カテゴリー別アーカイブ: 南京事件

南京で見た加害者としての日本

猪股 修平(東海大学4年)

〈国家公祭〉

国家公祭終了後の会場。 2019年12月13日 南京紀念館前で筆者撮影

南京大虐殺犠牲者国家公祭儀式。2014年から国家行事として執り行われており、今年で6回目。式典は南京大虐殺から82年目となる12月13日午前10時から始まった。侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館前の広場で中華人民共和国国歌斉唱、儀仗隊による犠牲者へ向けた花輪の献上、中国党中央宣伝部の黄坤明(ホワン・クンミン)部長の演説があった。黄宣伝部長は南京大虐殺について「30万人の同胞が殺戮された。人類の歴史に暗黒の1ページとして永遠に刻まれる恐ろしい犯罪だ」とした上で「中日両国は新しい発展の時代に入った。相互信頼を深め、平和友好の共通路線に沿って関係を発展させていく」と対日関係を念頭に置いたとみられる発言もあった。

会場には我々だけでなく、韓国や欧米諸国からの来賓者も散見された。また、南京市内の小中高生たちも出席。白い礼服を着込んだ高校生たちは式典中、歴史の記憶と平和を守ることについて宣言した。入場者は厳しいセキュリティーチェックを受ける。持ち込み制限や服装規定、拍手のタイミングなどがあらかじめ伝えられる。

余談だが、式典終了後、そばにいた中学生たちがさっきの真剣な表情とは打って変わって周りの同級生たちと談笑していた。国家レベルの式典参加に際し、相当の緊張感と厳粛さを感じ取っていたのだろう。彼、彼女たちは今後、歴史を伝える担い手になる。

〈南京紀念館の展示〉

展示室内の壁に掲示された南京大虐殺犠牲者の顔写真 2019年12月13日 南京紀念 館で筆者撮影

1985年8月15日開館。館内のメイン展示となる「南京大虐殺の史実展」は南京大虐殺80年を迎えた2017年にそれまでの展示内容を更新する「陳列更新プロジェクト」を経て同年12月13日に公開が開始された。同展の図録によると、更新後の展示は「南京失陥前の情勢」「日本軍の侵攻と南京保衛戦」「南京陥落後の日本軍の暴行」「人道主義的救援」「世界に知られた事実と日本の隠蔽」「大虐殺後の南京」「戦後の調査と裁判」「人類の記憶と平和への祈願」の8つから成り立つ。およそ2000枚の写真と900点あまりの文書が展示されている。

館内に入るとまもなく犠牲者一人一人の名前が映し出される壁が目に入る。この壁には12秒に1滴ずつ滴り落ちる雫の映像が映写されている。これは、亡くなった犠牲者の数を南京大虐殺の期間に当てはめた時、12秒に1人が殺害された計算になるためだという。

順路進むと次に見えるのは壁一面に犠牲者の顔が表示されている大広間。ここには生存者が残した足型も展示されている。犠牲者数「30万」の数字は単なる数字ではなく、失われた人生が積み重なったものであると痛感した。

以降はパネル、実物、証言、文書、映像などが展示された空間を進んでいく。この中には守衛側に回った中国軍の攻防も紹介されていた。軍事による蛮行を悼む国家公祭に軍人が参加するのは、人民を守るために立ち向かった兵士を慰霊するためとみられる。

展示室の中央には地中に埋められた遺体がそのまま保存されている、もちろん白骨化しており「発掘時に発見された状態」と言うのが正しい。しかし、来館者は目の前にある23柱の遺骨を見て、82年前の蛮行に思いを至らせずにはいられなくなる。この展示空間は、虐殺を象徴する、「ブラックボックス」と紹介されている。5年前まで義務教育・高等教育の社会科を学んできた私は一切学んでこなかった歴史が詰まっている場所。大虐殺の悲惨さだけでなく、日本の教育のお粗末さにも気づかされる場所である。

中でも一番愕然とした展示は、占領後の南京で日本軍兵士と住民たちが和やかに触れ合っているかのように報じた日本メディアの記事たちである。兵士と子どもが手を繋ぐ写真を報じ「戦地とは思えない」とまで言及していた。いずれも、日本政府の方針から虐殺の隠蔽に加担したもの。大虐殺の歴史が伝わっていないのは、言論機関の責任でもある。来年から記者になる身として、他人事ではない思いが込み上げた。

南京大虐殺生存者の李秀英さんが残した言葉。 2019年12月13日 南京紀念館で筆者撮影

展示の最後には南京大虐殺生存者の李秀美さんが残した言葉があった。「歴史をしっかり明記しなければならないが、恨みは記憶すべきではない」。負の歴史をつなぐ一方で憎しみの連鎖をいかに絶てば良いのか。次世代を担う我々に問いかけられている気がした。

〈利済巷慰安所〉

利済巷慰安所の建物。壁にある雫状のアートは犠牲者たちの涙を模したもの。手 前の銅像は利済巷慰安所を証明した性奴隷被害者・朴永心さんらの姿をモチーフにしている。 2019年12月14日 利済巷慰安所で筆者撮影

