労働NGO摘発を報じた新華社報道(その1)

 

朱小梅香港の支援グループのfacebookによると、12月3日の拘束→逮捕から一か月近くがたった大晦日まで、弁護士接見は一度も行えていません。また逮捕されている朱小梅さんの夫の職場には何度も頻繁に警察がやってきて、奥さんは弁護士をつけないでいいと言っているとか、1歳の子どもは児童養護施設に預けてはどうか、などというメッセージを伝えに来ています。

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今回は、いよいよ(?)中国の労働人権活動家の逮捕を報じた新華社の報道の翻訳です。

原文はこちらです。

24分にもおよぶ早朝ニュースの映像もまだ見られます。

長いので三回に分けてお伝えしますが、今日は「その1」です。


「労働運動の星」の栄光の背後にあるもの

「番禺打工族文書処理服務部」主任の曽飛洋らによる
重大犯罪事件容疑の調査報道

2015年12月22日 ソース:新華網
新華網広州12月22日電(新華社“新華視点”記者 鄒偉) 先日、広東の警察機関は庶民からの通報で、「無料の争議支援」を掲げながら、長期間にわたって海外の団体からの資金援助を受けて、国内の労使紛争事件に介入し、社会秩序を甚だしくかく乱し、労働者の権益を大いに踏みにじった違法組織を摘発し、曽飛洋ら7人の容疑者を拘束した。

「番禺打工族文書処理服務部」と名乗る組織は国内で十数年のあいだ活発に活動し、「国内最初の労働NGO」として名を馳せていた。この「服務部」の主任、曽飛洋は「労働人権問題の専門家」「労働運動の星」などのイメージとともに、何度も海外のメディア報道に登場し、「その年の公益人物」としてメディアに表彰され、招待されて海外で講演や視察、交流などを行い、注目を浴びてきた。

曽飛洋とはいったいどのような人物なのか? 彼が率いていた「服務部」とは結局どのような組織なのか? 彼はどのような容疑がかけられているのか? 「新華視点」の記者は、捜査本部に取材を行い、容疑者や担当の警官にインタビューを行うことで、深層の幕裏にある真相を明らかにした。

◎ ストライキの背後に潜む影

時は今年の4月20日にさかのぼる。

午前8時ごろ、広州市番禺区利得靴廠で大規模な社会秩序騒乱事件が発生した。数百名の労働者が工場の入り口を封鎖し、トラックの出入りを止めた。あわせて階段を封鎖して、出勤しようとする労働者を恫喝して阻止した。労働者たちはスローガンを叫び、大衆的興奮状態で、現場は異常な混乱をきたし、秩序が失われていた。

このストライキは六日間続き、工場は生産停止を迫られ、周囲の人々も大いに迷惑した。これは2014年12月以来、利得靴廠で行われた三度目のストライキであった。結局、政府部門が介入することでやっと収束した。だが労働者の要求が100%満たされたわけではなく、工場側も操業停止で4000万元余りの経済損失を被った。

ストライキ当初、海外のメディアやウェブサイトで突如として大量の報道や写真が報じられ、悪意ある炎上扇動が続けられ、批判の矛先は地方政府に向けられた。

さらに驚いたことに、ストライキの期間中、ストライキに参加していた数名の労働者代表が自分から警察機関に対して「ストライキの内情を伝えてきた」。

「2014年8月、私たち労働者は社会保険や住宅積立金などの問題で工場とのあいだで経済紛争が発生しました。この時に工場のなかで曽飛洋の名刺を見かけるようになり、労働者の権利擁護の活動を無償で支援するというのです」と、労働者代表の高某某は言った。

労働者たちは曽飛洋と接触しはじめたが、第一印象は「温和、善良」と、かなり好印象であった。曽飛洋は無償で研修を行い、労働者たちに法律を解説し、労働者たちを食事に招待し、費用を工面して組織活動や旅行などを手配した。

同時に、労働者らに代表を選ぶよう要求し、「服務部」はその代表と連絡を取るようにし、それら労働者代表を通じて権利擁護の活動を組織し、さらに労働者たちの出資で「団結基金」をつくることを要求した。

