カテゴリー別アーカイブ: JCLIFの活動

日中労交および日中労働情報フォーラムの活動

日中友好労働者シンポジウム報告書

歴史を銘記し、未来に目を向け、

友好交流を促進しよう

日中友好労働者シンポジウム報告書

と き 2018年8月28日
ところ 日壇賓館(北京市)
 主催=日中労働者交流協会・中国職工対外交流センター

報告書の発行にあたって

伊藤彰信(日中労働者交流協会会長)

 このたび「日中友好労働者シンポジウム」を日中労働者交流協会と中国職工対外交流センターとの共催により北京で開催しました。シンポジウムのスローガンは「歴史を銘記し、未来に目を向け、友好交流を促進しよう」であり、回顧、現状、展望とテーマを分けて日中双方が報告し合う形でシンポジウムを行いました。

日中労働者交流協会にとってこのようなシンポジウムを開催することは初めてのことです。昨年12月に南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加する際に北京を訪れ、中国職工対外交流センターの彭勇秘書長からシンポジウムを開こうと提案を受けた時は、開催出来るかどうか自信がありませんでしたが、日中平和友好条約締結40周年にあたる今年に開催する意義は大きいと判断してシンポジウムの開催に向けて努力してきました。

4月の南北首脳会談、6月の米朝首脳会談によって、朝鮮戦争の終結と朝鮮半島における恒久的で強固な平和体制の構築、朝鮮半島の完全な非核化を確認されました。平和五原則と反覇権を謳った日中平和友好条約の意義を改めて確認できると思います。また、日中関係は新段階へステップアップし、新技術の日中協力が進むと思います。AIなど技術革新による「第4次産業革命」といわれる時代は、労働者の雇用と働き方をどのように変えていくのか、そのなかで労働者の権益を守るにはどうすればよいのかということも、これからの日中労働者の交流の重要な課題となるでしょう。

今回の参加者は、地方でユニオン運動を担っている人が多くなりました。シンポジウムでは、連合の路線とは異なる平和運動、労働運動を闘い、中国脅威論を掲げる安倍政権を打倒しようと活動している労働者がいることを強調することができたと思います。また、日本側の発表についても日本側参加者にとって参考になることがありました。

シンポジウムでは討論時間がなくなり十分に「研討」することができませんでしたが、初めてのシンポジウムとしては大成功だと思います。日中労交の活動の過去、現在、未来を語ったことは、日中労交としても今後の日中労働者の友好と交流をすすめる上で新たな出発点になりました。シンポジウムの記録を残しておくことは重要なことだと考え、この報告書を発行することにしました。

日本側の報告については、発言原稿にパワーポイントの図表・写真を組み込んでまとめました。中国側の報告については、シンポジウムで配布された発言要旨を日本側の責任でまとめました。

ウェブ上で公開する報告書になりましたが、訪中の報告・感想なども参照していただき、さらなる、日中両国の労働者の友好と交流に役立てていただければ幸いです。

2018年9月29日(日中共同声明46周年の日に)


 プログラム

*各報告の見出し(ゴチック体・下線)をクリックすれば、報告本文(PDF)が開きます。

 開会あいさつ

江広平(中華全国総工会副主席、書記処書記)

伊藤彰信(日中労働者交流協会会長)

 テーマⅠ 回顧:日中民間交流の歴史

日中労働者交流協会と中華全国総工会の交流の歴史及び活動
(日本)伊藤彰信

中日民間交流を強化することが両国関係の改善に役立つ意義
(中国)文 徳盛

日本人の歴史観及び日本から見た中国
(日本)大城 航

友好往来を促進し、交流を深めよう
(中国)周 利民

 テーマⅡ 現状:中日労働者の重要な活動

中国労働組合の概況と主な取り組み
(中国)李 睿褘

日本労働組合の主な活動
(日本)広岡法浄

職人精神の育成に大いに力を入れ、労働者・
職員の資質を全面的に向上させる
(中国)彭芸

日本社会の現状と労働運動の役割
(日本)春川広司

労働模範の精神に学び、労働模範の手本と引率の役割を果たす
(中国)陳 伶浪

 テーマⅢ 展望:新時代における中日両国労働者の交流と協力の強化

新しい業態における働き方の変化と労働者保護
(日本)千葉雄也

新業態における道路貨物運輸産業の労働組合活動の革新
(中国)劉 路剛

有期ローテーション外国人労働者の権利保護護
(日本)甄 凱

中国科学技術交流センターが日本と交流と協力する概要
(中国)劉 暁燕

 総 括

日中労働者の交流と協力を深めようー展望と提案
(日本)伊藤彰信

中日友好労働者シンポジウムにおけるまとめの発言
(中国)彭 勇


参加者

日本側(15名)

1 伊藤彰信(日中労働者交流協会会長)
2  広岡法浄(三重一般労働組合書記長)
3  千葉雄也(労働運動研究討論集会実行委員会事務局員)
4  平安隆雄(国立木更津工業高等専門学校名誉教授)
5  保田 泉(地域労組愛知ユニオン委員長)
6  門永三枝子(神戸ワーカーズユニオン組合員)
7  前田純一(さかいユニオン執行委員)
8  春川広司(おきたまユニオン書記次長)
9  甄 凱(岐阜一般労働組合第二外国人支部支部長)
10 川中 厚(中国残留日本人孤児を支援する兵庫の会会員)
11 岡崎彩子(憲法を生かす会・ひょうごネット会員)
12 大城 航(沖縄県高教組那覇支部書記)
13 水摩雪絵(葛飾区議会議員)
14 木村匠吾(自治労山形県本部執行委員)
15 野島聡子(全国保険医団体連合会事務局員)

中国側(23名)

