カテゴリー別アーカイブ: レポート

日中国交正常化50周年記念緊急集会(2022/4/14・衆議院議員会館)

日中国交正常化50周年記念緊急集会に参加して

日中労交事務局長 藤村 妙子

 4月14日衆議院議員会館で開かれた集会にスタッフの一人として参加した。当日は、集会開始前から次々と集まり、関心の高さを感じた。そして、参加者たちは、ウクライナで起きている戦争や今日本で流されている報道には満足できず真実を知りたいと真剣な表情で挨拶や講演を聞き入っていた。当日の内容を簡単にレポートしてお伝えしたい。(当日の講演などは、YouTubeで視聴する事ができる。)

日中国交正常化50周年 本来なら国が何らかの行事をすべき

村山談話の会藤田高景理事長 主催者挨拶に立った村山談話の会藤田理事長は「1972年9月29日日中国交回復から50年の今年、本来であれば国が何らかの記念行事をすべきであるが未だにその動きは無いようだ。それどころか中国への敵視政策が行われている。中国は日本の隣国であり、最大の貿易相手国でもある。今、ウクライナで戦争が起きている。故菅原文太氏は『政治の役割は、人々の頭上に爆弾を落とさせないこと、そして人々を飢えさせないこと』といった。しかし、今の日本の政治は真逆のことをやっている。いつまでもアメリカの手先になっているのではなく、自主独立を目指す『キックオフ』の集会にしたい」と語った。

アジアの平和と繁栄のために日中の協調と友好を

東日本国際大学名誉教授・政治評論家の森田実氏 東日本国際大学名誉教授・政治評論家の森田実氏が来賓のスピーチを行った。「今の外務大臣林芳正は、以前は日中友好活動をやっていたのに、中国脅威論を喧伝し、近隣国との外交を拒否している。今や中国との関係が大切だということを言う政治家はほとんどいなくなり、中国に対して酷い表現をしている。まるで皆が石原慎太郎になったようだ。隣国との平和を保たなければだめなのに、政治家が感情で動いている。これは非常に危険な兆候だ。アジアの平和と繁栄の肝は、日中の協調と友好にある。」と89歳の年を感じさせられないかくしゃくとしたスピーチだった。
沖縄の風代表伊波洋一参議院議員 続いて来賓の挨拶に立った沖縄の風代表伊波洋一参議院議員は「2019年に日中首脳会談を行った当時の首相安倍は、相互信頼関係、経済関係、国民交流などの33件の合意をした。この合意は今でも生きている。しかし、彼は戦争法を成立させ、安倍を引き継ぐ菅・岸田政権は、与那国や八重山などの南西諸島にミサイルを配備する、重要土地規制法の成立、今や敵基地攻撃能力を持つとまで言っている。台湾有事を日本有事にするための動きが強まっている。米軍に戦争を開始させてはならない。私たちは今、引き返さなければならない所に来ている」と沖縄で進む動きを暴露しながら挨拶をした。

軍国主義の亡霊は今、蘇がえりつつある

林伯耀旅日華僑日中交流促進会共同代表連帯の挨拶は林伯耀旅日華僑日中交流促進会共同代表がおこなった。「孫文は『日本は、西洋覇道の番犬になるのか、東洋王道の干城となるのか』と言った。孫文が生きていたら今も同じ言葉を言っただろう。日本は再び帝国主義者と一緒になって大陸を破壊するのか、東洋の仁義に基づいて平和の要になるのかという事が問われている。1972年に日中国交正常化した。中国ではかつて侵略した国と友好関係を結ぶことに心配する声が沢山あった。」と様々な交流友好の中での経験を語った。そして「今、軍国主義の亡霊が蘇るようだ。『暴支膺懲(ぼうしようちょう)』の時代が再びやってくるようにさせてはいけない。来年は関東大震災から100年になる。過去の歴史をもう一度見つめ直す時だ。」と現下に広がる反中の言説を批判しながら、過去と向き合うことの大切さを力説された。
 挨拶の後、日中友好の歌が田偉東方文化芸術団長から披露された。

