カテゴリー別アーカイブ: 日中労交の活動

日中労交および日中労働情報フォーラムの活動

日中労交2024年度総会報告

伊藤彰信

 日中労交の2024年度総会が4月27日に東京・蒲田の日港福会館で開かれました。

伊藤会長あいさつ

 伊藤会長は「日中労交の現在の最大の課題は『台湾有事』を阻止することである。安保三文書によって、中国を仮想敵国として、防衛費の拡大、日米共同軍事体制の強化、南西諸島のミサイル配備、戦闘機の輸出、軍事産業の育成など進められている。経済安保体制は職場でのレッドパージに通じるものであり、人権や民主主義を抑圧する政策がすすめられている。『台湾有事』となれば、全国の自衛隊基地から、民間の空港・港湾を利用した兵器・部隊の輸送が行なわれる国家総動員体制づくりが進んでいる。また、練馬の森の朝鮮人追悼碑撤去にみられるように強制連行と発言することが許されない状況になった。日中労交は、昨年4年ぶりに訪中し、コロナ後の交流を再開することができた。日中労交50周年の今年は、50年の歴史をふり返りながら、新しい会員を獲得し、日中平和友好の強化のために活動していきたい」とあいさつしました。

第一部「総会議事」

 議事では、2023年度活動報告を藤村事務局長が、2024年度活動計画(案)を伊藤会長が、2023年度決算報告を伊藤事務局次長が、会計監査報告を水摩会計監査委員が、2024年度予算(案)を伊藤事務局次長が、それぞれ提案し、承認されました。

 今年度の活動計画の重点は、50周年記念事業を成功させることです。今年度の総会で議論した50周年記念事業のイメージは、昨年度の総会で議論していたものとは変化してきてきました。今年度の議論は、「台湾有事」を阻止するにはどうしたらよいか、日中労交の存在意義、役割はどのようなものなのか、50年を振り返りながら考えようというものです。

 「50年のあゆみ」の出版、8月24日のシンポジウムの開催について確認しました。問題は、その財政の確保です。カンパを集めると同時に「50年のあゆみ」の販売促進です。本の販売促進、シンポの企画運営を行うために50周年事業実行委員会を設置することを確認していただきました。運営委員だけでは力量不足ですので、会員からも実行委員になってもらい、組織をあげて50周年記念事業を成功させたいと思います。

第二部「日中労交の50年を語ろう」 

 第二部の「日中労交の50年を語ろう」では、「50年のあゆみ」の執筆者である藤村事務局長が、日中労交の前史にあたる在華同胞帰国事業と中国人俘虜殉難者遺骨送還運動について説明をしました。平石昇さんは、平坂春雄元事務局長が大阪エルライブラリーに寄贈した段ボール200箱を超える資料から、日中労交関係の資料を見つけ出し整理した3年以上にわたる作業の苦労話をしました。伊藤会長は、日中関係の緊張の高まりに押されて単なる記録ではなく日中友好運動のなかで日中労交が占めた位置と役割を記述せざる得なくなったこと、和解を国家間和解と民衆間和解のふたつの視点から描いたこと、中国人の戦後補償裁判では謝罪、補償、歴史伝承の3っつが和解の条件であったこと、南京に碑を建てた意味は若い人への歴史伝承になること、日中友好運動の入門書になるよう書いたことなどを語りました。

 参加者の語らいの中では、「50年のあゆみ」に詳しく書かれていない、旅順大虐殺、関東大震災時の中国人虐殺、日中友好協会の分裂、技術交流などが議論されました。それぞれの日中関係の事象を断片的に捉えるのではなく、権力を握った中国の労働者と権力を握ったことがない日本の労働者との交流が、時代の変化の中で揺れ動いていく様子を見ていくべきではないかという話になりました。

第8次「日中不再戦の誓いの旅」

4年ぶりの訪中、北京・南京を友好訪問

伊藤彰信(訪中団団長)

 日中労交の第8次「日中不再戦の誓いの旅」は、12月11日に出発し、北京、南京を訪問して15日に帰国しました。コロナの世界的な流行により、4年ぶりの訪中でした。今回も学生2名が参加し、平均年齢をぐっと下げた老・壮・青の訪中団になりました。

 訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)、副団長=新崎盛吾(元新聞労連委員長)、秘書長=有田純也(新潟県平和運動センター事務局長)、団員=佐久原智彦(全港湾大阪支部特別常任執行委員)、今村錬(上智大学4年)、遠山和泉(長崎大学4年)の6名です。

 訪中団は、南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加するとともに、北京では中国職工対外交流センターの張広秘書長と懇談し、南京では南京師範大学の林敏潔教授ならびに学生と交流してきました。以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。

<12月11日>

 訪中団は前日、東京で結団式を行い、11日は羽田空港から飛び立って北京首都空港に着きました。前日の東京の気温は21度でしたが、北京の気温は1度で雪が積もっていました。空港には中国職工対外交流センター技術経済交流部の石晶晶さんが出迎えてくれました。昼食をとったあと、マイクロバスで宿泊先である職工之家に向かいました。職工之家は中華全国総工会が経営するホテルです。

中国職工対外交流センターの張広秘書長と伊藤彰信訪中団団長が懇談

 中国職工対外交流センターの秘書長は、前任の王舟波秘書長が5月に定年退職して以降空席のままでした。10月に中華全国総工会の第18回全国大会が開かれ、総工会の新しい体制が選出されましたが、職工対外交流センターの秘書長はなかなか決まらず、張広秘書長が着任したのは、訪中団が北京に着いた当日でした。歓迎夕食会の前に少し懇談する時間がありました。張秘書長は「国家公祭に毎年参加している日中労交の訪中団を歓迎する」と述べたあと、第18回大会について以下のように簡単に報告しました。