1  彭 勇(中国職工対外交流センター秘書長)
2  徐 璐(中国職工対外交流センター副秘書長)
3  文徳盛(中国国際交流協会参事官)
4  彭 芸(中華全国総工会宣伝教育部職工教育処処長)
5  李睿褘(中華全国総工会研究室理論処処長)
6  陳伶浪(中華全国総工会労働と経済工作部労働模範管理処処長)
7  張 偉(中華全国総工会女性労働者部総務処処長)
8  周利民(中国教育科学文化衛生体育工会弁公室主任)
9  劉路剛(中国海員建設工会弁公室主任)
10 劉暁燕(中国科学技術交流センター副研究員)
11 劉元文(中国労働関係学院工会学院副院長)
12 何際霞(中国職工対外交流センター国際連絡処処長)
13 王国卿(中国職工対外交流センター弁公室副主任)
14 宋秀菊(中国職工対外交流センター技術交流処副訳審)
15 満慶生(中国職工対外交流センター技術交流処副訳審)
16 李晶宇(中国職工対外交流センター技術交流処副処長)
17 李明亮(中国職工対外交流センター技術交流処講師)
18 冀永宏(中国職工対外交流センター台湾・香港・マカオ処幹部)
19 石晶晶(中国職工対外交流センター技術交流処幹部)
20 曹英超(中国職工対外交流センター国際連絡処幹部)
21 唐昭羽(中国職工対外交流センター弁公室幹部)
22 彭文卓(工人日報記者)
23 王 鑫(中工ネット記者)

報告書トップページ(PDF)

歴史を銘記し、未来に目を向け、友好交流を促進しよう――「日中友好労働者シンポジウム」(8/27~8/30)参加の報告

 日中平和友好条約締結40周年「日中友好労働者シンポジウム」

日中平和友好条約締結40周年を記念して、8月28日北京で「日中友好労働者シンポジウム」が中国職工対外交流センター(以下「対外交流センター」)並びに日中労働者交流協会(以下「日中労交」)の共催で開かれました。日本から日中労交の15名の訪中団が、8月27日から31日まで北京を訪問し、シンポジウムに参加するとともに、人民網(人民日報のインターネット版)、京東グループ(無人コンビニなど)の職場見学、さらに抗日戦争記念館、故宮、中国国家博物館、藍色港湾(ショッピングモール)の見学をし、中国の歴史、中国の発展する姿を知ることができました。 続きを読む 歴史を銘記し、未来に目を向け、友好交流を促進しよう――「日中友好労働者シンポジウム」(8/27~8/30)参加の報告

関東大震災で虐殺された在日中国人受難者の慰霊式が行われる(9/9)

関東大震災で虐殺された在日中国人受難者の慰霊式(9/9 東京)

今年は関東大震災から95年。大震災で虐殺された在日中国人受難者慰霊式が9
月9日、関東大震災中国人受難者を追悼する会の主催で執り行われた。同会の共
同代表は、田中宏(一橋大学名誉教授)、林伯耀(旅日華僑中日交流促進会)で
ある。慰霊式は今回で6回目になる。例年は東京都慰霊堂で行われていたが今年
は会場の都合により全水道会館で行われた。
関東大震災では朝鮮人の虐殺、日本の社会主義者の虐殺は知られているが、中
国人の虐殺はあまり知られていない。名簿に記載されているだけでも750名以上
の虐殺が記録されており、中国人労働者の権利擁護に尽くし、被災後は救援にあ
たっていた僑日共済会の王希天会長も陸軍将校に密殺されている。 続きを読む 関東大震災で虐殺された在日中国人受難者の慰霊式が行われる(9/9)

「盧溝橋事件81周年 明治150年徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視しアジアに平和をつくる集い」を東京で開く(2018/7/5)

盧溝橋事件81周年 明治150年徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視しアジアに平和をつくる集い

7月5日、東京文京区民センターで1937年7月7日の盧溝橋事件から81年を前に「盧溝橋事件81周年 明治150年徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視しアジアに平和をつくる集い」が開かれ、約300名が参加した。

藤田高景さん
市来伴子さん

市来伴子(杉並区議)の司会で始まった。最初に主催者の村山談話を継承発展させる会代表の藤田高景さんが、2500万人の中国人の犠牲者を出した日中戦争を教訓としてアジアの平和と共生をめざしていきたい、と開会のあいさつを述べた。特別報告の一番目に、田中宏さん(一橋大学名誉教授)が安倍政権による国家権力の乱用を許さない!「ビザ発給拒否・集会妨害裁判闘争」の支援の訴え。二番目に、佐戸恵美子さん(過労死家族会、2013年に過労死された元NHK記者・佐戸美和さんの母)が「過労死の繰り返しを許さない」と訴えた。三番目に、王選さん(NPO法人 731部隊細菌戦・資料センター共同代表)が「日本政府は細菌戦の事実を認めて、謝罪せよ」と訴えた。

田中宏さん
王選さん

 

 

 

 

纐纈厚さん

基調講演として纐纈厚さん(明治大学特任教授・前山口大学学長)が「『明治150年』に隠された日本の侵略思想を問う!」と題して報告した。1868年の明治維新から2018年の現在までの150年は1945年の敗戦を挟んで前後期に分けられる。この前後期は戦前の日本帝国と戦後の日本国憲法の時代が連続とみるか、断絶しているとみるか、見方が分かれるが、纐纈さんは連続していると判断する。それは、侵略思想に彩られた悪しき日本であると批判する。吉田松陰に始まり福沢諭吉の「脱亜入欧」の思想に導かれ、1874年の台湾出兵に始まり、1894年日清戦争、1904年日露戦争、1931年の満州事変、1937年の盧溝橋事件で日中全面戦争に突入し、その延長上に対英米蘭(1941-1945)戦争へと「戦争が戦争を生む」歴史構造を形成した。戦後、戦争は中国に敗北したが、降伏はアメリカに対して行われた結果、支配層はアメリカに従属することによってアジアに対する侵略の反省と謝罪を行わないことになった。

