日中友好労働者シンポジウムに参加して

岡崎彩子

故宮前の集合写真

日中平和友好条約締結40周年を記念して、8月28日、北京で「日中友好労働者シンポジウム」が中国職工対外交流センター(中国における唯一のナショナルセンターである中華全国総工会の対外交流部門)と日中労働者交流協会の共催で開かれた。訪中団は8月27~31日まで北京を訪問しシンポジウムに参加するとともに、人民網(人民日報のインターネット版)、京東グループ(電子商取引大手)などの職場見学、さらに抗日戦争記念館などを見学した。訪中団は15人(内、兵庫からは3人)。

中国の労働組合は役割が日本と根本的に違う(当局の指導の下に活動する)と聞き、どのように交流するのか不安もあったが、せっかくの機会、しっかり見てこようと参加した。

中国中央テレビ局のビル、後ろは北京で一番高いビル

初めて見た北京は、経済発展の最先端。官庁や企業本社など超高層ビルがどこまでも広がり、おびただしい車の渋滞で、あのセグウェイで移動する人の姿もあった。ハイブランドや、ユニクロなどのファストファッションの店、映画館やレストランが並び、日本でよく見る“再開発されどこも同じ街の風景”だった。準備していたスマホ決済が役立つ場面に遭遇し、噂に聞いていたキャッシュレス社会を実感した。

職場訪問した人民網は、平均年齢32才、みなラフな格好で、圧倒的に女性が多い。中国では大学で外国語を専攻する9割が女性で、外国語を扱うこの分野も必然的にそうなるとのことだった。一方、中国での女性の社会進出については、公務員以外、ほとんどの女性は採用過程で有期雇用しか選ぶことができず、最近は専業主婦願望者が増えていると聞き、想像と違い残念に思った。

女性たちの日中団結(北京空港)前列が岡崎さん

シンポジウムは、中国側の報告では“模範労働者の育成”や“経済の発展”という言葉が多く使われ、違和感も感じたが、ITやAIの導入が急激に進む社会で、雇用関係のない働き方が増え競争にさらされていること、AIに仕事が奪われることなど、直面する共通課題に取り組んでいることも知った。日本側は、沖縄の歴史の研究活動を行う大城航さん(沖縄県高教組)や、岐阜一般労組の専従として外国人研修生の問題に取り組む甄凱(ケンカイ)さんらが報告した。

私たちが見た中国はごく一部だが、中華全国総工会は今年秋、5年に一度の全国大会を開催し、大きな改革に取り組むことが報告されるなど、常に変化する中国を感じさせられた。

(憲法を生かす会・ひょうごネット会員)


広岡法浄

夜中に目が覚めて眠れない。肩がコリコリに凝っていたのだ。日中労働者交流協会の訪中団に誘われ、慣れないネクタイを締めて日中友好労働者シンポジウムに出席し、日本労働組合の主な活動と題してユニオン運動を紹介する発表を行い、さらに、シンポジウム終了後の中国職工対外交流中心主催の歓迎宴会に中華全国総工会副主席でILO理事でもある江広平氏の隣に副団長として座って話をするという大任をこなしたのだ。その後も、行くところ行くところネクタイを締めての訪問だ。明日で最後、そのまま眠ることなく朝を迎えた。

思えば、団長の伊藤氏にメールで副団長を引き受けるよう要請された時点で、気がつくべきであった。隣に座っているだけで何もしなくていい、形だけだからという、甘い言葉に惑わされて引き受けてしまった私が浅はかであった。常識で考えて、そんなことで済まされるはずはないのだ。騙された私がバカだった。肩が凝らないわけはないのだ。しかし、それ以外は、極めて順調に推移した。

歓迎宴で江広平副主席と握手する広岡さん

中華全国総工会といえば3億300万人の労働者の組織、すなわち労働組合の総本部だ。我々ユニオンみえは700人、約50万倍の組合員を抱える組織だ。コミュニティユニオン全体との比率でも約2万倍だ。組織の大きさではまさにアリと象の関係になる。こんな組織どうしがシンポジウムを開催しどうなるのか、という疑問はある。しかし、中国側はこんな小さな組織でもきちんと一人前に扱ってくれ、微に入り細に入りの歓迎をしてくれた。決して奢るような素振りもなく、接していただいた。

