日中の労働者が共同してストライキなどで闘っていた事実を知りました。1918年には川崎造船所大連工場で、1920年には満鉄沙河口工場でのリストラに対して闘われメーデーには中国人労働者1200名、日本人労働者1365名が集まり、40日間のストライキの後勝利しています。

この事実を訪問先の総工会(労働組合の指導機関)で聞きました。「私たちも知っています。当時の日中の労働者は連帯してよく闘いました。この闘いには学生も参加していましたよ。」と教えてくれました。私は。不幸な日中の歴史もありましたが、こうした輝かしい歴史もあることを知り、今後も連帯の歴史を引き継いで共に闘っていきたいと思いました。

[注1] この庁舎は、1900年に建てられた。「ダルニ―」はロシア語で[遠い]という意味で「大連」はここから命名されている。1905年に日本に占領されてからは「満蒙資源館」などになり、1945年8月ソ連軍に引き継がれ、1950年に中国の所有となった。大連の変遷の歴史を物語る史跡である。現在は使われていない。

日清戦争当時の旅順港の地図模型

「人民網日本語版」2019年8月後半 抜粋(2019/9/1)

<20> 「人民網日本語版」2019年08月30日
香港で進む様々な「プライスダウン」
「ショッピング天国」である香港地区は現在、大々的な割引セールを行っているものの、それに対する反応は極めて薄い。こうした大々的な割引セールの背景には、今年6月から今も深刻さを増しながら続いている違法な暴力行為と妨害活動がある。そして、香港地区の経済や人々の生活においても、企業の損失や従業員の失業、市民生活への影響や都市の治安問題といった香港地区全体の「プライスダウン」が進んでいる。しかもこうした痛みは留まる様子を見せていない。市民の香港地区の将来に対する信頼感に影響を与え、世界の香港地区に対するイメージが揺らぐといった「プライスダウン」が起きており、香港地区は今後もこうした「プライスダウン」に悩むことになるだろう。

<19> 「人民網日本語版」2019年08月30日
90年代生まれの若者の8割、「健康診断結果を見る勇気無し」その理由は?
今年もまた、年に1度の健康診断の時期がやって来た。健康診断そのものより、自分自身の診断結果を見る方がキツイという人もいる。「90後(1990年代生まれ)は診断結果を見る勇気がない」という話題が、最近ネット上で盛り上がっている。メディアが街頭取材を行ったところ、「診断結果を見る勇気がない」とした「90後」は8割に上った。人民網が報じた。診断結果を見たくない理由は?

<18>  「人民網日本語版」2019年08月30日
2019年版標準地図公開 新機能「カスタマイズ地図作成」が新たに追加
「2019年測絵法PRデー&国家版図意識啓発ウィーク」メイン会場イベントが29日午前、四川省成都市で開催された。今年のイベントのテーマは、「地図の規範化使用、『一点』のミスも許さない」。自然資源部(省)は、イベント会場において、「2019年度版標準地図」を発表した。各種地図の使用量が増加するにともない、国家主権と領土保全に危害を及ぼし、国家の安全と利益に危害を及ぼし得る「問題地図」が存在し続けている。自然資源部は、関連部門と連携して、地図の監督管理と日常的なパトロール作業をいっそう強化し、世界500強企業の公式サイト、大型会議・コンベンションに使用される地図および新聞報道・ウェブサイト・新聞雑誌・映画テレビドラマなどに使用されている「問題地図」に対して綿密な調査を進め、数十社の企業・ウェブサイト上で認められた「問題地図」に対し、整備・改善を促している。

<17> 「人民網日本語版」2019年08月30日
ナーザのように「自分の運命は自分で決めよう」 中学校校長が始業式で生徒を激励
河北衡水中学(中高一貫校)の党委員会書記を務める郗会鎖校長は、このほど行われた始業式において、空前の大ヒットを記録している国産アニメ映画「哪吒之魔童降世(ナーザ 魔童降世)」のなかで、抗えないような運命に立ち向かい、道を自分の力で切り拓いていく主人公の少年神・ナーザが叫んだ「自分の運命は天が決めるのではなく自分で決める」という素晴らしい台詞を引用して生徒たちを激励した。28日の時点で、同校の公式サイトへのアクセス数は10万を上回っている。

<16> 「人民網日本語版」2019年08月29日
大学生約1万人が夏休みに宅配バイトに従事 フードデリバリー報告
フードデリバリー業の急成長に伴い、夏休みに「宅配員」のバイトに従事することが、多くの学生にとって新たな選択肢となっている。フードデリバリーサービス「餓了麽(eleme)」がこのほど発表した「2019年大学生宅配員群洞察報告」によると、今年の夏休み、全国で計9896人の大学生が、同プラットフォームでアルバイトとして宅配業務に従事し、うち約5割が大学2年から3年に進級する学生だった。このほか、宅配バイト学生300人以上が9月から大学院に進学する若者だった。

<15> 「人民網日本語版」2019年08月29日
過激化続くデモ行動に対し、警察は厳しい法律執行を堅持 香港警察
香港警察は28日、「この2ヵ月あまり、デモ参加者による過激な行動はエスカレートし続け、社会に対する影響も拡大し続けている。警察は、これまでに約900人を逮捕した。今後も厳正な法律執行を継続し、犯罪者に対して法にのっとり取り締まりと処罰を進めていく」との決意を表明した。香港特区政府警務処警察公共関係科の謝振中総警司は、警察の定例記者会見において、「警察がこの2ヵ月あまりで取り締まった事件の内容や証拠品から、非常に憂慮すべき事態を見てとれる。それは過激なデモ参加者による暴力行為が次第にアップグレードしており、命に係わる武器まで使用されるようになっているという点だ。暴力行為が発生する場所は、港九新界の随所にまで拡大し、暴力行為はますますエスカレートし、社会に対する影響も広がる一方となっている」と述べた。

