カテゴリー別アーカイブ: 慰安婦

第6次「日中不再戦の誓いの旅」に参加しました ―  町田貞一

町田貞一(東京東部労組ディベンロイ労組支部委員長)

北京市内は緑が多い

中国訪問は初めてでした。北京空港について初めに感じたことは、空港そのものが広いことでした。異動はマイクロバスでした。北京市内に向かうにつき驚いたことは、第一に、緑が多いことです。どこまで行っても高速道路の両脇は大木でおおわれていました。北京中心部に来ても緑の多さは変わりありませんでした。ギンドロという街路樹だそうです。遠くから見ると記の表面が白く一見白樺の木のようにも見えます。葉っぱはポプラのようにも見えます。今回訪問した各都市にはこの木が大変多く植えられていることを見ました。

北京市内の車の渋滞
北京市内の車の渋滞(8/19)

 次に感じたことは、車が多いことでした。空港を出たときはそれほどでもなかったのですが、北京の中心部に近づくと車の渋滞にはまり、動きは鈍くなっていました。一般道路でも車の渋滞はひどく、各都市中心部ではどこも渋滞していました。

やたら高層住宅とビルが多い

次に気づいたのは、バイクが多いことでした。しかも、電動バイクです。免許証も、ナンバーもいらないということで、大変多くが走っていて、市民の足としての役割を果たしている感じがしました。以前映像で見た中国は自転車の行列でしたが、今はレンタル自転車が至る所にあるが、圧倒的に電動バイクが多いのに感心しました。又、電動三輪車もあり簡単に乗り出すことが出来るようです。

高層ビルが並ぶ瀋陽の街並み
高層ビルが並ぶ瀋陽の街並み

 次の感じたことは、やたら高層住宅、高層ビルが多いことです。空港を離れると高層ビルがあちこちに立っていて、昔見た中国の光景とは結びつきませんでした。今回通訳とツアーの案内をしてくれた李さんは3LDKの130平米に住んでいるそうです。日本の住宅の平均の2倍近くあり非常に羨ましいことだと感じました。この高層ビルが、私たちが訪問した各都市に次々と建設されています。内需の巨大さに驚きました。どの都市に行っても高層ビルが10や20は建設途中のものがあり、これからもどんどん建設されていくさまが見て取れました。

住民を残らず殺しまくった痕跡

撫順炭鉱の露天掘り
撫順炭鉱の露天掘り

 さて肝心の旅の感想ですが、本では知っていましたが、日本が戦前中国に何をしたかということを、見てきました。それは虐殺の連続だと感じました。日本は明治以来天然資源を奪うため中国のその地に住んでいる住民を残らず殺しまくった痕跡が、いまもはっきりと形として残っています。日本ではよく知られています撫順炭鉱近くの平頂山の住民の大虐殺だと思います。私は、あっても1カ所か2か所ぐらいかと思っていましたが、中国の資料では、至る所に大量虐殺の跡がある事を知りました。撫順に次ぐ規模の炭鉱の阜新炭鉱でも万人坑があると、瀋陽の方から紹介されたときには、びっくりしました。阜新炭鉱そのものを知らないし、想像もできませんでした。

1894年旅順占領が侵略と虐殺の始まり

 旅順の203高地は日本人にはよく知られていますが、旅順の萬忠墓記念館は日本人には知られていない模様です。私も知りませんでした。1894年旅順を占領し、百姓の家を捜索し、女性、子供、老人、あった人全員を殺しました。侵略と虐殺の始まりです。日本の記者は書いています。「市内には日本兵ばかりだ。死体の他に支那人が見つからない。ここの支那人は殆ど絶滅した。」(日本「中央新聞」1894,12,27)と。白髪の老女から子供までが暴行されて殺されたとあります。見るに堪えがたい写真です。

侵華日軍731部隊罪証陳列館の前で
侵華日軍731部隊罪証陳列館の前で

哈爾濱では侵華日軍731部隊罪証陳列館、瀋陽では9,18事変陳列館、撫順戦犯管理所、平頂山惨案遺跡記念館、大連では大連現代博物館を見学してきました。どれも、日本の歴史を学ぶ上で重要な施設と展示であったと思います。

軍国主義の戦争なのか、納得がいかない

 私たちは軍国主義が悪かったから戦争になった、と思い込んでいます。軍国主義の戦争だと思い込んでいます。そのことに、私には今ひとつ納得がいかないのです。江戸幕府が終わり、明治になってイキナリ軍国主義になったのか?不思議でなしませんでした。1870年代(明治)、1910年代(大正)にかけて資本の発展があったことがあり、その行き着いた先に資本と軍が結びついた戦争があったのだと思いましたが、今回、資本と軍が一体的に中国の資源を奪いに行ったことがハッキリしました。1872年(明治5年)には日本の鉄道は開業しています。当然石炭は鉄道にも使われるし、工場動力としても、蒸気のエネルギーとしても必要であった。この年は富岡製糸工場も出来ています。ですから、100年以上も露天掘りをしている撫順炭鉱が欲しかったことは想像がつきます。だからと言って農民、住民を虐殺して奪ってきていいとは思いません。

