日中友好の思いを南京から
伊藤彰信(第9次訪中団団長)
2014.12.19
第9次「日中不再戦の誓いの旅」は12月12日から15日までの4日間、南京を訪問しました。南京大屠殺死難者国家公祭に参加するとともに、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館、利済巷慰安所旧址陳列館、ジョン・ラーベ紀念館など南京大虐殺関係施設を見学し、南京師範大学の林敏潔教授ならびに学生と交流してきました。
訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)、副団長=新崎盛吾(日中労交副会長、元新聞労連委員長)、秘書長=中原純子(全労協常任幹事)、団員=松尾直樹(「社会新報」記者)、吉田武人(早稲田大学4年)、工藤優人(立教大学4年)の6名です。
現在、南京大虐殺の幸存者は34名になってしまいました。南京大虐殺をどう伝承していくか、南京紀念館の努力を感じることができました。昨年はコロナ期間中のブランクを取り戻すために交流をつなぐ旅でしたが、今年は受け入れ側の態勢も整い、若い団員の活躍もあり、次の世代に伝えていく展望をつかむことができた旅でした。
以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。
<12月12日(木)>
成田空港を13時に出発し、16時に南京空港に到着しました。直行便が毎日飛ぶようになり、移動時間が短縮されました。南京空港には、中国職工対外交流センターの石晶晶さん、江蘇省職工サービスセンター副主任の盛卯弟さんが出迎えてくださいました。石晶晶さん、盛卯弟さんには全行程を同行して通訳を務めていただき、本当にお世話になりました。
宿泊先の天豊大酒店(南京市総工会が経営するホテル)で劉月科江蘇省総工会副主席が主催する歓迎宴が開かれ、焦勇南京市総工会副主席、庄誠江蘇省総工会弁公室主任、付光宇南京市総工会弁公室副主任と親しく懇談しました。
<12月13日(金)>
南京大屠殺死難者国家公祭に参加するため、8時30分にホテルを出発し南京紀念館に向いました。紀念館の庭園が整理され、日中労交の「誓いの碑」も新しいデザインになりました。国家公祭は10時前から始まり、国家斉唱、黙祷(サイレン)、花輪奉奠、李書らい(石が三つ)・中央宣伝部長の主催者あいさつ、平和宣言(中学生が朗読)、平和の鐘打鐘、放鳩とすすみ30分程度で終了しました。
日本からの参加者が昨年に比べてさらに減り、日中友好団体の代表が5名に絞られる中、別枠で日中労交6名の参加が認められたことは、国家公祭に毎年参加している実績と若い人を連れて行っていることが評価されているのではないかと思いました。
南京市内には虐殺現場20数か所に紀念碑があり、10時から各紀念碑でも追悼式が行われます。そのひとつである長江のほとりの中山埠頭紀念碑を訪れました。献花が置いてあり、テレビ局が取材を続けているところでした。
昼食後、ジョン・ラーベ紀念館を見学しました。その後、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館を見学し、17時30分からの国際平和集会に参加しました。昨年から宗教色が消え、小中学生を中心とした集会になりました。国際安全委員会のメンバーのロバート・ウィルソン医師のひ孫さんがあいさつし、南京紫金草芸術団の小学生が紫金草の歌を歌いました。大型スクリーンを置いてクレーンやドローンを駆使した撮影、デジタル画像を組み合わせた演出は、素晴らしいものでした。
<12月14日(土)>
9時にホテルを出発し、10分ほどで利済巷慰安所旧址陳列館に着きました。陳列館ができて9年目になりますが、年々充実しているように感じました。昼食後、ウィルソン医師が活躍した鼓楼病院の歴史陳列館を訪ねましたが一般公開はされておらず、当時の建物を見て回りました。
その後、南京師範大学を訪ねて林敏潔教授をはじめ日本語学科の大学院生と歴史記憶の伝承について懇談・交流しました。日本人が南京紀念館を見てどのような印象を持つのか、日本では国家公祭について反日意識を高めるために開催していると報道されている、中国人は被団協のノーベル平和賞の受賞をどう思っているのかなど、突っ込んだ話もありました。中国では日本が侵略したことを知っていても日本での強制連行や被爆のことを良く知らない、日本では原爆や沖縄地上戦のことを知っていても中国での虐殺や慰安婦(戦時性奴隷)のことを良く知らない、ということが良く分かりました。
夕方、南京市職工療養所を見学しました。療養所とは保養所のことです。一般にも公開され、会議や宿泊ができる施設です。労働模範になると療養所で休暇を過ごすことができます。療養所で夕食をとった後、近くの金陵小鎮を見学しました。金陵小鎮は六朝時代の南京を体験できるテーマパークで、ライトアップされた夜景がとてもきれいでした。
<12月15日(日)>
ホテルを5時15分に出発し、南京空港8時10分発の飛行機で12時に成田空港に戻りました。