日本はアジアを封じ込める役割を果たしてはならない

羽場久美子青山学院大学名誉教授・神奈川大学教授 講演の第一として、羽場久美子青山学院大学名誉教授・神奈川大学教授が「中国は敵ではない。東アジアは平和と繁栄の基礎」と題する講演を行った。「アメリカは中国封じ込めに躍起となっている。こうした中で、ロシアがウクライナに侵攻した。この侵攻の前からウクライナ周辺に武器と部隊が集められてきた。一方ウクライナにはアメリカから武器が持ち込まれ、アメリカ軍がウクライナ兵に訓練を行っていた。ウクライナは、ヨーロッパとアジアを結ぶ要にあり、様々な民族が住んでいる。武器を渡した国ではなく、渡された国が戦場になっている。
 今はパワーシフトの時代だ。世界地図を東を上に回転させると日本列島は、ロシア・朝鮮半島・中国を覆う弓のようにある。アメリカから見ると約3000㎞の自然要塞。ウクライナ戦争に乗じた日本の軍国主義復活を許してはならない。日本は東アジア封じ込めの役割を果たすのではなく、東アジアの共同発展に寄与する存在にならなければいけない。」などを豊富資料絵図(PDF)を使いながら講演した。

アメリカ本土の盾にされる日本

 カンパアッピールが高梨神奈川歴史教育を考える市民の会会長からあったあと、纐纈厚山口大学名誉纐纈厚山口大学名誉教授教授から「日中対立を促すアメリカの軍事戦略」と題する講演があった。「2021年6月のサミットで中国と台湾の『両岸問題が言及された』と日本のマスコミや政府はセンセーショナルに騒ぎたてたが、実はこの問題は70項のうち60項目、中国との距離の取り方は国によって異なる。アメリカは「両岸問題は平和的に解決を促す」というあいまいな態度をとっているが、日本側は「台湾有事の時は、周辺危機事態として対処する可能性がある」とアメリカに伝えている。まるでアメリカから「用意はできているか」と聞かれ「大丈夫です」と答えているかのようだ。アメリカは軍事戦略を変え、自国の軍隊を出さなくても済むように「対等同盟」を結び、旧来の対テロ戦争とは異なり国家間の紛争に対処しようとしている。日本をアメリカ本土の盾にしようと様々軍事物資を売りつけ、アメリカの軍需産業は儲けている。今度のウクライナ戦争では総額100兆円の軍事予算となっている。
 中国が攻めてくるかのような言説があるが、中国は資源大国ではない。14億の人々のために食料を確保し、生活向上のために生産力を高めなくてはならない。貿易の相手国日本を攻め込む必然性はない。「台湾有事」についても台湾の問題は台湾に住む人々の問題であり、中国の内政問題である。他国が干渉するべきではない。」等現在世界を覆う問題に対して鋭く切り込む内容だった。

軍事同盟をなくし、相互の人権尊重を

伊藤彰信日中労交会長 最後にまとめとして伊藤日中労交会長から「『争えば共に損し、和すれば共に益する』という言葉がある。最近は『争えば儲けるやつがいる』ともいえるが、争えば殺し殺されるのは民衆である。今こそ、日中共同声明の意義を再確認すべき。そして、軍事同盟をなくし、相互の人権を尊重する世界を作ろう。」と結びの言葉があった。
 集会は、9月28日に大集会を行うことが司会の方から案内がありおわった。

 以上のように盛りだくさんの内容であったが、時節にマッチしたとても有意義なものだった。YouTubeで視聴できるので、多くの皆さんに見て、考えていただきたいと思った。

関東大震災中国人受難者追悼の午後(9/5)

 「関東大震災中国人受難者追悼の午後」が9月5日、東京の江東区東大島文化センターで開かれました。コロナ対策のため40名までの予約制、オンライン併用で行われましたが、当日参加が多く、急遽、第二会場を設定しての開催でした。
 関東大震災で朝鮮人が虐殺されたことは知られていますが、700人以上の中国人が虐殺されたことはあまり知られていません。会場の江東区東大島文化センターは、中国人約300人が虐殺された場所に建てられた施設ですが、虐殺があったことを記す碑も説明文もありません。
 第一部は「中国人受難者追悼式」でした。主催者を代表して田中宏(一橋大学名誉教授)さんが挨拶をした後、関東大地震被屠殺華工温州遺族会が作成したビデオが上映され、犠牲者の名前が一人ひとり読み上げられました。留日学生救国団、僑日共済会のリーダーで虐殺された王希天さんの孫の王旗さんのメッセージが読み上げられました。また、温州ならびに福清の遺族とオンラインで結び、挨拶を受けました。中村まさ子(江東区議会議員)さんと吉池(アジアフォーラム横浜)さんがあいさつしました。