哈爾濱から瀋陽まで約600キロ大平原の穀倉地帯

ハルピンから瀋陽へ・新幹線の速度計は304キロを示す
ハルピンから瀋陽へ・新幹線の速度計は304キロを示す

もう一つ哈爾濱から瀋陽に新幹線で移動しました。その移動の間中無限に広がる畑が見えました。穀倉地帯であることが分かりました。北部はトウモロコシ畑、南に降りてくると水田が多くなりました。見渡す限り畑のみどりです。小さな畑を耕し苦労している日本人なら広大に広い穀倉地帯が無限に広がっているように見えても不思議ではない光景でした。満州の満鉄が奪った石炭を運び、穀物を運んだことは想像がつきます。新幹線で哈爾濱から瀋陽まで、時速300キロでノンストップなら2時間、約600キロ大平原の穀倉地帯。日本の本州を超える広さの平原で穀倉地帯。想像をはるかに超えていました。広大です。だから積出港としての旅順が最初に攻撃されたのです。

 1868年明治になったその年もコメは不作で飢饉でした。この年も食糧難で多くの日本人は海外に移民を始めていました。明治政府は海外から大量の製糸機械や、蒸気機関車など買いあさり、代金を支払うため農民により重税を敷いていったのです。日本国内は数年おきに不作、冷害が繰り返され農民は娘や妻を売らざるを得ませんでした。農村を破壊し工場労働者を奴隷のようにこき使うことが、1800年代の工業化を支えました。工業化は発展してきたが、農村の疲弊は激しくコメの不作、冷害、基金は工業製品を消費できませんでした。そこで目を向けたのが満州であった。市場として、そして、資源の供給地、食料の供給地としての満州が日本の生命線としていった。資本が作り出したプロパガンダです。

過去に学び同じ過ちを繰り返さない

実際やったことを中国東北部を見てくることで、日本がここでやったこと、そしていまだにその責任を1つもとっていないことに非常に怒りを覚えます。それどころか過去のことはなかったことにしようとの政府の姿勢が許せません。すべてを認めたところから出発するしかないのに、1つも認めようとしない政府と、一部の日本人は、過去に学ばなければ取り返しのつかないことを繰り返してしまいます。過去に学び同じ過ちを繰り返さないようにしたい。

左から池田和則さん、町田貞一さん、津和崇さんの団員3名
左から池田和則さん、町田貞一さん、津和崇さんの団員3名

 掲載写真はすべて津和崇さんが撮影

中国東北部への旅―日清・日露戦争の戦場となった大連、旅順、日本人と中国人労働者は共にストライキ

第6次日中不再戦の旅訪中団秘書長 藤村妙子

国東北部への旅

 8月19日~25日私は、日中労働情報フォーラムのメンバーと中国職工対外交流センターの案内で中国東北部への旅をした。主な訪問先は、ハルピンの「731部隊罪証陳列館」(日本軍の731部隊が細菌戦の研究・実践のために人体解剖などを行ったところ)、瀋陽の「9.18事変陳列館」(1931年「満州事変」勃発、以降日本は中国東北部での侵略戦争を開始。中国から見た侵略戦争の実相が展示してある)、撫順の戦犯管理所(戦後、日本軍の将兵らを監護、教育した所)、平頂山の万人坑記念館(1932年9月16日日本軍が村民を虐殺した所)、大連の現代博物館と旅順の萬忠墓などです。ハルピンや瀋陽などは、前回(2017年夏)も行き、報告しているので今回は、初めて訪れた大連、旅順のことを報告します。

 日清戦争、日露戦争の戦場となった大連、旅順

重点遺跡の萬忠墓

 日本は1894年日清戦争、1904年日露戦争を行いました。今回の旅でこの二つの戦争は、戦場が大連、旅順のある遼東半島であり、この半島の領有を争うものであったことを改めて実感しました。日本軍は、日清戦争時の1894年11月に旅順を占領しました。この際、日本軍は旅順で中国人たちを虐殺する大量殺人を行っていたことを「大連現代博物館」や「萬忠墓記念館」で知りました。当時の日本人新聞記者は市内の死体が放置されている様子をスケッチしていました。また日本兵は手紙の中で「市内は日本兵ばかりだ、死体の他に支那人(当時中国人を指す蔑称)が見つからない。ここの支那人はほとんど絶滅した」ということを書いていました。アメリカ人やイギリス人たちもこの惨状を伝えています。

日清戦争の虐殺スケッチ
日本人従軍記者が書いたスケッチ

私は、中国国内の炭鉱などや日本軍による虐殺などで中国人が沢山殺されていることは知っていましたが、それは1932年の以降のことだと思っていたので、日清戦争の時既に皆殺しの行為を行っていたことを知り、暗澹たる思いがしました。そして、戦争が人間性を破壊することを改めて感じました。

 日本人労働者と中国人労働者は共にストライキに立ち上がった

旅順の帝政ロシアの建物がある通りにある「ダルニ―市政庁舎」(正面)[注1]

 初めて大連、旅順を訪れるので「大連・旅順歴史ガイドブック」(大修館書店)を買いました。1905年のポーツマス条約によって南満州鉄道の利権をロシヤから譲渡されると、この地の石炭や鉄などの資源を得るために日本の会社が進出しました。この会社には多くの日本人労働者と中国人労働者が働いていました。私は、この本によって今から約100年前、この地で工場の劣悪な労働条件やリストラに対して闘った日中の労働者が共同してストライキなどで闘っていた事実を知りました。1918年には川崎造船所大連工場で、1920年には満鉄沙河口工場でのリストラに対して闘われメーデーには中国人労働者1200名、日本人労働者1365名が集まり、40日間のストライキの後勝利しています。