そのことはドイツがヨーロッパ各国に対して侵略戦争の反省と謝罪を行ったことと対照的である。元ドイツ首相シュミットが「日本はアジアに友を持たない」と言ったことが象徴的だ。
「近代日本国家に孕まれた軍事体質の象徴的表現として日中戦争がある。日本敗北は近代日本国家の生成発展過程に孕まれた負の結果であり、日本はアメリカにではなく、中国(アジア)に敗北したとする歴史認識を逞しくする必要がある」。その実証として、対中戦争に対英米戦争(南方)よりも1941年から1945年の敗戦時まで兵力も資金も圧倒的に多く費やしていた事実を示した。そして、作家の五味川順平の「よくいわれるように、対中国戦争はズルズルはじまり、拡大し、ついに敗北した。その敗北も、国民の意識では米英ソに負けたかもしれぬが、中国には絶対に負けなかったという信仰を失わせはしなかったと思う」を引用しながら、中国に対して「敵」という意識の不在、人間として見ていなかった。それゆえ、日本軍は中国人に「三光作戦」として残虐な行為を行った。最後に日本は中国(アジア)の人民の反帝国主義の闘いに敗北した事実を深く胸に刻むべきであろう、と話した。

伊藤彰信さん

最後に伊藤彰信さん(日中労働情報フォーラム代表)が次のような閉会のあいさつを行った。今、朝鮮戦争が終結を迎えようとしている。冷戦構造が終り、日中平和友好条約40周年を迎える中で、平和5原則と反覇権の思想をもとにアジアの平和に向かって共に努力しよう。

<報告と写真・高幣真公>

日中労働情報フォーラム第6回総会(4/14)開催――8月に「日中友好労働者シンポジウム」を開催

会員の皆さん、ご苦労様です。

昨日、日中労働情報フォーラム第6回総会を開催しました。国会前の「安倍退
陣」行動に参加された方も多く、総会参加者は8名でした。

総会は、2017年度活動報告、2018年度活動方針(案)、2017年度決算報告、
2018年度予算(案)を提案通り承認しました。役員選出では、全員留任するとと
もに、新たな運営委員として伊藤光隆 (元東京教組執行委員)、福元勇司 (沖
縄高教組委員長)(要請中)、和田隆宏 (都労連書記長)(要請中)、渡辺学
(全国一般東京南部執行委員)を選出しました。

8月に開催する「日中友好労働者シンポジウム」について話し合いました。特
に問題となったのは、応募者が定員の15名を越えた場合どうするかということで
す。今後、労働運動に貢献するであろう人を優先すべきだということになりまし
た。したがって、15名をオーバーした場合には、調整させてもらうことしました。
先着順ということになりませんので、締め切りを5月末日にしました。

航空便については、15名まとめて団体割引にするのはどうか、参加者全員が顔
を合わせることがないので、出発前日に大阪で結団式をしてはどうかという意見
がありました。大阪までの移動費用、宿泊費を考慮すると負担が大きいというこ
とになり、東京、大阪から出発することにしました。なお、帰国時の北京からの
航空便は、遅い便に変更することにしました。

参加者の理解を深めるために、2回の学習会を開催することにしました。第1回
目は、日中労交、中国の現状について、2回目はシンポをどうするか、何を期待
するかについて討論することにしました。シンポ参加者以外の方も参加していた
だいて、中国に対する理解を深め、知りたいことについて共通認識をつくってい
きたいと思います。日中労働情報フォーラムの活動家を育てる重要な活動になる
と思います。東京では、6月24日(日)、7月22日(日)に開催することを決定し
ました。大阪でも開催したいと思います。
そのほか、北京での訪問先について、希望を出し合いました。職場見学という
より、職場訪問・交流ができたらと要望がありました。

(報告:伊藤彰信 )

「中国・北朝鮮脅威論を超えて 3・28緊急市民集会」ご案内

安倍政権は秘密保護法・戦争法・共謀罪の強行成立や憲法改悪への策動など、日本を平和・民主国家から戦争・警察国家への転換・戦前回帰という極めて危険な方向に国の形を変えようとしている。朝鮮半島危機を最大限に政治的に利用・扇動しながら、悲願の憲法改悪を強行しようというのが安倍政権の軽薄な“戦略”だ。
中国や北朝鮮を敵視する「安倍歴史修正主義政権」は、アジア諸国との緊張をいたずらに高め、この地域に再び戦火を招こうとする米国の軍産複合体の恰好な餌食となっている。
日本を代表する学者・ジャーナリストが、安倍首相の戦争政策の馬鹿さ加減を暴露し、日米安保条約を基盤とする日米軍事一体化論ではない、東アジアに平和で繁栄をもたらす構想を明らかにしたいと考えている。
日本の国益を損なう安倍政権の退陣を訴える緊急市民集会に皆さまのご出席をお待ちしております。

中国・北朝鮮脅威論を超えて 3・28緊急市民集会
――東アジア不戦共同体の構築を目ざして――

日 時 2018年3月28日(水) 16:30~19:30(開場16:00)

会 場 衆議院第一議員会館・B1・大会議室
16時から衆議院第一議員会館のロビーで、入館カードを配布します。
当日は、満席が想定されますので、早めのご来場をお願いいたしす。

主 催 村山首相談話を継承し発展させる会
共 催   東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会

◆ 資料代 500円

◆ 内 容
プレイベント 歴史紙芝居「赤い夕日」(9・18柳条湖事件 竹内洋子)
モデレーター 木村朗(鹿児島大学教授)
主催者挨拶  藤田 高景(村山首相談話の会・理事長)
連帯の挨拶  福山真劫(平和フォーラム・共同代表)
立憲野党からの連帯挨拶
講 演
1 高野孟(ジャーナリスト・インサイダー編集長)「台頭する中国脅威論と東アジアの平和」
2 李鍾元(早稲田大学大学院教授)「切迫する北朝鮮問題と東アジアの平和」
3 前田哲男(軍事評論家)「安倍政権の対北敵視政策がもたらす悪夢――『朝鮮戦争』から何を学か」
4 柳澤協二(元防衛庁官房長)
5 成沢宗男(「週刊金曜日」編集部員)「米国の対北朝鮮核攻撃計画――ICBM実験に端を発した危機の根本要因とは何か
総括発言  進藤榮一(筑波大学名誉教授)

申 込
E-mail  murayamadanwa1995@ybb.ne.jp
恐縮ですが、上記のメールアドレスまで、大至急、出席申し込みをお願いいたします。消防法の関係で会場は300人しか入れませんので定員になりしだい締め切らせていただきます。

●なお、終了後、講師の先生方を囲んで、近くのレストランで懇親会(飲み放題がついて会費2500円)も開催いたしますので、あわせてご出席をお願いいたします。このレストランは、30名定員ですので、あわせて事前にお申し込みいただければ幸いです