訪問4日目の14日、南京市内の旧日本軍慰安所「利済巷慰安所」を訪問した。2003年、朝鮮人慰安婦被害者の朴永心(パク・ヨンシン=2006年死去)さんがこの場所を訪れ確認し、外国人慰安婦に証明された唯一の慰安所とされている。日本軍の性奴隷制度を記録・展示する施設として開館したのは2015年12月のこと(奇しくも同月には慰安婦被害者への賠償などを取り決めた日韓合意が安倍晋三・朴槿恵両政権下で締結されている)。記念館の外壁や展示室内には性奴隷被害者たちが経験した苦痛をイメージした「涙」の雫が描かれている。

日本軍が中国大陸で初めて慰安所を作ったのは1931年11月のこと。名前は「第一サロン」。慰安婦制度が確立する前に作られたため、一番長くその「機能」を持った慰安所である。建物は現在も存在しているという。1932年の上海侵略以降、大規模な強姦事件を防ぐため慰安婦制度が作られた。そのため、中国の慰安所は上海に多い。制度が拡大したのは南京大虐殺以降のこと。南京市内で日本軍兵士が多くの強姦事件を犯し、性病が蔓延したためだ。上海派遣軍参謀副長として侵略に加担した岡村寧次は「極めて恥知らずのまま慰安所を作った」と後年に回顧している。また、南京大虐殺時に商社駐在員として民間人の保護活動に尽力したドイツ人ジョン・ラーベは日本軍の性的暴行を記録している。

日本軍が使用していた「突撃一番」と名付けられた避妊具。 2019年12月13日 南京紀念館で筆者撮影

韓国留学を経験し、韓国側から日本軍性奴隷問題を見つめた私は、被害国としての中韓両国を対比しながら館内を見学した。韓国で性奴隷問題を詳細に扱っている施設としては、被害者が集う福祉施設「ナヌムの家」や民間団体が出資して設けた「戦争と女性の人権博物館」がある。2つの施設の主眼にあるのは「被害者の苦悩」である。展示内容は被害者の証言や被害者が描いた絵、少女像など、見る者の情念に訴えるものが多い。一方、利済巷慰安所の展示物は被害者が寄贈した慰安所の器具、慰安婦制度拡大までの経緯が記された資料など、現物を用いて歴史を紐解くものが多い。以上から、韓国は「記憶」を、中国は「記録」を重視している印象を受けた。慰安婦の中には南京金陵女子学校(現・南京師範大学)から強制的に連行された女学生もいたという。中には朝鮮半島から中国まで連れて来られた被害者の証言もある。中国国内の被害者は20万人。うち現在も生存しているのは20人程度だという。ちなみに当施設は侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館の分館という位置付けで運営されている。南京大虐殺はユネスコの世界遺産記録に認定されているが、性奴隷問題は認定されていない。中国側は「他の国と連合して申請し直す案を真剣に検討する」としており、日本の加害の歴史は中韓の連携によって記憶されていくというおかしな状況が生まれようとしている。安倍晋三首相は先の日中韓首脳階段で三ヶ国の連携強化を訴えていたが、歴史的事実の継承について鼎の軽重が問われている。

訪中記  ― 改めて戦争しない、させない決意を新たに

渡部公一 (前目黒区職労委員長)

平和友好にむけ南京市を訪問

私は、日中労働者交流協会平和友好訪問団の一員として、毎年12/13に開催される南京大屠殺死難者国家公祭儀式に出席するため、12/11から12/15まで中国を訪問しました。昨年に続き2回目の参加です。日韓関係が徴用工問題などで厳しく、また中国と米国の貿易戦争が世界経済に大きな影響を及ぼし、香港で度重なる抗議活動が多発している中の訪中でした。日本と中国は、田中内閣の時に戦後処理で国交回復、平和条約を締結しましたが、明治から「脱亜入欧」の感覚もあるようで、差別意識があります。日本は、朝鮮半島を植民地支配していたことから戦後処理で双方の歴史認識に深い溝があり、朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)については戦後処理、国交回復すらできていません。

こうした状況でなんとか一番近い国が仲良くなり、東アジアの非核平和の実現を願っています。

2つの成果

私たちは、労働者の立場から日中平和友好をテーマに交流しています。社会主義国の労働組合の活動について知識が乏しい中で皆さんと交流できたことは大きな成果でした。この中で私にとって二つの成果がありました。

第1に、昨年は訪中団にユニオン三重の若きリーダーも参加していましたが、今年は、来年4月に社会人になる学生インターン2人が参加し、一挙に平均年齢が若返りました。そのこともあり、私たちも新鮮なまなざしで訪問交流することができました。

第2に、現場の皆さんと交流できたことです。中国側は、全国総工会(日本だとナショナルセンターで全労連や連合)が窓口で、江蘇省総工会(日本だと県本部)が受け入れ、工場見学など地元現場の対応は南京市総工会が案内してくれました。今回の訪問で中国の労働組合が中央、県本部、南京市、工場レベルの人達と交流できました。