権利擁護を急いでいた労働者たちは「服務部」による組織化ですぐに労働者代表大会を開催した。曽飛洋は、中心的メンバーの孟晗、湯歓興、朱小梅、彭家勇、トウ小明らをそこに参加させ、高某某や張某某の選出を指揮した。

その後、曽飛洋は労働者に対してさらなる研修を行い、韓国や香港などのストライキの映像を見せて、ストライキで権利を勝ち取った成功事例を説明し、ストライキを通じて権利を守るよう何度も鼓舞した。

高某某によると「曽飛洋はよく私たちにこう言っていました。政府を介した争議解決には時間がかかるし、成功しない。服務部のいうとおりにやれば、騒ぎは大きくなって工場に圧力をかけられる。そうしてやっと成功する、と。」

労働者代表の王某は怖くなって、労働者代表を辞めたいと申し出た。曽飛洋は王を励まして「大胆にならないと。怖がることはない。もし捕まっても、服務部が弁護士を無料で手配して裁判をやるし、労働者を集めて派出所に対して釈放するよう呼びかけるさ」と言ったという。

2014年12月、利得靴廠で最初のストライキが発生した。しかし労使双方は合意に達せず、すぐに二度目のストライキが発生した。

この期間中、労働者代表はますます違和感を覚えていた。「私たちは彼の組織方法は問題があると考えていました。私たちに急進的な方法で争議を行わせて、私たちを危険な立場に押し上げ、ストライキの影響を利用して騒ぎを大きくし、さらに写真を撮ってウェブ上に掲載したんです」と高某某はそう言った。労働者代表が曽の考えるとおりにやらないと、排除が始まるともいった。

2015年4月17日、労働者大乗と工場の経営陣は交渉を行い、実質的な進展がみられ、補償金額と最終期日が確定し、あとはそれを公表して労働者の意見を求めるだけだった。

「この重要な時に、服務部は突如19日の夜に第三回労働者代表大会を招集して、我々の罷免を宣言して、彼らの言うことを聞く新しい代表を選出したのです」と別な労働者代表の一人の李某某は語る。

翌朝、三度目のストライキが始まった。こうして、前述の一幕が出現したのである。

高某某、李某某などが怒っているのは、曽飛洋が彼らを「引きずりおろす」ために周囲にデマを飛ばしていたことである。「私たちが経営者から買収されたなどを侮蔑したのです。そのせいで私たちは労働者から敵のように見られました。このデマはすべて服務部の人間が会議の時に言ったものです。それが口づてに広がり、私たちはあっさりと代表を罷免されてしまったのです」と李某某は語った。

罷免された代表たちをさらに傷つけたのはストライキの結果であった。「労働者たちが苦労してストライキをやって、さらに警察に逮捕されるかもしれないというリスクまで犯したのに、争議の本当の目的を達成できず、労働者の長期的な利益も損なってしまったのですから」と李某某は何度も言葉を詰まらせた。

労働者代表たちは、曽飛洋らの目的が労働者を扇動してストライキをやらせて、社会的影響を与えて、工場の正常な生産を邪魔し、社会秩序をかく乱させることにあったと考えている。

警察の捜査では、近年になり曽飛洋らは頻繁に珠江デルタ地区の労使紛争に介入していたことが発覚している。広州中医大学付属第一医院、広州軍区総合医院、大学学園都市、南沙聯盛金型廠、恒宝宝石首飾廠など数十件のストライキの背後に、かれらの影が登場していた。

急進的な権利擁護活動のなかで、曽飛洋らは一部の労働者を扇動して連名で職場内労組の委員長の罷免させ、「服務部」に従う「労働組合組織」を成立させたり、某工場の人事主管を軟禁して工場経営者にいうことを聞くよう迫ったり、労働者を扇動して法執行機関に対する抗議行動を行わせたりと、極めて悪質な社会的影響を与えてきた。

(つづく)

「労働運動の星」の栄光の背後にあるもの(その2)