JCLIF レポート

最近の珠江デルタ地域における労働運動の視察報告 (下)

高幣真公(日中労働情報フォーラム事務局次長)

工連会との交流

民主的な工会における団体交渉の実態を報告

工連会(自動車産業労組協議会)17人の代表(委員長)


<工連会(自動車産業労組協議会)17人の代表(委員長)が参加した>

  今回の訪問で最大の成果は、自動車産業の民主的な工会の代表たちとの一日交流であった。工連会(自動車産業労組協議会)は広州市の開発区にある自動車部品関連会社で2010年のスト以後に民主的な選挙で選ばれた90社の工会が加盟する協議会で、その内17人若い代表(委員長)が出席した。日本側から団体交渉の実態を概説した後、中国側から3労組委員長が団体交渉の実態を詳細に報告した。概要は以下のとおり。

 最初に工連会の会長L氏から工連会の運営について説明した。11社の工会で構成する常任委員会が毎月1回会合を開き、情勢や問題の共有を行っている。工会委員長は非専従で無手当。加盟組合の50%以上で毎年賃上げのために団体交渉を行っている。ここ3年間毎年11~20%の賃上げを獲得している。
 常務委員会の仕事は次の4つ。1)賃上げ、ボーナス、福利など労働者の利益を守ること。2)組合員の相談に乗って、組合員の利益を守る活動。3)メディア活動、スポーツ、チャリティなど集団イベントの実施。4)教育訓練、会議等の上部からの指令を実施する。
続いて、毎年行っている団交の手順と重要ポイントや問題を解説した。組合員の利益を守ることにおいては「べストはなく、ベターしかない」とも。そして、「企業と相互に利益をはかる連帯感が大切だが、それ以上に組合員の利益を守ることを肝に銘じている」と結んだ。

 2番目に日系企業の白木自動車部品会社の委員長が2012年の賃金交渉を詳しく説明した。従業員532人の組合で、南海ホンダのストライキ時は委員長ではなかった。当時の委員長が解任されて再選挙の結果、委員長に選ばれた。第1回交渉は2011年2月で賃上げ案が交渉された。前組合委員長が交渉時に会社側の席に座っていたので、解任の理由が判明した。第2回(4/13)、第3回(4/19)と賃上げ交渉が続く。会社側は3.11大地震と不況を口実に賃上げを渋る。
 第4回(4/22)で区総工会代表が団交に出席し、主役を演じる。区総工会は「安定した調和的な社会を維持し、治安を守る」と言って、経営側と労働側の半々で双方の妥協を求めた。その次の第5回交渉(4/25)で組合側の100元増額要求に対して経営側はボーナス等に反映しない生活給50元を提案、それで妥協した。協約案を組合員に提案し、民主的な採決で決定され、協約を締結。
 交渉で感じた困難は、1)法律で義務付けられているにもかかわらず、会社側が経営状態に関する資料を開示しないこと。2)組合幹部の態度が揺れている(副委員長ほか辞任した)。3)組合幹部間のコミュニケーションの未熟さ。4)交渉は単純な賃上げ(年収)のみに限られ、法に規定されている賃金体系の交渉がテーブルに載せられない。結語として他からの引用だが、「労使交渉は労使が平等な立場で賃金、労働条件等を協議して調和的な労使関係を築くこと」と語った。

 3番目の報告者は日系自動車部品メーカー・APACの工会委員長で、勤続10年、組合役員歴7年、委員長2年。2012年の団体交渉の実態と問題点を報告した。まず、団体交渉の進行ステップを紹介した。1)組合員全員で交渉委員を選出する。その際会社からの介入はない。2)組合員の賃金、住宅、教育などの要求に関するアンケートを実施。3)全組合員の平均賃上げ要求額を交渉する。4)本音を聞き出すために組合員の中でサンプル面談。5)標準フォームに従った会社への要求書を提出。6)3回の交渉で妥結。7)組合員10人に一人選ぶ職員代表大会で評決して決定式を厳粛に行う。8)労働局に承認を求める。9)承認後、全組合員に発表。
引き続きAPAC社の交渉過程の問題点や課題が報告された。1)他社に比べて残業が少なく、収入も少ないこと。2)従業員の離職理由は給料が低いことや残業が少ないことが大きい。3)3年以内の従業員の離職率が高く、その理由は労働強度が高いこと。4)参考資料として家庭支出表を作ったが、保育園の保育料、食品価格、借家の賃料など、前年に比べた値上がり合計が18%であった。5)会社側は尖閣諸島問題で自動車販売が低下して経営の悪化したことを口実にしたが、組合は事情を理解するが、給料に反映させることに納得できないと応じた。6)製造ラインで残業が前年に比べ68%減り、収入は大幅に低下した。7)広州市の同職種で賃金を比較したら、2職種を除き高かった。8)前年に顧客2社(ニッサンとホンダ)で優秀賞をもらったことに会社は労働者に感謝すると言った。9)賃上げ交渉の結果は、平均賃上げ416元(前年比13.47%)、ボーナス13年冬2.2カ月。10)締めくくりに「労使の共同目標は、世界最強のコスト、独自の技術、団結した力」、そして「皆でエリートになり、エリートの給料を勝ち取ろう」と話した。