この事実を訪問先の総工会(労働組合の指導機関)で聞きました。「私たちも知っています。当時の日中の労働者は連帯してよく闘いました。この闘いには学生も参加していましたよ。」と教えてくれました。私は。不幸な日中の歴史もありましたが、こうした輝かしい歴史もあることを知り、今後も連帯の歴史を引き継いで共に闘っていきたいと思いました。

[注1] この庁舎は、1900年に建てられた。「ダルニ―」はロシア語で[遠い]という意味で「大連」はここから命名されている。1905年に日本に占領されてからは「満蒙資源館」などになり、1945年8月ソ連軍に引き継がれ、1950年に中国の所有となった。大連の変遷の歴史を物語る史跡である。現在は使われていない。

日清戦争当時の旅順港の地図模型

34年前紀念館開館式典に3名の 日本人の友人がいました・・・

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館(2019年6月19日)

私たちが注目すべき、歴史に残すべき記録

1985年8月15日
中国侵略日本軍南京大虐殺遇難同胞紀念館が正式に完成、開幕
式典参列者の客の中に混じるわずかばかりの日本人外国客
彼らは誰か?
彼らはまたどのようにこの紀念館建設を見ているのか?

写真=紀念館建成開幕式

1
「万人坑」遺跡を見て深い思いに触れ、紀念館開幕式典参加を決意

1985年5月7日、42歳の日本人、高幣真公は日中労働者交流協会とともに初めて南京に訪問した。
高幣真公によると、彼らはわざわざ江東門を訪れ「万人坑」遺跡にて現地視察を行った。

累々と積み重なった白骨に協会員銘々の心が震撼した。彼らは冷静に、ただ歴史を正視することで、同じ轍を踏まないことにつながると意識した。

写真=協会が江東門を訪れ「万人坑」遺跡にて現地視察(高幣真公提供)

写真=紀念館建造写真(高幣真公提供)

協会員は当年8月15日、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館が正式オープンすることを知り、帰国後、彼らは直ちに紀念館開幕式典来館参加にむけて計画を始めた。

1985年6月、高幣真公と協会員一同が、協会名義で、南京市総工会に向けて誠意ある手紙で式典に参加させてもらいたいと希望した。

7月27日、南京市総工会は返信でこのように回答した:「式典参加の希望の要望に、我々は大変感動した。あなた方のこのような心情を南京市民に伝えたい。」

高幣真公が経緯を思い起こし、多方面からの尽力で、1985年8月13日、日中労働者交流協会の日本代表が正式に紀念館開館式参加の招待を受けることができたと述べた。

2
「紀念館は日中不再戦、日中友好の新たな出発のために」

1985年8月15日、協会が送り出した団長市川誠、団員平坂春雄と山田順三の3名の代表が、記念館建設完成の開幕式に参加した。

彼らは式典に参加した3人のみの外国の友人でもあった。

後に、市川誠は式典参加にいたる過程を1編の記事『紀念館は日中不再戦、日中友好の新たな基点としよう』に書き上げた。それにはこのように書かれている:

1985年8月15日、中国人の方からすると、この日は反ファシスト戦争に勝利した40周年記念日。午前8時半開館式典が正式に始まり、私たちは列の2列目に立っていた。
まず、中華人民共和国国家斉唱、つづいて南京市長張耀華の言葉。
彼はこのように述べた「侵略戦争のこの歴史は永遠に次世代の心に刻む。中国人民と日本人民がともに過去の歴史を肝に銘じ、歴史の悲劇を繰り返さないよう、共に努力する。」

写真=市川誠が記録した記事

式典参加の代表の一人平坂春雄が回顧録の中で書いている「日本軍侵略戦争を理解しない日本人からすると、紀念館は彼らに大きな衝撃を与えるだろう」。

式典に参加した日本の友人から南京に1つの「鎮魂の時計」が贈られた。上には「中国侵略戦争を反省、謝罪、犠牲者の御霊に弔意を捧げます」 の刻印がある。

3
「中国では平和の願いを表明するが、日本ではほとんどがこの表明を見ていない」

―時は瞬く間に34年経過。

高幣真公はすでに76歳の老人になり、一人の日本人友人の伊藤彰信と再び南京に来訪し、歴史の場所にインタビューで訪れた。

高幣真公は述べる:「日本では南京大虐殺に関する書籍や映像を見たことがある。今回の来館訪問での収穫は大きく、紀念館に展示される多くの詳細な資料が歴史を再現している。多くの日本人が訪れて見学することを希望する。」

写真=伊藤彰信、高幣真公が紀念館を参観

伊藤彰信は記念館を知らなかったわけではないと話した。2005年に初めて南京を訪問し、2009年に再度団を率いて記念碑除幕式のために来館した。2014年以降は毎年南京大虐殺死者国家公祭で南京を訪れていた。

伊藤彰信は述べる。「2005年紀念館はまだ小さな館であったが、数年経て紀念館はどんどん新たな展示でリニューアルを繰りかえし、見学者が歴史の理解を深めることができるようになっている。参観した中で印象深かったのは、日本軍南京大虐殺遇難同胞紀念館だけでなく、中国人民抗日戦争紀念館でも、展示の最後に平和の表明で締めくくり、「過去は忘れず、未来の師とする」と表明していたことだ。日本の博物館では、このような表明はあまり見ない。」

4
中日両国の人々の交流強化を呼びかける

中日友好の交流推進について、高幣真公が述べる:「日本人はもっと中国に来て変化を見るべきで、中国人も日本に来て日本の変化を知ってほしい。双方は交流を基礎にしてのみ、歴史への思考を深め、学習することが可能だ。」