南京大虐殺受難者追悼国家公祭の式典に出席

今回の訪中の最大の目的である南京大虐殺受難者追悼国家公祭の式典出席です。私たちは労働者の立場から市川誠さん(元総評議長)らが建設した碑で誓いの言葉を確認、記念撮影しこの式典に臨みました、その式典終了後、侵華日軍南京大虐殺遭難同胞紀念館を見学し、この後、キャンドル祭に参加し世界平和を誓いあいました。その夜は、初公演オペラ「ラーベの日記」の観劇で、ラーベさんの南京市民を守る活動を描いた作品です。

南京市の経済開発区、主力工場、労働者サービスセンターを見学

Skywellの展示室

南京市の経済開発区の溧水区を見学しました。溧水区は、広大な土地を教科書にあるような都市計画の手法で新しい都市をモデル地区として開発し、現在と将来の都市像の説明を受けました。

次にこの地区にある主力産業の一つ、バスやワンボックスの電気自動車メーカーSkywellを見学。工場長から自社開発の部品やバッテリー、5 Gを活用した自動運転の説明がありました。特に印象に残ったのはワンボックスの組み立てラインで、労働者の微笑ましい作業風景を見ました。日本だと一人一人が一つの工程を機械的に対応しますが、ここのチームでいろんな作業をし、次のラインへ送るシステムで、日本でよくあるロボット溶接は見当たりませんでした。この後、Skywellの生産目標など説明がありました。この後、場所を移して産休制度など意見交換しました。

次に南京市総工会の職工服務中心(労働者サービスセンター)の訪問です。労働者、疾病や倒産などで窓口となる業務内容の説明を受けました。不慮の事故などで失業になった人へ再就職の訓練や起業するための融資などについて説明がありました。昨年は会議室で総工会の説明を受けてきました。今年は実際の事務所で具体の事業内容や訓練状況の説明を受けることができました。

バスやワンボックスの電気自動車メーカーSkywellを見学

全体を通じて責任者(各級の副主席クラス)は、シニア世代もいましたが、現場の工場長や開発主任も含め組合幹部の多くが 30代から40代の若い人たちでした。日本も若い世代へ早くバトンタッチしていかなければと改めて思いました。

長江大橋など南京市の大事なところも見学

南京長江大橋

南京市を訪問して長江大橋の見学ができたことは、とても良かったです。長江(揚子江)の大きさを目の当たりにし、この橋の中にある建設資料館も見学し、何よりもこの橋を地面から見ることができとても良かったです。この長江大橋の見学の前に長江のほとりにある南京大虐殺遭難者中山港記念碑も訪問できたことはとても良かったです。

中国各地の慰安所を展示している利済巷慰安所旧址陳列館を昨年に続き見学しました。説明してくれた案内人は、私の事を覚えていました。改めて戦争しない、させない決意を新たにしました。

ありがとうございました

伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)団長をはじめ団員の皆さん、中国側の受けいれていただいたみなさんへ感謝すると同時に、来年は誰か参加できる人を募っていきたいと考えています。 以上

新たな交流の始まりを感じた ~南京市を訪問して~

藤村 妙子 (訪問団秘書長)

 今年も12月13日の「南京大虐殺犠牲者国家公祭」を中心に12月11日~15日南京市を訪問した。

 12月11日上海浦東空港で通訳の中国職工対外交流センターの李晶宇技術経済交流処副部長と再会した。バスに乗ると南京市総工会の付光宇さんから「日中労働者交流協会平和友好訪問団 ご案内のパンフレット」を手渡された。パンフレットまで用意して私たちを待っていてくれていたことを知り、改めて来てよかったと思った。今回の訪問団は伊藤彰信日中労働者交流協会会長(全港湾元委員長)を団長に70歳台から20歳台までの多彩な10名だった。今回は12日の訪問先についてのレポートをしたい。

 新たな街づくり

 12日は南京市南東部、市中心部から32キロにある溧水区(りすいく)の経済開発区に行った。開発区は昔、畑や草原だった所とのことだった。南京禄口(ろくこう)国際空港に隣接している面積138㎢、現在開発中であるが将来は60万人の都市にする予定であるという。大田区は面積約60㎢に約66万人が居住しているから二倍の面積に同じくらいの人が暮らす予定だということになる。大田区も羽田空港に隣接しているので何となく話を聞きながら比較してしまった。ここに作られる新しい町の居住区の地図を観ながら田園調布の街を連想していた。もしかしたら田園調布を作った人たちが夢想したのもこのような街だったのかもしれない。規模は小さいが、田園調布も駅を作り、道路を整備し、街路樹を植え、公園を作っていた。

また、街づくりの重要なポイント生活インフラの上水・下水設備、エネルギー(電気・ガス)、ごみ処理の事などがほとんど説明されていないことが気になったので質問してみた。水は揚子江から引き、下水は共同溝において水処理をしているとのこと。発電は揚子江の三峡ダムの発電によること。ゴミ処理は、現在の中国の最重要環境課題となっているとのことだった。分別収集と再利用や処理の際のエネルギーの活用などこれから日本などに学びながら行いたいとのことだった。私は、次回は是非そうした生活インフラの見学をできれば水道や清掃で働く人たちを訪中団に加えて行ってみたいと思った。