 中国側報告の後質疑に移った。参加者の企業における雇用形態が有期契約と無期契約の比率を質問した。L氏は自社の実態を答えて、全従業員530人中、70人が派遣労働者で460人が直接雇用。2年の有期契約を2回続け、3回目に無期契約を要求できるが、会社は無期への転換を歓迎していない。広州白木では全員が有期契約、10年以上で本人が申し立てれば無期に切り替えることができるが、会社は嫌がると答えた。
 次に団体交渉で組合側の要求を実現するためにストライキは有効かと聞いた。L氏はそれに答えて、「組合がストライキをすべきかどうかは悩ましい問題」と話す。「私はストライキが必要で、やるべきだと思う。それができれば、平等な交渉ができて相互に尊敬でき、社会的な正義も実現できる。組合にストライキ権がなければ平等は虚構だ。スト権のない交渉は疲れるし、結局請願になってしまう。しかし、現政治状況・社会環境で組合はストライキをやるとは言えない。他の組合委員長も頭を悩ませていると思う。現在中国で組合が主導するストライキは非常に少く、ほとんどない。組合はストライキが起きるのを黙認し、促すことはある。秘密裏にストライキをやることは不健全なので、早く公然とストをやれる状況を作っていきたい」。
 工連会の代表は以上のように工会の直面する基本的な問題点を率直に語った。他方、中国側から団交に女性の参加を義務付ける法令があるか?ボーナスの査定はどのように行われているか?組合役員のキャリアはどのように報われるのか?等の質問も活発だった。双方共現場レベルの労働者交流の意義を強く感じる重要な機会となった。

工連会の代表は工会の直面する基本的な問題点


<工連会の代表は工会の直面する基本的な問題点を率直に語った>

終わりに

日中労働者の交流の重要性を相互に確認

 以上4つの交流の場面を報告したが、今回の訪中団プログラムにはこの他に南華工商学院(広東省総工会幹部養成学校)、LUCA女性組織、中山大学政治学科ゼミでの報告、読書会グループの交流、農民工の現状をテーマとした大学講義、広州市清掃事業の労働実態報告等、中国労働者の現状や課題を知る上で重要な交流機会を得た。これらの報告は後ほど訪中団の報告集に掲載されるだろう。

中山大学の政治学科ゼミで柚木康子さん


<中山大学の政治学科ゼミで柚木康子さんが日本における女性労働の課題を報告>

南華職業学院で日本労働運動史の講義


<南華職業学院で日本労働運動史の講義を高田一夫団長が行う>

 今回の訪中は尖閣諸島領有権問題をはじめとする日中関係緊張状態と直前の天安門暴走車事件や大原爆破事件など国内治安問題が深刻な時期に行われ、出発前一抹の不安を抱えての旅行であったが、現地に着いてみればそんな懸念は霧のように散ってしまって楽しくおおらかな交流と生活を過ごした。そして、迎えてくれた中国側の代表たちから、日本の資本家(経営者)にたびたび会っているが現場労働者と会う機会は少なく、たいへん貴重なチャンスだと口々に語られた。珠江デルタ地域は経済発展の先頭を走ってきて、外資の流入がその牽引車であり、その一つの柱が日系資本であった。その下で働く労働者は日本の労働者についてほとんど知識がない、交流がない状態が続いてきたのだ。

海珠区新港西路


<広州市中心部・われわれの宿泊した近くの街路 海珠区新港西路>

近代的な広州市の地下鉄


<近代的な広州市の地下鉄 8路線があって市民の重要な足>

新幹線(広深高速鉄道)広州南駅


<新幹線(広深高速鉄道)広州南駅>

 今回の交流を通じて中国における労働運動が大きな転換点を迎えて、その結節間になったのが2010年広州・南海ホンダのストライキであったことを何度も聞いた。南海ホンダのストライキは産業の最も進んだ広東省にとどまらず、全国の自動車産業と全産業に波及した。その背景にあったのは農民工と呼ばれる農村からの出稼ぎ労働者の不足、労働力の不足の時代の到来である。そして、農民工の世代交代が新たな労働運動の担い手を生み出した。われわれが交流した工連会のメンバーたちは中国の新しい労働運動のリーダーたちであった。彼らは日本の労働運動の経験、成果と失敗から学ぶためにもっと知りたいと語っていた。逆に日中労働者の交流の発展は日本の労働運動にエネルギーを注ぎ込むことを期待する。

 今回の旅で中国の経済発展の姿に驚いた。道路や地下鉄、新幹線など交通網の発展と近代化は日本をしのぐものを感じた。そして、広州都心の町並みは西新宿やお台場を想像させる高層ビル、高層マンションと高速道路や商店街が並んでいた。外観を見る限り都市生活はほとんど日本の都会と変わらない。物価は約半分と感じた。中国の労働者の収入の平均が3,500元(約6万円)だとすれば、日本の3分の1であり、まだまだ生活が苦しいことが分かる。「食は広州にあり」で食べ物はどれも美味しかった。中心部のある世界一という繊維産業の街を見学したが、そこは狭い道をモーター付き3輪車が行きかい、労働者を募集する看板を持った人々や職を探す労働者でごった返す混雑した街で、一部に旧い繊維産業と労働者の生活が残っていた。

中山大学で記念撮影


<中山大学で記念撮影:訪中団の15人とエレン・フリードマンさん(後列右から6人目)>

 今回の交流が実現できたのは、中山大学国際労働問題センターの招待があったからだ。そして、そこで働くエレン・フリードマン客員研究員(アメリカ労働組合のベテラン活動家)と工会民主化に取り組み幹部たちと深く連携している何高潮教授の全面的な協力の賜物だ。そして、実り多い交流ができたのは団に参加した15人のメンバーのチームワークの成果であった。団長を務めていただいた高田一夫(一橋大学名誉教授)氏と事務局長の山崎精一氏をはじめ団員の皆さんのご努力に熱く敬意を表したい。最後にこのような交流が今後も継続することを期待したい。
<2013/12/8 記>

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