伊藤彰信は特に中日友好の根幹は若い人々にかかっていると強調する。彼は述べる:「日本の世論調査で、日本の若者層が中国への認識に比較的大きな隔たりがあり、より多くの日本の若者が中国を見に来て、学び、青年同士の交流に力を入れてほしい。」

写真=伊藤彰信(左)、高幣真公(右)が紀念館でインタビュー、高幣真公が協会で  撮影した紀念館建設写真を披露


* 紀念館ホームページ中国語記事原文  Wechat 記事

南京大虐殺遇難紀念館の「和平の旅」インタビューのため訪中(7/4)

記念館の庭にある「日中不再戦の誓い」の前でー左端が芦鵬さん(記念館職員)

6月16日(日)から20日まで、南京に行ってきました。
6月13日に侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館から突然電話があり、紀念館が行っている日本の友人の口述史「和平の旅」のインタビューを行いたいというのです。6月末が会計年度の決算日で、予算が残っていたのでしょう。私と事務局次長の高幣さんが行くことになりました。高幣さんは85年の市川誠訪中団の参加者です。

南京大虐殺記念館でー左から2人目が張健軍館長

「平和の旅」編集のために私たちをインタビューー左が質問者の盛卯弟(江蘇省総工会国際部)さん

インタビューは17日に行われました。この日は月曜日で紀念館の閉館日。建設中の紀念館しか知らない高幣さんのために、特別に展示を見学することができました。高幣さんはビデオにしっかり収めていました。

張健軍館長に挨拶しました。市川さんが85年8月15日に贈った「鎮魂の時計」が飾られていました。インタビューは午前、午後合わせて4時間ほど行われました。インタビューアーは江蘇省職工対外交流中心の盛卯弟さん。日中労交について設立経過、現在の活動、苦労話、今後の日中平和活動などについて私が答え、1985年5月の訪中、8月の紀念館開館をめぐる交流活動について高幣さんが答えました。昼食は南京一高いビルのレストランで張館長と一緒にとりました。
18日は、ジョン・ラーベ紀念館、利斎港慰安所旧跡陳列館、下関地区の虐殺現場、長江大橋などを見学しました。

南京師範学校の卒業式前ー左から2人目が林敏潔教授

19日は、六朝博物館、鄭和紀念館を見学し、南京師範大学の林敏潔教授と昼食を、江蘇省総工会と夕食をとり、懇談しました。

林敏潔教授とは3月に東京で開かれた日本反戦平和国際シンポジウムでお会いしました。日本文学が専門で民間の平和反戦記憶をどう若い人に伝えていくのかというプロジェクトを行っている方です。6月15日に東京で開かれた第1回「一帯一路東京フォーラム」から帰られたばかり、南京師範大学大学院の卒業式という忙しいなか、会ってくださいました。

歓迎レセプションを開いてくれた高総省総工会の繆建華さん(組織・国際部長)・右

江蘇省総工会とは、組織・国際の責任者である繆建華さんと労働組合改革で新しくつくられた職工服務中心(労働者サービスセンター)の責任者の葉希伯さんと懇談しました。職工服務中心の活動、例えば労災、社会保険の相談、就職あっせん、零細企業で働く農民工の組織化などについて話をしました。職工対外交流中心も職工服務中心に統合されるということですから、海外からの進出企業の従業員の組織化も担うことになるのかなと思いました。
国家公祭に参加する今までの南京訪問とは違った日々を過ごすことができ、今後の交流をすすめるにあたって参考になる訪問となりました。
具体的な点については、追って報告することとし、取り急ぎの報告とさせていただきます。

2015年に修復工事が終わった南京長江大橋の塔上で記念撮影(右・伊藤彰信、左・高幣真公)

高幣さんは、北京に寄って、ゆっくりと中国の旅を楽しんでいますよ。

「集会の自由」への侵害、歴史事実の改ざんを許すな!ー「ビザ発給拒否・集会妨害国賠裁判」報告会 (4/18)

「ビザ発給拒否・集会妨害国賠裁判」報告会が4月18日、衆議院議員会館で開かれ、80名が参加した。この日は、東京地裁で証人尋問が行われ、原告が証言した。

報告会は、吉池俊子(アジアフォーラム横浜代表)さんの司会ではじまり、主催者を代表して原告でもある藤田高景(村山首相談話の会理事長)さんが挨拶した。2015年11月に「戦争法の廃止を求め、侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い」を開催した。韓国の徴用工被害者10名と中国の731部隊による細菌戦被害者12名を招聘したが、中国の参加者12名は日本外務省にビザ発給を拒否され、集会に参加することができなかった。戦争法に反対する人間を入国させるわけにはいかないというのが外務省の本音だと思う。この裁判は「集会の自由」の侵害、民主主義破壊の暴走を食い止める闘争である。 続きを読む 「集会の自由」への侵害、歴史事実の改ざんを許すな!ー「ビザ発給拒否・集会妨害国賠裁判」報告会 (4/18)

ビザ発給拒否・中国人入国拒否裁判(4/18)と報告会の案内 (4/1)

村山首相談話を継承し発展させる会の藤田さんから4月18日の「ビザ発給拒否
・中国人入国拒否裁判」と当日18時から衆議院第1議員会館で開催する「裁判報
告会」の参加要請がありましたので転送します。
この裁判に関する理解と関心をお願いします。