 中華全国総工会は、世界最大の労働組合であり、中央、省、市、県、郷・鎮、職場のレベルまで整った組織である。第18回大会では、この5年間の総括、向う5年間の方針の確立、章程(規約)改正、役員の選出を行った。方針の主な柱は、労働者の権益の擁護、経済の発展、調和のとれた労使関係である。この5年間で、職工図書室、職人学院をつくった。貧困者への支援やカンパ支給、農民工の相談業務、屋外労働者向けのサービスステーションの設置、コロナ対策では77.5億元を使って労働者対策を行った。また活動項目のひとつに組合交流を加えた。一帯一路の交流、技術交流、国際的な労組交流などを行う。交流を通じて平和に貢献したい。

 伊藤団長からは、日中労交が名実ともに日中労交として再出発したことを報告し、「市川誠初代会長の『日中不再戦の誓い』の精神を継承し、加害の歴史を忘れずに『台湾有事』を阻止するために活動している。日中友好運動を若い人に引き継ぐようにし、平和構築に努力している。来年は日中労交結成50年にあたる。8月に祝賀会を行うので参加してほしい。」と述べました。

 懇談会・夕食会には、何際霞技術経済交流部部長、2019年の東北旅行でお世話になった李明亮さんも参加し、4年ぶりの再会を喜び合いました。

<12月12日>

 7時30分にホテルを出発し、北京南駅から高鉄(新幹線)で南京に移動しました。何際霞部長も同行しました。乗車時間は3時間25分ほど、途中の停車駅は済南だけ、時速350㎞の運転でした。到着した南京南駅では、江蘇省職工服務センターの盛卯弟副主任、南京市総工会の付光宇弁公室副主任が出迎えてくれました。駅近くのレストランで昼食をとった後、南京市総工会の工人文化宮と職工服務中心(労働者サービスセンター)を訪問しました。工人文化宮は、1951年につくられたものですが、2021年に新しい施設がオープンしました。総建設面積は約73,000㎡、トレーニングジム、プール、バスケットやバトミントンのコート、健康相談室、劇場、イベント広場があり、貸衣装など文化芸術活動の支援などを行っています。職工服務センターは、2019年にも訪れた施設ですが、以前のところから移転して工人文化宮に併設してつくられ、2022年5月に新装オープンしました。業務内容は、①職業訓練、②起業への貸付、③職業紹介、④困難な労働者の生活支援、⑤インターネットを活用した包摂的なサービスの5部門です。インターネットでの事務手続きがほとんどなので、窓口に来て相談している人はいませんでした。新しい施設になって、以前より活動が充実しているように感じました。

 宿泊先は南京市総工会が経営するホテルである天豊大酒店です。夜は、江蘇省総工会のミョウ(糸へんに翏)建華二級巡視員が主催する歓迎宴が開かれました。ミョウさんは以前、江蘇省職工対外交流センターの秘書長をしていた方で古くからの友人です。白酒がすすみました。

<12月13日>

 南京大虐殺受難者追悼国家公祭に参加するため、8時40分にホテルを出発し、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館に向かいました。「日中不再戦の誓い」の碑を見たあと、式場に入りました。4年ぶりの参加ですが、参加者の顔ぶれが変化しているのに気づきました。隣との間隔が今までより広くなっていました。全体の参加者を以前より制限しているように感じました。昨年のビデオをみるとマスクを着用していましたが、今年はマスクを外すように言われました。外国の大使館からの参加がありませんでした。日本人参加者のブロックには日本からの高齢者の参加がほとんどなく、南京在住日本人留学生が参加しているとのことでした。初めて前から3列目での参列となりました。

 国家公祭のあと、長江ほとりの南京大虐殺遭難者中山港記念碑を訪れました。南京市内には20か所以上の記念碑があります。慰霊式が行われます。10時には歩いている人も、バスも自動車も止まって、黙とうをします。昼食後、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館を見学しました。17時30分からキャンドル祭に参加しました。キャンドル祭も演出が変わりました。宗教行事がなく国際平和集会となりました。参加人数も制限された代わりに、大型ビジョンが設置され、ドローンを使って記念館全体を撮影しながら中継で発信されていました。マギー牧師のお孫さんがあいさつし、南京紫金草芸術団の小学生が歌いました。紫金草合唱団の日本からの代表者が、南京の子どもたちに引き継いだというあいさつは、今回の集会を象徴する出来事でした。幸存者が38人になった現在、南京大虐殺の記憶を若い人に伝えていくことを重視した集会だったと思います。

<12月14日>

 午前中、2015年12月にオープンした利済巷慰安所旧址陳列館を見学しました。中国各地の慰安所、アジアの慰安所の資料が展示されています。

南京師範大学、東アジア文化研究所所長の林敏潔教授と同大学院学生と訪中団が交流

 午後は、南京師範大学を訪ね、東アジア文化研究所所長の林敏潔教授と同大学院学生と交流しました。林教授は、日本民間反戦記憶に関する多分野研究をおこなっており、戦争関係のあらゆる分野についてデータベース化をすすめています。過去の歴史を忘れず、日中は平和共存しなければならないと熱い挨拶で迎えてくれました。そのあと、新崎副団長を司会役にして、日中学生の交流会が行われました。学生たちは校門まで見送ってくれました。日中の学生たちはウィチャット仲間になったようです。若者交流、民間交流の実際を見たような気がしました。その後、南京博物院、夫子廟を見学して南京での日程を終了しました。

<12月15日>

 5時にホテルを出発し、マイクロバスで上海浦東空港に向かいました。9時30分に空港に到着し、午後の便で関空、成田へと飛び立ちました。

 通訳として全行程を同行してくださった石晶晶さんには大変お世話になりました。

和解を味わい、日中友好を思う

 10月15日(日)に催された広島安野の「第16回中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」に初めて参加しました。前日の集会と集いを主催した「広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会」(以下「継承する会」)の皆さんには大変お世話になりました。

 以前から安野の追悼式に参加しようと思っていましたが、内田雅敏弁護士から「西松安野友好基金運営委員会による追悼式は終了して、継承する会が行うようになった」と聞いて、少し参加意欲が低くなっていました。参加しようと決意したのは、昨年10月26日、日中国交正常化50周年を記念して中国国際交流協会が主催したオンライン会議で原水禁の金子哲夫共同代表と同席したことです。