 新たな産業

 この経済開発区には、新エネルギー企業の産業用電気自動車工場が集まっている。その一つである「Skywell 新エネルギー自動車集団有限公司」に行った。2000年に黄宏生氏が設立した私企業である。同社は大型電気エネルギーバスの製造が主力で現在では5Gを使った電気自動車を開発中ということだった。

 ここでは、バスやワゴン車を製造している現場を見た。日本の有名自動車工場のようにオートメーション化されていないで、何人かがバスや自動車を取り囲み作業をしていた。何となく大田区の町工場の現場のようでとても親しみが持てた。機械化され無人化された中を自動車がつるされながら動きロボットが作業し、所々にいる労働者が機械のスイッチを押しているような工場ではなく、皆で語り合いながら共に力を出し製品を仕上げていく。こうした働き方は効率が悪いかもしれないが、技術を伝承し切磋琢磨し合える本当の働く姿があるような気がした。見学後使用者の人と労働組合の人とミーティングを行った。労働組合には従業員が全員加盟している。労組法に基づいて労働協約を結んでいて、この協約がしっかり実施されているかを一年に一度会社は報告している。儲かったときには、管理者には利益配当を行い、労働者には特別給を支給したとのことだった。南京市模範労働組合であり、南京市人民代表委員にこの工場の組合から一人推薦されているとのことだった。亡くなった人や病気になった人に寄付金を払っているとのことだったが、日本のような企業内の共済制度があるのかが少し気になった。また、労働安全衛生委員会のような仕組みはないようであったが、従業員は危ないところや、改善すべきところをいつでもスマートフォンで写して会社に通報や提案できるとのことだった。

 労働組合の労働者救済事業

 続いて、南京市総工会職工服務サービスセンターに行った。この施設は2002年6月に設立された所である。失業した労働者や本人や家族が病気になり、困難を抱えた労働者が行政のサービスの他に緊急的、即応をするための施設であるとのことだった。労働組合のリーダーシップの下に行われているこの事業は「雇用のための国家先進作業単位」という称号が国務院から2012年授与された。主な内容は職業紹介、起業のためのサポートや資金の融資、起業のための職業訓練などが行われている。

 とても面白いと思ったのは労働組合の交渉力を高めるために「交渉力コンテスト」が全国的に行われていて、南京市のグループは第一位だったということだ。訪中団のほとんどのメンバーは労働組合の活動家で自分たちもコンテストをやってみたい。どういう問題が出るのか、だれか採点するのかと質問が集中した。問題はすぐにはわからないとのことだったが、採点しているのは労働法の学者や労働組合の顧問の人たちということだった。

 以上のように、侵略遺跡の見学だけではなく、現在中国の一端に触れ、交流できたことは、新たな友好・交流の第一歩を踏み出したと思う。今後も進めていきたい。

あいさつ― 2019年12月 江蘇省総工会との交流会

2019年12月12日
第7次「日中不再戦の誓いの旅」訪中団長・伊藤彰信

 私ども第7次「日中不再戦の誓いの旅」訪中団を暖かく歓迎してくださり、また、私たちの要望を受け止めて訪問先を手配してくださったことに、心から感謝いたします。
 日中労交は2014年から南京大虐殺受難者追悼国家公祭に毎年参加してきました。さらに「日中不再戦の誓いの旅」と名付けて、南京をはじめ日本軍国主義の侵略遺跡を訪問してきました。
「日中不再戦の誓い」とは、日中労交の市川誠初代会長が、1985年に侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館が開館した時に贈った「鎮魂の時計」に刻んだ「誓い」の言葉です。私たちは「誓い」の碑を南京紀念館に建てようと運動し、10年前の2009年12月13日に碑を建立することができました。建立にあたっては、中華全国総工会、とりわけ地元である江蘇省総工会に大変お世話になりました。あらためてお礼を申し上げます。

 私は、今年6月、南京紀念館で「和平の旅」のインタビュー受けました。日中労交にとっても、南京紀念館との交流の歴史を振り返ることができまし、あらためて「誓い」をどう実現するか、考える機会になりました。

「誓い」には「われわれは、1931年および1937年を契機とする日本軍国主義の中国侵略戦争を労働者人民の闘争によって阻止し得なかったことを深く反省し」とありますが、現在の日本は再び戦争をする国への道を歩んでいます。
安倍政権は、中国敵視を煽るとともに、南京大虐殺は無かった、従軍慰安婦はいなかったと言い、沖縄の辺野古基地の建設、南西諸島への自衛隊の配備、ミサイル基地建設を行っています。また、韓国の徴用工問題の責任を認めず、植民地支配を正当化し、ナショナリズムを醸成して憲法改悪を図ろうとしています。日中労交は、このような動きを「労働者人民の闘争によって阻止」したいと思っています。