伊藤 彰信


いつもお世話になっております皆様へ
いつも村山首相談話の会の諸活動でお世話になっております皆様へ
村山首相談話の会・理事長・藤田髙景(携帯090-8808-5000)

連日のご奮闘に心から敬意を表します。

①いよいよ最大の山場を迎えました4月18日の「ビザ発給拒否・中国人入国
拒否裁判」(4月18日13時30分から東京地裁・大法廷)と
②同日(4月18日)裁判終了後、18時から衆議院第1議員会館で開催する「裁判報
告会」の、ご案内です。(添付資料の最初のチラシを参照下さい)

上記 ①の裁判傍聴と、②の裁判報告会に、ご多忙中、恐縮ですが、万障お繰
り合わせの上、ご出席いただきますようお願い申し上げます。

●詳細のご案内は以下の通りです。

①いよいよ最大の山場を迎えました4月18日の「ビザ発給拒否・中国人入国拒否裁
判、田中宏一橋大学名誉教授と中国湖南省の細菌戦被害者の高鋒さん原告本人尋問が実現)」(13時30分から東京地裁・大法廷

日時 2019年4月18日(木)13時30分~17時00分
傍聴は抽選になりますので、13時00分に抽選の申し込みは締め切られますので、必ず13時00分までに、東京地裁正面玄関にお越しいただき、抽選の申し込みをして下さい。
★場所 東京地裁103号・大法廷

②4月18日裁判終了後、18時から衆議院第1議員会館で開催する「裁判報告会」
の、ご案内です。

★日時 2019年4月18日(木)18時~19時30分
17時30分から、衆議院第1議員会館のロビーで入館証を配付します。
★会場 衆議院第1議員会館・B1・大会議室
※必ず、事前申し込みが必要です。

上記①の裁判傍聴と、②の裁判報告会に、ご多忙中、恐縮ですが、万障お繰り
合わせの上、ご出席いただきますようお願い申し上げます。

●この裁判の意義と経過

この裁判は、2015年11月の27日から3日間、「村山首相談話の会が中心となっ
た実行委員会」が主催して開催した「戦争法の廃止を求め、侵略と植民地支配の
歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い」という国際シンポジウム(添付資料
を御参照下さい。2015年11月に作成したチラシ)を開催しました。私達は、この
国際シンポジウムで貴重な発言を頂くために、①韓国から強制連行・徴用工の被
害者・関係者(約10名)と、②中国から日本軍の細菌戦争の犠牲者の遺族と支
援団体の弁護士・公務員など12名を招聘いたしました。しかし、韓国の侵略戦
争犠牲者はビザが不要で入国できましたが、中国の細菌戦被害者と支援者は、来
日予定の12名全員が外務省によってビザ発給を拒否され、日本への入国ができ
ませんでした。

本件集会は日本が二度と再び侵略戦争を引き起こさないために企画されたも
のであり、中国人細菌戦被害者の発言は本件集会のメイン企画でした。ところが
中国人細菌戦被害者が一人も入国できなくなったため、中国の戦争犠牲者との間
で充実した意見交換を行うことが妨害され、本件集会は「集会の自由」を侵害さ
れ重大な被害を受けました。

そもそも今回の中国人細菌戦被害者らに対する政府・外務省によるビザ発給
拒否は、本来のビザ発給基準を明らかに逸脱した違法な処分です。
同時に、本件ビザ発給拒否は、本件集会の名称に「戦争法の廃止を求め」との文言
があるのを口実に中国の細菌戦被害者が細菌戦の悲惨な被害事実を訴える機会を封
じ、戦争法の廃止を求める表現活動の抑圧を狙ったもので、日本国憲法21条が保障する「集会の自由」を侵害する憲法違反の暴挙です。

万一政府・外務省が今後も今回中国人細菌戦被害者らに行ったような違法な
ビザ発給拒否を繰り返すならば、日本や日本人はアジアの戦争犠牲者の方々との
友好的な交流を行うことができなくなります。

そこで、2016年3月、上記のような暴挙が日本で二度と繰り返されないように
するため、別紙チラシ(添付資料参照。2016年3月に作成したチラシ)に記載し
た日中の6名が原告となって、ビザ発給拒否と憲法21条が保障する集会の自由
を侵害した日本国の責任を追及するため、国家賠償請求の裁判を東京地方裁判所
に提訴しました。

こうした裁判は日本では前例のない初めての裁判ですが、これは「集会の自由」
を守る“自由獲得のための闘い”に他なりません。

●2016年の3月から今日までの裁判の経過は簡単にご報告すると以下の通りで
す。

この3年間で、10数回の裁判をやってきましたが、政府・外務省の基本的立場
は「外国人を日本に入国させるか、させないかは政府の専権事項だ。よって詳細は答える必要は無い」として、私ども原告の質問にも、ほとんど返答を拒否するという態度に終始し、開き直った答弁を繰り返してきました。

そのような経過の中で、東京地裁の裁判長は、私たちが以前から要求してきた
証人尋問について、原告の二人(一橋大学名誉教授の田中宏さんと中国湖南省の細菌戦被害者の高鋒さん)については、ようやく認め、4月18日に、この御二人の原告本人尋問が実現することになりました。しかし、私たちがこの間、強く求めてきた、外務省の担当課長(2015年のビザ拒否事件の直接の現場担当責任者)については、頑として証人尋問を認めようとせず、そればかりか諸情報によると、4月18日の次の裁判である5月17日には、裁判の打ち切りに出てくる危険性が高まってきております。