 私は席上、日中労働者交流協会(以下「日中労交」)が日中国交正常化を受けて1974年に25単組・9地県評が結集してつくられた組織であること、1985年8月15日、中曽根首相が初めて靖国神社を公式参拝した日に、市川誠初代会長(元総評議長)が侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(以下「南京紀念館」)の開館式に出席し、日中不再戦の誓いを刻んだ「鎮魂の時計」を南京市に寄贈したこと。その誓いを碑にして2009年12月13日に南京紀念館に建立したこと、日中労交は「日中不再戦の誓い」の精神を継承し、日中の平和友好のために活動していることを報告しました。

 金子さんは、1955年の第1回原水爆禁止世界大会に国交のない中国から代表が参加し被爆者に5万元(当時の日本円で720万円)を寄付したこと、その一部を被爆者医療のために広島市に寄付したこと、それがきっかけになって原爆医療法が成立したこと、安野で中国人強制連行受難者の追悼式を行っていることを報告しました。

 その話を聞いた私は、金子さんに詳しい話を聞かせてと連絡して、今回の参加を約束しました。

 10月14日(土)14時から継承する会の主催で「和解を導いた力Part3―西松建設裁判原告・宋継堯さんの闘いをふりかえる」という集会が開かれ、50人ほどが参加しました。私は、西松安野裁判のことは最高裁で敗訴したが付言にもとづいて和解が成立したということぐらいしか知らなかったので、この集会は非常に興味深いものでした。集会は、元西松安野友好基金運営委員の杉原達さんの司会あいさつではじまり、テレビニュースなどを編集した「ニュース映像で見る宋継堯さん」が上映されました。続いて「宋継堯さんを語る」と題して、陳輝(通訳)さん、老田裕美(通訳)さん、足立修一弁護士が発言しました。

 宋継堯さんは、16歳の時、国民党軍の遊撃隊に参加、日本軍の捕虜となって日本へ強制連行されました。安野の発電所工事でトロッコに石を積んで運び出す作業をしていましたが、トロッコが脱線して転倒し失明しました。病気やケガをして働けなくなった人と一緒に中国に帰されましたが、失明のため仕事もできず、乞食同然の生活をしていました。河北大学の調査によって安野の生存者であることが確認され、西松建設との交渉を始めましたが、進展せず、裁判の原告となりました。最高裁で敗訴したあと、和解成立直後に亡くなっています。安野に連行された中国人は360人、被爆死の5人を含めて29人が日本で死亡しています。

集会「和解を導いた力Part3―西松建設裁判原告・宋継堯さんの闘いをふりかえる」

 このような集会では、原告から強制連行とその苛酷な労働、悲惨な生活が語られることが多いですが、すでに生存者はいないので、原告の宋さんの闘いを振り返る形での集会企画になったようです。中国人と日本人の通訳が、宋継堯さんの人柄や、戦後の中国での生活状況を紹介しながら思い出を語ったことが、聞いている身としては、重いものを突き付けられるというよりは、宋さんの生き様を客観的に眺めることができ、優しく温かい目で和解に至る経過を知ることができたような気がします。
 三人の発言で、印象に残った点を記してみます。陳さんは、「宋さんは西松建設に『謝罪、補償、記念碑建設』の3点を当初から要求していた」、「戦争は国の指導者、政治家が起こすものであって、庶民が起こすものではない」と発言しました。老田さんは「日本軍は中国で2000万人以上の中国人を殺した。いたるところに万人坑がある。中国国内でも何百万人の強制連行があった。日本に強制連行された中国人4万人は取るに足らぬ数字という人がいるが、それは間違いである」と語りはじめ、中国人強制連行に関する日本での16の裁判について紹介しました。「被害者を利用するのではなく、被害者の生活の中から聞き出すことが大切である」、「新美隆弁護士に『なぜ、花岡裁判、安野裁判では国を訴えなかったのか』と聞いたことがあるが、新美弁護士は『国を訴えない方が早く解決する』と答えた」、「強制連行された中国人4万人のうち、花岡で986人、西松安野で360人、西松信濃川で180人、大江山で6人(原告のみ)、三菱マテリアルでは下請けも含めて3765人、計5297人が和解できた意味は大きい」と発言しました。足立弁護士は、訴訟の経過を振り返りながら、「宋さんは、当時としては珍しく学校に6年通った人であり、高級官僚になれる道を歩んでいた。記憶が鮮明で、冷静な語り口は証言者として最適な人だった。失明に対する特別な賠償を要求することはなかったが、西松が和解に傾いていく過程では宋さんの存在は大きかった」と発言しました。
 私は全港湾の委員長を退任して9年になります。16の中国人強制連行訴訟のうち港湾に関係する訴訟は、新潟、山形酒田、石川七尾の三つの裁判です。いずれも、国と企業を相手取った裁判でしたが「1972年の日中共同声明によって中国政府は戦争賠償の請求を放棄したので、個人の請求権も消滅している」という理由で原告敗訴になっています。新潟裁判では、第一審で原告が勝訴し、国と企業に対して原告一人当たり800万円の支払いを命じました。この判決を巡って、被告企業の従業員である全港湾組合員の中でも様々な意見がありました。「企業が賠償金を支払えば、賃上げに支障が出るのではないか」、「企業は国の政策にもとづいて中国人を使用したまでで、賠償金は国が全額支払うべきではないか」などの意見です。戦後補償裁判について、全港湾は「日中共同声明によって個人の賠償請求権までも放棄されたものではない」という立場で支援していました。新潟裁判の原告を支援していた新潟平和運動センターの議長は全港湾の役員でした。支援に消極的な組合員との間で板挟みになっていました。国の責任を認めた初めての判決だったので、国の責任を強調していたことを覚えています。

フィールドワーク、第16回中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い、善福寺での追悼法要

 10月15日(日)には、フィールドワーク、第16回中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い、善福寺での追悼法要に参加しました。この7月に発行したフィールドワーク資料であるパンフレット「安野発電所中国人強制連行・被爆の歴史を歩く」(500円)は、とてもうまくまとめた分かりやすい資料だと感心しました。毎年、原水禁大会のフィールドワークを受け入れている「継承する会」ならではのパンフレットだと思いました。

