藤村 妙子 日中労交事務局長 加害の歴史を心に刻んで 秋田県大館市において開かれた「2023年6.30フォーラムin大館」(6月29日大館労働福祉会館)と「中国人殉難者慰霊式」(30日大館市花岡町十瀬野公園墓地)に、日 … 続きを読む 花岡を訪ねて
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「公文書を生かす 情報公開法成立20年」第5回 公的記録少ない満蒙開拓 市民活動が解明補う
会員の活動が毎日新聞に載りました。 会員の藤村妙子さんが共同代表を務める「東京満蒙開拓団を知る会」の活動と、著書「東京満蒙開拓団」の内容紹介などが。毎日新聞の下記の記事に掲載されました。 「公文書を生かす 情報公開法成 … 続きを読む 「公文書を生かす 情報公開法成立20年」第5回 公的記録少ない満蒙開拓 市民活動が解明補う
日中労働情報フォーラム事務局長就任にあたってー藤村妙子
私は、地域の市民運動の仲間たちと東京からの満蒙開拓団の調査研究を行う「東京の満蒙開拓団を知る会」を2007年9月に作り研究の成果を2012年9月にゆまに書房から出版しました。この拙著が会長の伊藤さんの目に留まり、2016 … 続きを読む 日中労働情報フォーラム事務局長就任にあたってー藤村妙子
「東京満蒙開拓団」~その背景と史実から学ぶもの~ 講演ビデオ
<日中労働情報フォーラム第4回総会 特別講演(2016/4/16)>
なぜ東京から1万人も満州に渡ったのか?
「東京満蒙開拓団」~その背景と史実から学ぶもの~
講師 藤村 妙子(東京の満蒙開拓団を知る会)
講演した藤村妙子さんは東京南部の地域で労働組合の役員や市民運動をしてきた方だ。
2006年地元の高校生が学園際で配ったパンフレット「興安東京荏原郷開拓団の最後」で初めて知ったと時の衝撃は忘れることができないと語る。なぜ東京から開拓団が出たのか、足元の史実が知りたくて仲間と調査を開始したのがきっかけだった。そして、実は東京から1万1111名の開拓団が満州に送られた事実を知った。
多数の開拓団の中に武蔵小山商店街の団がありこれが「荏原郷開拓団」だった。農業と関係ないクリーニングや乾物屋、運送業などに従事した人々がどうして満州の開拓団に参加させられたのか調べていく。その結果、当時(1930年代)は産業も国家予算も民生を圧倒する軍事予算と軍需に急傾斜していく中で商店など仕事を辞めざるを得なかった背景が浮かび上がる。 <ビデオ 49分>