その意味で、私達が田中宏・一橋大学名誉教授や高嶋伸欣琉球大学名誉教授等
と、安倍政権・外務省を相手にして、2016年から闘ってまいりました「ビザ発給拒否・中国人入国拒否裁判」の最大の山場が、きたる4月18日の裁判となります。

●4月18日の13時30分から東京地裁103号大法廷で開催される、「ビザ発給拒否
国賠裁判」の最大の山場となる裁判に、一人でも多くの市民の皆さんが、監視・傍聴のためにかけつけていただく事が肝要です。
裁判所までもが、安倍政権に「忖度(そんたく)」するような事がないよう監
視・傍聴のためにも、多くの皆さんの傍聴を、お願い申上げます。
なお、当日の傍聴は抽選になる可能性が高いので、抽選受付は、、13時00分
に締め切られますので、ご多忙中、恐縮ですが当日は13時00分までには東京地
裁玄関にお越しいただき、傍聴抽選の申し込みをして下さい。

4月18日の18時から衆議院第1議員会館で開催する報告集会(300人規模)
での発言者は、
田中宏・一橋大学名誉教授
高嶋伸欣・琉球大学名誉教授
③特別ゲストとして政治評論家の森田実さん
④原告である中国湖南省の細菌戦被害者の高鋒さん
⑤弁護団の浅野弁護士、殷弁護士から、戦後の日本社会で、ビザ発給拒
否を真正面から争う、史上、初めての裁判となった、この歴史的裁判の理論的意味・位置づけ等について、詳細な報告がなされます。

その意味でも、大変、興味深い、報告集会となりますので、万障お繰り合わせの上、皆様のご出席をお待ちしております。

●衆議院第1議員会館のロビーでは当日(4月18日)17時30分から、入館カードの配布を行なっております。
●なお、4月18日18時からの集会は ※必ず、事前申し込みが必要です。
●申込先:会場は300名定員です。300名で申し込みを締め切りますので、恐縮ですが、至急、以下までメールでお申し込みを、お願い致します。

村山首相談話の会・Email : murayamadanwa1995@ybb.ne.jp
携帯電話 : 090-8808-5000

参考資料として、①2019年4月18日の集会の案内チラシ(添付資料)、②東京新聞が2018年6月に報道してくれた記事(添付資料)、③朝日新聞の2015年12月1日の論説(添付資料)等を、添付でおくりますので、ご一読いただければ幸いです。

① 2019年3月1日 ★チラシ●最終確定版
② 2019年3月24日 呼び掛け文
③ 2018年06月09日 東京新聞 ビザ拒否裁判の報道記事 
④ 2019年03月20日 ビザ裁判 朝日の論説2015年12月1日 
⑤ 2015年11月 作成のチラシ 
⑥ 2016年3月に作成のチラシ 

若い人に反戦平和の闘いを伝えることが歴史認識を深めるー日本反戦平和記憶国際シンポジウム(3月8日)報告

「日本反戦平和記憶国際シンポジウム」が3月8日、衆議院第一議員会館で開催され、中国・南京から3名の学者をはじめ250名が参加した。

田中宏さん(ノーモア南京の会・東京)が特別報告

シンポは、山口たか(戦争をさせない市民の風・北海道)さんの司会ですすめられ、はじめに主催者を代表して「村山首相談話を継承し発展させる会」の藤田高景理事長が「日本の反戦運動とその記憶を研究してきた林先生を迎えてシンポを開催できることは光栄です。安倍政権は、日本の中国への侵略を認めない、朝鮮半島の植民地化を正当化する。そうではない、平和、護憲、福祉の社会をつくろう」とあいさつした。

連帯のあいさつとして、福山真劫(平和フォーラム代表)さんが「憲法改正発議を絶対に阻止する」と決意を述べ、今後の行動を提起した。また、日弁連の福山洋子弁護士が日弁連の憲法ソング「わたしたちのねがい」を紹介した。

田中宏(ノーモア南京の会・東京)さんが「南京大虐殺を問い続ける意味」と題して特別報告を行った。

シンポジウムの発言者は、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、林敏潔(南京師範大学教授)、香山リカ(精神科医)、葉琳(南京大学教授)、高野孟(ジャーナリスト)、姜勝龍(南京師範大学・博士課程)、木村朗(鹿児島大学教授)、纐纈厚(明治大学特任教授)の8人。

林さんは「日本民間反戦記憶に関する多分野研究」を報告

林さんは「日本民間反戦記憶に関する多分野研究」と題して発言し、「日本民間の反戦資料は反戦平和の呼びかけの貴重な基礎的資源である。日中戦争期の史料を発掘し社会研究の領域を広げ、平和に関する市民的関心を喚起し、日中両国の相互理解を深め、中日友好促進の多様なモメントを形成する」とその研究意義を述べ、文学、メディア、映像、音楽などの反戦記憶の研究、整理、データベース化、日本人青年層の戦争記憶調査、戦争体験者の口述記録整理などのテーマで研究を進めていると説明した。葉さんは「日本戦後文学における反戦記憶研究」について、姜さんは「日本戦後文学からの反戦意識を考える」について発表した。