総工会は10月に大会を開くという。そこで四つの「化」を取り除く方針が決定される予定だとのことであった。四つのうちの一つが「娯楽」という。これまでの総工会各組織の予算は文化やスポーツに関わる行事に費やされ、活動の中心もその分野であったところを改め、労働者の権利を守る活動に移行するとのことであった。次の一つが「貴族」だ。幹部の中の特権貴族のような振る舞いをなくし、一般の労働者の中に入り、労働者の声に耳を傾けるのだという。三つ目が「行政」だ。行政のごとく、上から命令し、指示を出すような対応をなくすのだという。四つ目が「官庁」だ。幹部は公務員ではない。組合員から選ばれた幹部であり、労働者の中に入って活動するようにする、ということであった。

習近平主席になってからの改革の一環でもあるようだ。かつて、日本の連合が中坊公平弁護士らに要請し、連合評価委員会が立ち上げられ、2003年9月に「連合の労働運動のあり方についての提言」が出されたことを思い出した。15年前の話になる。今やあの提言はオクラ入りし、連合の中にそんな提言があったことは忘れ去られたようになっている。企業別組合主義からの脱却や非正規雇用労働者への均等待遇実現などを謳ったものだ。一方の総工会。現状がどうなっているかわからないが何となく想像はつき、言われていることはもっともで、実現すれば、良い方向に向かうと思う。上が決めたことは従うということを無くすという、自己矛盾とも思える方針ではあるが、下からの要求があっての方針決定になると思うので、良いことだ。大いに期待したい。

日本軍の中国人捕虜刺殺場面(抗日戦争記念館)

シンポの次の日に、抗日戦争記念館を訪れた。日本軍の蛮行を各時代に分けて展示していた。日中友好は過去を忘れて未来志向で、とはならないと思う。なぜ、日本は明治以降、かくも中国の民衆に酷い扱いをし、残虐になれたのか、そのことの分析・総括・反省がなされていないと思う。敗戦後、アメリカがソ連に対抗するために、占領政策の中でそのことを曖昧にし、日本の民衆も戦争を被害者意識の中でしか捉えられず、平和運動もしかりであった。その結果、安倍政権の登壇を許し、安倍政権は日本を戦争のできる国に作り直そうとしている。今、明治150年として、明治政権が誕生したことを肯定的に捉え、日本が明治以降行ってきた戦争を美化する動きが強まっている。私はここで、明治政権とオウム真理教との比較を行い、明治政権とカルト教団・オウム真理教との類似性を考えていきたい。

麻原も天皇もただの人なのに神格化され、絶対的存在としてその権力の及ぶ範囲の中では崇められ、これに反対するものは排除されるだけではなく、殺す対象として扱われ、殺す側は何の疑問も抱かない。記念館で「百人斬り競争」の記事を知っているかと問われた。日中戦争のさなか、野田毅・向井敏明両少尉が中国の民衆を含む中国人の首をはねる競争を行い、どちらが先に100人斬りを果たすか競争し、それが日本国内でも報道され、両少尉が英雄扱いされていたという。オウム真理教の中でも当時1歳の子供も含む坂本弁護士一家殺害事件について、オウムに反対するものを殺すのが当然視され、実行犯は英雄視されていたのだろう。同じことだ。ただ、違うのは、オウムの連中は捕らえられ、死刑にされたということだ。ちなみに、野田毅・向井敏明両少尉もGHQに捉えられ、南京軍事法廷において「連続して捕虜及び非戦闘員を虐殺した罪」にて死刑となっている。

一方、神と崇められた天皇裕仁はソ連との対抗上、人間宣言をすることで生きながらえることを許され、日本人のマインドコントロールは中途半端なままとなり、現在に至り、天皇を崇めアジアを蔑視する在日特権を許さない市民の会をはじめとする勢力の台頭を許している。この事態を踏まえ、中国をはじめとするアジア諸国との平和と友好を築くために何が必要で、私に何ができるか。同行した沖縄の青年の提起「被害の歴史、加害の歴史に加え、抵抗の歴史をきちんと教えること」がヒントになる。歴史を学び、それを元に活動することだ。

近代日本の中国侵略経過図(抗日戦争記念館)

前述の江広平氏が「万引き家族の映画を見てきた」と言っていた。日本で活躍している親戚のことも聞いた。人と人の親しい関係を築き、歴史を踏まえての友好を進めていきたい。また、日本における中国人実習生をはじめ、外国人労働者の権利を守る取り組みをさらに強化したい。それが真に日中友好に寄与することだ。実習生問題解決に向けた中国におけるきっかけもできたように思う。活かしていきたい。