    資料: 中国・北朝鮮脅威論を超えて 3・28緊急市民集会の案内チラシ

白西伸一郎さんを偲ぶ会(2018/2/27)

白西伸一郎さん(左)人民大会堂にて習近平国家主席と(2012年)

「白西伸一郎を偲ぶ会」が2月26日、パレスホテル東京で行われました。白西さんは、日中協会の理事長として永く日中友好活動を続けられてきた方です。昨年10月7日、出張中の大阪で急逝されました。77歳でした。

白石さんは、日中労働情報フォーラムの会員でもありました。総会や望年会にも出席されて中国に関する話題を披露してくださり、私どもの活動を見守ってくださいました。50年間で約600回近く中国を訪問し、何よりの中国通でした。
偲ぶ会には約400人が出席し、日中協会の野田毅会長(衆議院議員)、駐日中国大使館の程永華大使、中日友好協会の会長(周副秘書長が代読)がお別れの言葉を述べました。その後、故人を偲んで懇談しました。
白西さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

伊藤 彰信(日中労働情報フォーラム代表)

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館から農暦新年のごあいさつ

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館から農暦新年のごあいさつ

 

謹賀新年

2018年農歴春節を迎え、謹んで新年のお慶びを申し上げます。

皆様のご支持とご協力の元で、80年の重い歴史を背負った2017年の南京大屠殺死難者国家追悼式を無事終えました。

2018年は『中日平和友好条約』が合意40周年です。新たな年に、私たちは歴史を忘れず、未来を開こうとの使命感を持ち、展示、教育、交流などの方式で中日友好のために更なる固い基盤を作っていくと決意しています。

窓際から蝋梅の匂いが漂って来て、まだ寒い時期ですが、春風の吐息が近くに来ていると感じています。中日両国の未来のために、もっと多くの日本の方が記念館に来られることを歓迎し、またお会いできることを期待しております。

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館館長 張 建軍

2018年2月16日

日中労働者交流協会 第4次「日中不再戦の誓いの旅」 報告(3)  相沢瑞男

私は、日中労働者交流協会の第4次「日中不再戦の誓いの旅」訪中団の一員として、2017年12月11日から15日まで、中国を訪問して来ました。

中華全国総工会との交流

中国職工対外交流センターとの交流

12月11日、羽田から北京に向かいました。飛行機が中国大陸に入ると窓からは、PM2.5と思われる黄色い空気の層が見え、予想はしていたが相当なものだなと感じ、これからの中国での生活に不安を予感させました。しかし、北京が近づくにつれて空気が澄んできて、きれいな青空が見え不安が杞憂だったと感じました。あとで、通訳をしてくれた石さんから聞いた話しでは「北京市では、冬場の石炭による暖房を取りやめ、集中暖房方式をとることにより、空気が清浄化され心配がなくなった。」とのことでした。事実、石さんが持っていたスマホでPM2.5の値を見てみると、14で東京と変わらない状況に安心しました。
予定時間より30分ほど送れて、12時ごろ北京空港に到着しました。空港には、総工会から査良青さんと石晶晶さんが出迎えてくれました。私は、30年前に平壌に行くために北京に立ち寄りました。その時は、空港建設中で大混雑していて、空港から中心街に向かう道も高速道路などなく自転車があふれていて混沌としているなという印象でした。それが今回は、空港は洗練された大空港で、道路は高速道で片道4車線で目を見張るものでした。
40分ほどで総工会本部に到着しました。本部ビルには、3つのホテルが併設されていて巨大組織なんだということが理解できました。休憩のあと、総工会と交流を持ちました。
16時から総工会の会議室で本部の彭勇秘書長以下7名の方々と交流をしました。緊張して参加しましたが、中国総工会の方々はとても友好的で、しかも全員が日本語を流暢に話していて、日本で交流しているのと変わりない状況でした。
始めに、日中労働者交流協会の伊藤彰信団長より「日本軍の南京大虐殺から80年の今年、私たちはしっかり改めて学習するために、日中不再戦の旅を企画した。安倍は二枚舌を使い憲法9条の改悪を狙っている。沖縄の先島諸島に自衛隊を配備して東アジアの緊張を高めている。10月の総選挙では自公の圧勝でしたが運動の後退とは考えていない。憲法9条の改悪を許さない闘いを強めたいと考えている。」と挨拶をしました。

総工会からは彭秘書長が「皆さんを熱烈歓迎する。北京・天津・南京で有意義な交流をして、中日の交流を強め、過去の歴史を直視し未来への発展へ繋げていきたい。今年は中国共産党第19回大会があり、その報告をしたい。大会では、習主席より中国の最新状況と未来への課題が報告された。そして、中国の特色ある社会主義と小康社会の全面的決戦の勝利をめざすことを採択した。それで『革新、開放、発展、調和、みどり』を旗印に人民生活の格差をちぢめる。そのことで環境にやさしい美しい社会主義の実現を達成する、ことを決定した。
また、歴史を振り返ると中日間には3000年の関係がある。2000年間は友好の歴史だったが、清日戦争からの50年では、中国は侵略され、大きな被害を受けた。日本は広島・長崎に原爆が落とされ、唯一の被爆国としての被害国としての側面を強調してきた。しかし、中国をはじめとする東アジア諸国への加害国としての側面は隠してきた。この両方の歴史を直視し、これから両国が平和で友好関係を継続するためには、若い世代のシンポジュームなどを開催することが大切だと考えている。協力していきましょう。」との歓迎の言葉がありました。その後、双方自己紹介など有意義な交流ができました。

中国職工対外交流センターの歓迎宴

交流後は、ホテルの夕食会場に移動し、総工会から歓迎の宴を催していただきました。

在日殉難烈士老工記念館見学

次の12日は、天津の在日殉難烈士老工記念館を見学するために、北京を後にしてバスで向かいました。北京から天津までは、耕地が広がり中国の広大さの一端を垣間見ることができました。高速道を3時間程かって記念館に到着しました。