林伯耀さん

 第二部は「関東大震災における中国人虐殺を考える集い」でした。林伯耀さんが「震災当時の中国人労働者排斥の動き」と題して講演しました。「江東区大島町で400人以上の中国人が虐殺された大島事件は、民族排外主義にもとづく中国人への憎悪と敵愾心を根底に、アジア制覇を目指す帝国主義国家日本の体制と威信を保持(治安維持)するために、日本人労働者の自己保身のために、中国人労働者の殲滅を狙った日本の軍・警察・労働者による集団虐殺事件であった」と述べました。大島町事件と同様の事件は神奈川県でもあったこと、1920年代に中国人労働者の排斥運動があったことを資料にもとづき説明しました。
 閉会のあいさつを内海愛子さんが行い「中身の濃い集会でした。それをいかに若い人に繋いでいくのか、もっと工夫しなければなりません」と訴えました。
 第三部は「王希天さん追悼会」でした。逆井橋のたもとで、追悼が行われました。

<報告・写真:伊藤彰信>

南京大虐殺から83年・証言を聞く東京集会―歴史を忘れず、現在の戒めとしよう

南京大虐殺から83年 証言を聞く東京集会

「歴史を忘れず、現在の戒めとしよう」と「南京大虐殺から83年 証言を聞く東京集会」が12月13日、東京都内で開かれた。コロナのため予約制の集会であったが50名弱が参加した。

主催者の「ノーモア南京の会」を代表して田中宏先生(一橋大学名誉教授)が次のように開会のあいさつをした。

田中宏先生(一橋大学名誉教授)
田中宏先生(一橋大学名誉教授)

南京の紀念館がオープンしたのが1985年8月15日、戦後初めて現役の中曽根首相が靖国神社を公式参拝した日です。84年4月に靖国懇がつくられ、神道の参拝形式でなければ憲法違反にならないという答申を受けて、参拝に踏み切るわけです。中国で南京紀念館の建設準備が進んでいることに、日本の外交ルートもマスコミも気が付いていなかった。

靖国懇のメンバーで哲学者の梅原猛さんが新聞にエッセイを書いている。靖国懇に外務省を呼んで「靖国参拝はせっかく良くなってきている日中関係を悪化させることになりはしないか」と聞いたところ、外務省は「何も心配ありません」と答えた。梅原さんはその後、中曽根首相に会ったとき「私の言ったとおり日中関係は悪化してしまった。靖国懇の委員を辞めておけばよかった」と言ったところ「行くなと言っても私は参拝した。そうしなければ自民党はもたなかったから」と言ったと書いている。

歴史と向き合あうことに日本社会は非常に鈍感です。私が初めて南京に行ったのは1987年ですが、南京大学の先生に「なぜ紀念館をつくったのですか」と聞いたら「それは教科書問題です」と二つ返事でした。1987年に韓国に独立記念館ができます。パンフレットを読んでみると「日本で歴史の改ざんが始まった。私たちは歴史を正しく伝えるために記念館をつくった」と書いてあった。1982年が教科書問題でした。宮沢官房長官が「政府の責任で是正する」と談話を発表して収めた。検定基準の中に近隣諸国条項を入れて対応した。教科書がどうしてこんなに問題になるのか分かっていない。

今も歴史とどう向き合うのかという課題は続いている。その重みを感じてほしい。

 集会は、日本軍が行った南京安全区の中国軍敗残兵掃蕩作戦に巻き込まれ、父と兄を殺害された石秀英さんの証言ビデオ「石秀英さんの被害の現場を訪ねて」(ノーモア南京の会制作)と東史郎日記の現場を訪ねる任世淦さんの活動を追った「故郷鎮魂」(山東テレビ制作)が上映された。その後、細工藤龍司さんが「山東省にもあった南京大虐殺」と題して、東史郎日記と任世淦さんの活動について解説した。

南京大虐殺から83年・2020年東京証言集会に行ってきました―― 藤村妙子

「満蒙開拓」欺かれし阿智村の悲劇

高橋恒美(フリージャーナリスト)