<14> 「人民網日本語版」2019年08月28日
中国初の「宅配便学院」を開設 全国から学生募集
南京郵電大学は27日、「宅配便学院」を正式に開設し、「宅配便人材」を育成する中国初の専門学院となった。ションとプレッシャー処理」「宅配便末端安全管理強化の道」などの専門カリキュラムが設けられている。「われわれは郵政宅配便育成センターも設け、これを基礎に社会的サービス・プラットフォームを築くべく力を入れていく」と、南京郵電大学現代郵政学院の孫知信院長は説明する。宅配便学院は何も突然思いついたように開設されたわけではない。「宅配便配達員洞察報告2018」によると、中国の宅配便配達員は2016年から2018年までに50%増加し、すでに300万人に達している。「宅配便業界に入る若者が増えているが、配達員の流動率は依然高止まりしている。キャリア計画や社会的な職業アイデンティティーの欠如が、この問題の主たる原因だ」と江蘇省郵政管理局の蒋波副局長は語る。

<13> 「人民網日本語版」2019年08月27日
もう外見だけじゃない?パーソナリティーの夢支える義烏のライブ配信村
浙江省義烏市の北下朱村に26日、取材に訪れたところ、赤い看板が掲げられたずらりと並ぶ店舗には小さいながら必要なものは全てそろっていた。おおまかな統計によると、この小さな村だけで2000人以上のライブ配信パーソナリティーが活躍している。この村のライブ配信運営業者とパーソナリティーの関係は一種のパートナー関係のようになっている。パーソナリティーたちはライブ配信だけに集中すればよく、商品の提供からライブ配信のシステム管理に至る業務は、ライブ配信運営業者のスタッフが全て請け負う。従来のライブ配信運営モデルに比べると、ライブ配信のために倉庫や店舗を借りる必要がなく、携帯電話1台とスマホスタンド1つさえあれば外部への配信が可能で、パーソナリティーたちが何も心配事のない状態で配信を行えるようになっている。

<12> 「人民網日本語版」2019年08月27日
世界初の海洋潮流発電所が正式に運用スタート 浙江省舟山
浙江省舟山市岱山県秀山島東南海域のLHD海洋潮流発電所は8月24日午後、国家電網に向けて海洋クリーンエネルギーで発電した電力を送っていた。このプロジェクト第1期の1メガワット装置は2016年7月27日に海中での発電をスタートさせ、8月に国の電力ネットワークに組み入れられると、2018年末には同プロジェクトの第2世代、第3世代の装置も次々と海中での発電を開始している。2019年7月20日現在、LHD海洋潮流発電プロジェクトによる送電量は995720 kWh。同プロジェクトの1メガワット装置による発電と電力ネットワーク組み入れ3周年に際し、23日午後3時ごろ、浙江舟山連合動能新能開発有限公司と国網岱山県電力供給公司は電力の販売・買取契約を交わし、送電された電力量の初決済を行った。これはLHD海洋潮流発電プロジェクトである世界初の海洋潮流発電所が正式に稼働し、中国の海洋クリーンエネルギー開発の重大なブレイクスルーを他に先駆けて実現させたことを意味している。

<11> 「人民網日本語版」2019年08月23日
改札の顔認証システム導入、長江デルタ40都市65駅に拡大
中国鉄路上海局集団有限公司はこのほど、「今年下半期、高速鉄道列車・普通列車停車駅・12駅、普通列車停車駅・4駅、高速鉄道駅・1駅に104台の顔認証システム対応改札ゲート(セルフ実名制検査ゲート)を設置し、長江デルタ地域鉄道の顔認証システム対応改札ゲートを現在の476台から580台に増やし、カバー対象地域・範囲を26都市48駅から40都市65駅に拡大する」との方針を明らかにした。長江デルタ地域における鉄道は、ここ数年利用者数が伸び続け、最高記録を更新し続けている。今年の「暑運(夏休みの帰省・旅行に伴う鉄道輸送体制)」だけでも、利用者数は延べ1億人の大台を突破、1日あたり利用者数は220万人を上回った。

<10>「人民網日本語版」2019年08月23日
敦煌に人文字ならぬ「ヘリオスタット文字」が出現 甘粛省
甘粛省敦煌市にある100メガワット融解塩タワー型光熱発電所の面積7.8平方キロメートルの敷地内で、高さ260メートルの吸熱タワーを同心円状に取り囲んだ1万2千枚以上のヘリオスタット(日光を反射して一定の方向に送る反射鏡)が、巨大な「祝福祖国」の文字を描き出した。同発電所は、中国で初めての100メガワット級融解塩タワー型光熱発電所発電所であり、世界でも集光規模が最大で、吸熱タワーが最も高く、蓄熱タンクが最大で、24時間連続発電が可能な100メガワット級融解塩タワー型光熱発電所発電所でもある。

<9> 人民網日本語版 2019年08月22日
中国、就業者数が70年で1.8億人から3.3倍の7.8億人に増加
中国国家統計局が20日に発表した新中国成立70周年経済社会発展成果報告によると、新中国成立からの70年間で、中国の就業者総数が増加、就業構造が更に合理化し、就職のクオリティも顕著に向上した。中国の就業者数は1949年の1億8千万人から、2018年には3.3倍の7億8千万人に増加した。うち、都市部の就業者数が49年と比べて27.3倍増の4億3千万人に達した。2018年、中国の都市部の非私営事業機関・会社の就業者平均給与は8万2461元(1元は約15.1円)と、1978年と比べて134倍に増えた。毎年平均13%のペースで上昇し、価額要因を除いて実質18.3倍増え、毎年平均7.7%増となった。