中国殉難烈士記念館入口

在日殉難烈士労工記念館(今後は記念館と記)は、中日戦争時に日本軍により4万人ほどの人々が強制連行され、主に日本の鉱山などで過酷な強制労働を強いられた歴史を記録する施設であり、日本で虐殺されたり病死したりした同胞を慰霊する施設でした。記念館は以前、天津港近くにあったそうですが、より充実したものにするために現在地に2006年に移設したそうです。記念館内部の展示は、1931年からの戦争・強制連行・抗日闘争・帰国、遺骨帰還・賠償請求などの歴史を6つのコーナーに分けられ誰もが理解できるように展示されていました。
また、当時の人々がどのような所に押し込まれていたのかも理解できるように「寝床」なども再現されていました。説明文は中国語の下に日本語・英語でも書かれてあり、日本人にとっても理解しやすいものでした。その中には、日本の教科書記述の変遷・改悪状況にも触れてあり、日本のことを研究して記録されていると感じました。

花岡事件記念碑

その中で、私は秋田花岡鉱山での蜂起暴動についての展示に興味がひかれました。展示を見て、私の花岡事件についての理解は皮相的なもので浅いんだなと反省させられました。それにしても、強制連行にかかわった企業が現在も大手ゼネコンとして君臨している日本の状況に怒りそして暗澹とさせられる気持ちになりました。見学には、天津市の総工会の方々に付き添っていただきました。見学後の市内見学にも同行をしていただき感謝のしようがありません。

昼食後、天津駅から高速鉄道(新幹線)で南京に向かいました。駅では、日本の空港のように厳しいセキュリティーチェックがあり、常に警戒を怠らないんだなと感じました。列車の中では、東京清掃労組OBの押田さんと同席になり、押田さんがインドやバングラデシュで清掃労働のあり方を交流していることなどの話を聞きました。私などには真似のできない活動をしている人がいるんだと感心しました。列車は時速300kmで4時間以上かかり、中国の広大さをあらためて感じました。南京駅には江蘇省総工会の高華さん、朱輝さんが出迎えてくれました。夜にもかかわらず申し訳ない限りでした。

南京大虐殺遭難者国家公祭儀式参加

13日は、1937年12月13日に日本軍が南京に侵略し30万人の中国人民を虐殺した日です。以前は南京市主催で行っていた追悼儀式を4年前から国家公祭として国主催で行い、世界遺産登録を行っているとのことでした。10時からの国家公祭ですが、1万人追悼儀式ということで、緊張して6時前には起きて、開会の2時間半前にホテルを出発しました。南京市内の様子はどこにでも見られる通勤の様子でしたが、道々には「国家公祭」の黒い幟が並び、警備の警察官がそこここに警戒していて、追悼儀式の日なんだと理解できました。それもそのはずで、儀式には習主席をはじめ中国の政府関係要人が出席すると言うことで厳戒態勢になっていました。

国家公祭儀式場

国家公祭の会場は、「南京大虐殺遭難者同胞記念館」の広場で、会場近くには出席者が乗った多くのバスで渋滞でした。私たちは、大阪の銘心会の方々と一緒のバスでした。会場に入るには、空港以上のセキュリティーチェックがあり、パスポート・貴重品以外、携帯・カメラなど一切の物の持込が禁止されていました。会場に入ると、前列には各国大使館員、小中学生、警察・軍隊の学生、市民がきちんと整列していました。私たちは、中ほどに整列し周りには、日本からの参列者も多数見受けられました。
その中で、私の隣には、熊本からの参加者の一人が「父が日本陸軍第6師団の一員として南京侵略に関わっていた。父はそのことを克明に日記に残していた。私は父が生きていたとき、どうして虐殺なんかしたんだ。中国の人たちにどう謝罪するんだ。と責め続けた。父はなにも反論をしなかった。」と語り「私はとても南京を訪問できるとは思っていなかった。しかし、日記が何かの役に立つかと考えて記念館に連絡をした。そしたら、ぜひ寄付をしてほしい。国家公祭にも参加してほしい。と言うことになり、今日来ている。」と話してくれました。日本からもいろいろな経過、思いを持って参加している人がいるんだと思いました。
儀式は、10時にサイレンの合図で黙祷し、国歌斉唱で始まりました。儀式では、習主席が演説をすると思われていましたが、兪政治局員が行いました。要旨は「歴史を銘記し、烈士をしのび平和を愛し、未来を開く中国人民の堅固な立場を示し、平和的発展の道を歩む崇高な願いを厳かに表明する。」と言うものでした。話は横道にそれますが、南京で宿泊したホテルは元名鉄資本で作られたとかでスタッフの中には、日本語ができる方もいました。また、部屋のテレビではNHKの国際放送が入っていて、日本語が聞こえることで安心もしました。そのNHKのニュースで要旨を説明し、習主席は日本に配慮して演説をしなったのではないかと解説をしていました。おごそかな儀式は、大きな花輪の顕花、平和の象徴の鳩の放鳥などがあり40分程で終了しました。
その後、ホテルに戻って休憩して、午後は記念館の見学をしました。

日本軍南京大虐殺遭難者同胞記念館見学

南京大虐殺記念館入口

13日午後は記念館の見学をした。記念館は、国家公祭のため閉鎖されていましたが、外国人には解放するということで、ゆっくり見学することができました。記念館は国家公祭が行われた広場の地下に展示室が作られていて、少し暗がりの状態での見学でした。展示室はいくつものコーナーに分けられていて、中国語の下に、英語・日本語の解説がつけられていて日本人に理解しやすいように工夫されていました。展示内容はとても1・2時間では見つくせない内容で、当時を再現したコーナーや遺品、そして遺骨もありました。また数箇所には、欧米のマギー牧師らが隠れながら撮ったフィルムが上映されていました。とても正視できない内容でしたが、しっかりと見て心に刻んできました。
この映像こそ「南京大虐殺はなかった」なんて言っている、安倍をはじめとする日本会議の人にこそ直視してほしいものだと強く思いました。また、私たち日本人は過去の歴史としてではなく、憲法9条が改悪されるかもしれない今だからこそ、訪れて見学する必要があると思いました。見学には、欧米の方々も多くいました。見学の後、
記念館の庭に、2009年に日中労働者交流協会が設置した「日中不再戦の誓い」の碑を見学しました。あらためて、日中ばかりでなく世界の平和・友好発展を誓いました。
夜は記念館の中庭でキャンドル祭がありました。南京の市民・小中学生と共に南京大虐殺時の生存者、家族、マギー牧師やシーメンス社の南京支社長だったジョンラーベさんのお孫さんたちも出席していました。また、日本からの仏教僧侶の方々の読経などがありました。