■阿智(あち)村にある「満蒙開拓平和記念館」を見学した。
 館内は戦争の悲劇に満ち満ちていた。阿智村は恵那山の東、岐阜県と隣接する長野県の村で、満蒙開拓に大量190人を送り込んだ。そして帰国できたのは、わずか47 人という辛酸をなめた村だ。

満蒙開拓平和記念館

 先の戦争を知らない若者には、そのイロハから説明する必要があるだろう。昔、映画「ラストエンペラー」で知られる「満州国」という国があった。日本軍が中国大陸を侵略し、1931 年(昭6)、内モンゴル(蒙古)に隣接する東北部に、でっち上げた傀儡(かいらい)国だ。そのエンペラーは溥儀(ふぎ)皇帝。もちろん、世界から大きな非難が起きた。
 日本政府は「満州へ行けば広大な農地がもらえる」と、宣伝して全国から開拓民を募った。その名も「満州農業移民100 万戸移住計画」。侵略の手先として国民を騙したわけだ。
 寒村の阿智村が、これに応じて村を挙げて「満蒙開拓団」を結成したのは、無理からぬ事態だった。他県の成功が報じられ、村のお偉いさんの「お国のために、ぜひ」の勧誘もあったことだろう。時は、敗戦間近い1945 年(昭20)5 月のことだった。

■しかし事態は、すぐに暗転する。
 8 月に入るや、連合国に加わったソ連の軍隊が侵攻して来る。成人男性は軍に招集され多くが死んだり、捕虜になったり。残された女・子ども・老人は、当ての無い大陸での逃避行が待っていた。土地を奪われた恨みの現地住民から襲撃を受け、集団自決や捕らわれて収容所へも。
 全国から赴いた27 万人のうち8 万人が命を落とした。阿智の人々も先に述べたように、約100 人がこの地で亡くなり、帰国が叶ったのは47 人だった。
 館内展示の中には、生き延びた人々が逃亡する際の様子や、極寒の収容所での修羅が書き記されている。「もう死んだ方がいい」と、互いに石で殴り合うのだが、死に至らない悲劇の様も。
 この記念館の建設。「戦争は二度としてならない」という村の意志が表れている。「中国残留孤児」の帰国問題で日本が揺れた時があったが、この残留孤児は、阿智の人らが逃避行の際に、わが子を中国人に託した子どもたちに他ならない。
 シベリア抑留から帰った村の僧侶が、帰還運動に奔走し、それが口火となった。

■記念館の庭に「前事不忘、後事之師」と刻んだ記念碑がぽつり。胸にグサリと突き刺さってきた。その意味は「前事を忘れず、後事の教訓とする」。
 この「ツネじい通信」の前々号で、「欺されることの責任」と題して、先の戦争は「騙された側にも、戦争責任はある」と紹介したのだが、こんな阿智村の“自戒の例”を突きつけられると、二の句がつけない思いになる。翻って、ごっそり国民を騙して地獄の渕に追いやった国のあり様に、怒りを覚えてならない。

■ 安倍首相が政権を投げ出し、安倍政治の大番頭というか実行委員長だった菅官房長官が、その後継者に決まった。
 「アベ政治の悪事にフタをし、さらに継承するぞ」ということを意味している。
 「安倍の7 年8 か月」は、「戦争法」を強行採決するなど憲法9条に守られた「戦後の平和路線」をなし崩しにする“悪夢の時”だった。しかし、国民の多くは「安倍さんお疲れ様」と、内閣支持率アップする形で反応した。何ともノー天気な話だ。
 その安倍さん、引退記念に特別談話の形で「敵基地攻撃の保有能力」保持を、政治のまな板の上に乗せる提案をした。安倍さんが最後の最後まで終着したのはコロナでも災害対策でも、貧困対策でも無かった。「国民の命」よりも、「軍事」だったのだ。
 何とも惨(みじ)めな最期ではないか。

 安倍さんや麻生さんに「阿智村の叫び」を突きつけたとするなら、彼らは多分こう言うことだろう。「それは、うまい騙しのテクニックだったな。見習わねば」と。
 阿智の人たちが騙されたのは、貧農から抜け出したい思いが強かったからだろうが、今でも形は変われど同じだ。
 「景気をよくして生活を楽にしたい」、だから「アベノミクスに期待してみるか」。言ってみれば、「貧農」が「生活苦」に変わっただけの話。
 今も騙しの手口は変わっていない。