林敏潔(南京師範大学教授)さん

鳥越さんは「多くの米軍基地が存在する日本はアメリカの支配下にあるといっても過言ではない」、香山さんは「戦争によるトラウマについての研究はフロイトから始まったが、PTSDの概念が出来上がってきたのはベトナム帰還兵からであり、戦争被害者の研究は稀である」、高野さんは「安倍政権は、憲法改正、統計疑惑、アベノミクス、辺野古基地建設、原発、北方領土、拉致問題など、どれをとっても八方ふさがりである」、木村さんは「戦争終結の決断が早く行われていたら、東京大空襲、原爆投下、ソ連参戦、朝鮮半島の分断はなかったろう。植民地主義を清算するチャンスも失った」、纐纈さんは「明治以降、日本は10年おきに戦争してきた。日本は中国に敗北し、アメリカに降伏した。朝鮮戦争は脱植民地戦争だった。中国・朝鮮を蔑視し続ける思想が歴史認識を不在にしている。安倍は、歴史の暗殺者としての権力者だ」と発言した。

続いて、東京朝鮮人強制連行真相調査団、731部隊・細菌資料センター、重慶大爆撃の被害者と連帯する会、朝鮮人強制労働者補償立法をめざす日韓共同行動、安倍靖国参拝違憲訴訟の会から、それぞれの活動について報告があった。

 進藤栄一(筑波大学)さんが総括発言

最後に進藤榮一(筑波大学大学院名誉教授)さんが総括発言を行い「『知識は人間を自由にする』と初代国会図書館館長だった羽仁五郎さんの碑があります。『歴史は人間を自由にする』ことを改めて感じました。歴史を忘却する者は歴史のトラウマにあって反逆される。日本はバブルが弾けて立ち直れないでいる。日米半導体協定が日米安保同盟から逃れられなくした。米中貿易摩擦は同様のせめぎあいである。左派、リベラル派は、経済、外交を語らなければならない。平和とは暴力がない状態を言うのではなく、構造的暴力のない状態、抑圧のない状態をいうのです。子どもの貧困、子どもの虐待が常態化してるではないですか。平和にとって最大の脅威は敵をつくることです。戦争をすすめようとする人間、抑圧を強めようとする人たち、それによる利益を求める者たち、集団、国家がいるのです。21世紀はパックス・アシアナの時代です。3.1独立宣言は日中韓が軸となって新しいアジアをつくろうとした。習近平の『一帯一路』は新しいグローバル・ガバナンスです。国と国の関係は敵をつくる同盟関係ではなく、連結する関係がキーワードです。私たちは、平和なアジアをつくっていこうではありませんか」とまとめた。

<報告と写真・伊藤彰信>

日本反戦平和記憶国際シンポジウム (3/8) へのご案内

連日のご奮闘に心から敬意を表します。
さて、来たる3月8日16時から、村山首相談話の会の主催で、衆議院第1議員
会館で、中国から著名な学者の皆さんを招聘し、日本の各界でご活躍の大学教授
・ジャーナリスト・市民運動家の皆さま方の出席のもと、「日本反戦平和記憶国
際シンポジウム」(添付のカラーチラシを御参照下さい)を、下記の要領で開催
いたします。
大変、中味の濃い、充実した内容の国際シンポジウムとなりますので、ご多忙
中、恐縮ですが、万障お繰り合わせの上、ご出席いただきますようお願い申し上
げます。

村山首相談話の会・理事長・藤田高景(携帯090-8808-5000)

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「村山首相談話を継承し発展させる会」主催/「国際アジア共同体学会」後援

●●日本反戦平和記憶国際シンポジウム●●

第二次安倍内閣は、防衛費を毎年増加させ続け、2015年には集団的自衛権
の行使容認を含む安保法制を制定して憲法の平和主義を形骸化させようとしています。
現在、安倍首相は2020年の憲法改正で自衛隊を憲法に盛り込み平和主義の核
心である憲法9条2項の「戦力不保持、交戦権否認」を死文化させようと狙っています。
このように日本の政治状況は大変危険な方向に向かって進んでいますが、日本
人の中には政治に無関心な人も少なくありません。その原因は、一つには日本人
が過去の旧日本軍による中国・アジア諸国への侵略と植民地支配という歴史につ
いて教育を受けていなことにあります。
同時に、日本人、特に若者が憲法の平和主義を支えてきた戦後の日本民衆の粘り強い反戦平和の運動を知らないことにあります。
今回、私たちが中国からお招きする南京師範大学の林敏潔教授は、「日本の民
衆の反戦運動とその記憶」ついて研究されています。林敏潔教授は、中国の人々、
特に若い世代に日本での反戦・平和の活動の事実を正確に伝えることは、長期的
に見れば日本と中国の友好と和解と共生に役立つという信念から、地道な研究に
取り組んでこられました。林教授の研究は、実は日本人にとっても極めて重要です。
私たちは、アジアと世界の平和実現をめざし林敏潔教授の日本における反戦・
平和の活動記憶を後世に残そうと言う思いに賛同し、日本の学者・研究者・ジャー
ナリスト・社会運動家が一堂に会し、日本反戦平和記憶国際シンポジウムを下記
の要領で開催する事にしました。多くの皆様方のご出席をお待ちしております。

日時 2019年3月8日(金)16時~19時30分
15時30分から、衆議院第1議員会館のロビーで入館証を配付します。
会場 衆議院第1議員会館・B1・大会議室
※必ず、事前申し込みが必要です。

●申込先:会場は300名定員です。300名で申し込みを締め切りますので、恐縮ですが、大至急、以下までメールでお申し込みを、お願い致します。
村山首相談話の会・Email : murayamadanwa1995@ybb.ne.jp
<mailto:murayamadanwa1995@ybb.ne.jp>
携帯電話 : 090-8808-5000