 利済港「慰安所」旧址陳列館見学

利済港「慰安所」旧址陳列館

14日は朝から冷たい雨でした。「慰安所」見学の涙雨かと思いました。
「慰安所」は利済港近くの路地の奥まったところにありました。ここでも入場するときは厳重なセキュリティーチェックがありました。また、入場制限があり一日に200人まで、14歳以下は入場禁止にしているとのことでした。1945年、日本軍が敗走したあとは、中国の一般人民が住居として使用していたために、存在は知られていましたが確認はできていなかったそうです。しかし、2003年韓国人「元慰安婦」の朴さんが南京を訪れた際、この場所を確認してその存在が確定されたとのことでした。その後、整備され2015年から「南京利済港慰安所旧址陳列館」として公開しているそうです。内部は、6畳ほどの小さな部屋がいくつも並び、いくつかには逃亡ができないように屋根裏に寝起きする場所を作り、夜は登るはしごをはずすしかけを作っておく「周到さ」でした。さまざまな生活用品とともに軍の通達文書、検査器具なども展示してあり、日本軍が管理・経営していたことは明らかです。

旧慰安所の説明

安倍などが「韓国旧慰安婦」問題で「日韓合意」云々「なんど謝ればいいんだ」など暴言を発していますが、気持ちのない言葉だけの謝罪はなんどしても意味がありません。安倍には「ここも見学しろ」と言いたいと感じました。

江蘇省総工会との交流

14日の「慰安所」見学の後、江蘇省総工会の本部ビル会議室で井良強江蘇省総工会副主席をはじめとする7人の方々と交流をしました。交流には、教員関係の工会(教職員組合)から江蘇省特殊教育師範学院から2名の教員の方が参加していました。私も障害児学級担任をしていたこともあり、中国の障害児教育に興味がありました。
始めに井副主席から「日本から、国家公祭の日に南京にこられた皆さんは、友達であり感謝している。このような友好から、中日関係の友好発展に寄与されることを願っている。江蘇省は中国東南に位置し人口8000万人で、発展レベルは高い。全国でも重要な所となっている。長い歴史、重要な位置で経済も発展している。また、文化、観光の地としても有名である。総工会は全国組織の支部であり、会員は2300万人になっている。そのうち女性は960万人である。中国共産党指導のもと、19回代表大会の習主席の理論を堅持して取り組み豊かな成果をあげている。
日本は、第2次世界大戦時、誤った教育のため大きな犠牲をアジア諸国にもたらした。安倍など右翼勢力は歴史をゆがめている。道徳が子どもたちに正しい方向を示さなければ、未来はありません。幸いなことに、日本には皆さん方のような正しい運動をしている方々がいる。このような行動が、両国人民の友好関係の未来が正しい道に進むことを確信している。中国は改革開放政策で大きく発展をした。この発展は日本にとっても、大きなチャンスとなる。だから、中日は協力と友好に努め、中国の発展は日本を脅かすものではなく、共に発展する有意義なものとなる。」との歓迎の挨拶がありました。
そのあと、孫教育科技工会副主席から江蘇省の特殊教育事情の説明がありました。「江蘇省特殊学校は101校あり、13000人あまりが学習している。視覚・聴覚・知的・その他に分けられていて独立した学校になっている。小・中学校の入学率は96%で20あまりの高校もあり600人が通学している。教育レベルは高く、特殊教育システムの一層の向上を目指している。」との話がありました。その後、日中教育状況の交流になり、福元沖縄高教組委員長から「日本では、教員の長時間労働、精神疾患が大きな問題になっていること。」などの報告をしました。それに対し孫副主席から、「中国では、教員には残業と言う概念はない。子どもを教育する特殊な仕事で、中国でも朝から夜まで一生懸命働いているが、使命と考えている。」と「ただ、日本の問題を聞いたが、将来的には中国の問題ともなり得る。検討をしておかなければと思う。」との話がありました。その後、教育問題から障害者・人種差別の問題の話になりました。最後に、伊藤団長より「差別の最たるものが戦争だ。世界から差別・偏見・蔑視をなくし平和な世の中にしましょう。」という言葉で交流が終わりました。そのあと、江蘇省総工会の皆さんからの歓迎の宴を開いていただき、楽しい有意義な交流ができました。
今回の交流では、全国総工会の石晶晶さんには、北京から通訳ばかりではなく私たちの生活全般にわたりお世話いただきました。南京では、江蘇省の高華さん朱輝さんに大変お世話になりました。

相澤瑞男(宮城県教組OB)
掲載写真も筆者撮影

<参考>
▽ 第4次「日中不再戦の誓いの旅」報告(1)伊藤彰信
▽ 第4次「日中不再戦の誓いの旅」報告(2)渡辺学

第4次「日中不再戦の誓いの旅」報告(2)・渡辺学

侵略の歴史と戦後の日中友好運動の長い伝統を認識

渡辺学(全労協青年委員会代表・全国一般南部支部)

 個人的にもはじめての中国訪問でしたが、今回の日中不再戦を誓う旅(第4次「日中不再戦の誓いの旅」2017/12/11~15)に参加できて本当によかったです。南京大虐殺から80年目の12月だったということ、安倍政権が憲法9条改悪を具体的な政治日程にあげてくるなかで、かつての日本軍による侵略の歴史と戦後の日中友好運動の長い伝統を感じ、その大切さを認識することができました。

 <天津の在日殉難烈士労工祈念館>

在日殉難烈士労工に供花(2017/12/12 天津)

