日本の中国侵略50年を見つめて ~北京、哈爾浜、瀋陽、撫順、大連、旅順を訪問~

伊藤彰信(訪中団団長)

第6次「日中不再戦の誓いの旅」

日本の中国侵略50年を見つめて

~北京、哈爾浜、瀋陽、撫順、大連、旅順を訪問~

 日中労交の第6次「日中不再戦の誓いの旅」は、8月19日に出発し、北京、哈爾浜、瀋陽、撫順、大連、旅順を訪問して、25日に帰国しました。「日中不再戦の誓いの旅」としては、2度目の旧満州訪問ですが、今回初めて旅順を訪れました。

訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)、秘書長=藤村妙子(日中労交事務局長、東京の満蒙開拓団を知る会共同代表)、団員=津和崇(ユニオンネットお互いさま特別執行委員)、町田貞一(東京東部労組ディベンロイ労組支部委員長)、池田和則(西日本NTT関連労働組合執行委員)の5名です。全員60歳以上の高齢者の団であったことは残念でしたが、元気に交流、見学の日程を消化してきました。

中国でテレビを見ていると、今年10月1日の中国建国70周年に向けたキャンペーン、ゴミの分別や交通マナーの宣伝などが目に留まりました。

 以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。

<北京>

 8月19日、訪中団は、東京・羽田から、また関西空港から北京に着きました。空港には、中国職工対外交流センター技術交流部の李明亮さんが出迎えてくれました。空港で昼食をとったあと、ホテルの職工の家に移動し、中国職工対外交流センターの常品超副秘書長らと懇談しました。

 常副秘書長は「歴史を尊重し平和を愛する友好的信念を持って訪中された皆様を歓迎します」と述べ、現在展開されている「初心を忘れず、使命を胸に刻む」の特別教育活動について、また、中国労働組合の活動として、労働者の合法的権益を擁護し労働者に奉仕する活動、産業労働者の技能レベルと待遇レベルの向上させる活動、労働組合改革を深化して労働組合の活力を強化する活動について説明しました。そして、日中労交への希望として、正しい歴史を広め、多くの人、とくに若い人を中国に連れてきて日中友好の種を撒いてほしい、ホームページで中国労働運動に関するポジティブな報道をもっと多く宣伝してほしいと要望しました。

 伊藤団長は「周恩来首相の『1894年からの半世紀にわたる日本軍国主義の中国侵略』という指摘を学ぶべく、旅順を含めて東北地方(旧満州)を訪れることにした」と述べたあと、香港情勢に触れ「会員の中には日中友好を損なう言動をとる者もいるが、日中労交の目的は、日中友好の促進であること、友好とは相手を尊重し信頼するものであることを確認し、日中友好交流を続けるための議論をしている」と報告しました。そして「米中貿易戦争が激化する中で、日中友好交流は世界平和を築く上で益々重要になっている。中国の労働組合改革の実践から日本の労働組合を改革する視点を見出したいし、グローバル時代、AI時代における日中労働者の友好・連帯を探っていきたい」と述べました。

中国職工対外交流センターの歓迎夕食会(北京)
中国職工対外交流センター主催の歓迎夕食会(北京)

 歓迎夕食会には、中国職工対外交流センターの彭勇秘書長も出席されました。伊藤団長が「日米貿易摩擦で、為替にしろ、関税にしろ、米国の主張を受け入れたことから『失われた30年』が始まり、日本の労働者の賃金が下がってしまった」と話題を提供し、話が弾みました。

<哈爾浜>

 20日は朝早くホテルを出発し、空路で哈爾浜に向かいました。哈爾濱までの飛行時間は2時間です。ホテルに着いて昼食後、郊外の侵華日軍第731部隊罪証陳列館を見学しました。その後、スターリン公園から松花江を眺め、中央大街を散歩しました。

細菌を川に撒く日本軍(哈爾浜の731陳列館)
細菌を川に撒く日本軍(哈爾浜の731陳列館)

