「労働運動の星」の栄光の背後にあるもの――「番禺打工族文書処理服務部」主任の曽飛洋らによる重大犯罪事件容疑の調査報道(その3)

それにしても、以下の記事で言われている活動家の犯罪容疑(あるいは素行不良)は、もし仮に本当だとしても、ほとんどすべて官僚もやっていることですね。
団体の金を私用につかった、外国の資金、地下銀行などなどすべて、官僚はもっと大胆にやってます。別人と入れ替わってた、というのも、たぶんそんなにびっくりすることでもない。日本でもあるし、中国だともっとたくさんあるでしょう。官僚の中にも経歴詐称や入れ替わりなど、きっとたくさんいるはずです。
つまり労働NGO活動家が逮捕された唯一の理由とは、労働者の味方をして政府にたてついたということだけです。
以下、翻訳です。   (会員の稲垣)

「労働運動の星」の栄光の背後にあるもの――「番禺打工族文書処理服務部」主任の曽飛洋らによる重大犯罪事件容疑の調査報道(その3)

* 原文

◎ 「労働運動の星」の真相

「曽飛洋は兵隊蟻のようでもあり、また将軍のようでもある。社会的苦痛を忘れたところで彼は苦痛を堅持し、法的が軽んじられるところで彼は公平を回復しようとした。四肢に障害を負った人々のあいだでは、精力的に生命の美しさを探し求めた。彼は時代安定の基石なのである」。対外メディアに対して曽飛洋はこのようなイメージを持たれていた。

「服務部」のウェブサイトおよび曽飛洋自身によると、かれは1974年に広東番禺で生まれ、96年に華南師範大学法律学部で学び、卒業後に南雄市司法局に勤めた。一年を経ずして、曽飛洋はある弁護士事務所に転職した。曽飛洋は仕事を辞めた理由を次のように話していた。「毎日お茶を飲みながら新聞を読む。暇を持て余していました。」

警察の捜査では全くことなる経歴が浮かび上がった。曽飛洋は偽名だった。本当の名前は曽慶輝といい、広東省南雄市の出身で、広州で中等専門学校の学生の時に買春で学校を退学させられていた。故郷に戻ったあとは、自身の都市戸籍を提供する代わりに、曽飛洋という名前の農村戸籍をもった人間と入れ替わって、曽飛洋として大学統一センター試験を受験した。それ以降、彼は曽飛洋を名乗っている(便宜上、以下の記事でも「曽飛洋」の名前を使う)。南雄市司法局に在職している時には、結婚している女性と長期の関係にあり、女性侮辱容疑で15日間の行政拘留処分を受け、辞職せざるを得なかった。

警察が把握している状況は、曽飛洋は1998年に「番禺打工族文書処理服務部」に参加し、2002年からこの組織の責任者になり、海外の団体や在中大使館に勤務する外交官と長期的に密接な連絡をとり、何度も海外でトレーニングを受け、帰国後は中国の「労働運動」の状況を報告することを条件にして海外の団体からの資金援助によって「労働運動」に携わってきた。

外国の組織はまず曽飛洋が香港に持っている口座に資金を振り込み、曽飛洋は地下銀行を通じてそれを国内の自分の口座に振り替えていた。これまでの調査では、2008年以来、そのうちの二つの口座だけで海外の団体から500万人民元もの資金を受け取っていたことが分かっている。また警察は、曽飛洋の事務所と自宅から大量の中国労働運動に関するレポートや反動書籍トレーニング資料、スローガンおよび海外で参加したストライキの写真などを押収しており、それらは「十数袋の麻袋いっぱいになった」という。

「労働争議が起こるたびに、労働運動業界での曽飛洋の地位と名声は高まるばかりで、労働者の彼に対する誤った信頼は深まり、それによって海外組織による資金援助はさらに大きくなっていった」と担当警官は語る。それに加えて曽飛洋はいろいろな方法で、メディアへの露出を図り、インタビューを受けることで、その名声はさらに高まり、多くの追従者がいた。

今年49歳の蔡嬌も曽飛洋の追従者の一人である。1998年8月、ある報道で曽飛洋のことを知り、その後「服務部」のボランティアになった。2005年12月から2006年8月まで、「服務部」の出納係として財務管理を行ってきた。だが現在、蔡嬌は曽飛洋が犯罪容疑者だと通報した一人になった。2007年から彼は関連部門に対して、曽飛洋が拠出不明の海外資金を受け取り、違法に財産を横領し、脱税しているという容疑を実名で通報してきた。

「公益団体として財務は透明でなければなりません。しかし彼は内部のメンバーや社会に対して一度もそれを公開したことはありません」と蔡嬌はいう。「服務部」の財務管理は混乱を極め、通常の運営を維持する資金はすべて海外組織が曽飛洋個人に振り込み、そのあと曽飛洋から彼に渡されたという。「具体的にどのような海外組織が、いったいいくら支援したのか、私たちは誰も知りません。」