<8> 「人民網日本語版」2019年08月21日
【人民網時評】「中立」であるべきツイッター・フェイスブックが唱える「自由」はうわべだけのもの
メディアの報道によると、米国のSNS最大手ツイッターとフェイスブックは19日、「公式に虚偽情報を発信した」ことを理由に、香港地区の暴徒の暴挙を明らかにする中国大陸部のユーザーの約1000アカウントを停止した。ツイッターは、アカウント停止の理由について、「政府とつながりのあるアカウントと見られ、香港地区に関する情報を組織的に発信し、拡大させている。それらの情報は香港市民の抗議活動の『合法性』を損なう」と説明した 。この件で、「技術的中立性」を保つべきツイッターやフェイスブックなど西側のSNS大手が、真実を伝える声に「虚偽」のレッテルを貼り、それらの声を封じ込めて、中国人の口をふさごうと躍起になっていることが明らかになった。

<7>「人民網日本語版」2019年08月21日
中国とロシアが共同建設する国境またぐ大橋が舗装段階へ 黒竜江省
中国とロシアが共同建設中の初の国境をまたぐ黒竜江(アムール川)大橋は現在、路面舗装に向けた工事段階に入っている。中国の黒竜江省黒河市とロシアのアムール州ブラゴヴェシチェンスクを結ぶ同橋は、今年5月31日に接合が完了した。現在、中国側の作業員約200人が毎日、橋の路面に生コンを流し込む作業を行っている。路面工事の作業は9月上旬まで続く予定だ。同橋の全長は1284メートルで、完成すると中国とロシアの地方都市を繋ぐ道路橋となる。

<6> 「人民網日本語版」2019年08月21日
四川で豪雨による山津波 観光客1万人以上が臥竜自然保護区に足止め
四川省の臥竜自然保護区管理局が20日明かしたところによると、19日に終日降り続いた豪雨のため、20日未明、臥竜自然保護区内の複数箇所で山津波と土石流が発生し、観光客1万1900人以上が足止めされている。集計によると、現地では7人と連絡が取れず、1人が行方不明、2人が重傷となっている。一部の民家と臥竜汚水処理場が土石流で埋まった。国道350線は複数箇所で通行不能となっており、陸の孤島と化している場所が複数ある。

<5> 「人民網日本語版」2019年08月21日
QRコード決済導入でますます繁盛する街角の小規模店
街を見渡すと、中華まんを売る店であれフルーツを売る店であれ、道端にある多くの小規模店にQRコードが掲出されており、顧客はスマホで読み取るだけで商品代金を支払うことができる。QRコード決済が大通りから路地に至るまで浸透するにつれて、道端にある小さな店の商売も、さらなる繁盛ぶりを示している。モバイル決済の時代が到来し、人々の「衣食住・移動・日用品」は全て、スマホ1台で事足りるようになってきている。大型ショッピングセンターであれ道端の小さな店であれ、どこでもスマホによる決済が可能だ。こうしたモバイル決済のなかで、QRコード決済は重要な地位を占めている。中国銀聯が今年1月に発表した「2018年モバイルインターネット決済の安全をめぐる大調査報告」によると、現在、国内で5億7千万人がモバイル決済を利用している。このうちQRコード決済は、現在のところ最もよく使用されているモバイル決済スタイルで、全体の80%以上を占めている。

<4> 「人民網日本語版」2019年08月01日
「結婚したがらない」中国の若者、その理由は?
結婚して子供を産むことに対する焦りはもはや持っておらず、ましてや人生における必須の選択であるとも思っていない。北京大学社会学部の李建新教授は、「早く結婚して子供を産み、子供が多いほど幸せという、先祖代々受け継がれてきた伝統的な結婚・出産観は、もはや過去のものとなった。個人主義時代における結婚・出産観が、従来の家族主義にもとづくものに取って代わりつつある」と指摘している。多くの人々、とくに男性は、「キャリア上での成功や社会的地位の獲得が実現してはじめて、具体的に結婚相手を探す時間ができ、費用を備えることができる」と考えている。周若愚さんは、「実際のところ、マイカー・マイホーム・高学歴・安定した仕事が揃わなければ結婚できないのであれば、おそらくほとんどの人は、40歳にならないと結婚条件に達することはできないだろう」とため息まじりに話した。

<3> 「人民網日本語版」2019年08月19日
香港で「暴力反対、香港を救おう」集会 市民47万人以上が参加
47万を超える香港市民が17日午後、金鐘(アドミラルティ)の添馬公園(タマル公園)で「暴力反対、香港を救おう」と訴える集会に参加し、暴力に反対し平和・安定を呼びかける多くの市民の声を伝えた。社会各界の人々が登壇して発言し、「これ以上の混乱はいらない、暴力をやめよう、市民の日常生活を乱すな、破壊をやめよう、法治を守ろう、分裂を防ごう、正しい軌道に戻ろう」とする七大要求を表明した。集会に参加した香港市民の戴さん(女性)は、「この2ヶ月で香港がこんな風になってしまい、とても心が痛む。ここは私たちのルーツ。だから今日は支持を表明しにやって来た」と語った。