■コロナ禍を差し置いて「軍事拡張」を譲らぬ安倍さんに抗するかの様に、「いま英知が試されている」と説くお方がいる。名古屋大学名誉教授の池内了さんだ。「ぎふ平和のつどい実行委員会」が、この27日に予定している「憲法公布74 周年記念講演会」の講師だ。
 池内さんは中日新聞「時のおもり」(8 月1 日)で、こんな自説を述べておられる。大いに共感できる記事だ。その内容を筆者流に紹介すると―。

 《 コロナを戦争相手国のように例える政治家がいるが、お門違いだ。コロナに立ち向かうには、戦争とは真逆の世界の協調行動が求められている。拡大する一方の軍事費をコロナ対策に充当させれば、はからずも平和に貢献できる。また資源・エネルギーを無駄遣いしなくてよい。それが英知というものだ 》

■「戦争をする国づくり」を志向し、中国、朝鮮半島を侵略した過去を、まっとうに反省することなく、敵視・嫌悪する空気を醸し出す「アベ的な政治」。記念館の庭に掲げられた「前事不忘、後事之師」の「前事を忘れず、後事の教訓とする」の誓いが泣くというものだ。
 私たちは、未だ「政治を選択できる」選挙という権利を有する。菅政権は即刻、総選挙に打って出る構えを見せているが、阿智の人たちの多大な犠牲の末に手にしたこの教訓を、忘れてはなるまい。

(2020/9/14 記)

「ツネじい通信」 NO91 2020/9/14 より転載
発行者 高橋恒美(岐阜県羽島郡笠松町東陽町36-4)
Eメール tune0402@ccn2.aitai.ne.jp
携帯?090-8952-1418

差別排外主義を煽る社会を断つ―関東大震災97周年中国人受難者追悼集会

関東大震災97周年中国人受難者追悼集会(9月6日、江東区東大島文化センター)
関東大震災97周年中国人受難者追悼集会(9月6日、江東区東大島文化センター)

「関東大震災97周年中国人受難者追悼集会」が9月6日、江東区東大島文化センターで開かれました。主催は関東大震災中国人受難者を追悼する会です。今年はコロナ対策のため、参加者を40名に制限したため、参加をお断りした人がかなりいたそうです。また、例年、中国からご遺族の方が参加していましたが、今年は実現しませんでした。張玉彪(南京芸術学院教授)さんが描いた「東瀛大屠殺」(関東大震災中国人虐殺の図)が披露されました。

主催者を代表して田中宏があいさつのあと、中国人遺族からのメッセージが紹介されました。日本政府が、虐殺の事実を認め、謝罪し、賠償すること、紀念館の建設と教科書に記載することを要求しています。来賓として、地元の中村まさ子江東区議会議員があいさつしました。参加者が献花をし、追悼式は終了しました。

そのご、中国人虐殺を考える集いが開かれました。開会のあいさつに立った林伯耀さんは、関東大震災後、伯父さんが身の危険を感じ、親戚一同が警察に保護を求め、習志野の収容所にいたことを話しました。

張玉彪(南京芸術学院教授)さんが描いた「東瀛大屠殺」(関東大震災中国人虐殺の図)
張玉彪(南京芸術学院教授)さんが描いた「東瀛大屠殺」(関東大震災中国人虐殺の図)

事務局の木野村間一郎さんが「政府が扇動する排外主義とヘイト」と題して問題提起をしました。今、コロナで危機管理が問われ、自粛警察、感染者やその家族などへの差別が問題になっている。関東大震災の際、朝鮮人・中国人を虐殺したのは、流言飛語に踊らされた日本人民衆であるといわれている。それは、差別意識が社会的に蔓延していたこと、その差別意識が虐殺に至らしめる社会構造が存在していたことが問題である。戒厳令、自警団の組織化、軍による情報操作が虐殺をもたらした疑う余地はない。当時、軍は総力戦を戦えるよう民衆を治安管理に動員する意図をもって、在郷軍人会、警察、町会、青年団などの組織化をすすめていた。後方を固めなければ、前方で戦闘はできないのである。米騒動や大正デモクラシーの人権意識、民衆運動の高まりが、関東大震災を契機に治安維持法、軍国主義の流れになり、社会運動、労働運動が弾圧され、南京大虐殺につながる侵略の道になる。コロナ対策では政府の言う通りみんなが自粛した。支配権力への同調や強権的政治への願望の意識が、排外主義的差別意識と同様に恐ろしい。木野村さんの話は、関東大震災をとおして、コロナ時代の危機管理体制のあり方を問う内容でした。