「誓い」には「われわれは、日中不再戦、反覇権の決意を堅持し、子々孫々、世々代々にわたる両国労働者階級の友好発展を強化し」とありますが、安倍政権の中国敵視政策の下では困難な状況もあります。
それを克服するために、日本の労働者階級は、まず、正しい歴史を知り、歴史を鑑にして未来を見つめる視点を持つ必要があります。その上で、「子々孫々、世々代々」に繋ぐために、時代の変化、働き方の変化を踏まえながら、「持続可能な社会」の実現を探ることが、両国労働者階級の友好・連帯を強化する重要な課題だと思います。
 中国職工対外交流センターとともに昨年8月に北京で「日中友好労働者シンポジウム」を開催したり、昨年10月の中華全国総工会第17回大会の報告を聞いたりするうちに、中国の労働組合が、労働者と結びつく活動を現場でどのようにしているのか、労働組合改革をどのように展開しているのか、知りたくなりました。なぜなら、日本の労働組合の多くは、あまりにも企業主義に陥り、企業利益ばかり追求するため、労働者からかけ離れた存在になってしまいました。日本でも「大衆路線」による労働運動の実践が重要な課題だと思っているからです。
今まで、国家公祭に参加する際に、江蘇省総工会の皆さんにお会いし交流を重ねてきましたが、今回、企業を訪問し、また、総工会の最前線の活動を見ることができ、あらためて労働者同士の交流の大切さを実感したところです。

 米中貿易摩擦は世界の大きな問題です。中国とアメリカは広い意味での戦争状態になっていると思います。安倍政権が、アメリカを後ろ盾としながら、中国への圧力を強めている現在、日中労働者の友好交流は世界平和を築く上で益々重要になっていると思います。今回の交流の成果を、日本の平和運動、護憲運動、労働運動に役立て、日中友好を若い人に伝えていきたいと思っています。
 最後になりますが、このような交流ができたことに再度感謝を申し上げ、ご挨拶といたします。

12・16緊急講演会「日本の中国侵略と靖国神社」のご案内

 連日のご奮闘に心から敬意を表します。
 さて、2019年8月19日、靖国神社を訪れた中国人作家、胡大平さん(54歳、出身安徽省、代表作小説『愛黄山』)は、靖国神社が、A級戦犯を合祀し、遊就館の展示内容に中国人を侮蔑する「支那」を多用するなど、日本軍の中国侵略を今も美化していることに怒りを募らせ、作家としての止むに止まれぬ思いから拝殿の布幕に墨汁をかけて、逮捕されました。胡大平さんは建造物侵入・器物損壊で起訴され、11月20日に第1回裁判が東京地裁で行われ、胡被告人と弁護人は抗議行動には正当な理由があるとして無罪を主張しました。
 この間、靖国神社では、2009年には台湾の高金素梅・立法委員らダイアル族約50名による大規模な抗議活動があり、昨年12月には靖国神社で横断幕を広げて抗議しこれを撮影し報道した香港人(郭紹傑さん、嚴?華さん)が建造物侵入で起訴されています。これで両岸三地(中国/香港/台湾)の靖国神社への抗議が揃い踏みしたことになります。
 なぜ中華世界で靖国神社への抗議が相次いでいるのか。12月16日の講演会で、纐纈厚・明治大学教授が、日本の中国侵略の歴史から靖国神社問題の本質を丁寧に解き明かします。

<12・16 緊急講演会>
◆日時:2019年12月16日(月曜日)午後6時半~
◆講演:“日本の中国侵略と靖国神社”
◆講師:纐纈(こうけつ)厚 先生
     (明治大学特任教授/前山口大学副学長)
◆会場:文京区民センター2A会議室 (資料代500円)
     (都営地下鉄春日・東京メトロ後楽園下車)
◆主催:胡大平救援会 
◆協賛:村山首相談話を継承する会

●《裁判日程》第2回公判 本年12月10日(火曜日)午前10時~12時
 ※傍聴券交付法廷:裁判所前で開廷30分前締切。傍聴券抽選が行われます。

●《カンパ》胡大平さん救援運動への皆様のカンパをお願いします!
 口座名義:「救援連絡センター」
 口座番号:「郵便振替00100-3-105440」
 【他銀行からの振込みは「ゆうちょ」銀行0一九(ゼロイチキュウ)店
  当座0105440」】
 ※本口座は共用なので送金の際は必ず「胡大平救援カンパ」と明記して下さい。

●お願い……会場は定員200名です。定員になり次第、締め切らせていただきますので、恐縮ですが、出席ご希望の方は、至急、出席申し込みのご連絡を、下記のメールアドレスまたは携帯にお願いいたします。
 E-mail  murayamadanwa1995@ybb.ne.jp
 携帯 090-8808-5000

南京大虐殺から82年 2019東京証言集会  ― 世代を越えて戦争の記憶を受け継ごう(12/11)

南京大虐殺から82年 2019東京証言集会
 ―― 世代を越えて戦争の記憶を受け継ごう ――

2019年12月11日(水)午後6時半開始(開場6時)

全水道会館 

(JR水道橋駅下車東口白山通りを北へ右すぐ 地下鉄三田線水道橋駅A1出口)

証言:葛鳳瑾さん

   「父葛道栄(幸存社)の受けた被害」(仮題)

講演:孫宅巍さん(江蘇省社会科学院研究員)