<2> 「人民網日本語版」2019年08月19日
アマゾンが「香港独立」Tシャツ販売?ネット上に「必ず誅殺」の声

あるネットユーザーが14日、米国のEコマース企業のアマゾンがオンラインで公然と「香港独立」とプリントされたTシャツを販売している事実を暴いた。15日になっても、アマゾンの公式サイト上では依然としてこうしたTシャツを検索sることができた。そのうちある商品には「FREE HONG KONG DEMOCRACY NOW(今、香港に民主を)」とプリントされており、カラーは3色で、商品情報には「“Hong Kong independence(香港独立)」などと書かれていた。また、「買い物かご」にこの商品を入れると、画面にはこのTシャツは「Amazon.comが直接販売・出荷」する商品だというメッセージが表示された。ほかにも、「NO CHINA EXTRADITION(中国への引き渡し拒否)」などの文字プリントや中国の国章をけがすTシャツもあった。

<1> 「人民網日本語版」2019年08月16日
「国恥を忘れず 平和を愛する」 日本の無条件降伏74周年記念行事が中国各地で挙行
日本が無条件降伏を宣言した日から74周年にあたる8月15日、中国各地ではさまざまな記念行事が催され、抗日戦争の歴史を改めて心に刻み、烈士精神を伝承する決意を新たにした。侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館でも、同日、平和集会が開催され、中国・日本・韓国など10カ国以上から平和を愛する人々が駆けつけ、集会に参加した。歴史を忘れず、烈士を偲ばなければならない。社会各界の人々は、黒竜江哈爾浜(ハルビン)東北烈士紀念館、遼寧本渓東北抗聯史実陳列館、浙江侵華日軍細菌戦衢州展覧館に、自ら足を運んだ。訪れた人々は、献花や抗日戦争の経験を旧兵士から聴くなどさまざまな方法で、歴史を思い起こし、平和を守る決意を新たにした。

「公文書を生かす 情報公開法成立20年」第5回 公的記録少ない満蒙開拓 市民活動が解明補う

会員の活動が毎日新聞に載りました。

 会員の藤村妙子さんが共同代表を務める「東京満蒙開拓団を知る会」の活動と、著書「東京満蒙開拓団」の内容紹介などが。毎日新聞の下記の記事に掲載されました。

「公文書を生かす 情報公開法成立20年」第5回 公的記録少ない満蒙開拓 市民活動が解明補う 

2019年8月26日毎日新聞朝刊

 1932(昭和7)年から推計約27万人が農業移民として中国東北部に送り出され、敗戦後の逃避行で約7万2000人の死者を出したとされる「満蒙開拓団」。寒村の救済策とのイメージでとらえられがちだが、東京発も全国9位の約1万1000人いた。

 どんな人たちが東京から大陸に渡ったのか、長らく実態は分からなかった。「東京府(都)の文書の中に開拓団の資料が残っていないからだ」。この問題に詳しい加藤聖文・国文学研究資料館准教授は解説する。「(開拓業務を所管した)拓務省がなくなると、戦後は外務省、農林水産省、厚生労働省などにばらばらに引き継がれ、文書が廃棄または所在不明になっていった。地方も同じような事情だったのだろう」

 例えば39年に作られた農業移民のための訓練施設「東京府拓務訓練所」(東京都日野市)と訓練を受けた人々について、公的にはどう記録されているのか。日野市郷土資料館で助言を受けた後、東京都公文書館(世田谷区)を訪ねると、いくつかの文書が見つかった。用地購入を巡る書類のほか、府(都)公報に設置や廃止の記載があった。それによると山林や畑を買収して開設。「訓練所規定」では、訓練生は定員100人で6カ月間、農業実習のほか、「皇道精神」や「農民道」を学び、教練や柔剣道をすることになっていた。訓練を受けた人々の姿が分

かる文書は見つからなかった。公文書からたどることに限りがある中で、東京発の開拓団の全体像をつかんだのは、東京都大田区でミニコミ誌「おおたジャーナル」を発行していた今井英男さん(2013年に死去)たちのグループだった。地元から開拓団が出ていたことに驚いて07年、調査を始めた。公文書館だけでなく、史料館、図書館などに通って新聞・雑誌の記述、民間の資料を収集したほか、生還者の証言を集めた。12年に書籍「東京満蒙開拓団」(ゆまに書房)にまとめた。

 この本を読むと、32年に恐慌による都市の生活困窮者が送り出されたのが始まりで、戦争が始まって職を失った中小の商工業者、最後は空襲で家を失った人々が集められたことが分かる。今井さんたちによると、東京府拓務訓練所は、ブラジルへの移民が頓挫して満州への大量移民が始まる時期に、初の府直営施設として誕生。移民送り出しに重要な役割を果たした。送られた人たちには、過酷な運命が待ち受けていたのだろう。

 後世にこうした事実を受け継ぐことはできるのか。「東京満蒙開拓団」の著者の一人、藤村妙子さん(65)と7月、日野市程久保の訓練所跡地を訪ねた。多摩都市モノレールの駅から坂を登って30分近く。福祉施設や養護学校に変わっていた。施設職員らに訓練所跡について尋ねたが「何もない」「分からない」と言われた。藤村さんは「ここに来ても訓練所のことが分からない。過去にあったことの表示をすべきだ」と話した。

 藤村さんは、大陸に渡った人、亡くなった人たちの氏名が一部しか伝えられていないことも気にかける。「正確な歴史を伝えることが悲劇を繰り返さないようにすることだ」と話す。

満蒙開拓団

 関東軍が1931年に満州事変を起こして作った中国東北部のかいらい国家「満州国」の支配を確立するため日本の国策で32~45年に送った農業移民団。敗戦後の逃避行で集団自決などがあったほか、残留孤児・婦人約1万1000人(推定)を出した。敗戦間際に軍に召集された人の多くは旧ソ連により抑留された。

