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「集会の自由」への侵害、歴史事実の改ざんを許すな!ー「ビザ発給拒否・集会妨害国賠裁判」報告会 (4/18)

「ビザ発給拒否・集会妨害国賠裁判」報告会が4月18日、衆議院議員会館で開かれ、80名が参加した。この日は、東京地裁で証人尋問が行われ、原告が証言した。

報告会は、吉池俊子(アジアフォーラム横浜代表)さんの司会ではじまり、主催者を代表して原告でもある藤田高景(村山首相談話の会理事長)さんが挨拶した。2015年11月に「戦争法の廃止を求め、侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い」を開催した。韓国の徴用工被害者10名と中国の731部隊による細菌戦被害者12名を招聘したが、中国の参加者12名は日本外務省にビザ発給を拒否され、集会に参加することができなかった。戦争法に反対する人間を入国させるわけにはいかないというのが外務省の本音だと思う。この裁判は「集会の自由」の侵害、民主主義破壊の暴走を食い止める闘争である。 続きを読む 「集会の自由」への侵害、歴史事実の改ざんを許すな!ー「ビザ発給拒否・集会妨害国賠裁判」報告会 (4/18)

ビザ発給拒否・中国人入国拒否裁判(4/18)と報告会の案内 (4/1)

村山首相談話を継承し発展させる会の藤田さんから4月18日の「ビザ発給拒否
・中国人入国拒否裁判」と当日18時から衆議院第1議員会館で開催する「裁判報
告会」の参加要請がありましたので転送します。
この裁判に関する理解と関心をお願いします。

伊藤 彰信


いつもお世話になっております皆様へ
いつも村山首相談話の会の諸活動でお世話になっております皆様へ
村山首相談話の会・理事長・藤田髙景(携帯090-8808-5000)

連日のご奮闘に心から敬意を表します。

①いよいよ最大の山場を迎えました4月18日の「ビザ発給拒否・中国人入国
拒否裁判」(4月18日13時30分から東京地裁・大法廷)と
②同日(4月18日)裁判終了後、18時から衆議院第1議員会館で開催する「裁判報
告会」の、ご案内です。(添付資料の最初のチラシを参照下さい)

上記 ①の裁判傍聴と、②の裁判報告会に、ご多忙中、恐縮ですが、万障お繰
り合わせの上、ご出席いただきますようお願い申し上げます。

●詳細のご案内は以下の通りです。

①いよいよ最大の山場を迎えました4月18日の「ビザ発給拒否・中国人入国拒否裁
判、田中宏一橋大学名誉教授と中国湖南省の細菌戦被害者の高鋒さん原告本人尋問が実現)」(13時30分から東京地裁・大法廷

日時 2019年4月18日(木)13時30分~17時00分
傍聴は抽選になりますので、13時00分に抽選の申し込みは締め切られますので、必ず13時00分までに、東京地裁正面玄関にお越しいただき、抽選の申し込みをして下さい。
★場所 東京地裁103号・大法廷

②4月18日裁判終了後、18時から衆議院第1議員会館で開催する「裁判報告会」
の、ご案内です。

★日時 2019年4月18日(木)18時~19時30分
17時30分から、衆議院第1議員会館のロビーで入館証を配付します。
★会場 衆議院第1議員会館・B1・大会議室
※必ず、事前申し込みが必要です。

上記①の裁判傍聴と、②の裁判報告会に、ご多忙中、恐縮ですが、万障お繰り
合わせの上、ご出席いただきますようお願い申し上げます。

●この裁判の意義と経過

この裁判は、2015年11月の27日から3日間、「村山首相談話の会が中心となっ
た実行委員会」が主催して開催した「戦争法の廃止を求め、侵略と植民地支配の
歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い」という国際シンポジウム(添付資料
を御参照下さい。2015年11月に作成したチラシ)を開催しました。私達は、この
国際シンポジウムで貴重な発言を頂くために、①韓国から強制連行・徴用工の被
害者・関係者(約10名)と、②中国から日本軍の細菌戦争の犠牲者の遺族と支
援団体の弁護士・公務員など12名を招聘いたしました。しかし、韓国の侵略戦
争犠牲者はビザが不要で入国できましたが、中国の細菌戦被害者と支援者は、来
日予定の12名全員が外務省によってビザ発給を拒否され、日本への入国ができ
ませんでした。