 安野中国人受難之碑には、強制連行された360人全員の名前が刻まれていました。強制連行されて日本で亡くなった方の慰霊碑ではないことに気づかされました。慰霊式であれば、発言者は慰霊碑に向って参列者には背を向けて発言します。集いでの発言者は、受難の碑に一礼したあと参列者に向って発言していました。主催者挨拶は継承する会の足立修一世話人代表、来賓挨拶は安芸太田町長、善福寺住職、広島県教組委員長、メッセージが遺族、中国大阪総領事から寄せられていました。碑を建てた場所は、現在でも稼働している発電所のすぐ上の中国電力の土地で、今は安芸太田町が管理しているとのことです。慰霊式ではなかったので、善福寺での追悼法要が営まれたのだと納得しました。碑文や碑を建てた土地、式典のすすめ方は、それぞれの地域で違いがあり、地域状況、運動状況を反映したものだということが分かりました。

 帰りのバスの中で、内田雅敏弁護士が、前日おこなわれた秋田県の尾去沢での中国人殉難者慰霊祭の報告をしました。三菱マテリアルとの和解によって昨年11月に「日中友好平和不戦の碑」が建てられましたが、今年初めて遺族の方が参加しました。遺族のお孫さんは「祖父が戦時中突然いなくなり、家族を見捨てて蒸発したものだと思っていた。三菱マテリアルの和解によって遺族調査が行われ、あなたの祖父は強制連行されて尾去沢で亡くなったという連絡があった。今まで蒸発した祖父を恨んでいたが、尾去沢に来て初めて祖父の人生を知ることができた。」と挨拶したことを話してくれました。

日中労交は「和解から友好へ」をスローガンに活動しています。今回、西松建設に碑を建てることを要求した宋さんの思い、碑の前で遺族が語る思いを知ることができました。日中共同声明で中国政府は「中日両国国民の友好のため」に戦争賠償を放棄したわけです。いわば政府間の和解が1972年に成立したいえます。しかし、民衆の和解はひとり一人の人生から解きほぐしていくものだと感じました。いま日本政府は、和解の精神を忘れ、戦争の加害責任がなかったように振る舞い、日中関係を友好どころか敵対関係に仕上げています。

 広島で継承する会が続けている活動に触れることができ、和解事業として碑を建てる意味、後世に伝える意味を改めて考え、友好に向けて動いていることを感じる旅となりました。日中労交は、南京に「日中不再戦の誓い」の碑を建てたわけです。私は「碑守」として、毎年12月13日に南京紀念館で行われる南京大虐殺受難者追悼の国家公祭に参加すること、「誓い」を後世の人に伝えていくことの責任の重みを感じました。

「日中平和友好条約締結45周年記念大集会」報告

2023年8月10日

日中平和友好条約締結45周年記念大集会を開催

 日中平和友好条約締結45周年記念大集会が8月10日、衆議院第一議員会館で開かれ、定員300人の会場が満杯になった。

 主催者を代表して村山首相談話の会の藤田高景理事長が「米国の言いなりになって『台湾有事』を口実に反中国包囲網をつくり、着々と戦争準備に突き進んで良いのか。日中平和友好条約の精神に立ち返って善隣友好関係を取り戻さねばならない」とあいさつした。

 

政府は台湾独立不支持の表明を―鳩山友紀夫元総理

鳩山友紀夫元総理の来賓あいさつ

 来賓の鳩山友紀夫元総理は「日本は過去に中国に侵略し多大な損害を与えた。傷つけられたものが許すまで無限責任を負っている。日本政府は、棚上げしていた尖閣諸島を国有化して緊張を高め、『台湾有事は日本有事』と危機感を煽った。麻生自民党副総裁は『日米台は戦う覚悟を示すべき』と言っているが、日中平和友好条約には『すべての紛争を平和的手段で解決し』と書かれている。日中共同声明で『日本政府は、台湾が中国の領土の不可分な一部であるという中国の立場を十分理解し、尊重する』としている。台湾は中国の内政問題である。日本政府は台湾の独立を支持しないと表明することが肝要だ。」と述べ、地球環境問題などでの日中協力の実績を積み重ねる重要性を語った。

 

人的交流の促進を―呉江浩駐日中国大使

呉江浩駐日中国大使
呉江浩駐日中国大使の来賓あいさつ

 呉江浩駐日中国大使は「日中平和友好条約は、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させることを双方共通の義務として法的に定めた。そして、内政に関する相互不干渉、すべての紛争の平和的手段による解決、覇権を確立しようとするいかなる国の試みにも反対する基本原則を確認した。中日両国は条約の義務を誠実に履行しなければならない。新しい時代の要請にふさわしい中日関係を構築することが求められている。平和を断固として守らなければならない。今日の日本では一部の人たちが歴史の教訓を忘れたかのように中国脅威論を騒ぎ立て、台湾有事を煽り、『強い抑止力』、『戦う覚悟』とまで言い出す人が出てきている。我々は友好の旗を高く掲げなければならない。友好こそ両国の利益に合致するものである。中日関係の四つの基本文書に従い両国関係の大局を守るべきである。中日の経済活動は深く絡み合っており、平等互恵の関係が両国民に大きな利益をもたらしている。一部の人がその関係の弱体化を図り、ひいては切断を企てて、中国の発展を抑制しようとしている。このような情勢において、人的交流を促進し相互理解を図ることが大事になっている。今日から中国からの団体旅行を解禁した。引き続きビザなし渡航をめざして努力していく」とあいさつした。

 

親米反中路線は破滅の道・平和外交の促進を

 元広島平和研究所所長の浅井基文さんが「バイデン・岸田対中国対決政治は清算しなければならない」と題して記念講演を行った。「日本人は、アメリカに好感度を持っているが、中国に対してはアメリカ政府や日本政府の対応に追従している。アメリカはエゴの塊であって世界一極支配を維持しようとしているが、そうはならない状況が出てきている。経済制裁乱発による世界的な脱ドル化の動き、他国からの軍事援助なしには戦えないウクライナ戦争、無理な中国封じ込めなどバイデン政権の対外政策は行き詰まっている。岸田政権は、親米反中路線をとり、アメリカの軍事戦略に全面的に加担し、安全保障三文書を閣議決定した。先制攻撃準備、対米兵站支援、ミサイル基地建設、民間施設の軍事転用などをすすめている。台湾問題、南シナ海問題について、日本のマスコミはアメリカがいうとおりの情報しか流さないので、正確な認識を持たないと友好関係は築けない」と切り出した。