中国職工対外交流センターとの懇談 訪中団あいさつ

2019年8月19日

中国職工対外交流センターとの懇談

訪中団あいさつ

伊藤彰信(日中労働者交流協会会長)

今回も私ども日中労働者交流協会訪中団を快く受け入れてくださり、ありがとうございます。昨年は、日中平和友好条約締結40周年にあたり、李克強首相の来日、安倍首相の訪中と、日中関係の改善がすすんだ年でした。当協会も貴センターとともに「日中友好労働者シンポジウム」を北京で開催し、日中労働者の相互理解を深め、友好交流をさらにすすめることができました。また、今年6月、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館で「和平の旅」のインタビュー受けました。私どもにとっても南京紀念館との交流の歴史を振り返ることができました。

安倍政権は、昨年、国内では明治維新150年を記念する事業を行い、明治維新以来の日本を美化、正当化しようと企てました。1972年の日中共同声明の際に、周恩来首相は「両国は2000年の友好往来と文化交流」と述べるとともに「1894年から半世紀にわたる日本軍国主義の中国侵略」と述べています。今年は、南京に「日中不再戦の誓いの碑」を建てて10年にあたります。碑文は1931年からの15年間の日中戦争の反省について述べていますが、日清戦争については述べていません。今回は、明治以降の侵略の歴史を銘記するためにも、旅順を含めて東北地方(旧満州)を訪れることにしました。

最近、香港情勢が大きく報道されています。アメリカが中国へ貿易戦争を仕掛け、香港の一部の勢力を煽って中国政府を攻撃する政治問題に発展しています。

私は先日、全港湾の資料室に行って、天安門事件直後に当時の中華全国総工会国際連絡部の陳瑞華副部長が全港湾に送った手紙を読み直してきました。陳瑞華先生は「両組織間で培われてきた友情と信頼を大切にし、こうした友好関係を一段と実着、発展させるために共に努力したいと念願しています。とりわけ現在の新しい情勢の下では、中日両国労働組合の相互理解と友情をいっそう増進することは重要な意義をもっています。」と述べています。

今の私の気持ちは、陳瑞華先生の気持ちと全く同じです。当協会の会員の中には、香港情報を宣伝し、日中友好を損なう言動をとる者もいます。この間、私どもは、当協会の目的は日中友好の促進であること、友好とは相手を尊重し信頼するものであることを確認するとともに、日中友好を損なうことがないように対応し、情勢を見誤ることなく日中友好・交流を続けるための議論をしてきました。

米中貿易戦争が激化する中で、安倍は中国敵視政策を巧みに展開しながら南西諸島に自衛隊を配備し、また、韓国の徴用工問題の責任を認めず、ナショナリズムを醸成して、憲法改悪を図ろうとしています。日中友好交流は世界平和を築く上で益々重要になっていると思います。

昨年、「日中友好労働者シンポジウム」を開催して、日中労交としても自信をつけることができました。新しく日中労交に参加してくれた現場の労働者が報告を担ったことです。また、中華全国総工会の第17回大会の報告を聞いて、総工会の現在の活動を知ることができました。私どもが関心を持っていることは、労働組合改革が現場でどのように行われ、労働者と結びついた活動がどのように展開しているのか、いわば「大衆路線」の実践についてです。あまりにも企業主義になってしまった日本の労働組合を改革する視点をみいだせればと思っています。

シンポジウムのスローガンは「歴史を銘記し、未来に目を向け、友好交流を促進しよう」でした。日中労交は労働者の組織ですから、「 日中不再戦の誓い 」の精神を受け継ぎながら日本軍国主義の侵略遺跡を訪れること、日中平和友好条約の精神にもとづき冷戦後の平和な世界秩序を展望すること、グローバル時代、AI時代における日中労働者の友好・連帯を探ることなどの活動を通じて、日本の平和・護憲運動や労働運動に役立ちたいと考えています。そして、日中友好を若い人に伝えていきたいと思っています。

 日中労交は小さな組織ですが、貴センターとの友情を育み、相互理解を深め、平和と繁栄に役立つ友好・交流を続けたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。

歓迎あいさつ 常品超(中国職工対外交流センター副秘書長)

皆様と北京でお会いできて誠に嬉しく思います。私は、中国職工対外交流センターを代表して皆様の来訪を熱烈に歓迎します。皆様は、歴史を尊重し、平和を愛する友好的な信念を持って中国を訪問されました。私たち中国労働組合の友達であり、また中国人民の友達でもあります。伊藤先生は私たち職工センターの老朋友です。今年の6月に南京大虐殺遇難同胞紀念館の招きに応じて、日中労交と南京紀念館の開館以来の交流の歴史のインパクトを語られたそうですが、貴協会と南京紀念館のホームページで見ました。私たちは、それを見て当時の貴重な歴史を振り返ることができ、また中日友好の基礎が民間であることを再確認することができました。本日はこの場をお借りして、日本の右翼と果敢に闘い、長期にわたり中日友好と世界平和に取り組んでこられた皆様に崇高の敬意を表したいと思います。