曽飛洋は歯磨きや歯ブラシ、シャンプーなどの個人で使う日用品まで領収書をもってきて「服務部」の会計から支払うようにいってきたという。なかには実際には使っていない費用も含まれ、協力を拒否すると排除されたという。

現在の出納係の蒙某も、曽飛洋が架空の領収書で海外からの資金をだまし取っていたという。「曽飛洋が持ってくる領収書をそのまま計上していましたが、なかにはサインのない領収書もありました。」「不払い賃金の支払いを勝ち取った後はだいたい祝宴を開いていました。もう会計期間の終わってしまった領収書まで渡されたときは、おかしいなと思いました」と蒙某は語る。

蔡嬌によると、「服務部」と労働契約を結んだことはなかったという。彼を含む多くのスタッフは社会保険にも加入していなかったという。それについて蔡嬌は曽飛洋を訴えて勝訴している。「自分のスタッフの権利さえ守れずに、本当に労働者の権利を守る活動なんてできるんでしょうか?」

曽飛洋は自分のことを公益活動家として生活は質素であり、月給も数千元だけだと称していた。しかし警察の捜査では、彼は海外からの資金提供や第三者からの資金援助を受けていたという。曽飛洋は自家用車を買っただけでなく、市の中心部に二つの不動産を所有していた。そのうちのひとつは妻の弟の名義で、「服務部」に高額でリースして、海外からの資金をさらに受け取っていた。

ほかにも曽飛洋の同僚だった人間から警察へ通報があった。曽飛洋はこれまでも労働者に支払われた補償金をプールしたり天引きしたりして自分のものにしていたという。自分の名声と金儲けだけでなく、曽飛洋は「労働者の権利擁護の活動」を異性へのよこしまな目的のために利用していた。妻のある身にもかかわらず少なくとも8人の女性と長期にわたって愛人関係にあったという多くの証拠がある。労働者を支援することで高まった名声を利用して、彼に支援を求めてきた女性や女性ボランティアに対して誘惑したり恫喝したりして、自分に身をゆだねるように迫った。

担当する警察によると、曽飛洋はインターネット上でわいせつな言説を広げることに熱中し、何人もの女性に対してエロ動画や低俗なショートメールを発信していたという。曽飛洋は猥談用のショートメッセージグループに参加していたが「あまりに下品すぎる」ということでこのグループから追い出された。警察の捜査では曽飛洋の自宅から大量のわいせつ商品を押収した。

「服務部」の他のメンバーも暗い経歴がある。中心的スタッフの孟晗は既婚女性と関係を持ち、駆け落ちした。女性の夫から逃れるために住所を転々とした。2014年には社会秩序騒乱罪で9か月の実刑判決を受けた。もう一人の中心スタッフである彭家勇は喧嘩で警察のお世話になったことがある。

かつて「支援」を受けた労働者たちは本当に利益になったのだろうか。取材を進めるうちに、多くの人が後になって騙されたと考えていることが分かった。補償金は取れたが、ストライキのせいで巨額の負債を抱えた工場が倒産して失業してしまい、安定した収入源を失ってしまったからだ。

「労働者たちの目的は単純だったので、服務部の駒として使われたのです」と労働者代表の李某某は語る。曽飛洋らは当初は労働者のために経営側と交渉して労働者の合理的な要求をかなえるように見える。しかしあとから変質するのである。労働者たちにもっとたくさんの訴えを出すよう要求する。経営側があきらかに受け入れることができない訴えをださせて、みんなを扇動して激しい方法で活動を展開し、少しずつ彼らの想定した方向に誘導するのである。

湯歓興は、曽飛洋はきわめて魅力的でいっけん労働者の短期的な経済利益のために活動しているように見えるが、実際には自分の利益のためにそれをおこなっているのであり、労働者が集まって騒ぎを起こし、秩序をかく乱し、法執行機関に対抗し、労働者の長期的利益と生命の安全を犠牲にすることも惜しまないようなことを教唆扇動する人間だったと反省する。「こんな結果になるなんて思いもしませんでした。わたしが服務部に入ろうと思った初心を完全に裏切るものです。いま私は大変後悔しています。」

現在、「番禺打工族文書処理服務部」およびその支部組織の「仏山南飛雁社工中心」は警察機関が適正に捜査している。曽飛洋、孟晗、湯歓興、朱小梅、彭家勇、トウ小明と「仏山南飛雁社工中心」の責任者の何暁波の7人は、犯罪容疑者として警察が刑事事件として処理し、現在手続きが進行中である。
(以上)