 そして台湾問題については「中国は国内問題、アメリカは国際問題という基本認識の違いがある。米中間の3つの基本文書は玉虫色になっており、アメリカの解釈は一概に否定できない。1970年代80年代に中国は台湾に『台湾独立』を叫ぶ勢力ができ政権を取るとは思っていなかった。アメリカは中華人民共和国成立、朝鮮戦争以降、台湾は絶対に中国に返さないという方針である。中国は国内法よりも国際法が優先する立場、アメリカは世界でも稀な国際法よりも国内法が優先する立場である。台湾関係法で台湾有事が起これば軍事介入する余地を常に残している。日中共同声明では『日本政府はポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する』とあり、ポツダム宣言では『台湾は中国に返還されるべき』と書かれている。ところが返還されてないのだから、日本政府はアメリカの立場を尊重し、従っている。いま中国は台湾に『九二共識』を遵守せよと迫っている。『一つの中国』原則を順守してくれれば、中国は百年河清を待つ用意はあると思う。ところがアメリカと日本は中国に武力行使をしないと約束しろと迫る。中国は、台湾は内政問題だから外国は口を出すなと言っている。台湾が独立すると言ったら中国は武力解放することになる。その場合、アメリカには3つの選択がある。不介入、台湾への武器供与(ウクライナ方式)、米中全面戦争である。日本にも3つの選択がある。不関与(日中平和友好条約遵守)、米軍基地提供兵站支援(日米安保条約履行)、中国との全面戦争(安全保障三文書)である。関与すれば中国からの報復攻撃の可能性がある。日本滅亡の可能性がある。日本にとって台湾有事がそれほど大事なのか。日中共同声明、日中平和友好条約に立ち返っても、今の状況を解決できないかもしれない。それを一歩進めて日中不戦条約を締結する必要がある」と述べた。

 さらに南シナ海については「中国は歴史的国際法的に九段線の内側は中国の領土だと主張していた。1960年当時まで誰もが認めていた。1969年に南シナ海に大量の石油資源が埋蔵されている可能性があるといわれ始めて領有権問題が浮上してきた。日本は日華平和条約で南沙諸島、西沙諸島は中国のものであることを認めている。中国は隣接海域についても国連海洋法条約にもとづいて権利主張をしている。係争地域については、関係国との間で主権問題を棚上げにして共同開発を提案している。アメリカは国連海洋法を批准していない」と述べた。

 最後に「米中関係悪化の原因はひとえにアメリカ側にある。日本は米中のいずれの側にも与することなく、平和憲法の原点に立ち返り、平和外交を積極的に営まなければならない」と結んだ。

 

「戦わない覚悟」が求められている

 各界からの発言として、元経済産業省の古賀茂明さんは、中国政府関係者との話として「2027年までに中国が台湾を進攻すると言っているのはアメリカです。中国が台湾に進攻したら台湾住民の反感を買うでしょう。台湾の産業や生活を破壊して意味がありますか。アメリカや日本が武力援助して台湾を独立させるなら、武力解放も辞さないと言っているだけです。中国が進攻すると言えば、台湾や日本は武器を沢山買ってくれるからでしょ。中国と台湾が仲良くすれば、自然に統合の気運は醸成される。中台の経済関係は互恵関係ですよ。ゆっくり時間をかけてやればよい」と紹介した。そして、「2027年までの進攻はウソ、『台湾有事』はアメリカか日本がおこす、日米は間違ったメッセージを台湾に送っている、日本は台湾を守る義務は負っていない、アメリカは『台湾有事』の際は日本の基地を使うことを前提としている、日本は平和主義をすでに放棄している」と指摘した。

 人材派遣会社ザ・アールの創始者の奥谷禮子さんは、女性経営者の交流を通じて「中国が、女性の活躍を含めて、人材育成を戦略的、計画的に行ってきたことを痛感した」と話した。

 ピース・フィロソフィー・センター代表の乗松聡子さんは、「日本が行ってきた他国への侵略や、植民地支配の事実、それを支えてきた民衆の差別感情を克服するような教育はほとんどされていない。長崎にある大村飛行場は中国への渡洋爆撃の起点であり、広島は軍都であった歴史に触れ、長崎も広島も原爆投下で凄まじい被害を受ける大前提として、加害の地であったという史実を日本人として記憶しておかねばならない」と語った。

 沖縄大学地域地域研究所特別研究員の泉川友樹さんは、中国と日本の輸出入総額は国交正常化以降50年で130倍に増えていることを指摘し、経済協力を振り返りながら、今は新しいルール構築の時代に入っていると分析した。

 日中一帯一路促進会の大野芳一さんは、ココム時代に中国にコンピュータを輸出した経験を語り、アメリカがいかに自分勝手な経済制裁や人の拘束を行ってきたかを語った。

  最後に日中労働者交流協会の伊藤彰信さんが「戦争、虐殺、差別をなくし、平和・友好を促進していこう」と閉会のあいさつを述べ、大集会は成功裏に終了した。

日中平和友好条約締結45周年記念大集会

今年は日中平和友好条約締結45周年です。同条約は、「両国間の恒久的な平和友好関係を発展させる」ため、1978年8月12日に調印されました。こんにちの日中関係はこの半世紀で最悪の状況と言われています。日中平和友好条約締結45周年に際し、現状をどう打開し、恒久的な平和友好関係を発展させるにはどうしたらよいか、考えてみたいと思います。