常品超副秘書長の顔写真
常品超副秘書長

中国労働組合の状況

ここで中国社会、中国労働組合の主な状況について紹介したいと思います。紹介を通じて中国に対する理解を深めることができれば嬉しいです。

 現在、中国で話題になっているホットな言葉があります。それは「初心を忘れず、使命を胸に刻む」です。これは実際に中国共産党が上から下まで展開している特別教育活動です。つまり、刃を自分に向けた革命です。中国共産党員の初心と使命は、中国人民の幸福そして中華民族の復興の実現です。中国共産党は設立して以来、初心と使命をしっかり守っています。そして人民の強固な支持を得ています。初心と使命を守ることによって、中国共産党は小さな党から世界で一番大きな党に成長しました。今年は新中国成立70周年にあたります。それは中国共産党が全国で政務を執ることが70周年になるということです。中国では古い言葉があります。「勇敢に生き、安楽に死す」です。

習近平総書記は「私たち共産党は世界第一の党であり、私たちを倒す敵はありません。私たちを倒すことができるのは私たちです。」と言いました。ですから、「初心を忘れず、使命を胸に刻む」という教育活動を展開することは、現在、共産党内部に存在する初心と使命に背く問題を見出して、すぐに直して、中国の特色ある社会主義が新時代に入った肝心な時期に、共産党全員が力と認識を合わせて、全人民を率いて美しい生活へのあこがれを実現するように活動することです。

 皆様はご存知のことと思いますが、中国の労働組合は、結成以来、中国共産党の指導の下に活動を展開し、党と労働者大衆を結びつける架け橋であり絆です。今回の特別教育活動の中で、中国労働組合は労働組合の特色に応じて以下の活動に取り組んでいます。

  労働者の合法的権益を擁護し、労働者に奉仕する

一番目の活動は、労働者の合法的権益を擁護し、労働者に奉仕するという労働組合の基本的職責を果たすことです。現在、各レベルの労働組合組織は、調査・研究を行って現場労働者が最も関心のある、最も差し迫った難しい問題を解決して、大きな成果を上げました。例えば、今話題の中米貿易摩擦、サプライサイドの構造改革、労働者権益の問題を重視して過剰生産能力の削減の過程における労働者の就職の道を確保して生活を保障します。

もうひとつは、都市部における困難ある労働者の貧困脱却です。過去3年間において、各レベルの労働組合は合わせて252万世帯の困難ある労働者を救助して貧困脱却を実現しました。そして、2020年までに中国の労働組合は、現在登録している困難ある労働者の全員の貧困脱却を実現する見込みです。

もうひとつは、例えば、出稼ぎ農民工、トラック運転手、じん肺症労働者などの特別グループに注目して、彼らが理性的に自分の要求に応えるように指導して、関連部門と協力して彼らの問題を解決するように努力しています。全国総工会と交通運輸部は共同で「運転手の家」を建設する活動をしました。「運転手の家」とは、運転手が集まっているところ、例えば高速道路のサービスエリア、貨物・物流の集散地、物流の作業基地などに運転手のためにつくられた休憩場所です。「運転手の家」で運転手は、お湯を飲んで、あったかいご飯を食べて、シャワーを浴びて、睡眠をとることもできます。現在「運転手の家」は全国で76箇所がオープンしてます。今年の年末までに100箇所オープンする見込みです。

産業労働者の技能レベルと待遇レベルを引き続き向上させる

二番目の活動は、産業労働者の技能レベルと待遇レベルを引き続き向上させることです。インターネット、人工知能などの新興産業の発展につれて、伝統的な産業に働く労働者が沢山の問題とチャレンジに直面しています。問題は、例えば、所帯地位の弱化、職業発展進路の狭さ、養成システムの不完備、待遇レベルの欠陥などです。これらの問題を解決するために、2017年4月に中国共産党中央と国務院は、新時期における産業労働者チームづくり改革法案を打ち出しました。中華全国総工会は、この改革法案を実施するにおいて先導的な役割を果たしています。この改革法案は、国レベルの法案ですが、実施の任務は労働組合に与えられました。それも、労働組合の地位の重要さを表していると思います。というのは、この改革法案を実施する任務は、政府の行政部門が入っていますが、これらの行政部門も総工会の指導のもとに実施しています。これから長い間、中国労働組合は改革法案の実施を重要な活動としています。この法案の実施にあたっては、産業労働者の発展の進路をさらに広げて、産業労働者の技能レベル、待遇レベルを向上させて、広大な知識型・技能型・都市型産業労働者待遇づくりに取り組んでいきます。

労働組合の改革をさらに深化して労働組合の活力を強化する

三番目の活動は、労働組合の改革をさらに深化して労働組合の活力を強化することです。伊藤先生は労働組合改革に関する興味が深いと聞いていますので、活動の状況について紹介したいと思います。実は2016年から中国労働組合は力と資源を末端組織に傾けて、末端組織の活力を強化する活動を始めました。現在この改革はある程度成果を上げましたが、また新しい状況と問題に直面しています。中国経済の発展のスピードが非常に早いので、状況もいつも変わってきます。経済の発展の状況に合わせて、今後主に三つの活動に取り組んでいきたいと考えています。

民間企業、配達者(出前持ち)、トラック運転手などのいわゆる非正規労働者の組織化活動に取り組みます。皆様は労働組合の専門家ですので、非正規労働者の組織化が非常に難しい課題であることはご存知だと思います。大手企業労働者の組織化よりは、非正規労働者を既存のグループに加入させることは非常に難しいです。ですので、中国労働組合は力と資源を使ってこれらの労働者を組織するために非常に努力しています。

労働組合の組織率を高める

次に労働組合の組織率を高めるための活動です。労働組合を運営するには三つの条件が必要です。組織、組織のスタッフ・幹部、活動の場所です。全国で、労働組合の組織化、幹部の育成、活動の場所を積極的につくっています。例えば、労働組合の上部組織のスタッフの人数を減らして末端組織のスタッフを増やす。労働組合の会費を末端組織にもっと多く振り分ける。このようにして、末端組織に人手と資金を保障することができます。