   「悲壮な南京防衛戦の真相」

資料代:1000円(18歳以下無料)

賛同:個人1000円 団体3000円

郵便振替:00170-3-87807 「南京」集会実行委員会

主催:南京集会東京実行委員会

連絡先:ノーモア南京の会・東京
  

http://www.chinalaborf.org/wp/wp-content/uploads/2019/12/8b650d8ea98de57a62b72896538651db.pdf

* 南京大虐殺から82年 2019東京証言集会 チラシ(表)
* 南京大虐殺から82年 2019東京証言集会 チラシ(裏)

34年前紀念館開館式典に3名の 日本人の友人がいました・・・

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館(2019年6月19日)

私たちが注目すべき、歴史に残すべき記録

1985年8月15日
中国侵略日本軍南京大虐殺遇難同胞紀念館が正式に完成、開幕
式典参列者の客の中に混じるわずかばかりの日本人外国客
彼らは誰か?
彼らはまたどのようにこの紀念館建設を見ているのか?

写真=紀念館建成開幕式

1
「万人坑」遺跡を見て深い思いに触れ、紀念館開幕式典参加を決意

1985年5月7日、42歳の日本人、高幣真公は日中労働者交流協会とともに初めて南京に訪問した。
高幣真公によると、彼らはわざわざ江東門を訪れ「万人坑」遺跡にて現地視察を行った。

累々と積み重なった白骨に協会員銘々の心が震撼した。彼らは冷静に、ただ歴史を正視することで、同じ轍を踏まないことにつながると意識した。

写真=協会が江東門を訪れ「万人坑」遺跡にて現地視察(高幣真公提供)

写真=紀念館建造写真(高幣真公提供)

協会員は当年8月15日、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館が正式オープンすることを知り、帰国後、彼らは直ちに紀念館開幕式典来館参加にむけて計画を始めた。

1985年6月、高幣真公と協会員一同が、協会名義で、南京市総工会に向けて誠意ある手紙で式典に参加させてもらいたいと希望した。

7月27日、南京市総工会は返信でこのように回答した:「式典参加の希望の要望に、我々は大変感動した。あなた方のこのような心情を南京市民に伝えたい。」

高幣真公が経緯を思い起こし、多方面からの尽力で、1985年8月13日、日中労働者交流協会の日本代表が正式に紀念館開館式参加の招待を受けることができたと述べた。

2
「紀念館は日中不再戦、日中友好の新たな出発のために」

1985年8月15日、協会が送り出した団長市川誠、団員平坂春雄と山田順三の3名の代表が、記念館建設完成の開幕式に参加した。

彼らは式典に参加した3人のみの外国の友人でもあった。

後に、市川誠は式典参加にいたる過程を1編の記事『紀念館は日中不再戦、日中友好の新たな基点としよう』に書き上げた。それにはこのように書かれている:

1985年8月15日、中国人の方からすると、この日は反ファシスト戦争に勝利した40周年記念日。午前8時半開館式典が正式に始まり、私たちは列の2列目に立っていた。
まず、中華人民共和国国家斉唱、つづいて南京市長張耀華の言葉。
彼はこのように述べた「侵略戦争のこの歴史は永遠に次世代の心に刻む。中国人民と日本人民がともに過去の歴史を肝に銘じ、歴史の悲劇を繰り返さないよう、共に努力する。」

写真=市川誠が記録した記事

式典参加の代表の一人平坂春雄が回顧録の中で書いている「日本軍侵略戦争を理解しない日本人からすると、紀念館は彼らに大きな衝撃を与えるだろう」。

式典に参加した日本の友人から南京に1つの「鎮魂の時計」が贈られた。上には「中国侵略戦争を反省、謝罪、犠牲者の御霊に弔意を捧げます」 の刻印がある。

3
「中国では平和の願いを表明するが、日本ではほとんどがこの表明を見ていない」

―時は瞬く間に34年経過。

高幣真公はすでに76歳の老人になり、一人の日本人友人の伊藤彰信と再び南京に来訪し、歴史の場所にインタビューで訪れた。

高幣真公は述べる:「日本では南京大虐殺に関する書籍や映像を見たことがある。今回の来館訪問での収穫は大きく、紀念館に展示される多くの詳細な資料が歴史を再現している。多くの日本人が訪れて見学することを希望する。」

写真=伊藤彰信、高幣真公が紀念館を参観

伊藤彰信は記念館を知らなかったわけではないと話した。2005年に初めて南京を訪問し、2009年に再度団を率いて記念碑除幕式のために来館した。2014年以降は毎年南京大虐殺死者国家公祭で南京を訪れていた。

伊藤彰信は述べる。「2005年紀念館はまだ小さな館であったが、数年経て紀念館はどんどん新たな展示でリニューアルを繰りかえし、見学者が歴史の理解を深めることができるようになっている。参観した中で印象深かったのは、日本軍南京大虐殺遇難同胞紀念館だけでなく、中国人民抗日戦争紀念館でも、展示の最後に平和の表明で締めくくり、「過去は忘れず、未来の師とする」と表明していたことだ。日本の博物館では、このような表明はあまり見ない。」