(三重一般労働組合書記長)


前田純一

北京訪問の感性的印象:中国は急速に成長し発展しつつある若い国だ。人にたとえるならば、ついこの前まではやんちゃな小学生だったお隣りの知り合いが、今やエリート大学生になって、今後とも成長しつづける勢い。年老いたこちらをはるかに凌駕してまばゆい限りといった感じ。

すさまじいモータリゼーション、日本国内の6倍を超え、なおかつ伸び続ける自動車販売台数。新車の半数はEV車が義務付けられている。世界のEV保有台数の4割を中国が既に占めている。

夏ということもあり空は晴れわたっていたが、大気汚染は急速に改善されつつあるという。石炭ストーブが禁止され、工場の排出も規制が進み、次の冬には劇的な改善が進むと言われている。この辺りは強力な政府のなせる技。

レンタサイクル

北京の大規模なレンタサイクルは、乱立していた業者が競争で淘汰され、ほぼ3社に。レンタサイクルの先発、ロンドンやバルセロナよりはるかに進んでいる。ステーションでスマホ決済して借り、大通り沿いの歩道に乗り捨てる。通りに乗り捨てられた自転車を業者が回収して回っているのも目にした。ほとんどの通りの両端は二輪車専用道が設けられている。でも交差点は相当危険そう。電動自転車も多い。ただ、バイク含めヘルメット着用はほぼ皆無なのは心配。

安価な商品は、どんな重砲隊も打ち壊せなった万里の長城をも打ち壊し、どの地域の住民であろうと容赦なく単一の世界市場に引きずりこむ。山形であろうと、大阪であろうと、那覇であろうと、北京であろうと、似通った巨大ショッピングモールが出来上がり、その陳列棚には世界中の商品が並べられる。そこから一歩出て見渡す風景は、ここはどこの都市だろう、ロンドン?ニューヨーク?東京?北京? モノトーンのコピーのような都市風景が目の前に現れる。

シンポジウムでは、中国側の発表もさることながら、日本側の報告に大いに学ばされた。

有期ローテーション外国人労働者の組織化を進めている甄凱(けん・かい)氏(岐阜一般労働組合第2外国人支部支部長)による、リアルな外国人労働者に対する使い捨ての実態と、ユニオンショップ方式導入やシェルター作りの努力のレポートには頭が下がる思い。日本は実際には今や世界第4の「外国人労働者『移民』大国」。去年の政府発表で128万人、前年比20万人増。ブラック留学生ビジネスも横行し、日本語学校は5年で200校増の643校にのぼる。

沖縄歴史教育研究会・大城航氏(沖縄高教組那覇支部)の優れた報告にも学ばされた。日本から差別され被害を受けると同時に、台湾先住民を差別し、中国侵略に熱狂したという加害者としての沖縄人の複合的構造、沖縄の若い世代の歴史認識の欠如等について。

シンポに先立つ中華全国総工会への表敬訪問で語られた中国労組の「4つの『化』」。

娯楽化:労働者の要求を組織することより、娯楽が中心になっている。

貴族化:一般労働者が組合役員になれていない。

行政化:命令や指令で動かそうとしている。

官庁化:幹部が9時~5時勤務で労働者との接触ができていない。

これはそのまま日本のほとんどの労組に当てはまる話し。

人民日報ネット版=1997年開設の「人民網」見学。平均32歳のスタッフ2600名余りが働く。中国の今風の職場を垣間見る。テレビ局並みのスタジオ。ラフな服装でそれぞれがノーパソに向かっている。見学後、日本語版スタッフ(総勢は13名)と交流。海外セクションに女性スタッフが圧倒的に多い原因は、中国の外国語学部の学生は9割が女性となっていること。中国では、1980年代生まれと豊かな中国を経験した90年代生まれのジェネレーションギャップが激しいとも。豊かさを享受して成年になる層が社会の中堅層になる時、中国の特色ある社会主義はどう変化するのだろうか。

京東グループビルの顔認証画面を見る前田さん(右)

百度(バイドゥ)、アリババ、ティーセント、京東(ジンドン)のBATJ=中国4大企業集団 の一つ、京東集団本社を訪問。ネット物流、金融を手がける巨大企業。無人コンビニ、顔認証、注文から1時間以内の配達、スマホ決済で着払い受取、無人配送センター等々を見る。後発発展国が先発国を技術的に乗り越える歴史を目の当たりに。この技術が日本では大量の雇用崩壊をもたらすだろう。

