第4次「日中不再戦の誓いの旅」~北京、天津、南京を訪問~ (2017/12/21)

日中労交の第4次「日中不再戦の誓いの旅」は、12月11日に出発し、北京、天津、南京を訪問して、15日に帰国しました。この旅は、中国職工対外交流センターの受け入れで実現したもので、訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交副会長、全港湾顧問)、副団長=福元勇司(沖縄高教組委員長)、秘書長=前川武志(日中労交事務局長)、団員=押田五郎(清掃・人権交流会会長)、相澤瑞男(宮城県教組OB)、林繁行(全港湾大阪支部書記長)、渡辺学(全労協青年委員会代表)の7名です。
南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加するとともに、意見交換、見学などを行いました。私たちの希望に沿った日程を組んでいただき、非常に充実した旅でした。以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。(伊藤彰信記)

<北京>

中国職工対外交流センターの歓迎宴(12/11 北京)

12月11日、訪中団は、大阪・関空と東京・羽田から北京に着きました。空港には、中国職工対外交流センター技術交流部長の査良青さん、同部の石晶晶さんが出迎えてくれました。空港で昼食をとったあと、職工の家(中華全国総工会が所有するホテル)に移動しました。その後、中国職工対外交流センターの彭勇秘書長らと懇談しました。
私から「今年は南京大虐殺80年にあたります。正しい歴史認識をどう若い人に伝えていくのか、事実認識、反省、謝罪、そして和解を通じ、日中友好関係をどう築いていくのか、しっかり勉強する旅にしたい」とあいさつしました。
彭秘書長は「皆さんを熱烈歓迎します。日中関係の改善の兆しが見えはじめた良いタイミングに中国を訪れました」と述べ、10月に開催された第19回中国共産党大会について、中国の労働組合の状況について、日中関係について話をしました。その内容を少し紹介します。

<中国職工対外交流センターの彭勇秘書長の報告要旨>

彭勇(中国職工対外交流センター秘書長)氏

中国のGDPは世界第二位ですが、人口が多いので一人当たりのGDPは低いです。まだ発展途上国です。中国は「ふたつの百年」を目標にしています。中国共産党結党百年にあたる2021年までに小康社会(ややゆとりのある社会)の実現、中華人民共和国建国百年にあたる2049年までに社会主義現代化国家の建設です。1978年の改革開放以降、経済成長率が2ケタ台の速いスピードで経済発展を遂げてきましたが、リーマンショック以降、世界経済が回復力を欠いている状況の中、新常態(ニューノーマル)に入り、経済成長率7%前後になりました。発展の質を重視し、安定を維持しながら前進する取り組みをすすめてきました。中国の特色ある社会主義は新たな時代に入りました。改革、調和、緑、開放、共有の新しい発展を推進し、小康社会を全面的に完成し、2035年までに社会主義現代化の基礎を実現し、今世紀半ばまでに中国を富強・民主・文明・調和ある美しい社会主義現代強国にする目標に向けて社会主義の全面的発展を推進します。中国が世界の舞台の中心に近づいていることを自覚し、平和と安定をめざす新しい国際関係を築いて、責任ある大国の役割を果たしていきます。初心を忘れなければ目標は達成できます。中国人民の幸福を追求し、中華民族の偉大な復興という目標に向かって前進します。
中華全国総工会は1925年5月1日に結成されました。現在、組合員は3億200万人、基礎組織は283万です。活動の重点としては、①社会主義建設の主力軍の役割を発揮し、労働と技能を強化し、社会建設の発展に役立つ、②技術の向上を図り、技術型階級の産業労働者隊列を形成する、③美しい生活をめざし、ディーセントワークを実現し、働き方、賃金・労働条件、社会保険制度などの充実を図る、④インターネット・プラスの情報化社会に対応し、労働者の範囲を広げ、充実したサービスを提供する、⑤労働組合の改革・革新をすすめ、党と人民を結びつけることです。
今年は日中国交回復45周年、来年は日中平和友好条約40周年です。日中関係の改善の兆しがみられています。歴史問題は重要な問題です。日中関係は2000年以上の友好の歴史があります。1894年からの50年間が戦争の歴史でした。戦争は両者に損害をもたらし、友好は両者に利益をもたらします。侵略の事実を知るために中国を訪れ、国家公祭に参加をする皆さんに敬意を表します。皆さんは日本の労働運動の中で重要な勢力です。

バースデーケーキにナイフを入れる福元副団長(2017/12/11 北京)

懇談会のあと、歓迎夕食会が開かれました。誕生日だった福元副団長にケーキがだされ、とても和やかな雰囲気になりました。

<天津>

天津の在日殉難烈士労工記念館のモニュメント(12月12日 伊藤彰信撮影)