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中日両国の人々の交流強化を呼びかける

中日友好の交流推進について、高幣真公が述べる:「日本人はもっと中国に来て変化を見るべきで、中国人も日本に来て日本の変化を知ってほしい。双方は交流を基礎にしてのみ、歴史への思考を深め、学習することが可能だ。」

伊藤彰信は特に中日友好の根幹は若い人々にかかっていると強調する。彼は述べる:「日本の世論調査で、日本の若者層が中国への認識に比較的大きな隔たりがあり、より多くの日本の若者が中国を見に来て、学び、青年同士の交流に力を入れてほしい。」

写真=伊藤彰信(左)、高幣真公(右)が紀念館でインタビュー、高幣真公が協会で  撮影した紀念館建設写真を披露


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南京大虐殺遇難紀念館の「和平の旅」インタビューのため訪中(7/4)

記念館の庭にある「日中不再戦の誓い」の前でー左端が芦鵬さん(記念館職員)

6月16日(日)から20日まで、南京に行ってきました。
6月13日に侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館から突然電話があり、紀念館が行っている日本の友人の口述史「和平の旅」のインタビューを行いたいというのです。6月末が会計年度の決算日で、予算が残っていたのでしょう。私と事務局次長の高幣さんが行くことになりました。高幣さんは85年の市川誠訪中団の参加者です。

南京大虐殺記念館でー左から2人目が張健軍館長

「平和の旅」編集のために私たちをインタビューー左が質問者の盛卯弟(江蘇省総工会国際部)さん

インタビューは17日に行われました。この日は月曜日で紀念館の閉館日。建設中の紀念館しか知らない高幣さんのために、特別に展示を見学することができました。高幣さんはビデオにしっかり収めていました。

張健軍館長に挨拶しました。市川さんが85年8月15日に贈った「鎮魂の時計」が飾られていました。インタビューは午前、午後合わせて4時間ほど行われました。インタビューアーは江蘇省職工対外交流中心の盛卯弟さん。日中労交について設立経過、現在の活動、苦労話、今後の日中平和活動などについて私が答え、1985年5月の訪中、8月の紀念館開館をめぐる交流活動について高幣さんが答えました。昼食は南京一高いビルのレストランで張館長と一緒にとりました。
18日は、ジョン・ラーベ紀念館、利斎港慰安所旧跡陳列館、下関地区の虐殺現場、長江大橋などを見学しました。

南京師範学校の卒業式前ー左から2人目が林敏潔教授

19日は、六朝博物館、鄭和紀念館を見学し、南京師範大学の林敏潔教授と昼食を、江蘇省総工会と夕食をとり、懇談しました。

林敏潔教授とは3月に東京で開かれた日本反戦平和国際シンポジウムでお会いしました。日本文学が専門で民間の平和反戦記憶をどう若い人に伝えていくのかというプロジェクトを行っている方です。6月15日に東京で開かれた第1回「一帯一路東京フォーラム」から帰られたばかり、南京師範大学大学院の卒業式という忙しいなか、会ってくださいました。

歓迎レセプションを開いてくれた高総省総工会の繆建華さん(組織・国際部長)・右

江蘇省総工会とは、組織・国際の責任者である繆建華さんと労働組合改革で新しくつくられた職工服務中心(労働者サービスセンター)の責任者の葉希伯さんと懇談しました。職工服務中心の活動、例えば労災、社会保険の相談、就職あっせん、零細企業で働く農民工の組織化などについて話をしました。職工対外交流中心も職工服務中心に統合されるということですから、海外からの進出企業の従業員の組織化も担うことになるのかなと思いました。
国家公祭に参加する今までの南京訪問とは違った日々を過ごすことができ、今後の交流をすすめるにあたって参考になる訪問となりました。
具体的な点については、追って報告することとし、取り急ぎの報告とさせていただきます。

2015年に修復工事が終わった南京長江大橋の塔上で記念撮影(右・伊藤彰信、左・高幣真公)

高幣さんは、北京に寄って、ゆっくりと中国の旅を楽しんでいますよ。

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「集会の自由」への侵害、歴史事実の改ざんを許すな!ー「ビザ発給拒否・集会妨害国賠裁判」報告会 (4/18)

「ビザ発給拒否・集会妨害国賠裁判」報告会が4月18日、衆議院議員会館で開かれ、80名が参加した。この日は、東京地裁で証人尋問が行われ、原告が証言した。

報告会は、吉池俊子(アジアフォーラム横浜代表)さんの司会ではじまり、主催者を代表して原告でもある藤田高景(村山首相談話の会理事長)さんが挨拶した。2015年11月に「戦争法の廃止を求め、侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い」を開催した。韓国の徴用工被害者10名と中国の731部隊による細菌戦被害者12名を招聘したが、中国の参加者12名は日本外務省にビザ発給を拒否され、集会に参加することができなかった。戦争法に反対する人間を入国させるわけにはいかないというのが外務省の本音だと思う。この裁判は「集会の自由」の侵害、民主主義破壊の暴走を食い止める闘争である。 続きを読む 「集会の自由」への侵害、歴史事実の改ざんを許すな!ー「ビザ発給拒否・集会妨害国賠裁判」報告会 (4/18)