●日中平和友好条約締結45周年記念大集会
 —日中友好こそ、日本の最大の安全保障のひとつだー
日時 2023年8月10日(木)14時〜 (開場13時30分)
場所 衆議院第一議員会館 地下1階・大会議室
来賓 鳩山友紀夫(元総理大臣)
   呉江浩(駐日中国大使)
講演 浅井基文(元広島平和研究所所長)
   「バイデン・岸田対中対決政治は清算しなければならない」
各界からの発言
   古賀茂(政策アナリスト、元経済産業省官僚)
   奥谷禮子(人材派遣会ザ・アール創業者)、
   乗松聡子(ピース・フィロソフィー・センター代表)
   泉川友樹(沖縄大学地域研究所特別研究員)
   大野芳一(日中一帯一路促進会代表)
事前にメールでの申し込みが必要です。
murayamadanwa1995@ybb.ne.jp
定員(300名)に達し次第、申し込みを締め切ります。

南京大虐殺から85年 2022年東京証言集会 -父の戦争をともに背負う-

日時:12月10日(土)午後1時半開場 午後2時開始、4時半終了予定
場所:全水道会館大会議室(JR水道橋駅下車、白山通り北へ5分)


講演:田中信幸さん

(『一道背負』著者/教科書ネットくまもと事務局長)
    『父の戦争責任を一緒に背負って』

■感染予防のため事前予約制とします。
 メールまたはFAXでお申し込み下さい。
集会の申し込み:メール:nomorenanjing1937@gmail.com
       FAX:03-3889-9499
資料代:1000円(オンラインも)
オンライン参加もできます。(申込締切:12月8日正午)支払いは郵便振替口座で
郵便振替口座:00170-3-87807 「南京」集会実行委員会
賛同:個人1000円、団体3000円
連絡先:ノーモア南京の会(FAX:03-3889-9499)

集会案内チラシ(PDF)

「日中国交正常化50周年記念大集会」開催(2022年9月28日)

日中友好こそ最大の安全保障

 1972年9月29日は、田中角栄首相と周恩来首相が日中共同声明に調印し、日中両国の戦争状態を終結し国交を正常化した記念すべき日である。あれから50年、「日中国交正常化50周年記念大集会」が9月28日、衆議院第一議員会館で開かれ、280名が集まった。

 主催者を代表して藤田高景(村山首相談話の会)さんが「日本政府は安倍元首相の国葬をするのではなく、日中国交正常化を祝う集会を行うべきだ。中国は日本にとって最大の貿易相手国である。中国を仮想敵国に仕立て上げて、戦争準備に突き進んで良いのか。良好な日中関係こそ、最大の安全保障である」とあいさつした。

 村山富市元首相がビデオメッセージを寄せ「アジアの平和のためには、日本と中国の良好な関係を築くことが必要である」と訴えた。鳩山由紀夫元首相は「日本は中国に対して侵略戦争をした。日本は無限責任を負うべきだ。その気持ちをもてば日中関係はもっと良くなる。尖閣問題、台湾問題も50年前に答えは出ている。原点に立ち返って話し合いで解決していくことを全国に広めることが私たちの使命である」とあいさつした。

鳩山由紀夫元首相
鳩山由紀夫元首相
羽場久美子(青山学院大学名誉教授)さん
羽場久美子(青山学院大学名誉教授)さん

楊宇駐日中国首席公使は、この50年間の日中関係の発展・繁栄を振り返りつつ、今後50年の新しい日中関係について「中国を脅威と見るのではなく、お互いをウィンウィンのパートナーとして相互認識すること。相互信頼にもとづく安全保障を実現するため、恒久的な平和友好関係を謳った日中平和友好条約を遵守すること。矛盾と意見の相違について小異を残して大同につく善意と誠意をもって対処すること。民間友好交流の伝統を発揮し、友好・協力の絆を強めること」と訴えた。

楊宇駐日中国首席公使

 森田実(政治評論家)さんは「日本は米国の自発的隷従主義者になってしまった」と指摘し「アジアの平和と繁栄の肝は日中の協調と友好である」と述べた。羽場久美子(青山学院大学名誉教授)さんは「日本と中国は50年前に恒久的な平和友好関係を誓っている。中国敵視・封じ込めは、アメリカの世界戦略でありアジアで覇権の継続を意図したものである。日本は同じ文化圏の兄弟国に対してアメリカを守るために沖縄をはじめ日本を戦場にして戦うことがないようにしなければならない」と述べ、「沖縄にCSCE(全欧安全保障協力会議)のような東アジアの平和のための話し合い場を市民の手でつくろう」と提唱した。

 中国文化財返還運動を進める会の東海林次男さんの連帯の挨拶のあと、東方文化芸術団による歌、民族楽器の演奏、構成詩の朗読が披露され、会場は和やかな雰囲気になった。

 浅井基文(元広島平和研究所所長)さんが「9条及び声明・条約の初心に戻ろう」と題して記念講演を行った。浅井さんは「米ニクソン政権の対中戦略の見直しが日中国交正常化を可能にした」と指摘した。1972年2月28日の上海共同声明は、米中の考え方を併記した声明であって、アメリカは「『一つの中国』、『台湾は中国の一部』とする台湾海峡両岸のすべての中国人の主張を認識し、その立場に異論を唱えない」、「中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての関心を再確認する」と述べた。「米国政府は、台湾からの全ての米国軍隊と軍事施設を撤退ないし撤去するという最終目標を確認する」と述べながら非平和的統一に対する軍事的介入の可能性を残している。中国は対日交渉を、過去の戦争の反省、「一つの中国」「台湾は中国の一部」の承認、両国は覇権を求めず、両国間で起こりうる問題・紛争は話し合いで解決の3点に絞り込んだ。日本はサンフランシスコ体制(対米追随)堅持を大前提とする国交正常化という考え方で臨んだが、結局、中国側の要求を受け入れた。すなわち、日中共同声明は、日米安保体制というよりは日本国憲法の9条の精神でつくりあげた。日本は、日華平和条約は終了したという立場をとり、アメリカよりも踏み込んだ。アメリカは、1979年に米中国交を樹立するが、同年、台湾関係法を成立させ、平和手段以外の台湾の将来の決定は西太平洋地域の平和と安全に対する脅威と規定し、台湾に対する武器援助を行うようにした。普通の国家では国際条約が国内法より上位にあるが、アメリカの場合は国内法が国際法より上位にある。日中関係は脆弱であり、台湾とアジアにおける覇権を維持したい考えるアメリカの対中戦略が変化するたびに、日本の対中政策が親9条的になったり反9条的になったりしていると分析した。

 最後に伊藤彰信(日中労働者交流協会)さんが「中国が戦争賠償請求を放棄した理由は『日中両国国民の友好のために』である。社会制度の相違があるにもかかわらず、平和友好関係を樹立したのである。隣の国と仲良くすることこそ一番の安全保障である。アジアの平和のために日中友好を促進しよう」と閉会の挨拶を述べた。

6月29日と30日を日中友好の日にしよう!