12日午前中、在日殉難烈士労工記念館を見学しました。この記念館は、中国から日本に強制連行され日本で亡くなった方を慰霊するともに、強制連行に関する展示をしているところです。

日本は1942年11月27日に中国人労働者を日本に移入することを閣議決定しました。38、935人の中国人労働者が日本に連れてこられ、日本の35企業135事業所で劣悪な労働環境の中で過酷な労働に従事させられました。土木建設業の15企業63事業所に15,253人、鉱山業の15企業47事業所に16,368人、港湾荷役業の21事業所に6,099人、造船業の4企業4事業所に1,215人です。そして、6,834人の中国人労働者が日本で亡くなりました。

在日殉難烈士労工記念館で説明を受ける(2017/12/12 天津)

記念館には、日本による中国人労働者狩り、収容所から日本への移送、日本での労働実態、花岡暴動など中国人労働者の反抗、日本と中国での強制連行問題の調査活動、日本での裁判と鹿島建設、西松建設などの企業との和解などが展示されていました。記念館前には花岡暴動記念園がつくられ、殉難烈士の名を刻んだ礎がありました。

興安丸船上の兼田富太郎・元全港湾委員長(中央)「全港湾50年の歩み」から

私は、以前からこの記念館を訪れたいと思っていました。それは日中友好運動の原点を知りたかったからです。1952年末に中国政府は、当時中国に残っていた3万人ほどの日本人居留民の帰国支援を行うと発表しました。翌年1月には、中国紅十字会と日本赤十字社、日中友好協会、日本平和連絡会と帰国事業に関する協議が行われました。この動きに応えて、在日華僑、宗教団体、労働組合などによる中国人俘虜殉難者遺骨送還運動がおこりました。1953年3月、日本人帰還船の第1船に日本人代表の一人として当時の全港湾委員長だった兼田富太郎が乗船しました。日本人帰国事業とともに中国人の遺骨送還事業が行われるようになりました。全港湾にとっても、その後の反戦平和運動、日中国交回復運動、日中友好運動を展開する出発点になりました。
遺骨の送還は、1953年7月から1964年まで9次にわたって行われました。遺骨は天津港の近くに納骨され、その後、水上公園に記念館がつくられ、2006年4月に天津市郊外に現在の在日殉難烈士労工記念館が建てられました。

<南京>

南京大虐殺犠牲者国家追悼式(12月13日 南京市 「人民網」より)

天津から南京には高速鉄道(新幹線)で移動しました。南京駅には江蘇省総工会弁公室副主任の高華さんが出迎えてくれました。
13日は南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加しました。習近平国家主席が出席しましたが、演説はしませんでした。午後は南京大虐殺記念館の本館を見学しました。夜は、南京大虐殺記念館で行われたキャンドル祭に参加しました。南京の小学生、中学生も参加して、犠牲者に対する献水、各国の宗教者の祈りなどがありました。ジョン・ラーベのお孫さん、マギー牧師のお孫さんも出席していました。

南京大虐殺記念館内の展示(2017/12/14 南京)
南京大虐殺記念館内の展示(2017/12/14 南京)

14日午前は、一昨年12月にオープンした利済巷慰安所旧址陳列館を見学しました。韓国人慰安婦の方が慰安所に使われていた建物を特定したことを受け、整備して陳列館にしたものです。慰安所における慰安婦の生活がわかるように展示されていました。また、中国各地の慰安所、日本、アジアの慰安所の資料も展示されており、日本軍の従軍慰安婦の実態がトータルに展示されている陳列館です。

江蘇省総工会、教育科学技術工会との懇談(2017/12/14 南京)

午後は、江蘇省総工会の井良強副主席、江蘇省教育科学技術工会の孫焱副主席らと懇談しました。歴史教育問題よりは障害児教育の話題が多かったのですが、戦争を起こさないためには、差別・偏見・蔑視をなくし、ひとり一人の人権を尊重することが重要だと確認しました。
懇談会のあと、江蘇省総工会による歓迎夕食会がありました。
15日は、南京から上海の浦東空港まで車で移動しました。渋滞に巻き込まれて飛行機に間に合うか心配しましたが、無事、成田、関空へと飛び立ちました。通訳として全行程を同行してくださった石晶晶さんには大変お世話になりました。
来年は、日中平和友好条約締結40周年です。青年労働者が歴史事実と日中友好の理解を深める旅の企画を考えたいと思っています。

2017年12月21日 伊藤彰信(第4次「日中不再戦の誓いの旅」団長)

*写真:人民網(中国国営ネット新聞)、押田五郎団員(清掃・人権交流会会長)

第4次「日中不再戦の誓いの旅」報告(2)・渡辺学