若い人に反戦平和の闘いを伝えることが歴史認識を深めるー日本反戦平和記憶国際シンポジウム(3月8日)報告

「日本反戦平和記憶国際シンポジウム」が3月8日、衆議院第一議員会館で開催され、中国・南京から3名の学者をはじめ250名が参加した。

田中宏さん(ノーモア南京の会・東京)が特別報告

シンポは、山口たか(戦争をさせない市民の風・北海道)さんの司会ですすめられ、はじめに主催者を代表して「村山首相談話を継承し発展させる会」の藤田高景理事長が「日本の反戦運動とその記憶を研究してきた林先生を迎えてシンポを開催できることは光栄です。安倍政権は、日本の中国への侵略を認めない、朝鮮半島の植民地化を正当化する。そうではない、平和、護憲、福祉の社会をつくろう」とあいさつした。

連帯のあいさつとして、福山真劫(平和フォーラム代表)さんが「憲法改正発議を絶対に阻止する」と決意を述べ、今後の行動を提起した。また、日弁連の福山洋子弁護士が日弁連の憲法ソング「わたしたちのねがい」を紹介した。

田中宏(ノーモア南京の会・東京)さんが「南京大虐殺を問い続ける意味」と題して特別報告を行った。

シンポジウムの発言者は、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、林敏潔(南京師範大学教授)、香山リカ(精神科医)、葉琳(南京大学教授)、高野孟(ジャーナリスト)、姜勝龍(南京師範大学・博士課程)、木村朗(鹿児島大学教授)、纐纈厚(明治大学特任教授)の8人。

林さんは「日本民間反戦記憶に関する多分野研究」を報告

林さんは「日本民間反戦記憶に関する多分野研究」と題して発言し、「日本民間の反戦資料は反戦平和の呼びかけの貴重な基礎的資源である。日中戦争期の史料を発掘し社会研究の領域を広げ、平和に関する市民的関心を喚起し、日中両国の相互理解を深め、中日友好促進の多様なモメントを形成する」とその研究意義を述べ、文学、メディア、映像、音楽などの反戦記憶の研究、整理、データベース化、日本人青年層の戦争記憶調査、戦争体験者の口述記録整理などのテーマで研究を進めていると説明した。葉さんは「日本戦後文学における反戦記憶研究」について、姜さんは「日本戦後文学からの反戦意識を考える」について発表した。

林敏潔(南京師範大学教授)さん

鳥越さんは「多くの米軍基地が存在する日本はアメリカの支配下にあるといっても過言ではない」、香山さんは「戦争によるトラウマについての研究はフロイトから始まったが、PTSDの概念が出来上がってきたのはベトナム帰還兵からであり、戦争被害者の研究は稀である」、高野さんは「安倍政権は、憲法改正、統計疑惑、アベノミクス、辺野古基地建設、原発、北方領土、拉致問題など、どれをとっても八方ふさがりである」、木村さんは「戦争終結の決断が早く行われていたら、東京大空襲、原爆投下、ソ連参戦、朝鮮半島の分断はなかったろう。植民地主義を清算するチャンスも失った」、纐纈さんは「明治以降、日本は10年おきに戦争してきた。日本は中国に敗北し、アメリカに降伏した。朝鮮戦争は脱植民地戦争だった。中国・朝鮮を蔑視し続ける思想が歴史認識を不在にしている。安倍は、歴史の暗殺者としての権力者だ」と発言した。

続いて、東京朝鮮人強制連行真相調査団、731部隊・細菌資料センター、重慶大爆撃の被害者と連帯する会、朝鮮人強制労働者補償立法をめざす日韓共同行動、安倍靖国参拝違憲訴訟の会から、それぞれの活動について報告があった。

 進藤栄一(筑波大学)さんが総括発言

最後に進藤榮一(筑波大学大学院名誉教授)さんが総括発言を行い「『知識は人間を自由にする』と初代国会図書館館長だった羽仁五郎さんの碑があります。『歴史は人間を自由にする』ことを改めて感じました。歴史を忘却する者は歴史のトラウマにあって反逆される。日本はバブルが弾けて立ち直れないでいる。日米半導体協定が日米安保同盟から逃れられなくした。米中貿易摩擦は同様のせめぎあいである。左派、リベラル派は、経済、外交を語らなければならない。平和とは暴力がない状態を言うのではなく、構造的暴力のない状態、抑圧のない状態をいうのです。子どもの貧困、子どもの虐待が常態化してるではないですか。平和にとって最大の脅威は敵をつくることです。戦争をすすめようとする人間、抑圧を強めようとする人たち、それによる利益を求める者たち、集団、国家がいるのです。21世紀はパックス・アシアナの時代です。3.1独立宣言は日中韓が軸となって新しいアジアをつくろうとした。習近平の『一帯一路』は新しいグローバル・ガバナンスです。国と国の関係は敵をつくる同盟関係ではなく、連結する関係がキーワードです。私たちは、平和なアジアをつくっていこうではありませんか」とまとめた。

<報告と写真・伊藤彰信>