カテゴリー別アーカイブ: 中華全国総工会

第6次「日中不再戦の誓いの旅」に参加しました ―  町田貞一

町田貞一(東京東部労組ディベンロイ労組支部委員長)

北京市内は緑が多い

中国訪問は初めてでした。北京空港について初めに感じたことは、空港そのものが広いことでした。異動はマイクロバスでした。北京市内に向かうにつき驚いたことは、第一に、緑が多いことです。どこまで行っても高速道路の両脇は大木でおおわれていました。北京中心部に来ても緑の多さは変わりありませんでした。ギンドロという街路樹だそうです。遠くから見ると記の表面が白く一見白樺の木のようにも見えます。葉っぱはポプラのようにも見えます。今回訪問した各都市にはこの木が大変多く植えられていることを見ました。

北京市内の車の渋滞
北京市内の車の渋滞(8/19)

 次に感じたことは、車が多いことでした。空港を出たときはそれほどでもなかったのですが、北京の中心部に近づくと車の渋滞にはまり、動きは鈍くなっていました。一般道路でも車の渋滞はひどく、各都市中心部ではどこも渋滞していました。

やたら高層住宅とビルが多い

次に気づいたのは、バイクが多いことでした。しかも、電動バイクです。免許証も、ナンバーもいらないということで、大変多くが走っていて、市民の足としての役割を果たしている感じがしました。以前映像で見た中国は自転車の行列でしたが、今はレンタル自転車が至る所にあるが、圧倒的に電動バイクが多いのに感心しました。又、電動三輪車もあり簡単に乗り出すことが出来るようです。

高層ビルが並ぶ瀋陽の街並み
高層ビルが並ぶ瀋陽の街並み

 次の感じたことは、やたら高層住宅、高層ビルが多いことです。空港を離れると高層ビルがあちこちに立っていて、昔見た中国の光景とは結びつきませんでした。今回通訳とツアーの案内をしてくれた李さんは3LDKの130平米に住んでいるそうです。日本の住宅の平均の2倍近くあり非常に羨ましいことだと感じました。この高層ビルが、私たちが訪問した各都市に次々と建設されています。内需の巨大さに驚きました。どの都市に行っても高層ビルが10や20は建設途中のものがあり、これからもどんどん建設されていくさまが見て取れました。

住民を残らず殺しまくった痕跡

撫順炭鉱の露天掘り
撫順炭鉱の露天掘り

 さて肝心の旅の感想ですが、本では知っていましたが、日本が戦前中国に何をしたかということを、見てきました。それは虐殺の連続だと感じました。日本は明治以来天然資源を奪うため中国のその地に住んでいる住民を残らず殺しまくった痕跡が、いまもはっきりと形として残っています。日本ではよく知られています撫順炭鉱近くの平頂山の住民の大虐殺だと思います。私は、あっても1カ所か2か所ぐらいかと思っていましたが、中国の資料では、至る所に大量虐殺の跡がある事を知りました。撫順に次ぐ規模の炭鉱の阜新炭鉱でも万人坑があると、瀋陽の方から紹介されたときには、びっくりしました。阜新炭鉱そのものを知らないし、想像もできませんでした。

1894年旅順占領が侵略と虐殺の始まり

 旅順の203高地は日本人にはよく知られていますが、旅順の萬忠墓記念館は日本人には知られていない模様です。私も知りませんでした。1894年旅順を占領し、百姓の家を捜索し、女性、子供、老人、あった人全員を殺しました。侵略と虐殺の始まりです。日本の記者は書いています。「市内には日本兵ばかりだ。死体の他に支那人が見つからない。ここの支那人は殆ど絶滅した。」(日本「中央新聞」1894,12,27)と。白髪の老女から子供までが暴行されて殺されたとあります。見るに堪えがたい写真です。

侵華日軍731部隊罪証陳列館の前で
侵華日軍731部隊罪証陳列館の前で

哈爾濱では侵華日軍731部隊罪証陳列館、瀋陽では9,18事変陳列館、撫順戦犯管理所、平頂山惨案遺跡記念館、大連では大連現代博物館を見学してきました。どれも、日本の歴史を学ぶ上で重要な施設と展示であったと思います。