2日目(12/12)に訪問した天津の在日殉難烈士労工祈念館の展示は驚きと怒り、感動がありました。花岡事件など強制連行されてきた中国人労働者の暴動決起。残虐な弾圧。戦後補償を要求した裁判闘争と日中の連帯。中国共産党の支部を建設して活動した労働者もいたとのこと。
そのたたかいに決起した労働者たちはどんな気持ちで、どんな計画で活動していたのか?知らないことばかりです。あらためて勉強し直してみたいなと思いました。
中国人労働者の強制連行にサインをしたのは東条英機内閣の商工相・岸信介でした。安倍首相が尊敬してやまない祖父です。閣議決定によって強制連行された中国人労働者は日本の鉱山や港湾、工場、土建などの現場で奴隷労働を強いられました。かつて、山谷や釜ヶ崎などの寄せ場で活動した船本洲治(1945-75)が「われわれは強制連行された朝鮮人労務者・中国人労務者の中に労務者としての歴史的・普遍的な運命をみる」を言いましたが、労働者・労働組合として、戦争責任や戦後責任を考える時に重要な視点であることを再確認することができました。
その労働者の帰還運動や遺骨返還運動を1953年から行ってきたのが、日本赤十字や宗教団体、炭労や全港湾などの労働組合だったそうで、日中労働者友好運動の原点のひとつだという言葉が心に残りました。

 <南京大虐殺国家公祭>

南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加した団員(2017/12/13 南京 )撮影:渡辺学

3日目(12/13)は南京大虐殺国家公祭に参加しました。習近平主席ら中央政府要人が来ているというので、警備はものものしく、参加者も兵士や人民解放軍の幹部候補の学生、警察の幹部候補の学生などが多く、まわりを固めていて、個人的にはいやな雰囲気でした(笑)。毎年そういうわけではないようです…。
そうしたなかで、式典は大虐殺の幸存者(生存者)の方たちも参列し、厳かに儀式が行われました。今年は習近平主席は演説はせず、政治協商会議全国委員会の兪正声主席が演説しました。安倍政権発足以来、ようやく好転しつつある日中関係に配慮したもののようです。当時、南京に滞在していたジョン・マギー牧師やジョン・ラーベの孫も参加していました。日本からも地道に日中友好運動と南京大虐殺の真相究明に取り組んできた団体が参加。わたしたちもその一団でした。現場で何名かの知り合いと再会できたことも偶然でうれしいことでした。ニュース映像にもたくさん登場したようです。2014年の習近平演説は日本語で読むことができますが、日本軍国主義と日本人民を分けて考える姿勢を堅持しつつ安倍政権に釘をさしています。夜はキャンドル祭が南京市内の各所で開かれました。わたしたちは記念館のキャンドル祭に参加しました。日中の宗教者たちが祈りを捧げていました。

南京大虐殺記念館で行われたキャンドル祭(2017/12/13 南京)撮影:渡辺学

 <中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館>

南京大虐殺記念館内の展示(2017/12/14 南京)

国家公祭とキャンドル祭の間、午後の時間帯に中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館を見学しました。南京大虐殺犠牲者の遺骨発掘現場に建てられた施設です。ちょうど80年前、南京攻略戦(包囲―殲滅戦)の過程で、あのすさまじい民衆虐殺を行ってしまった日本人の子孫として、二度と侵略戦争をさせないとあらためて決意しました。
一方で、資料館のなかには「国が弱く、軍隊が弱かったからこうなった」という趣旨の「歴史の教訓」もあり(大多数は世界の人々のと平和友好の先頭に立とう、というものでしたが)、複雑な気持ちになりました。しかし、安倍政権の「戦争する国」づくりは、中国政府からみたら、「人民を守る強い国家・軍隊」が必要だということになってしまうことはたしかです。資料館は中国共産党直轄の施設なので、その時々の情勢によって展示内容が変わります。そういう意味でもろに「政治的」なのです。
80年前、7月7日にはじまった 日中全面戦争。8月に、上海から南京(約300キロ)への本格的な進撃を開始した日本軍は、中国側の猛烈な抵抗に苦戦し、4ヶ月後にようやく南京を占領(12月13日)。宣戦布告はなく、「北支事変」「支那事変」と、わい小化して呼ばれました。さらに、戦争遂行の目的は「暴支膺懲」などとされ、「暴戻支那(ママ)ヲ膺懲ス」(暴虐な中国を懲らしめよ)と、近衛文麿首相が声明を出しました。

南京大虐殺記念館内の展示(2017/12/14 南京)

当初の日本軍の作戦計画は、上海付近の中国軍を撃破するというものでした。ところが、3ヶ月の激戦の末に、上海の戦線を突破し中国軍が後退をはじめると、功にあせった現地司令官たちは南京入りを競い合って、次々と陸軍参謀本部が設定した「制令線」(指揮命令線)を越えていきました。そのため、南京に急進した各部隊はじゅうぶんな後方補給施設をもたず、食糧などを徴発=略奪でまかないました。すでに、上海~南京の300キロの地域で、日本軍は略奪、虐殺、レイプ、放火などを行っていました。そして、日本軍は南京を完全包囲し、殲滅戦を行いました。12月12日に南京防衛軍の唐正智司令官は南京を脱出。日本軍は南京を占領し、そこから2ヶ月に渡って、国際法で禁止されている捕虜の集団虐殺、非戦闘員への虐殺、レイプや放火、略奪をしていきました。

 <まごうことなき侵略戦争であった>

これが歴史の事実です。中国側は犠牲者を「30万」としていますが(これはこれで根拠がある)、1人だろうが、100人だろうが、1万人だろうが、外国から押し寄せてきた軍隊が捕虜や非戦闘員を殺せば虐殺です。南京大虐殺の事実は、沖縄戦などとならび、日本軍=神聖な天皇の軍隊の正統性を根本からゆるがす汚点です。だから、日本の極右勢力は「あれはまぼろしだった」などと歴史を歪曲するのに躍起です。歴史教科書からも抹消していきます。
当時から、国際世論はこの日本軍の蛮行を非難していました。しかし、日本政府は厳しい言論統制、報道統制を敷き、日本国民にこの事実を知らせないようにしました。多くの日本人は「南京陥落」を喜び合い、提灯行列までしました。歴史を直視し、あの戦争が日本による「正義の戦争」「解放のための戦争」では絶対になく、まごうことなき侵略戦争であったことを対象化していきたいと思います。