ー 中国人殉難者慰霊式に参加して ー

渡部公一(目黒区職員労働組合 前委員長)

花岡事件と出会う

私は、山形出身ですが、東京に就職するまで花岡事件について何も知りませんでした。30年ぐらい前になると思いますが、芝居「勲章の川」で知りました。その後、目前のことに追われ、再びこの事件に直面するのが日中労交の一員として「中国人殉難者慰霊式」(以下式典という)の参加でした。
日中労働者交流会の会長、伊藤彰信さんからメーリングリストで送られてきた参加要項やパンフ、事務局長の藤村妙子さんから紹介された本の中から野添憲治の一冊と大館市のホームページで昨年と一昨年のコロナ禍の式典をビデオで見ました。そこで、前日の6/29フォーラムと6/30式典とフィールドワークにどのように参加しようかなと考えました。

中国人殉難者慰霊式に参加して 渡部公一 01
大館市郷土博物館「のびゆく大館」の中央のホワイトボードに「花岡事件」の解説

大館市が式典を継続

オンラインzoomの日中友好カフェで、戦争中、強制連行など中国人や朝鮮人を過酷な作業と環境の中で使役させ、多くの犠牲者を出してきたことは紛れもない事実で、国をはじめ、数ある自治体の中でなぜ大館市が自治体として慰霊の式典を継続してきたか、話題にしました。1950年から山本花岡町長が個人ではじめた慰霊が、隣接する矢立村と合併、平成の大合併を経て今日の大館市になるまで、保守革新を問わず、継続して式典を開催していることは、とても素晴らしいことだと思います。今回の訪問で少しでも知りたいと考えました。
たまたま私は、往復飛行機だったので、6/29の10時過ぎに到着と15時から始まるフォーラムの間に大館市郷土博物館に行き、大館市の歴史、この中で花岡事件ついて見学したいと思い、幸い往復ともバスに乗車できました。郷土博物館は、「のびゆく大館」のコーナーに「花岡事件」、「花岡ものがたり(版画と解説)」があり、丁寧な展示だと思いました。また、「鉱山と曲ワッパづくり」の街として栄えていたことが知れ、「先人顕彰コーナー」で安藤昌益、小林多喜二(生誕地、5歳から小樽に移住)らの紹介もあり、期待どおりの展示でした。

中国人殉難者慰霊式に参加して 渡部公一 02
大館市郷土博物館「花岡ものがたり」版画と解説の連作

プレ企画、フォーラムin大館

「フォーラムin大館」は、同じ飛行機に搭乗していた池田香代子さんが岩間さん(認定NPO花岡平和記念会)とセッション、主なテーマは池田さんの著書「花岡の心を受け継ぐ(2021年7月発刊)」にある、大館市が中国人犠牲者を慰霊し続ける理由でした。
その後の参加者交流会で驚いたのは、認定NPO高麗博物館(東京、大久保)の仲間たち15人で、多くがシニア世代で10人は女性の参加です。しかも交流会の席は、お仲間で固まらず、他団体の席に相席するなど、知的好奇心・自己実現の旺盛な人たちでした。

中国人殉難者慰霊式に参加して 渡部公一 03
6/29「中国人強制連行 フォーラムin大館」に全国から60人余が参加
中国人殉難者慰霊式に参加して 渡部公一 04
6/29参加者交流会の様子「熱烈歓迎 日中友好 花岡事件生存者遺族関係者様 御一行」ステージは高麗博物館の仲間たち(前列のテーブル席が、李克金(故人)さんの遺族3人、大館市長代理:福祉部長ほか)

式典を日中友好の日に

ところで日本は、地理的に北方領土でロシア、竹島で韓国、尖閣諸島で中国と領土問題を抱えています。ロシアのウクライナ軍事侵攻が長期化する中、自公政権は、バイデン大統領の中国敵視政策と一体化し、「台湾有事は、日本の有事」と南西諸島のミサイル基地化、防衛費GDP5%など東北アジア平和外交を放棄し、軍備拡大路線まっしぐらです。あわせて、北朝鮮(共和国)の拉致問題も日本自らの課題とし対話すらしていません。
今年の式典は、参議院選挙直前の日程になってしまいましたが、例えば、中国と友好を求める全国の仲間へ、6/30大館市の式典と前日6/29「フォーラムin大館」を中国と日本の友好の日と位置付け、参加を広く募ったらと思います。また、参加者の中に映像作家や、ビデオカメラマン・監督もいました。せっかくの「フォーラムin大館」を有料配信も含め、リモート視聴による参加もできたらなと思いました。

中国人殉難者慰霊式に参加して 渡部公一 05
「中国人殉難者慰霊式」 前列、右から3人までが、李克金(故人)さんの遺族、その隣が福原淳嗣大館市長、その隣の女性(左から2人目)が中国大使館の参事官

現地ボランティアに感謝

最後に「フォーラムin大館」は、大館労働福祉会館で開催され、実行委員会の中に認定NPO花岡平和記念会の人たちをはじめ、大館市職労の若い委員長や、連合大館の役員の皆さんが参加していました。6/29のプレ企画だけでなく、6/30式典後のフィールドワークの案内やバスや昼食の手配などたいへんお世話になりました。
ありがとうございました。

