JCLIF レポート

こんにちは。会員のIYです。

改革開放政策の象徴であった経済特区・深センで、急激な経済発展のテイクオフに成功した1993年11月19日に発生した致麗(ジリ)玩具工場の大火災で87人の労働者の命が奪われました。この事件はアジアの労働運動活動家にもおおきな衝撃を与えたといいます。この火事で大やけどを負った女性労働者の現在についても触れているNGOのオクスファム香港(http://www.oxfam.org.cn/)の中国プロジェクト担当の方が書いた文章を訳しました。

原文はこちらです。
http://www.ngocn.net/?action-viewnews-itemid-88736

20周年の今年11月19日、広州のホテルで「中国の労働安全衛生の回顧と展望シンポジウム 致麗火災20周年記念会議」がおこなわれたようです。中国版映像ポータルサイトのyoukuのサイトにこの会議の映像報告があります。冒頭の30秒ほどは広告が流れます。

・致麗玩具工場大火災20周年記念シンポ(映像)

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◆中国深セン:致麗玩具工場の大火災事故から20年

王英瑜:オクスファム中国プロジェクト部 都市生計プロジェクトマネージャー
2013年11月19日 16:36 主場新聞に掲載

農民工から新工人・新市民へ
致麗大火災から20年

致麗大火災で生死の境をさまよい、その後回復した小英は、「重慶忠県自強労災後遺障害者サービスステーション」(http://www.cqzq.org/)を創設した。

1993年11月19日、香港の経営者が経営する深セン致麗玩具工場で火災が発生し、87人の命が奪われ、51人が負傷した。陳玉英(小英)は最もひどいやけどをした一人だ。全身がただれて病院のベットで治療を受けている時は、誰もが彼女は生きられないだろうと噂していた。左足首と左手首はほぼ全てが焼けてなくなった。しかし7年の間に37回の手術を行い、生き延びることができた。

火災で被害者が拡大したのは、商品の盗難を防ぐために、労働者の安全を完全にないがしろにして工場の窓に盗難よけの鉄柵をとりつけていたからだ。火災が発生したとき、四つある出入り口はひとつだけが開錠されていたことから、多くの労働者たちはこの出入り口を目指して殺到し、階段で寿司詰め状態になり逃げることができなかった。後に、経営者には4年の禁固刑と300万元余りの賠償金を支払ったが、死傷者の家族らは数千~数万元しか受け取ることができなかった。この玩具工場は有名ブランドのChiccoの玩具を製造していた。当初、Chiccoは賠償責任を曖昧にしていたが、民間団体やイタリアの労働組合が圧力をかけたことで、97年と98年にあわせて20万ドルを被害者に賠償した。

全国を震撼させたこの惨劇によって、政府は労働者の権利を重視せざるをえなくなった。この惨劇が「労働法」の制定を加速させたとも言われている。中国では1956年に「労働法」が起草されたが制定には至らなかった。1979年にふたたび「労働法」が起草されたが、ここでも制定には至らなかった。90年代初め、三度「労働法」が起草され、1994年7月5日に全人代常務委員会で採択され、95年1月1日に発効した。それは中国労働法制が歴史の新段階に入ったことを象徴した。

労働法制はいくらかは改善されたが、出稼ぎ労働者はいまだ本当に自由に往来することができなかった。2003年の「孫志剛事件」が「農民工」の移動を不当に制限している実態を明らかにした。当時の法律では、本籍地ではない住民は暫定居住証を持っていなければ不法滞在となり、強制送還されることもあった。2003年3月、湖北省黄岡市が本籍の孫志剛が、広州市の司法機関に三無人員(許可書、住所、収入がない)を理由に拘留され、暴行を受けて死亡した事件が全国の関心を集めた。同年、国務院は21年間実施してきた強制送還制度を廃止するとともに「都市野宿者救済管理規則」を公布した。これにより出稼ぎ労働者が本当に自由に都市と農村を行き来できるようになった。

80年代の沿海の都市部における経済開放以降、小英と彼女の同僚、そして幾千幾万の労働者は生計を改善するために多大な代償を払ってきた。また社会的進歩の促進のために力を捧げてきた。小英は2002年に「重慶忠県自強労災後遺障害者サービスステーション」を創設し、出稼ぎ労働者や労災被害者、職業病患者や後遺障害者など、社会的弱者にサービスを提供してきた。オクスファムは2003年からこのサービスステーションへのプロジェクトを開始し、資金や能力開発などで支援をおこなってきた。オクスファムは農村での貧困支援と開発にかんするプロジェクトを展開しているが、それ以外でも出稼ぎ労働者や流動人口にも注目してきた。これらの人々は中国の貧困支援と発展にとって重要な社会的グループのひとつだからである。

過去20年、出稼ぎ労働者は世界の工場としての中国の発展における大黒柱であった。今年9月、国家衛生計画生育委員会が発表した報告では、2012年には全国で2億3600万人の流動人口があり、平均年齢は28歳で、半数以上の流動人口が1980年以降に生まれている。この「新世代農民工」の背景や必要性は、上の世代の農民工とは異なるところがある。新世代農民工は学校を卒業してそのまま都市で就職するので、農業経験がなく、農村へ戻って農業に従事することが難しく、農村でも十分な就業機会を提供することはできないことから、かなりの部分が都市部で生計を立て、生活基盤を築く必要がある。しかし生計基盤のもろさおよび社会保障の不安定さが、新世代農民工に将来への不安もたらして
いる。

実際のところ農民工はもう農民ではなく、新しい労働者(新工人)であり、産業労働者の主要な構成部分であり、サービス業ではほとんどの部分を占めている。また、彼ら彼女らは新市民でもある。合理的な都市化は内需と経済成長につながるとともに、社会の健全な発展にも有利である。しかし核心は出稼ぎ労働者らが都市部で安心した雇用と生活を享受することにあり、彼ら彼女らに本当の市民的地位を付与することで、権利としての社会保障を保障し、都市生活における障がいを低減することができる。先日開催された中国共産党18期3中全会では公共サービスの均等化を進め、農民が近代化の成果を享受できるような政策が強調された。今後、この方面について実質的改善がおこなわれることを期待する。

致麗大火災を記念することは、ふたたび悲劇を起こさないためであるが、働く人々がこれまでに多大な代償を払ってきたことを忘れないためでもある。新工人、新市民の処遇改善は中国社会の進歩にとって重要な構成要素である。

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