中国・広州日弘機電公司(ニッパツ100%現地法人)で御用組合から排除され、会社から解雇された沈夢雨さんの大学の同窓生で、フェミニスト左翼の鄭楚然さん(HNは大兎)による論考です。タイトルはこちらでつけてみました。大兎さんは2014年夏の広州清掃労働者のスト争議を沈夢雨さんとともに支援し、レポートも書いています。
2015年3月には他の4人のフェミニストともに公共空間でセクシャルハラスメント被害を訴える取り組みが社会秩序を乱したという理由で警察に逮捕されています。
http://www.chinalaborf.org/report/report15/report150315.html
以下、ちょっと長くてすいません。原文と写真メッセージはこちら
中国:広州日弘事件~中国のフェミニスト左翼はこう考える
(原題:仲間のみんなへ、夢雨の主体性を承認しよう~同窓生大兎はあなたを支持する)
中山大学で社会学を学ぶ学生だった頃、先輩たちが卒業後に、高給の仕事をあきらめて、労働者の側にたつために工場の労働者になるという話をきいていた。
「ちょっと極端で理解できないけど尊敬はするわ」。当時、私の中国労働者に対する理解は、社会学の教科書の知識や経済に関する公式の物語にとどまっていた。人生の大切な時間を費やして社会科学の学位を取得したのに、どうして大企業や公務員にならずに、多くの人がやりたがらない工場の仕事につくのか、わたしには理解できなかった。
その後、私はフェミニストになり、ジェンダー平等を提唱する道に進んだ。子どもの頃は大金持ちのお嫁さんになることを夢見ていたが、一生涯貧乏で波乱に満ちた生活の道を進むことになろうとは。よくよく考えると大学での6年間のあいだ、大富豪のお嫁さんになるという「理想」を思い出したことはなった。これは私が持っていた最も単純な正義感、世界はもっと公正で良くなるという純粋な正義感から考えると、自然なことだった。
大学の同窓で、そしていまでは同志の沈夢雨も、同じように純粋な正義感を持つ進歩的青年だった。中山大学数学計算学院の修士課程を修了した彼女は、本来なら他の同院の先輩たちと同じように、高待遇の職をみつけるか、キャリア公務員の道を進むかして、それなりのパートナーを探し当てるのも困らなかったはずだ。中山大学計算数学院は、私のような文系などはとてもありつけないような、高いIQが必要な職業からの誘いが数多くあった。
しかし彼女はそれを拒否した!そして広州日弘機電有限公司(東風ホンダ自動車の部品工場)のライン労働者になった。誰にでも親切でリーダーシップに富んだ彼女は、同僚たちから推されて交渉代表になった。この歩みは決して容易なものではない。会社との息の詰まるせめぎ合いだけでなく、組合執行部からの圧力やレッテルはりにも対応しなければならなかったからだ。わたしのように一日中パソコンの前で書類を作っているような青臭い書生とは違い、夢雨の歩んできた道は困難につぐ困難が待っていたが、得るものもまた大きかったといえる。
◎彼女に対する評価について
そんな彼女に対する尊敬の念とは別に、わたしは夢雨の争議に関する左派言論圏での議論にも注目してきた。わたしがどうしても注目せざるを得ないのは、夢雨は毛派青年として一部の人々から持ち上げられ、ヒロイン化されているが、このようなやり方は夢雨の安全と行動にとって不利な影響を及ぼし、ひいては夢雨がセクトの宣伝に利用されている、という意見があることだ。
いろいろな経緯から、わたしのアイデンティティはマルクス主義フェミニストとは完全に一致しないが、左翼フェミニストではあると考えている。だからといって労働者のたたかいに口を出すべきではない、ということにはならないだろう。上述のような心配や意見はもちろん必要だろう。しかしフェミニズムの観点からはこうも言いたい。夢雨をお人形さんのように扱うのはどうかやめてほしい、と。
労働者生活も3年がたち、豊かな理論的素地ももった成人女性である夢雨は、自立した考えと強い主体性をもったアクティヴィストであることを、私はまったく疑っていない。もし彼女がおかしいと思うような外部からの評価に接したときは、小動物のようにそれに耐え忍ぶようなことはないだろう。もしそれらの評価が彼女にとって不利に働くとすれば、彼女が公然と、あるいは個別に自分の不満を表明し、自分の感情と考えを述べることに何ら支障はないはずだ。
いま夢雨は闘争に精神を集中しており、外からの評価(ヒロイン化されている、など)についてはあまり考える暇がないだろう。そんなときに、本心で夢雨を心配している仲間であろうと、あるいはこれを機に自分たちの主張を表明しようとする仲間であろうと(みんな仲間[同志]だとおもう)、夢雨が判断能力のない操り人形だと考えるべきではないし、彼女自身の判断能力や選択を信じるべきだろう。