*日本反戦平和記憶国際シンポジウム案内チラシ

第5次「日中不再戦の誓いの旅」 ~北京、南京を訪問~

2018年12月20日

日中労交訪中団報告

 伊藤彰信

第5次「日中不再戦の誓いの旅」訪中団団長

 日中労交の第5次「日中不再戦の誓いの旅」は、12月11日に出発し、北京、南京を訪問して15日に帰国しました。この旅は、中国職工対外交流センターの受け入れで実現したもので、訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)、副団長=前川武志(日中労交事務局長)、秘書長=藤村妙子(南部全労協事務局長)、団員=渡部公一(前目黒区職労委員長)、広岡浄進(大阪市大人権問題研究センター准教授)、横山貴安基(全港湾大阪支部執行委員)、神部紅(ユニオンみえオルグ)の7名です。

以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。

<北京>

中華全国総工会の看板(毛沢東筆)の前で

12月11日、訪中団は、東京・羽田、名古屋・中部、大阪・関空から北京に着きました。北京空港には、中国職工対外交流センター技術経済交流処の李晶宇さん、石晶晶さんが出迎えてくれました。空港で昼食をとったあと、職工の家(中華全国総工会が所有するホテル)に移動しました。その後、中国職工対外交流センター技術経済交流処の何際霞処長らと懇談しました。

中国職工対外交流センターとの懇談(一番左が何際霞処長)

伊藤団長から「8月に中国職工対外交流センターと日中労交の共催によって日中友好労働者シンポジウムを成功裏に開催できたこと、日中労働者の友好の歴史を学び、日中の労働者が現在のそれぞれの取り組みと課題を紹介し、今後の連携の方向性を確認できたことは、非常に意義あることでした」とお礼を述べ、「安倍首相は、憲法9条に自衛隊を銘記しする憲法改正を何が何でも実現しようとしています。憲法改正問題は歴史認識問題です。今回の訪問を通じて、日本軍国主義が犯した加害行為を知り、安倍が目論む9条改憲を絶対に阻止する決意を改めて固めたいと思っています」とあいさつしました。

新しく着任した何処長は、彭勇秘書長らが出張のため不在であることを謝りつつ、「日中友好労働者シンポジウムは今後の交流の方向を示す意義あるものでした。日本の中国侵略を否認する安倍首相の改憲策動は日中関係にダメージを与えました。しかし、日中平和友好条約締結40周年の今年、中日両国のトップレベルの交流が盛んになっています。このような時期に皆さんが訪中されることは意義深いことです」と歓迎のあいさつを述べました。

そのご、10月に開催された中華全国総工会第17回全国代表大会について、①労働運動の時代的テーマを巡って、広大な労働者を団結させ、主人公として積極的に功績を立てる、②労働者の権益を擁護し、労働者にサービスする、③労働組合改革の3点にわたって説明がありました。(詳しくは別紙中華全国総工会第17回全国代表大会について参照

張茂華総工会書記処書記と記念写真、一番右が何際霞処長

張茂華総工会書記処書記(右から二番目)による歓迎夕食会

懇談会のあと、張茂華・中華全国総工会書記処書記が主催する歓迎夕食会が開かれました。

12日は、午前中、盧溝橋にある中国人民抗日戦争記念館を見学し、午後から高速鉄道(新幹線)で南京に移動しました。

<南京>

南京駅には江蘇省総工会弁公室副主任の高華さんが出迎えてくれました。

江蘇省総工会の歓迎夕食会が催され、朱勁鬆・江蘇省総工会党組書記・副主席、曹海・江蘇省総工会副巡視員が歓迎してくださいました。

朱勁鬆江蘇省総工会党組書記副主席から記念品を受け取る伊藤団長

13日は南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加しました。全国人民代表大会の王晨・常務委員会副委員長があいさつしました。午後は南京大虐殺遇難同胞記念館の本館を見学しました。夜は記念館で行われたキャンドル祭に参加しました。南京の小学生、中学生も参加し、宗教者の祈りなどがありました。今回の訪中団の秘書長を務めた藤村さんらが執筆した「東京満蒙開拓団」を江蘇省総工会と記念館に寄贈しました。

南京大虐殺死難者国家公祭の式場で

キャンドル祭(侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館:祭場)

14日午前は、2015年12月にオープンした利済巷慰安所旧址陳列館を見学しました。中国各地の慰安所、日本、アジアの慰安所の資料が展示されており、日本軍の従軍慰安婦の実態がわかる陳列館です。午後は、明時代の城壁、中山陵、夫子廟を見学しました。

城壁から玄武湖を眺める(右:石晶晶さん、左:高華さん)

城壁からみた鶏鳴寺

392段の階段が続く中山陵

15日は、南京から上海まで高速鉄道を利用し、上海駅から浦東空港まで車で移動しました。浦東空港で昼食をとったあと、夕方の便で成田、中部、関空へと飛び立ちました。通訳として全行程を同行してくださった石晶晶さんには大変お世話になりました。

来年は、日中不再戦の誓いの碑を侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館に建立して10年にあたります。8月に東北(旧満州)の訪問、12月に南京の訪問を計画しています。「お子さんを連れてきてもいいですよ」と言われました。学生の参加を含めて検討したいと思っています。

 写真:神部紅


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「中華全国総工会第17回全国代表大会について」何際霞(中国職工対外交流中心技術経済交流処処長)
「誓い」の碑を前にしてーー藤村 妙子 (東京南部全労協事務局長/東京の満蒙開拓団を知る会共同代表)