第3次「日中不再戦の誓いの旅」― 北京、哈爾浜、瀋陽、撫順、大連を訪問(2017/8/12)

日中労交の第三次「日中不再戦の誓いの旅」は、7月25日に出発し、北京、哈爾浜、瀋陽、撫順、大連を訪問して、30日に帰国しました。「日中不再戦の誓いの旅」としては、初めて旧満州を訪れました。訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交副会長、全港湾顧問)、副団長=藤村妙子(南部全労協事務局長、東京の満蒙開拓団を知る会共同代表)、秘書長=  千葉雄也(東京清掃労組元組合員)、団員=吉原節夫(元「国際労働運動」編集長)、清水英宏(全国自治体労働運動研究会運営委員長)、伊藤光隆(東京都公立学校教職員組合元執行委員)、春川広司(米沢市職員労組特別執行委員)、奥田耕司(NTT労組元組合員)の8名です。全員60歳以上の高齢者の団であったことは残念でしたが、元気に交流、見学の日程を消化してきました。
以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。

<北京>

7月25日、訪中団は東京・羽田から北京に着きました。空港には、中国職工対外交流センター技術交流部長の査良青さん、同部の李晶宇さんが出迎えてくれました。空港で昼食をとったあと、ホテルの職工の家に移動し、中国職工対外交流センターの彭勇秘書長らと懇談しました。
伊藤団長が「今年は、盧溝橋事件から80年、南京大虐殺から80年、日中国交正常化から45年にあたります。私たち日中労交訪中団は、『第3次日中不再戦の誓いの旅』として、14年間の中国侵略戦争の発端となった旧満州を訪れ、日本が何をしたのか、その歴史を学ぼうと思っています。今、日本での重要なたたかいは、安倍首相が目論む憲法改正を阻止すること、戦争ができる国づくりを阻止することです。そして、権力を私物化している安倍政権を打倒することです。安倍内閣の支持率が急落し、いわゆる『安倍一強』体制が崩れ始めていますが、労働者が力を発揮して打倒できるよう頑張りたい。そのためにも、私たちは、『日中不再戦・反覇権の誓い』の碑文にもあるように、『われわれは、日本軍国主義の中国侵略戦争を労働者人民の闘争によって阻止しえなかったことを深く反省し』という市川誠日中労交初代会長の言葉をかみしめて、さらなる運動の強化を図っていきたい」とあいさつしました。そして、団から持参したブックレット「『平和資産』としての日中共同声明」と「東京満蒙開拓団」を贈呈して、それぞれの執筆目的・経過を説明しました。
彭秘書長は、日本と中国の長い歴史を語りながら「尖閣諸島の日本国有化が日中関係の悪化をもたらした。対立することは双方の利益にならない。平和的に解決することが両国の利益になる」と述べました。「これからの日中関係をどうつくらなければならないか、真剣に考えなければならない時です。中国でも日本のことは嫌いと思う人が増えています。日本に観光に行く中国人が増えましたが、嫌いと思う人たちは日本に行ったことがない人達です。民間の交流は大切です。歴史認識を深める皆さんの努力に学んで私たちも頑張りたい。お互い日中友好のために、できることから努力していきましょう」と述べました。
夜は、中国職工対外交流センターの彭勇秘書長による歓迎宴が開かれました。

<哈爾浜>

26日朝早くホテルを出発し、空路で哈爾浜に向かいました。哈爾濱までの飛行時間は2時間です。ホテルに着いて昼食後、郊外の侵華日軍第731部隊罪証陳列館を見学しました。
陳列館は1985年に開館し、2015年に新しい陳列館がオープンしました。陳列館の展示は、細菌研究基地の建設、細菌戦部隊の設立、特別移送扱い、細菌研究の実験と生産、細菌戦の実施、731部隊の逃走、細菌戦犯罪者の裁判と系統的に展示されています。731部隊は約3000人の「マルタ」を虐殺しましたが、敗戦を目前にした撤退時に生き残っていたすべてのマルタを殺し、建物を破壊して証拠隠滅を図りました。罪証陳列館に多くの遺品が展示されていました。また、本部、研究棟、生物飼育場、農場、飛行場、鉄道駅、宿舎、運動場、小学校まであり、広大な敷地を占めていました。
夜は、黒竜江省総工会の郭長義常任副主席による歓迎宴がありました。
夕食後、聖ソフィア大聖堂を見て、中央大街を散策しました。多くの市民が、ロシア風の街並みを散策し、短い夏を楽しんでいました。

<瀋陽>

27日、高鉄(新幹線)で瀋陽に移動しました。高鉄は、見渡す限りトウモロコシ畑の中を時速300キロで走り、2時間30分で瀋陽に着きました。午後から9・18事変陳列館を見学しました。1931年9月18日、柳条湖において鉄道爆破した関東軍は、これを中国軍の仕業と偽り、一気に黒竜江省、吉林省、遼寧省を占領しました。いわゆる満州事変です。その経過が描かれ、それに抵抗した抗日軍民の闘いが展示されています。
夜は、遼寧省総工会の尹正偉副主席の歓迎宴がありました。

<撫順>

28日は、瀋陽から1時間ほどの撫順を訪れました。撫順は、巨大な露天掘り炭鉱があり、石炭の町として有名です。午前は撫順戦犯収容所を、午後は平頂山惨案遺址記念館を見学しました。
撫順戦犯収容所は、日本人戦犯約1000人が収容され、教育、坦白、認罪という思想改造が行われたところです。食事、健康にも配慮した生活が行われ、戦犯は処刑されることなく日本に帰国しました。満州国皇帝であった溥儀も収容されていたところです。
平頂山惨案遺址記念館は、工事が行われていて閉館中でしたが、撫順市総工会の手配で特別に見学することができました。抗日軍が日本人を襲撃したことに対する仕返しとして、1932年9月16日、日本守備隊や警察は、平頂山村の住民3000人を野原に集めて射殺し、遺体にガソリンをかけて燃やし、山を爆破して埋めるという虐殺事件を起こしました。遺骨館には発掘された遺骨がそのままの姿で横たわっていました。折り重なるようになった遺骨には、子供や赤ん坊、妊婦の遺骨もあり、脇にある黒くなった坑木やガソリン缶が惨状をリアルに伝えていました。

<大連>

29日は、瀋陽から高鉄(新幹線)で2時間ほどかけて大連に移動しました。昼食後、大連市内を観光し、星海広場に行きました。海側に橋が建設され、周りに高層高級住宅が立ち並び、レジャー施設も出来ていました。夏休みの土曜日ということで、多くの人が海水浴を楽しむなど市民の憩いの場になっていました。
夜は、大連市総工会の于淑君副主席の歓迎宴がありました。
翌30日、大連から成田に戻ってきました。通訳として全行程を同行してくださった李晶宇さんには大変お世話になりました。

<参考>
◇ 日本の侵略の実相を観て考えた~「日中不再戦の誓の旅」に参加して~
(藤村妙子)
◇ 『はじめの一歩』ー第3次「日中不再戦の誓いの旅」に参加してー(伊藤光隆)