私は、地域の市民運動の仲間たちと東京からの満蒙開拓団の調査研究を行う「東京の満蒙開拓団を知る会」を2007年9月に作り研究の成果を2012年9月にゆまに書房から出版しました。この拙著が会長の伊藤さんの目に留まり、2016年4月16日(くしくもこの日は私の誕生日!) 第4回総会において「なぜ東京から一万人も満州に渡ったのか「東京満蒙開拓団」~その背景と史実から学ぶもの~と題して講演を行ったことが縁で入会しました。
私と中国との関係は、高校生の時から始まります。学園紛争が華々しく闘われた後の1970年4月に入学した高校では様々な教育改革が行われていました。制服はなくなり、自由な雰囲気が漂っていた頃でした。そして、高校2年から「選択授業」が各種あり、私は「中国近代史」を選択しました。週一回中国の近現代史、日本が戦争中に行ったことを本多勝一氏の「中国の旅」をテキストとして学んだり、毛沢東の「実践論」「矛盾論」を読んだりしました。この時の経験が、私のその後の人生を決めたと言ってもいいと思います。
今、毎日中国の事が報道されない日がないほど、世界的な様々な動きと中国の動きは連動しています。中国は日本の侵略とその後の内戦などによる破壊や様々な問題を克服し、日々変化し、発展しています。私は「中国近代史」の授業の時に教師の「中国は広い、変化に富んでいる。今が全てではなく、矛盾の中から次の力が生み出される。日本にいたら感じられないダイナミックなものがある。」という言葉を思い出します。
こうした中で、「中国侵略戦争を労働者人民の闘争によって阻止し得なかったことを深く反省し(中略)日中不再戦、反覇権の決意を堅持し・・・両国労働者階級の友好発展を強化し、アジアと世界の平和を確立するため、団結して奮闘することをあらたに誓います」という日中労交の初代会長の市川誠氏によって起草された「誓い」の一節は、今も私たちの方向性と決意を示していると思います。
まだまだ、経験の浅い事務局長ですが、先輩諸氏のご指導を受けながら、次の世代にこの運動を繋ぐ役割を微力ですが果たして行きたいと思います。
藤村 妙子
(東京南部全労協事務局長/東京の満蒙開拓団を知る会共同代表)
*参考資料 大田区職労ニュース掲載の藤村妙子のメッセージ