本件集会は日本が二度と再び侵略戦争を引き起こさないために企画されたも
のであり、中国人細菌戦被害者の発言は本件集会のメイン企画でした。ところが
中国人細菌戦被害者が一人も入国できなくなったため、中国の戦争犠牲者との間
で充実した意見交換を行うことが妨害され、本件集会は「集会の自由」を侵害さ
れ重大な被害を受けました。

そもそも今回の中国人細菌戦被害者らに対する政府・外務省によるビザ発給
拒否は、本来のビザ発給基準を明らかに逸脱した違法な処分です。
同時に、本件ビザ発給拒否は、本件集会の名称に「戦争法の廃止を求め」との文言
があるのを口実に中国の細菌戦被害者が細菌戦の悲惨な被害事実を訴える機会を封
じ、戦争法の廃止を求める表現活動の抑圧を狙ったもので、日本国憲法21条が保障する「集会の自由」を侵害する憲法違反の暴挙です。

万一政府・外務省が今後も今回中国人細菌戦被害者らに行ったような違法な
ビザ発給拒否を繰り返すならば、日本や日本人はアジアの戦争犠牲者の方々との
友好的な交流を行うことができなくなります。

そこで、2016年3月、上記のような暴挙が日本で二度と繰り返されないように
するため、別紙チラシ(添付資料参照。2016年3月に作成したチラシ)に記載し
た日中の6名が原告となって、ビザ発給拒否と憲法21条が保障する集会の自由
を侵害した日本国の責任を追及するため、国家賠償請求の裁判を東京地方裁判所
に提訴しました。

こうした裁判は日本では前例のない初めての裁判ですが、これは「集会の自由」
を守る“自由獲得のための闘い”に他なりません。

●2016年の3月から今日までの裁判の経過は簡単にご報告すると以下の通りで
す。

この3年間で、10数回の裁判をやってきましたが、政府・外務省の基本的立場
は「外国人を日本に入国させるか、させないかは政府の専権事項だ。よって詳細は答える必要は無い」として、私ども原告の質問にも、ほとんど返答を拒否するという態度に終始し、開き直った答弁を繰り返してきました。

そのような経過の中で、東京地裁の裁判長は、私たちが以前から要求してきた
証人尋問について、原告の二人(一橋大学名誉教授の田中宏さんと中国湖南省の細菌戦被害者の高鋒さん)については、ようやく認め、4月18日に、この御二人の原告本人尋問が実現することになりました。しかし、私たちがこの間、強く求めてきた、外務省の担当課長(2015年のビザ拒否事件の直接の現場担当責任者)については、頑として証人尋問を認めようとせず、そればかりか諸情報によると、4月18日の次の裁判である5月17日には、裁判の打ち切りに出てくる危険性が高まってきております。

その意味で、私達が田中宏・一橋大学名誉教授や高嶋伸欣琉球大学名誉教授等
と、安倍政権・外務省を相手にして、2016年から闘ってまいりました「ビザ発給拒否・中国人入国拒否裁判」の最大の山場が、きたる4月18日の裁判となります。

●4月18日の13時30分から東京地裁103号大法廷で開催される、「ビザ発給拒否
国賠裁判」の最大の山場となる裁判に、一人でも多くの市民の皆さんが、監視・傍聴のためにかけつけていただく事が肝要です。
裁判所までもが、安倍政権に「忖度(そんたく)」するような事がないよう監
視・傍聴のためにも、多くの皆さんの傍聴を、お願い申上げます。
なお、当日の傍聴は抽選になる可能性が高いので、抽選受付は、、13時00分
に締め切られますので、ご多忙中、恐縮ですが当日は13時00分までには東京地
裁玄関にお越しいただき、傍聴抽選の申し込みをして下さい。

4月18日の18時から衆議院第1議員会館で開催する報告集会(300人規模)
での発言者は、
田中宏・一橋大学名誉教授
高嶋伸欣・琉球大学名誉教授
③特別ゲストとして政治評論家の森田実さん
④原告である中国湖南省の細菌戦被害者の高鋒さん
⑤弁護団の浅野弁護士、殷弁護士から、戦後の日本社会で、ビザ発給拒
否を真正面から争う、史上、初めての裁判となった、この歴史的裁判の理論的意味・位置づけ等について、詳細な報告がなされます。

その意味でも、大変、興味深い、報告集会となりますので、万障お繰り合わせの上、皆様のご出席をお待ちしております。

●衆議院第1議員会館のロビーでは当日(4月18日)17時30分から、入館カードの配布を行なっております。
●なお、4月18日18時からの集会は ※必ず、事前申し込みが必要です。
●申込先:会場は300名定員です。300名で申し込みを締め切りますので、恐縮ですが、至急、以下までメールでお申し込みを、お願い致します。