 <日中不再戦、日中平和友好、反覇権の誓いとともに…>

日中労交(日中労働者交流協会)が建立した南京大虐殺祈念館の敷地内にある碑文にある「われわれは1931年および1937年を契機とする日本軍国主義の中国侵略戦争を労働者人民の闘争によって阻止し得なかったことを深く反省し、南京大虐殺の犠牲者に対して心から謝罪するとともに、哀悼の意を表し、ご冥福を祈ります。
われわれは、日中不再戦、反覇権の決意を堅持し、子々孫々、世々代々にわたる両国労働者階級の友好発展を強化し、アジアと世界の平和を確立するため、団結して奮闘することをあらたに誓います」という誓いをかみしめました。

 <利済巷慰安所旧址陳列館>

利済巷慰安所旧址陳列館(2017/12/14 南京)

4日目(12/14)は南京市内にある利済巷慰安所旧址陳列館へ。ここで慰安婦として働かされていた女性の証言をもとに「南京市内の慰安所」として使われていたこの場所を「再確認」し、資料館とした場所です。アジア太平洋地域やヨーロッパなどに住む元日本軍慰安婦の被害女性たちの記録や2000年の女性国際戦犯法廷などの展示が充実していました。日本右翼の襲撃訪問を警戒してか、入場にはパスポートが必要で、ライターなども受付で預けなくてはなりません。ここも多くの人に訪問してもらいたいです。案内してくれた女性たちも「とても辛い場所なので自分からは行きたくはない。それでも来れてよかった」と言っていました。

 <若い世代に歴史を継承していく学習や議論を>

今回の訪中で、あらためて歴史認識を確立することの大切さを痛感しました。そのためにわたしたちやわたしたちよりもっと若い世代に歴史を継承していくための学習や議論を重ねていくことが求められていると思います。また、同世代ふくめて「中国の人たち」と語り交流したことも大きな財産になりました。この人たちやこの人とつながる人たちと戦争するわけにはいきません。

天津ー南京の高速鉄道車内での渡辺学さんと通訳の石晶晶さん

通訳兼ねて同行してくれた女性は、わたしとほぼ同じ年頃の子どもがいます。出張で家を留守にしているため、夜は中国版・lineでビデオ通話をしていました。北京や南京など、都市部では保育園不足が深刻で本当に困ってる早期に改善しなければ、と意気込んでいました。 わたしより少し若い彼女は、偽「満州国」のあった黒竜江省に実家があり、友だちには残留孤児の孫もいたそうです。天津から南京に向かう高鉄(新幹線)の中で少し話し込むことができました。中国共産党第19回党大会決定についてもレクチャーを受けました(笑)。北京市内の大学に進学し、「日本語をいかせる仕事を」と中華全国総工会に就職したそうです。こちらが答えにくい質問をしても誠実に、丁寧に、自分の言葉で答えてくれました。
彼女によると、習近平はたたきあげの苦労人だと。前の胡錦壽が共青中央からはじまったのに比べて、習近平は父親が抗日戦争や国共内戦で活躍した将軍だったのが、文革で農村に追われ思春期を労働改造所のような学校で過ごしたと。そして、地方の村の党の書記となり、下層の民衆と共に活動した経験があり、厦門市長の時は中央政府の要人が来た際の贅沢な接待を禁止し汚職をなくそうと努力した人だと評価していました。
中国共産党や中国政府のことを、「あれは社会主義ではない」と切って捨てるのはたやすいことですが、事はそう単純ではないようです。多くの人口と民族を国土に抱え、生活水準をあげるために改革・開放を打ち出し30年。アメリカの歴史的後退のなかで、中国が大国として台頭しようと挑戦してきたのがこの20年近くの経過ではないでしょうか。日本のわたしたちの側も激動する東アジアのなかで、どのような具体的・現実的な政策を打ち出し、磨き上げて、人々に訴えていけるか問われているんだと思います。それぞれの現場で四苦八苦しているところですが…。

 <日本社会の歴史認識・社会認識は歪んでいる>

あらためて、日本社会の歴史認識・社会認識は歪んでいるのだと思います。
日本は皇帝のいる国です。ここは中国との大きな違いです。2018年を明治維新150年などとはしゃぐようですが、アジア太平洋地域を侵略し、国内の民衆からの搾取・収奪をほしいままにしてきたのが日本帝国主義です。1945年8月15日に帝国主義間戦争に敗れた後、東西冷戦が東アジアに波及したこと(中国革命と朝鮮戦争)を受け、戦前からの支配層が政治・経済・教育・メディア・軍事・警察などの機関に復帰してきました。そうした人々はアジア蔑視・敵視を継続させながら、「鬼畜米英」のアメリカを最高位の同盟国とし、沖縄を犠牲にし、アジア地域に経済侵出しながら高度経済成長を続けてきました。このなかでつくられてきた日本人の精神構造は、象徴天皇制に支えられつつ、とても陰湿なものとして醸成されてきたのではないでしょうか。

江蘇省教育技術工会との懇談(12月14日 南京)

4日目(12/14)の夜、南京で白酒(パイチュ)をとにかく大量に乾杯して、杯を乾かすために(苦笑)とにかく飲み続けました。おかけで最終日は夕方までひどい二日酔いでした。南京~上海までのマイクロバスでの車中はそれはそれは大変でした。旅の恥はかき捨てとばかりに迷惑うぃかけまくりました。それから、お土産の「爆買い」もしました。もう二度と中国人観光客のことを悪く言いません。
歴史学習、日中友好運動お歴史の重みと世代継承、そして中国というスケールの大きなひとつの社会を旅し、交流ができました。お世話になったすべてのみなさんに感謝申し上げるとともに、これからの運動の実践の中でその恩を返していきたいと思います。

(写真提供:団員 押田五郎-清掃・人権交流会会長)

トップ写真:井良強江蘇省副主席と握手する渡辺団員(12月14日 南京)

<参考> 第4次「日中不再戦の誓いの旅」~北京、天津、南京を訪問~ (2017/12/21)