軍国主義の戦争なのか、納得がいかない

 私たちは軍国主義が悪かったから戦争になった、と思い込んでいます。軍国主義の戦争だと思い込んでいます。そのことに、私には今ひとつ納得がいかないのです。江戸幕府が終わり、明治になってイキナリ軍国主義になったのか?不思議でなしませんでした。1870年代(明治)、1910年代(大正)にかけて資本の発展があったことがあり、その行き着いた先に資本と軍が結びついた戦争があったのだと思いましたが、今回、資本と軍が一体的に中国の資源を奪いに行ったことがハッキリしました。1872年(明治5年)には日本の鉄道は開業しています。当然石炭は鉄道にも使われるし、工場動力としても、蒸気のエネルギーとしても必要であった。この年は富岡製糸工場も出来ています。ですから、100年以上も露天掘りをしている撫順炭鉱が欲しかったことは想像がつきます。だからと言って農民、住民を虐殺して奪ってきていいとは思いません。

哈爾濱から瀋陽まで約600キロ大平原の穀倉地帯

ハルピンから瀋陽へ・新幹線の速度計は304キロを示す
ハルピンから瀋陽へ・新幹線の速度計は304キロを示す

もう一つ哈爾濱から瀋陽に新幹線で移動しました。その移動の間中無限に広がる畑が見えました。穀倉地帯であることが分かりました。北部はトウモロコシ畑、南に降りてくると水田が多くなりました。見渡す限り畑のみどりです。小さな畑を耕し苦労している日本人なら広大に広い穀倉地帯が無限に広がっているように見えても不思議ではない光景でした。満州の満鉄が奪った石炭を運び、穀物を運んだことは想像がつきます。新幹線で哈爾濱から瀋陽まで、時速300キロでノンストップなら2時間、約600キロ大平原の穀倉地帯。日本の本州を超える広さの平原で穀倉地帯。想像をはるかに超えていました。広大です。だから積出港としての旅順が最初に攻撃されたのです。

 1868年明治になったその年もコメは不作で飢饉でした。この年も食糧難で多くの日本人は海外に移民を始めていました。明治政府は海外から大量の製糸機械や、蒸気機関車など買いあさり、代金を支払うため農民により重税を敷いていったのです。日本国内は数年おきに不作、冷害が繰り返され農民は娘や妻を売らざるを得ませんでした。農村を破壊し工場労働者を奴隷のようにこき使うことが、1800年代の工業化を支えました。工業化は発展してきたが、農村の疲弊は激しくコメの不作、冷害、基金は工業製品を消費できませんでした。そこで目を向けたのが満州であった。市場として、そして、資源の供給地、食料の供給地としての満州が日本の生命線としていった。資本が作り出したプロパガンダです。

過去に学び同じ過ちを繰り返さない

実際やったことを中国東北部を見てくることで、日本がここでやったこと、そしていまだにその責任を1つもとっていないことに非常に怒りを覚えます。それどころか過去のことはなかったことにしようとの政府の姿勢が許せません。すべてを認めたところから出発するしかないのに、1つも認めようとしない政府と、一部の日本人は、過去に学ばなければ取り返しのつかないことを繰り返してしまいます。過去に学び同じ過ちを繰り返さないようにしたい。

左から池田和則さん、町田貞一さん、津和崇さんの団員3名
左から池田和則さん、町田貞一さん、津和崇さんの団員3名

 掲載写真はすべて津和崇さんが撮影

中国東北部への旅―日清・日露戦争の戦場となった大連、旅順、日本人と中国人労働者は共にストライキ

第6次日中不再戦の旅訪中団秘書長 藤村妙子

国東北部への旅

 8月19日~25日私は、日中労働情報フォーラムのメンバーと中国職工対外交流センターの案内で中国東北部への旅をした。主な訪問先は、ハルピンの「731部隊罪証陳列館」(日本軍の731部隊が細菌戦の研究・実践のために人体解剖などを行ったところ)、瀋陽の「9.18事変陳列館」(1931年「満州事変」勃発、以降日本は中国東北部での侵略戦争を開始。中国から見た侵略戦争の実相が展示してある)、撫順の戦犯管理所(戦後、日本軍の将兵らを監護、教育した所)、平頂山の万人坑記念館(1932年9月16日日本軍が村民を虐殺した所)、大連の現代博物館と旅順の萬忠墓などです。ハルピンや瀋陽などは、前回(2017年夏)も行き、報告しているので今回は、初めて訪れた大連、旅順のことを報告します。