インターネットプラスを利用して快適で普遍的なサービスを

もうひとつの活動は、インターネットプラスを利用して労働者にさらなる快適で普遍的なサービスを提供することです。中国労働組合の末端組織は、それぞれ数多くのアプリをつくって、アプリを利用して労働者にサービスを提供しています。会員の利用者は、アプリを通じて、まず労働組合を理解することができます。そして、労働組合から救助、サービスを受けることができます。ひとつ例を上げると、トラック運転手向けにアプリを利用してガソリン代の割引ができます。労働組合はガソリン会社と交渉して、一番多い割引は2割引き、年間で利用者はガソリン代を2万元節約することができます。このアプリによってトラック運転手の収入を月1000元ほど増やすことができました。

以上、中国の労働組合の状況について紹介しました。

皆様は、遠路はるばるいらっしゃった、労働組合の専門家でもありますし、中日友好の民間大使でもあります。現在の中日関係の全体的な勢いは良いです。8月10日に7年ぶりに副部長(次官級)クラスの戦略対話を再びスタートさせました。中日両国の副部長は、大阪で行われた中日首脳会談で達成した重要な書式を徹底して新時代のニーズに合わせる中日関係の構築に努力することを確認しました。皆様が今従事されている仕事は、非常に必要で非常に有意義だと思います。

貴協会に対してふたつの希望

ここで、貴協会に対してふたつの希望を述べさせていただきたいと思います。

まずは、皆様に正義の声を益々広めていただきたい。もっと多くの日本の大衆に本当の歴史を理解して、とくに若い人に正しい歴史観を確立していただきたいです。そして、もっと多くの日本の方々、とくに若い人を中国に連れてきていただいて、中日友好の種を撒くことを期待しています。

二番目は、皆様のホームページで中国労働運動に関するポジティブな報道をもっと多く宣伝していただきたいです。現在はとても怪しいことがあると思います。国外のメディアは中国労働組合に起きているホットな話題に対して報道は多くしていますが、その中で多くの報道は一方的で事実を歪曲する報道です。中国労働運動のこの数年間の成果については無視しています。

貴協会の皆様は労働分野の専門家です。我々両組織は、中日両国の労働組合、そして労働分野における共同の課題に対する研究と検討を強化することができると信じています。その上で中国労働組合のホットな話題にたいする全面的そして事実にあった報道をもっと宣伝していただきたいと思います。

伊藤先生、皆様に、私たちのアドバイスをぜひ検討してもらいたいと思います。

最後になりますが、皆様の今回の訪問が所期の目的を達成し、皆様の滞在中の健康と楽しい旅をお祈りします。

日本の中国侵略50年を見つめて ~北京、哈爾浜、瀋陽、撫順、大連、旅順を訪問~

伊藤彰信(訪中団団長)

第6次「日中不再戦の誓いの旅」

日本の中国侵略50年を見つめて

~北京、哈爾浜、瀋陽、撫順、大連、旅順を訪問~

 日中労交の第6次「日中不再戦の誓いの旅」は、8月19日に出発し、北京、哈爾浜、瀋陽、撫順、大連、旅順を訪問して、25日に帰国しました。「日中不再戦の誓いの旅」としては、2度目の旧満州訪問ですが、今回初めて旅順を訪れました。

訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)、秘書長=藤村妙子(日中労交事務局長、東京の満蒙開拓団を知る会共同代表)、団員=津和崇(ユニオンネットお互いさま特別執行委員)、町田貞一(東京東部労組ディベンロイ労組支部委員長)、池田和則(西日本NTT関連労働組合執行委員)の5名です。全員60歳以上の高齢者の団であったことは残念でしたが、元気に交流、見学の日程を消化してきました。

中国でテレビを見ていると、今年10月1日の中国建国70周年に向けたキャンペーン、ゴミの分別や交通マナーの宣伝などが目に留まりました。

 以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。

<北京>

 8月19日、訪中団は、東京・羽田から、また関西空港から北京に着きました。空港には、中国職工対外交流センター技術交流部の李明亮さんが出迎えてくれました。空港で昼食をとったあと、ホテルの職工の家に移動し、中国職工対外交流センターの常品超副秘書長らと懇談しました。

 常副秘書長は「歴史を尊重し平和を愛する友好的信念を持って訪中された皆様を歓迎します」と述べ、現在展開されている「初心を忘れず、使命を胸に刻む」の特別教育活動について、また、中国労働組合の活動として、労働者の合法的権益を擁護し労働者に奉仕する活動、産業労働者の技能レベルと待遇レベルの向上させる活動、労働組合改革を深化して労働組合の活力を強化する活動について説明しました。そして、日中労交への希望として、正しい歴史を広め、多くの人、とくに若い人を中国に連れてきて日中友好の種を撒いてほしい、ホームページで中国労働運動に関するポジティブな報道をもっと多く宣伝してほしいと要望しました。

 伊藤団長は「周恩来首相の『1894年からの半世紀にわたる日本軍国主義の中国侵略』という指摘を学ぶべく、旅順を含めて東北地方(旧満州)を訪れることにした」と述べたあと、香港情勢に触れ「会員の中には日中友好を損なう言動をとる者もいるが、日中労交の目的は、日中友好の促進であること、友好とは相手を尊重し信頼するものであることを確認し、日中友好交流を続けるための議論をしている」と報告しました。そして「米中貿易戦争が激化する中で、日中友好交流は世界平和を築く上で益々重要になっている。中国の労働組合改革の実践から日本の労働組合を改革する視点を見出したいし、グローバル時代、AI時代における日中労働者の友好・連帯を探っていきたい」と述べました。