「中国人強制連行フォーラムin大館」の新聞報道

 6月29日は、「中国人強制連行フォーラムin大館」に参加しました。翌30日は、
大館市主催の中国人殉難者慰霊式に参列し、その後、フィールドワークに参加し
ました。3年ぶりに県外からの参加者を迎え入れての開催でした。
 日中労交としては、初めての参加でしたが、非常に勉強になった2日間でした。
参加者から、報告と感想が寄せられると思います。私は、地元の秋田県北部の新
聞である「北鹿新聞(ほくろくしんぶん)」の切り抜きを添付して、先ず、雰囲
気を伝えます。
 大館の報告会は、7月23日(土)19時30分からの日中友好カフェで行います。
伊藤 彰信

日中労交2022年度総会  ~100年に一度の大変動の時代に「日中不再戦の誓い」の意義を確認

藤村 妙子(日中労交事務局長)

総会において更に活動を発展すると確認

 5月8日午後 東京大田区蒲田の日港福会館において日中労働者交流協会(日中労交)の2022年度総会が開かれました。総会はWEB併用で行われ、委任状も含め38名で行われました。そして、総会当日に新たに加入した方がいたことは、大変良かったと思います。

 第一部の議案については、「2021年活動報告」「2022年活動計画」「決算・予算案並びに会計監査報告」「役員選出」がそれぞれ提案され、了承されました。

 コロナ禍の中、昨年は訪中も国内でのツアーもできませんでしたが、日中国交回復50年の節目の年として集会を行ったことや南京から毎月のように送られてくる「南京国際平和通信」や「人民網日本語版」を会員に知らせるとともにホームページに載せ日中友好の糧としてきました。そして、今年は引き続き日中国交回復50年の各種催しを他団体と協力しながら行うことを決めました。また、国内ツアーの第一弾として6月30日に行われる大館市主催の「花岡事件 中国人殉難者慰霊式」に参加する予定です。また、秋には長野の「満蒙開拓記念館」へ訪問する計画であることが了承されました。この国内ツアーには、是非とも若い人たちの参加を呼び掛けたいと思っています。

憲法と「日中共同声明」に基づく外交を

 第二部は伊藤会長の「日中共同声明を発展させ、日本国憲法に基づく国連憲章の改正を」という講演でした。私は、2021年4月の日米首脳会談において「台湾条項」が書き加えられ、再び日中戦争が起きるかのような喧伝が行われている中で私たちが考えていく視座を提起するとても有意義な講演だと思いました。しかも現下の「ロシアによるウクライナに対する侵略」という事態の中で、これを奇禍として軍事費増強、敵の中枢への攻撃をも行う「反撃能力」の整備、更には憲法改悪まで目論まれている中で、労働者市民が現政権批判において不十分な点を明らかにした示唆に富んだものでした。

 日中共同声明を結んだ田中角栄が「一番の安全保障は隣国と仲良くすることだ」と言っていたと伝えられています。しかし、現政権は隣国と仲良くするどころか、過去の反省もなく、アメリカと一緒に隣国への非難の急先鋒に立っています。そして、平和運動の側でも隣国との平和友好のために交流と連帯を行うことを躊躇する傾向が残念ながらあります。私たちの役割は「子々孫々、世々代々にわたる両国労働者階級の友好発展を強化し、アジアの平和を確立する」(「日中不再戦の誓」より)ことだと改めて思いました。

 また、今回の講演で「目から鱗」だったのは、私たちが今回のウクライナで起きていることを批判する時によって立つ立場は「日本国憲法」と「日中共同声明」にあるという事でした。

ロシアのウクライナ侵略は「国連憲章違反」と言われていますが、「武力による威嚇と武力の行使を慎む」(国連憲章第2章4項)というように「慎む」と書かれているだけで明確に否定していません。そして、お互いに「武力の行使を慎もう」と呼びかけても紛争(戦争)が止まらない場合は、国連軍が到着するまで「自衛権の行使」を認め、また「集団的自衛権

」も認めています。そして、「国連軍」が武力による制定を行うと定めています。話を聞きながら「朝鮮戦争」を思い浮かべていました。朝鮮戦争時には「国連軍」が武力をもって威嚇し、停戦となりました。現在も「終戦」していないので、「朝鮮戦争国連軍本部」は日本の米軍横田基地内の一角にあります。まだ終わっていない戦争が現実にあります。ロシアや中国が(今回以外の戦争ではほとんど場合アメリカが)常任理事国として「拒否権」を使うから戦争が終わらないのではなく、「武力のバランスによる平和を謳う国連憲章」(レジュメより)だから難しいという証左ではないでしょうか。

ではどうすればいいのかという事の答えは、日本国憲法の前文と第9条に象徴される「武力の威嚇・行使の放棄と戦力の不保持」と日中国交回復時の共同声明「主権及び領土の保全の相互尊重、相互不可侵、内政に関する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立する」、「相互の関係において、すべての紛争を平和的手段によって解決し、武力又は武力による威嚇に訴えない」(第6項)「アジア太平洋地域において覇権を求めるものではなく、このような覇権を確立しようとするいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」(第7項)に基づいて「国連憲章を変えるべき」であると話されました。「日本は、日米同盟から脱却し、非武装・非核、中立を貫き、非同盟諸国と共に世界的に平和を築くために努力すべきである」(レジュメの結語)と強調されました。

私は、海に囲まれた島国日本が平和に生きていくためには、近隣諸国との平和友好関係を結ぶことが大切であると考えています。そしてこの平和友好関係を結ぶ際の見本が「日中共同声明」であると思います。今回のウクライナ戦争においても国連で様々な決議や動きがありますが、賛成しているのはヨーロッパやアメリカの同盟国です。世界の人口比から考えれば半分にもなっていません。こんな中で「第三次世界大戦」だという煽られ方もしていますが、誰もが幸せにならない戦争は一刻も早くやめさせなければなりません。日本は、アメリカに協力するようにアジア諸国を廻るのではなく、憲法に基づく平和外交を行うべきだとつくづく思いました。こうした考え方少しずつでも広めるために、今後も活動していくことを改めて思いました。今後WEBを使い「平和友好カフェ」を始めようという試みがあります。こうした100年に一度の転換期だからこそ、自由闊達に意見を交わし、共に考え、私たちの指針である「日中不再戦の誓い」を実践していきたいと思います。