 日清戦争、日露戦争の戦場となった大連、旅順

重点遺跡の萬忠墓

 日本は1894年日清戦争、1904年日露戦争を行いました。今回の旅でこの二つの戦争は、戦場が大連、旅順のある遼東半島であり、この半島の領有を争うものであったことを改めて実感しました。日本軍は、日清戦争時の1894年11月に旅順を占領しました。この際、日本軍は旅順で中国人たちを虐殺する大量殺人を行っていたことを「大連現代博物館」や「萬忠墓記念館」で知りました。当時の日本人新聞記者は市内の死体が放置されている様子をスケッチしていました。また日本兵は手紙の中で「市内は日本兵ばかりだ、死体の他に支那人(当時中国人を指す蔑称)が見つからない。ここの支那人はほとんど絶滅した」ということを書いていました。アメリカ人やイギリス人たちもこの惨状を伝えています。

日清戦争の虐殺スケッチ
日本人従軍記者が書いたスケッチ

私は、中国国内の炭鉱などや日本軍による虐殺などで中国人が沢山殺されていることは知っていましたが、それは1932年の以降のことだと思っていたので、日清戦争の時既に皆殺しの行為を行っていたことを知り、暗澹たる思いがしました。そして、戦争が人間性を破壊することを改めて感じました。

 日本人労働者と中国人労働者は共にストライキに立ち上がった

旅順の帝政ロシアの建物がある通りにある「ダルニ―市政庁舎」(正面)[注1]

 初めて大連、旅順を訪れるので「大連・旅順歴史ガイドブック」(大修館書店)を買いました。1905年のポーツマス条約によって南満州鉄道の利権をロシヤから譲渡されると、この地の石炭や鉄などの資源を得るために日本の会社が進出しました。この会社には多くの日本人労働者と中国人労働者が働いていました。私は、この本によって今から約100年前、この地で工場の劣悪な労働条件やリストラに対して闘った日中の労働者が共同してストライキなどで闘っていた事実を知りました。1918年には川崎造船所大連工場で、1920年には満鉄沙河口工場でのリストラに対して闘われメーデーには中国人労働者1200名、日本人労働者1365名が集まり、40日間のストライキの後勝利しています。

この事実を訪問先の総工会(労働組合の指導機関)で聞きました。「私たちも知っています。当時の日中の労働者は連帯してよく闘いました。この闘いには学生も参加していましたよ。」と教えてくれました。私は。不幸な日中の歴史もありましたが、こうした輝かしい歴史もあることを知り、今後も連帯の歴史を引き継いで共に闘っていきたいと思いました。

[注1] この庁舎は、1900年に建てられた。「ダルニ―」はロシア語で[遠い]という意味で「大連」はここから命名されている。1905年に日本に占領されてからは「満蒙資源館」などになり、1945年8月ソ連軍に引き継がれ、1950年に中国の所有となった。大連の変遷の歴史を物語る史跡である。現在は使われていない。

日清戦争当時の旅順港の地図模型

歓迎あいさつ 常品超(中国職工対外交流センター副秘書長)

皆様と北京でお会いできて誠に嬉しく思います。私は、中国職工対外交流センターを代表して皆様の来訪を熱烈に歓迎します。皆様は、歴史を尊重し、平和を愛する友好的な信念を持って中国を訪問されました。私たち中国労働組合の友達であり、また中国人民の友達でもあります。伊藤先生は私たち職工センターの老朋友です。今年の6月に南京大虐殺遇難同胞紀念館の招きに応じて、日中労交と南京紀念館の開館以来の交流の歴史のインパクトを語られたそうですが、貴協会と南京紀念館のホームページで見ました。私たちは、それを見て当時の貴重な歴史を振り返ることができ、また中日友好の基礎が民間であることを再確認することができました。本日はこの場をお借りして、日本の右翼と果敢に闘い、長期にわたり中日友好と世界平和に取り組んでこられた皆様に崇高の敬意を表したいと思います。