陳列館は1985年に開館し、2015年に新しい陳列館がオープンしました。陳列館の展示は、細菌研究基地の建設、細菌戦部隊の設立、特別移送扱い、細菌研究の実験と生産、細菌戦の実施、731部隊の逃走、細菌戦犯罪者の裁判と系統的に展示されています。731部隊は約3000人の「マルタ」を虐殺しましたが、敗戦を目前にした撤退時に生き残っていたすべての「マルタ」を殺し、建物を破壊して証拠隠滅を図りました。罪証陳列館に多くの遺品が展示されていました。また、本部、研究棟、生物飼育場、農場、飛行場、鉄道駅、宿舎、運動場、小学校まであり、広大な敷地を占めていました。

夜は、黒竜江省総工会の韓嘉彬常務副主席による夕食会がありました。

<瀋陽>

 21日、高鉄(新幹線)で瀋陽に移動しました。高鉄は時速300キロ、2時間30分で瀋陽に着きました。午後から9・18事変陳列館を見学しました。1931年9月18日、柳条湖において鉄道爆破した関東軍は、これを中国軍の仕業と偽り、一気に遼寧省、吉林省、黒竜江省を占領しました。いわゆる満州事変です。その経過が描かれ、日本の侵略に抵抗して闘った抗日軍民の様子が展示されています。

遼寧省総工会の楊忠林主席(右)
遼寧省総工会の楊忠林主席(右)

 夜は、遼寧省総工会の楊忠林主席の歓迎宴がありました。

<撫順>

 22日は、瀋陽から1時間ほどの撫順を訪れました。撫順は、巨大な露天掘り炭鉱があり、石炭の町として有名です。午前は撫順戦犯収容所を、午後は平頂山惨案遺址紀念館を見学しました。

 撫順戦犯収容所は、日本人戦犯約1000人が収容され、教育、坦白、認罪という思想改造が行われたところです。食事、健康にも配慮した生活が行われ、戦犯は処刑されることなく日本に帰国しました。満州国皇帝であった溥儀も収容されていたところです。

 平頂山惨案遺址紀念館は、1932年9月16日、日本守備隊や警察は、抗日軍が日本人を襲撃したことに対する仕返しとして、平頂山村の住民約3000人を野原に集めて射殺し、遺体にガソリンをかけて燃やし、山を爆破して埋めるという虐殺事件の現場に建てられた記念館です。遺骨館には発掘された遺骨がそのままの姿で横たわっていました。折り重なるようになった遺骨には、子供や赤ん坊、妊婦の遺骨もあり、脇にある黒くなった坑木やガソリン缶が惨状をリアルに伝えていました。

<大連>

 23日は、瀋陽から高鉄(新幹線)で2時間ほどかけて大連に移動しました。高鉄は上野駅を模して造られた大連駅まで延伸していました。

大連市総工会の超宏副主席が昼食会を開いてくださいました。

大連現代博物館の展示
大連現代博物館の展示

そのご、大連現代博物館を見学しました。アヘン戦争以後、遼東半島は、渤海の防衛拠点として重要な位置を持ち、清が旅順を開発、日清戦争で日本が旅順を占領、「三国干渉」でロシアが哈爾浜から旅順までの鉄道敷設権を得て大連を開発、日露戦争で日本統治へと目まぐるしく変わります。日本軍国主義の残虐行為を展示するだけでなく、大連の歴史を民衆の視点から「多元文化の交流と融合」と見る博物館の捉え方に敬服しました。近くの星海広場を散策し、景勝地の老虎灘をドライブしてホテルに戻りました。

<旅順>

万忠墓記念館の入り口
万忠墓記念館の入り口

 24日は大連から1時間ほど離れた旅順を訪れました。現在は大連市の行政区だそうです。1894年11月21日に旅順を占領した日本軍は、4日間にわたって民間人を含めて約2万人を虐殺しました。その犠牲者を祭った墓が萬忠墓です。萬忠墓紀念館は、日清戦争の経過と虐殺の様子、その報道、萬忠墓の建立経過が展示されています。日本の中国侵略は、当初から虐殺を伴っていたことが分かりました。なぜここまで残忍なことができるのか? 差別意識とナショナリズムの恐ろしさを改めて考えさせられました。

 昼食後、旅順港を一望できる白玉山に上がりました。大連に戻り、ショッピングをし、ロシア人街を散策しました。

 翌25日、大連から成田に、関西空港に戻ってきました。通訳として全行程を同行してくださった李明亮さんには大変お世話になりました。

 * 掲載写真は、津和崇さんと伊藤彰信が撮影