(さかいユニオン執行委員)


保田 泉

印象に残った事を箇条書きに記します。自分にとっては、3回目の訪中です。前の2回は、普通の観光地ツアーでの参加だったので、北京では有名どころで、故宮と万里の長城、市内のお墓や寺などを見て回るだけで、中国の人と交流する機会はなかった。

今回の街の風景・歩いている人の服装・デパート

北京市内では、個人の建物がほとんど皆無と言っていいほどの、高層マンション、オフイス街・デパートという感じの建物が続く感じで。以前来た時は、どんよりした街の空気を感じましたが、今回は空の雲も日本の空に浮かぶ雲と何ら変わらない感じでした。

車の数も半端ではなく、国産から、韓国車、日本車、欧州車など、多種の車が走っている。また、デパートでも、レストランでも、日本に来ている中国人の印象が、大声を出して買い物をするという印象があるのだが、静かな雰囲気がそこにあった。女性のファッションも、東京を歩くのと何ら違わない感じで。街は、日本の様に広告が林立するようなけばけばしさはないので、建物だけが目立ち、靜かな感じがする。公共の標識も漢字表示なので、何となく表示している内容がわかる感じがした。

中国職工対外交流センターとのシンポジウム
シンポジウムで司会を務める保田さん

中国側の話しは、労働者の権益を守るという立場で、組織をして、運営をしているという話だった。対外交流センターに表敬訪問した時には、自分たちが抱えている、四つの課題を話された。そこには、日本の労働者の幹部の状態に通じる物があり、親しみを覚えた面はありました。そういう点では、立っている地点は同じような感じを受けたが、いざ報告や資料では、多くが生産性を高めるために、模範労働者を作り出すという話しに代表されるように、生産性を高めると言うことが強調されていた。自分たちは生産性を上げるために、QC活動や長時間労働を強いられているので、このあたりの問題意識は、わかりづらいなと言うのが率直な感想です。

ただ交通労働者の組織化で、労働強化の話が出ていたのは、現場に近い人だから、そういう話が出るのかなと思って、聞いていた。通訳の人と感想の突き合わせが少し出来たが、中国側の人がどう感じたのかが判らない。

歴史の面では、日中の友好は中国側から始まっていると。なぜこの100年近く、日本は中国と仲良くしようという意識が薄いのかと考えさせられた。

見学
抗日戦争記念館で説明を聞く保田さん(右から2人目)

人民日報社、無人コンビニ、故宮・故宮博物館、盧溝橋抗日記念館など、見て回った。中国にとっては、日中戦争は大きな歴史的な出来事で、抗日記念館では中国共産党の指導の下に解放が進んだという展示になっていた。日本の歴史教科書が、中国侵略の歴史を消そうとしていると展示があり、また先の戦争で、中国戦線で日本軍は大敗をしているという事実は、日本国内では教えられていない。しかし現実には、中国大陸では押し返されている。日本でよく知られて居る、周恩来はほとんど展示には出てこない。

人民日報社では、日本人スタッフの多くが女性だったのには、驚いた。それも若い人で。自分の常識に、人民日報といわば、中国共産党の機関紙として知られており、それがかなり、オープンな形で情報を発信しているのには、驚いた。文系に進むのは女性が多く、また女性は会話が上手なので、情報を得るのに、適していると。なるほどと。

通訳している人が、日本語が上手なので、上手ですねと声をかけたら、日本人ですと。もう中国に20年住んでいますと言われたのには、驚いた。

中国でも活字離れが進んでいて、記事を読んでもらうのは苦労が多いので、ネットで発信していると。

交流のために

とにかく、3人の通訳の方には、食事からホテルの世話まで非常に世話になりました。通訳の石さんは、子供も小さく、4日間、ホテルに私たちと一緒に泊まり込みで世話をされたので、大変だったと思う。

彼女が、何気ない会話で、日本から来る労働組合の方が、中国の歴史問題になると、話題を避ける雰囲気を感じ、悲しくなると言う話しには、共感する物があった。その点、この団は、素直な交流になって、勉強になったと。

中国脅威論は、中国という国を知らない面と、アジア蔑視の日本の考え方から出ている面があり、中国の軍事とか拡大政策とかが、意図的にそういうニュースが流してきている面があると感じる。中国の文化の記事が日本では、殆ど散見できない。

民間の交流の積み重ねが、平和を作る力になると改めて感じた。

(地域労組愛知ユニオン委員長)