常品超副秘書長の顔写真
常品超副秘書長

中国労働組合の状況

ここで中国社会、中国労働組合の主な状況について紹介したいと思います。紹介を通じて中国に対する理解を深めることができれば嬉しいです。

 現在、中国で話題になっているホットな言葉があります。それは「初心を忘れず、使命を胸に刻む」です。これは実際に中国共産党が上から下まで展開している特別教育活動です。つまり、刃を自分に向けた革命です。中国共産党員の初心と使命は、中国人民の幸福そして中華民族の復興の実現です。中国共産党は設立して以来、初心と使命をしっかり守っています。そして人民の強固な支持を得ています。初心と使命を守ることによって、中国共産党は小さな党から世界で一番大きな党に成長しました。今年は新中国成立70周年にあたります。それは中国共産党が全国で政務を執ることが70周年になるということです。中国では古い言葉があります。「勇敢に生き、安楽に死す」です。

習近平総書記は「私たち共産党は世界第一の党であり、私たちを倒す敵はありません。私たちを倒すことができるのは私たちです。」と言いました。ですから、「初心を忘れず、使命を胸に刻む」という教育活動を展開することは、現在、共産党内部に存在する初心と使命に背く問題を見出して、すぐに直して、中国の特色ある社会主義が新時代に入った肝心な時期に、共産党全員が力と認識を合わせて、全人民を率いて美しい生活へのあこがれを実現するように活動することです。

 皆様はご存知のことと思いますが、中国の労働組合は、結成以来、中国共産党の指導の下に活動を展開し、党と労働者大衆を結びつける架け橋であり絆です。今回の特別教育活動の中で、中国労働組合は労働組合の特色に応じて以下の活動に取り組んでいます。

  労働者の合法的権益を擁護し、労働者に奉仕する

一番目の活動は、労働者の合法的権益を擁護し、労働者に奉仕するという労働組合の基本的職責を果たすことです。現在、各レベルの労働組合組織は、調査・研究を行って現場労働者が最も関心のある、最も差し迫った難しい問題を解決して、大きな成果を上げました。例えば、今話題の中米貿易摩擦、サプライサイドの構造改革、労働者権益の問題を重視して過剰生産能力の削減の過程における労働者の就職の道を確保して生活を保障します。

もうひとつは、都市部における困難ある労働者の貧困脱却です。過去3年間において、各レベルの労働組合は合わせて252万世帯の困難ある労働者を救助して貧困脱却を実現しました。そして、2020年までに中国の労働組合は、現在登録している困難ある労働者の全員の貧困脱却を実現する見込みです。

もうひとつは、例えば、出稼ぎ農民工、トラック運転手、じん肺症労働者などの特別グループに注目して、彼らが理性的に自分の要求に応えるように指導して、関連部門と協力して彼らの問題を解決するように努力しています。全国総工会と交通運輸部は共同で「運転手の家」を建設する活動をしました。「運転手の家」とは、運転手が集まっているところ、例えば高速道路のサービスエリア、貨物・物流の集散地、物流の作業基地などに運転手のためにつくられた休憩場所です。「運転手の家」で運転手は、お湯を飲んで、あったかいご飯を食べて、シャワーを浴びて、睡眠をとることもできます。現在「運転手の家」は全国で76箇所がオープンしてます。今年の年末までに100箇所オープンする見込みです。

産業労働者の技能レベルと待遇レベルを引き続き向上させる

二番目の活動は、産業労働者の技能レベルと待遇レベルを引き続き向上させることです。インターネット、人工知能などの新興産業の発展につれて、伝統的な産業に働く労働者が沢山の問題とチャレンジに直面しています。問題は、例えば、所帯地位の弱化、職業発展進路の狭さ、養成システムの不完備、待遇レベルの欠陥などです。これらの問題を解決するために、2017年4月に中国共産党中央と国務院は、新時期における産業労働者チームづくり改革法案を打ち出しました。中華全国総工会は、この改革法案を実施するにおいて先導的な役割を果たしています。この改革法案は、国レベルの法案ですが、実施の任務は労働組合に与えられました。それも、労働組合の地位の重要さを表していると思います。というのは、この改革法案を実施する任務は、政府の行政部門が入っていますが、これらの行政部門も総工会の指導のもとに実施しています。これから長い間、中国労働組合は改革法案の実施を重要な活動としています。この法案の実施にあたっては、産業労働者の発展の進路をさらに広げて、産業労働者の技能レベル、待遇レベルを向上させて、広大な知識型・技能型・都市型産業労働者待遇づくりに取り組んでいきます。

