「労働運動の星」の栄光の背後にあるもの―「番禺打工族文書処理服務部」主任の曽飛洋らによる重大犯罪事件容疑の調査報道(その2)

◎ 幕後に隠れた黒幕

対外宣伝やメディアのインタビューを受けるとき、曽飛洋は自分が率いる「服務部」は「合法で独立して運営する公益組織」だと称していた。しかし、警察の捜査では、この「服務部」が2007年には工商部門から登記を抹消され、現在はどの行政部門の登記も行っておらず、非合法組織であることが明らかにされている。

「曽飛洋本人も服務部も、表と裏では違っていました」と拘束された容疑者の一人、湯歓興は語る。 2014年、湯歓興は曽飛洋に招かれて「服務部」に参加した。「彼と一緒に労働者を支援するよう言われました」と湯歓興はいう。「曽飛洋は服務部の主任として、一切は彼の一言で決まりました。孟晗は組合会議の準備を担い、朱小梅は労働者との具体的な連絡係、私はインターネットとメディア対策を任されました。」

しばらくして、湯歓興は「服務部」には知られざる一面があることに気が付いた。名前の上では独立組織だが、定期的に国外の団体に日常的な報告を行っており、国外の団体もスタッフを派遣して管理や活動の具体的な計画に関与していたという。

湯歓興はさらに、「服務部」が営利活動をしていないにもかかわらず、ストライキを組織する活動の中では無償を公言しつつ、食事や送り迎え、研修費用、そして一部の労働者代表を香港に連れていき「見識を広めさせる」費用をすべて負担していることに気が付いた。これらの費用はどこから来たのか? 曽飛洋が自ら語ったところによると、それは国外の団体が提供しているという。またストライキの際には、労働者から「分担金」を集めていたという。

湯歓興がさらに意外に感じたのは、曽飛洋が労働者の争議を組織する際のやり方だった。「労働者と会議を開いたり研修をするときには、法律に沿って活動しなければならないと言うのですが、実際の活動ではそれを逸脱していたのです。」 警察の捜査では、曽飛洋が介入した労使紛争は、厳密で明確な行動計画があり、毎回ストライキ運動を組織する手法とやり方は、次のようにまったく同じだったことが明らかになっている。

――目標を確定する。影響力のある外資系企業あるいは労働集約型企業に狙いをつけて、巨額の解決金を提供できる実力があるかどうかを判断し、あらかじめ研究と準備を行い、「成功率」を確保する。

――組織的に発動する。労働者と接触し、ちょっとした手助けや利益を通じて好印象を与え、極めて幻惑的な言論を発表し、労働者代表大会の招集を組織して、急進的性格の労働者代表を選出し、いわゆる「組織化」の過程を完成させる。

――集中したトレーニング。労働者に対してストライキの戦術と方法を伝授し、海外の労働運動の映像を見せる。そこでは労働運動を通じて政権獲得に成功したいくつもの事例を取り上げたものもあった。労働者の要求を確定し、労働者代表を他の労使紛争の現場に連れていき「体験学習」を行う。

――騒ぎを扇動する。方針を練りながら、少しずつ非合理的で現実的でない要求も加えていき、合法的なルートによる要求実現を拒否するよう労働者に対して教唆し、経営側に対して急進的な方法で要求を受け入れるよう迫る。「服務部」の中心メンバーの孟晗や湯歓興は曽飛洋の指示で労働者を名乗って交渉現場に紛れ込んで交渉をコントロールしたこともあった。騒ぎの過程で、ウェイボー(中国版ツイッター)やショートメールなどを使って、文字情報や写真などをウェブサイト上や海外のメディアに掲載し、影響力をさらに拡大させる。

――総括して祝う。毎回のストライキが終わると、曽飛洋は大規模な祝賀会議の開催を要求し、労働者たちを「大変すばらしい取り組みだった。これを堅持しよう。つまりこのようにしてこそ勝利することができる」と称賛し、「労働運動の星」と刻まれた額を作成して労働者に渡して、それを労働者から厳かに彼に授与させ、その記念写真をウェブサイト上に掲載する。対外的には「労働者が自発的に行った」と宣伝する。

ストライキの現場を撮った映像のなかには、曽飛洋が労働者たちを組織して率いて、スローガンを叫んで労働者らを扇動し、現場の雰囲気が熱狂するシーンなども映し出されていた。

「それをみて心配になりました。その場は混乱し、人もたくさんいた。みんなの感情も高ぶっており、このままでは大規模な衝突が発生して死傷者も出てしまう」と湯歓興は供述する。「ほかのところのストライキでは労働者がビルから飛び降りるという悲劇もありました。彼はそんな深刻な結果になるなどとは思っていなかったでしょう。私も彼に対して、労働者の情緒を扇動しないほうがいい、落ち着いた雰囲気のほうが交渉には有利だと忠告しました。しかし彼はその場の混乱を求め、矛盾をさらに深めていくよう挑発し、労働者の生命の安全を顧みませんでした。」

ストライキに参加した労働者も記者に次のように話した。曽飛洋いつも労働者の側に立たなければならないと語り、みんなに対して「恐れるな、前進だ!」と言っていました。しかし現場で騒ぎが起きた後、おかしなことに曽飛洋の姿はいつも見えなくなるのです。「姿が見えなくなり、携帯電話もつながらない。一番彼を必要とするときに彼はいなくなるんです。」 ストライキ騒ぎが大きくなると毎回、政府部門が介入して事件を納めるために、労使双方の交渉を調整することになる。「しかし曽飛洋は功績を自分のものにするために、政府にやらせてもだめだから、われわれ服務部にやらせろ、と労働者にいうのです。」と湯歓興は語る。

「主導権」を握るために、さまざまな手段で自らを「服務(奉仕)者」から「主導者」に変身させるだけでなく、曽飛洋は「仏山南飛雁社工中心」など多くの支部組織にみられるように、これまでも広州、東カン、仏山、中山などの地区で勢力を拡大させてきた。そしていわゆる「労働者リーダー研修プログラム」を行ってきた。曽飛洋は海外メディアのインタビューを受けた時に、「服務部」は中国労働NGOの「黄埔軍校」だと語っていた。

警察の捜査では、毎回の争議支援において、湯歓興は曽飛洋の求めに応じて報告および写真を彼に提出していたことが分かっている。曽飛洋はすぐに報告と写真を海外メディアに提供し、頻繁に取材を受け、進んで各種の「マイナス情報」を「暴露」していた。これら海外メディアの報道では、労働者と企業の矛盾を誇大に報じて、労働者と中国政府の矛盾の衝突があるかのように歪曲し、それを通じて中国国家のイメージを貶め、中国の社会制度を攻撃していた。

「一宿一飯の恩は忘れてはならないのですが、その性質は完全に変わってしまいました」と湯歓興はいう。「彼がそんなふうな行動をとった理由は、服務部と彼本人の知名度を高めて、もっと多くの国外団体からの注目と資金援助を得るためでした。しかしそれは法律にそった権利擁護の活動という範疇をおおきく逸脱し、道徳的最終ラインを越えてしまいました。」 (つづく)

「労働運動の星」の栄光の背後にあるもの(1)