閉会のあいさつを内海愛子さんが行い「追悼式を行い、私たちの問題意識を積み上げ、それをいかに若い人に繋いでいくことが課題です」と訴えました。

(報告・写真:伊藤彰信)

村山富市元総理大臣

村山談話に託した想い(談話)

2020年8月15日

 元内閣総理大臣 村山富市

 「光陰矢のごとし」と言いますが、私が内閣(村山内閣)を率いていた時(1995年8月)に、閣議決定を経て、日本国政府の公式見解として「村山談話」を発出してから、はや25年の歳月が流れました。この「村山談話」は、中国・韓国あるいは米国・ヨーロッパなど、世界各国の人々や政府から、高い評価を受け続けているようで、光栄なことだと思います。
 「村山談話」を発出したのは、1995年8月ですが、その10年前の1985年8月15日、時の中曽根康弘首相は、戦後初めて、首相として靖国神社に公式参拝したのです。その同じ日、中国・南京には「南京大虐殺紀念館」が開館しています。私も紀念館を訪れたことがありますが、その館名は鄧小平氏の揮毫になるものです。
 翌86年8月、後藤田正晴官房長官は、「靖国神社がいわゆるA 級戦犯を合祀していること等もあって、…我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国がさまざまな機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。…諸般の事情を総合的に考慮し、…明8月15日には、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした」との重要な談話を出しました。
 又、日本のかつての同盟国のドイツ、具体的には西ドイツの、ワイツゼッカー大統領は、同じ戦後40年にあたるドイツ敗戦記念日の1985年5月8日に、連邦議会で「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」との記念演説を行い、内外に感銘を与えました。
 私は、こうしたことも念頭にあったので、総理大臣在任の時が、まさに敗戦50年の歴史的な日を迎える事となるので、その節目に、けじめをつける意味で、過去の歴史的事実を謙虚に受け止め、平和と民主主義、国際協調を基調とする日本の針路を明確に闡明(せんめい)する必要があると思って、「村山談話」を、作成する事を、決断したのです。多くの方々の協力で、この談話は出来上がりました。特に、当時の自民党総裁であった河野洋平さんのご協力には、感謝しております。
 私の後を継いだ、橋本龍太郎首相以降、今日に至るすべての内閣が「村山談話」を踏襲することを明らかにしていますが、それは当然のことと言えます。中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・ヨーロッパでも、日本の戦争を、侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は、全く、受け入れられるはずがないことは、自明の理であります。
 当時、私は「村山談話」の作成に際し、作成実務を担った担当幹部に対して、一番、肝心な事は、侵略と植民地支配によって、中国・韓国・朝鮮など、アジア諸国の人々に耐えがたい被害と苦痛を与えた歴史的事実を明確にして謝罪の意思を示し、二度と侵略や植民地支配を繰り返さない決意を表明する事だと、強く指示しました。村山談話にも、「我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました」との認識が綴られています。
 日本の著名な学者・文化人・弁護士・ジャーナリスト・市民活動家が中心となって、2013年11月に、「村山首相談話を継承し発展させる会」が結成されました。歴史の事実を正面から受け止めて、二度と再び、侵略や植民地支配を繰り返してはならないとの立場から、集会・シンポジウム・外国との交流など、活発な活動を続けておられることには、敬意と感謝の気持ちを表したいと思います。日本の多くの良心的な人々の歴史に対する検証や反省の取り組みを「自虐史観」などと攻撃する動きもありますが、それらの考えは全く、間違っています。日本の過去を謙虚に問うことは、日本の名誉につながるのです。逆に、侵略や植民地支配を認めないような姿勢こそ、この国を貶(おとし)めるのでは、ないでしょうか。
 村山談話では、また「わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会に一員として国際協調を促進し、それを通じて平和の理念と民主主義とを押し広めていかねばなりません」とありますが、これは日本国憲法が求めていることでもあります。「村山談話」の最後には、「我が国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります」と、日本の国際社会への貢献についても提起しました。戦後50年という節目における「村山談話」が、今後の日本、アジア、そして世界の和解、平和、発展に貢献してくれることを期待したいと思います。
 日本にとって、かつての侵略戦争で多大の犠牲と被害を与えた中国との間に、末永く平和と繁栄の友好関係を保持し、築きあげて行くことが、極めて肝要なことは言うまでもありません。アジアの平和と安定の構築のためには、日中両国の、安定的な政治・経済・文化の交流・発展を築いていかねばなりません。
 その成就を祈るばかりです。