労働組合の改革をさらに深化して労働組合の活力を強化する

三番目の活動は、労働組合の改革をさらに深化して労働組合の活力を強化することです。伊藤先生は労働組合改革に関する興味が深いと聞いていますので、活動の状況について紹介したいと思います。実は2016年から中国労働組合は力と資源を末端組織に傾けて、末端組織の活力を強化する活動を始めました。現在この改革はある程度成果を上げましたが、また新しい状況と問題に直面しています。中国経済の発展のスピードが非常に早いので、状況もいつも変わってきます。経済の発展の状況に合わせて、今後主に三つの活動に取り組んでいきたいと考えています。

民間企業、配達者(出前持ち)、トラック運転手などのいわゆる非正規労働者の組織化活動に取り組みます。皆様は労働組合の専門家ですので、非正規労働者の組織化が非常に難しい課題であることはご存知だと思います。大手企業労働者の組織化よりは、非正規労働者を既存のグループに加入させることは非常に難しいです。ですので、中国労働組合は力と資源を使ってこれらの労働者を組織するために非常に努力しています。

労働組合の組織率を高める

次に労働組合の組織率を高めるための活動です。労働組合を運営するには三つの条件が必要です。組織、組織のスタッフ・幹部、活動の場所です。全国で、労働組合の組織化、幹部の育成、活動の場所を積極的につくっています。例えば、労働組合の上部組織のスタッフの人数を減らして末端組織のスタッフを増やす。労働組合の会費を末端組織にもっと多く振り分ける。このようにして、末端組織に人手と資金を保障することができます。

インターネットプラスを利用して快適で普遍的なサービスを

もうひとつの活動は、インターネットプラスを利用して労働者にさらなる快適で普遍的なサービスを提供することです。中国労働組合の末端組織は、それぞれ数多くのアプリをつくって、アプリを利用して労働者にサービスを提供しています。会員の利用者は、アプリを通じて、まず労働組合を理解することができます。そして、労働組合から救助、サービスを受けることができます。ひとつ例を上げると、トラック運転手向けにアプリを利用してガソリン代の割引ができます。労働組合はガソリン会社と交渉して、一番多い割引は2割引き、年間で利用者はガソリン代を2万元節約することができます。このアプリによってトラック運転手の収入を月1000元ほど増やすことができました。

以上、中国の労働組合の状況について紹介しました。

皆様は、遠路はるばるいらっしゃった、労働組合の専門家でもありますし、中日友好の民間大使でもあります。現在の中日関係の全体的な勢いは良いです。8月10日に7年ぶりに副部長(次官級)クラスの戦略対話を再びスタートさせました。中日両国の副部長は、大阪で行われた中日首脳会談で達成した重要な書式を徹底して新時代のニーズに合わせる中日関係の構築に努力することを確認しました。皆様が今従事されている仕事は、非常に必要で非常に有意義だと思います。

貴協会に対してふたつの希望

ここで、貴協会に対してふたつの希望を述べさせていただきたいと思います。

まずは、皆様に正義の声を益々広めていただきたい。もっと多くの日本の大衆に本当の歴史を理解して、とくに若い人に正しい歴史観を確立していただきたいです。そして、もっと多くの日本の方々、とくに若い人を中国に連れてきていただいて、中日友好の種を撒くことを期待しています。

二番目は、皆様のホームページで中国労働運動に関するポジティブな報道をもっと多く宣伝していただきたいです。現在はとても怪しいことがあると思います。国外のメディアは中国労働組合に起きているホットな話題に対して報道は多くしていますが、その中で多くの報道は一方的で事実を歪曲する報道です。中国労働運動のこの数年間の成果については無視しています。

貴協会の皆様は労働分野の専門家です。我々両組織は、中日両国の労働組合、そして労働分野における共同の課題に対する研究と検討を強化することができると信じています。その上で中国労働組合のホットな話題にたいする全面的そして事実にあった報道をもっと宣伝していただきたいと思います。

伊藤先生、皆様に、私たちのアドバイスをぜひ検討してもらいたいと思います。

最後になりますが、皆様の今回の訪問が所期の目的を達成し、皆様の滞在中の健康と楽しい旅をお祈りします。