私がこう言うのは、夢雨が舞台に祭り上げられて、知らず知らずのうちに毛派のヒロインになっているというような想像が一種の男主義であることを、みんなに気がついてもらいたいからだ。私のいう男主義とは、性別の問題ではなく、「かれ/かのじょ/あのひとは利用されている」という指導者然とした思考方式のことだ。今回の経過の中で、彼女の主体性や判断力を疑う理由は何もない。ゆえに私たちは彼女が利用されているのかどうか、祭り上げられているのかどうかといった議論に傾注するのではなく、彼女のたたかいの過程、戦術、組織方法にもっと注目すべきである。日弘公司の同僚たちから彼女に寄せられた支援の声こそ、まさに私たちにそう告げているのだ。
◎女性代表について
すこしでも開発区のことを知っている人は、そこでの男女比率が不均等であることを知っているだろう。それは開発区だけのことではなく、歴史的にも自動車産業においては、男性労働者が大きな比重を占めてきた。映画『ファクトリー・ウーマン』やハーゲン・クー著『韓国の労働者』をみても、自動車産業における女性労働者の数は限定的であったことがわかる。
そのような背景のもと、沈夢雨が日弘機電の交渉代表になれたことは意義のある事だ。沈夢雨の事件については、いろいろな意見がだされている。彼女の身分からその主張に至るまで、様々な観点が提起されている。しかし自動車産業における女性代表の意義という観点から掘り下げたものは見当たらない。
映画『ファクトリー・ウーマン』では、フォード自動車の女性労働者たちが男性との同一労働同一賃金を獲得するために、歴史的なストライキを打つのだが、今日の広州開発区の自動車部品工場では、男女は同一労働同一賃金が実現されているのだろうか?
法的に言えば、そうだと言える。しかし現実には、そうではないとも言える。
どうしてなのか。基本給についていえば、同じ仕事、同じ職級であれば男女に違いはない。しかし夢雨の文章からもわかるように、日弘工場の業務は楽なものではない。しかも労災のリスクも高い。このように労災リスクの高い業務には、数百元の業務手当がつく。あわせて、これらの業務の圧倒的大部分は男性労働者によって担われ、女性労働者はそれほどキツくない業務を希望したり、配属されたりする。その他、男性労働者は、中型や大型の機械による生産の休憩時間にローテーションで設備のメンテナンスを行ったりすることで、割増賃金を得る機会がある。こうして毎月の賃金は全般的に男性のほうが女性より高くなる。
このような状況も近年はかわりつつある。一部の女性労働者もキツくて、労災リスクの高い、つまり特別手当のある業務についている。またこれらの業務はオートメーション化が進んできたことから、そのような業務自体が減少傾向にもある。
夢雨が女性労働者として賃金交渉員の職責を担うということは、他の男性の交渉員よりも工場内の低賃金労働者である女性たちの状況をよく理解しているということでもある。またキツい業務がオートメーション化によって機械に取って代わられていくことは、職場内における男女分業という状況に変化が現れることを意味するとともに、特別手当などが削減されていき、全体的に賃金が低い方へ平準化されていくということも意味する。だから夢雨には大幅な賃上げにこだわる理由があった。
開発区の自動車パーツ工場では、これまでも無数の団体交渉が行われてきたし、女性の交渉代表も少なくなかったが、組合執行部に参加することができた女性はそう多くはない。自動車パーツ工場の組合委員長はほとんど男性で占められていた。夢雨が交渉代表に選出された経過を詳細にみれば、彼女は多くの支持を集めて選出されたが、会社と組合から否認され、その後、再び多くの仲間の支持を得てやっとのことで交渉代表になった。この一連の経過それ自体が、沈夢雨が多くの同僚の支持を勝ち得たことの証である。組合関連法による女性代表数の確保という状況があったわけではない。
この点だけをとっても、沈夢雨が交渉代表に選出されたことは、日弘の仲間たちが今回の団体交渉において、交渉の権限を代表に「委託」して結果を座して待っていたという単純なことではなく、選挙によって彼女を選出し、自分の代表である彼女をみんなで擁護して防衛するとともに、集団として自らの権利を要求したという意味を持っていたと言える。またそれは、このような意義のうえに、職場内のジェンダー不平等や女性の権利などの課題において、いっそう強固なたたかう基盤がうまれたとも言えるだろう。