資料:「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話 1995年)

平坂春雄(日中労働者交流協会元事務局長)

平坂春雄さん(日中労交元事務局長)が逝去―心からご冥福を!

 8月2日に亡くなられた平坂春雄元事務局長(元全港湾関西地本書記長)の葬儀
が、8月4日通夜、5日告別式の日程で兵庫県尼崎市で執り行われました。
 私が参列したのは告別式ですが、コロナ対策がしっかり行われ、椅子も間隔を置いて配置され、参加者はマスク着用、導師もマスクしての読経でした。20人ほどの参列者でしたが、通夜には、もっと多くの方がお別れにみえていたとのことです。
 弔電拝読では、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館の弔電が最初に読み上げられました。会員の方からも多数弔電をいただきました。喪主の長男匡史様からは「故人の遺志をついでこれからも頑張ってください」と逆に激励されました。

 平坂さんは、養成工として尼崎製鋼所に入社。1954年の尼鋼闘争を指導。1955年兵庫県評書記となり、中小企業対策オルグとして数々の争議を指導しました。 1966年全港湾のオルグとなり、登録日雇港湾労働者の組織化を手掛けました。1967年全港湾神戸支部書記長、1981年全港湾関西地本書記長を歴任しました。
 日中労交には結成当時から参加。初代事務局長の兼田富太郎さんのあとを継いで、1985年から日中労働者交流協会の事務局長に就任し、市川会長と共に1985年8月15日の侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館の開館式典に参加しました。以来、南京大虐殺展の開催、毒ガス展の開催、中国人強制連行犠牲者の慰霊、中国人研修生問題などに取り組み、日中友好活動を積極的に行った方です。
 市川会長の「日中不再戦の誓い」の碑を南京紀念館に立てることを提案し、2009年12月13日 の除幕式に参加しました。その後、事務局長を退任し、最近は、高齢者施設で療養生活を送っていたところです。
 8月2日永眠されました。93歳でした。心からご冥福をお祈りいたします。

侵華日軍南京大虐殺史国際学術シンポジウム(1997 年8月南京)で発言する平坂さん
侵華日軍南京大虐殺史国際学術シンポジウム(1997 年8月南京)で発言する平坂さん

伊藤 彰信 (日中労働者交流協会代表)

「歴史問題の和解を考える~市民活動の可能性に着目して~ 」外村大(東京大学教授)の講演をお聞きして

 藤村 妙子 (中労交事務局長 )

 2020年7月18日の総会において外村教授の講演があった。語られた内容はこれからの国際連帯活動を考えるうえで大変示唆に富む内容だった。詳しくは、別紙当日外村教授から配布されたレジュメに是非目を通していただきたいが、ここでは感想も交えてレジュメの他に語られた内容について書いていきたい。

2020年7月18日の総会において外村教授の講演
第6回総会(7/18)の第2部特別講演として外村 大(東京大学教授)に「歴史問題の和解を考える~市民活動の可能性に着目して~」をお願いした