中国職工対外交流センターの歓迎夕食会(北京)
中国職工対外交流センター主催の歓迎夕食会(北京)

 歓迎夕食会には、中国職工対外交流センターの彭勇秘書長も出席されました。伊藤団長が「日米貿易摩擦で、為替にしろ、関税にしろ、米国の主張を受け入れたことから『失われた30年』が始まり、日本の労働者の賃金が下がってしまった」と話題を提供し、話が弾みました。

<哈爾浜>

 20日は朝早くホテルを出発し、空路で哈爾浜に向かいました。哈爾濱までの飛行時間は2時間です。ホテルに着いて昼食後、郊外の侵華日軍第731部隊罪証陳列館を見学しました。その後、スターリン公園から松花江を眺め、中央大街を散歩しました。

細菌を川に撒く日本軍(哈爾浜の731陳列館)
細菌を川に撒く日本軍(哈爾浜の731陳列館)

陳列館は1985年に開館し、2015年に新しい陳列館がオープンしました。陳列館の展示は、細菌研究基地の建設、細菌戦部隊の設立、特別移送扱い、細菌研究の実験と生産、細菌戦の実施、731部隊の逃走、細菌戦犯罪者の裁判と系統的に展示されています。731部隊は約3000人の「マルタ」を虐殺しましたが、敗戦を目前にした撤退時に生き残っていたすべての「マルタ」を殺し、建物を破壊して証拠隠滅を図りました。罪証陳列館に多くの遺品が展示されていました。また、本部、研究棟、生物飼育場、農場、飛行場、鉄道駅、宿舎、運動場、小学校まであり、広大な敷地を占めていました。

夜は、黒竜江省総工会の韓嘉彬常務副主席による夕食会がありました。

<瀋陽>

 21日、高鉄(新幹線)で瀋陽に移動しました。高鉄は時速300キロ、2時間30分で瀋陽に着きました。午後から9・18事変陳列館を見学しました。1931年9月18日、柳条湖において鉄道爆破した関東軍は、これを中国軍の仕業と偽り、一気に遼寧省、吉林省、黒竜江省を占領しました。いわゆる満州事変です。その経過が描かれ、日本の侵略に抵抗して闘った抗日軍民の様子が展示されています。

遼寧省総工会の楊忠林主席(右)
遼寧省総工会の楊忠林主席(右)

 夜は、遼寧省総工会の楊忠林主席の歓迎宴がありました。

<撫順>

 22日は、瀋陽から1時間ほどの撫順を訪れました。撫順は、巨大な露天掘り炭鉱があり、石炭の町として有名です。午前は撫順戦犯収容所を、午後は平頂山惨案遺址紀念館を見学しました。

 撫順戦犯収容所は、日本人戦犯約1000人が収容され、教育、坦白、認罪という思想改造が行われたところです。食事、健康にも配慮した生活が行われ、戦犯は処刑されることなく日本に帰国しました。満州国皇帝であった溥儀も収容されていたところです。

 平頂山惨案遺址紀念館は、1932年9月16日、日本守備隊や警察は、抗日軍が日本人を襲撃したことに対する仕返しとして、平頂山村の住民約3000人を野原に集めて射殺し、遺体にガソリンをかけて燃やし、山を爆破して埋めるという虐殺事件の現場に建てられた記念館です。遺骨館には発掘された遺骨がそのままの姿で横たわっていました。折り重なるようになった遺骨には、子供や赤ん坊、妊婦の遺骨もあり、脇にある黒くなった坑木やガソリン缶が惨状をリアルに伝えていました。

<大連>

 23日は、瀋陽から高鉄(新幹線)で2時間ほどかけて大連に移動しました。高鉄は上野駅を模して造られた大連駅まで延伸していました。

大連市総工会の超宏副主席が昼食会を開いてくださいました。

大連現代博物館の展示
大連現代博物館の展示

そのご、大連現代博物館を見学しました。アヘン戦争以後、遼東半島は、渤海の防衛拠点として重要な位置を持ち、清が旅順を開発、日清戦争で日本が旅順を占領、「三国干渉」でロシアが哈爾浜から旅順までの鉄道敷設権を得て大連を開発、日露戦争で日本統治へと目まぐるしく変わります。日本軍国主義の残虐行為を展示するだけでなく、大連の歴史を民衆の視点から「多元文化の交流と融合」と見る博物館の捉え方に敬服しました。近くの星海広場を散策し、景勝地の老虎灘をドライブしてホテルに戻りました。

<旅順>

万忠墓記念館の入り口
万忠墓記念館の入り口

 24日は大連から1時間ほど離れた旅順を訪れました。現在は大連市の行政区だそうです。1894年11月21日に旅順を占領した日本軍は、4日間にわたって民間人を含めて約2万人を虐殺しました。その犠牲者を祭った墓が萬忠墓です。萬忠墓紀念館は、日清戦争の経過と虐殺の様子、その報道、萬忠墓の建立経過が展示されています。日本の中国侵略は、当初から虐殺を伴っていたことが分かりました。なぜここまで残忍なことができるのか? 差別意識とナショナリズムの恐ろしさを改めて考えさせられました。

 昼食後、旅順港を一望できる白玉山に上がりました。大連に戻り、ショッピングをし、ロシア人街を散策しました。

 翌25日、大連から成田に、関西空港に戻ってきました。通訳として全行程を同行してくださった李明亮さんには大変お世話になりました。

 * 掲載写真は、津和崇さんと伊藤彰信が撮影