「和解」を研究する「和解学」の設立

 東京大学で総合文化研究科において地域文化研究に取り組んでこられた外村教授は、「和解学」の創造を掲げる研究プロジェクトに参画しているとのことだ。「和解学」とは政治学、歴史学と哲学などの学際的な領域の研究テーマである。「歴史の歪曲」が起きる要因の多くは政治的な野心である。しかし、人々がその「歪曲された歴史」を受け入れているという中にあって、過去の過ちと向き合うとは何なのか、どうしたら被害者と加害者が和解する事ができるのかを様々な市民活動などと出会う中から考えてきた中で「和解学」の設立しようと思い至ったと外村教授は語った。私は、この「和解学」設立のプロジェクトに参加とようと経過をお聞きし、外村教授の研究室にこもっていないアクティブな研究の姿勢にとても感銘を受けた。
 敗戦後から日本人が過去の過ちとどう向き合ってきたのかという経過が語られた。敗戦後すぐには余裕もなく、「アジアの諸民族批判を受け止めないままの民主化、戦争被害国や被支配国不在の講和」から出発した日本。この日本国民が1950年代になってようやく「日中、日朝の友好運動」が、遺骨の収集や奉還などから始められた。しかし、戦後日本の主力労働組合であった炭労の「田中委員長問題」それは「田中委員長は朝鮮人だ」という噂話が広がる中で労働組合に動揺が起き、田中委員長が辞職した問題に表れるように闘う労働者と言われた炭労の組合員も差別から自由ではなかった。私はこの話を聞きながらこの問題後あった戦後労働運動の最大闘争である三井三池闘争の過程で被差別部落民への差別意識を利用した会社側の分断工作があったことを思い出した。権力者は私たちの中にある差別意識を利用して、分断をして来ること。差別と向き合い被差別者との連帯は、労働運動の課題であることを改めて実感した。

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日中労働情報フォーラム第8回総会(7/18)開催

日中労働情報フォーラム第8回総会
日中労働情報フォーラム第8回総会(2020/7/18)

 7月18日、コロナ感染で延期になっていた総会が開かれました。「感染拡大中の東京へは行きたくない」という声も多く無事開催できるのか危ぶまれましたが、委任状等も含めて定足数35を上回る50名の参加があり、総会は成立しました。 

垣沼副代表が開会のあいさつ
垣沼副代表が開会のあいさつ

 まず、伊藤彰信代表からあいさつがありました。「フォーラムは交流の実績を上げてきた。しかし、日中関係はコロナ問題と香港問題に直面している。中国では日本に好感を持つ人が増えてきたが、日本では〝習 近平来日阻止〟や〝国連が中国に牛耳られている〟と叫ぶ人がいる。米中関係は冷戦構造になりつつあるので、私たちの立ち位置が難しくなっている。フォーラムは友好交流団体なので、友好を損なわないように労働者間の友好連帯をつくっていこう。」と。

伊藤彰信代表が活動方針を提案
伊藤彰信代表が活動方針を提案
藤村事務局長が経過報告を行う
藤村事務局長が経過報告を行う

 次に、議事に入り、2019年度活動報告、2020年度活動方針、2019年度決算及び会計監査、2020年度予算案について提案と討論があり、全て承認されました。 討論では、ユニオンみえや関西生コンの闘いの報告もなされました。

 それから、「日中労働情報フォーラム」の名称を「日中労働者交流協会」に変更に関する会則改正、運用要綱改正、趣意書改正について話し合われました。「日中労働情報フォーラム」を解散して「日中労働者交流協会」を再建するわけではなく名称変更であるということで、会則改正、運用要綱改正は承認され、趣意書改正については三役一任となりました。

伊藤光隆事務局次長の議長で会議を進めた
伊藤光隆事務局次長の議長で会議を進めた

最後に、新役員の選出・承認が行われました。役員体制に大きな変化はありません。

 なお、総会には、中国職工対外交流センター秘書長 馬進さんからメッセージが届いていました。
   

第2部で外村大(東大教授)先生が「歴史問題の和解を考える」の講演を行った
第2部で外村大(東大教授)先生が「歴史問題の和解を考える」の講演を行った

(文責  伊藤光隆)

新型コロナ拡大で退職通知  製造会社、中国実習生に「不当扱い」増える恐れも

(「共同通信」 2020年03月10日)

 新型コロナウイルス感染症の拡大を理由に、埼玉県越谷市の製造会社が、中国人技能実習生の女性(33)に2月付の退職を通知していたことが10日、関係者への取材で分かった。中国に一時帰国し、訪日規制の対象外地域にいたため日本に戻れた女性に対し、待機を指示。その後、実習中断と退職の同意確認書を送った。女性は退職に同意していない。労働問題に詳しい弁護士は「不当な退職勧奨だ」と指摘している。 感染拡大の先行きが見えない中、こうした立場の弱い労働者への不利益な扱いが増える恐れがある。外国人労働者の支援団体は、女性の例は氷山の一角とみて情報提供を呼び掛けている。

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