村山首相談話の会・Email : murayamadanwa1995@ybb.ne.jp
携帯電話 : 090-8808-5000

参考資料として、①2019年4月18日の集会の案内チラシ(添付資料)、②東京新聞が2018年6月に報道してくれた記事(添付資料)、③朝日新聞の2015年12月1日の論説(添付資料)等を、添付でおくりますので、ご一読いただければ幸いです。

① 2019年3月1日 ★チラシ●最終確定版
② 2019年3月24日 呼び掛け文
③ 2018年06月09日 東京新聞 ビザ拒否裁判の報道記事 
④ 2019年03月20日 ビザ裁判 朝日の論説2015年12月1日 
⑤ 2015年11月 作成のチラシ 
⑥ 2016年3月に作成のチラシ 

若い人に反戦平和の闘いを伝えることが歴史認識を深めるー日本反戦平和記憶国際シンポジウム(3月8日)報告

「日本反戦平和記憶国際シンポジウム」が3月8日、衆議院第一議員会館で開催され、中国・南京から3名の学者をはじめ250名が参加した。

田中宏さん(ノーモア南京の会・東京)が特別報告

シンポは、山口たか(戦争をさせない市民の風・北海道)さんの司会ですすめられ、はじめに主催者を代表して「村山首相談話を継承し発展させる会」の藤田高景理事長が「日本の反戦運動とその記憶を研究してきた林先生を迎えてシンポを開催できることは光栄です。安倍政権は、日本の中国への侵略を認めない、朝鮮半島の植民地化を正当化する。そうではない、平和、護憲、福祉の社会をつくろう」とあいさつした。

連帯のあいさつとして、福山真劫(平和フォーラム代表)さんが「憲法改正発議を絶対に阻止する」と決意を述べ、今後の行動を提起した。また、日弁連の福山洋子弁護士が日弁連の憲法ソング「わたしたちのねがい」を紹介した。

田中宏(ノーモア南京の会・東京)さんが「南京大虐殺を問い続ける意味」と題して特別報告を行った。

シンポジウムの発言者は、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、林敏潔(南京師範大学教授)、香山リカ(精神科医)、葉琳(南京大学教授)、高野孟(ジャーナリスト)、姜勝龍(南京師範大学・博士課程)、木村朗(鹿児島大学教授)、纐纈厚(明治大学特任教授)の8人。

林さんは「日本民間反戦記憶に関する多分野研究」を報告

林さんは「日本民間反戦記憶に関する多分野研究」と題して発言し、「日本民間の反戦資料は反戦平和の呼びかけの貴重な基礎的資源である。日中戦争期の史料を発掘し社会研究の領域を広げ、平和に関する市民的関心を喚起し、日中両国の相互理解を深め、中日友好促進の多様なモメントを形成する」とその研究意義を述べ、文学、メディア、映像、音楽などの反戦記憶の研究、整理、データベース化、日本人青年層の戦争記憶調査、戦争体験者の口述記録整理などのテーマで研究を進めていると説明した。葉さんは「日本戦後文学における反戦記憶研究」について、姜さんは「日本戦後文学からの反戦意識を考える」について発表した。

林敏潔(南京師範大学教授)さん

鳥越さんは「多くの米軍基地が存在する日本はアメリカの支配下にあるといっても過言ではない」、香山さんは「戦争によるトラウマについての研究はフロイトから始まったが、PTSDの概念が出来上がってきたのはベトナム帰還兵からであり、戦争被害者の研究は稀である」、高野さんは「安倍政権は、憲法改正、統計疑惑、アベノミクス、辺野古基地建設、原発、北方領土、拉致問題など、どれをとっても八方ふさがりである」、木村さんは「戦争終結の決断が早く行われていたら、東京大空襲、原爆投下、ソ連参戦、朝鮮半島の分断はなかったろう。植民地主義を清算するチャンスも失った」、纐纈さんは「明治以降、日本は10年おきに戦争してきた。日本は中国に敗北し、アメリカに降伏した。朝鮮戦争は脱植民地戦争だった。中国・朝鮮を蔑視し続ける思想が歴史認識を不在にしている。安倍は、歴史の暗殺者としての権力者だ」と発言した。

続いて、東京朝鮮人強制連行真相調査団、731部隊・細菌資料センター、重慶大爆撃の被害者と連帯する会、朝鮮人強制労働者補償立法をめざす日韓共同行動、安倍靖国参拝違憲訴訟の会から、それぞれの活動について報告があった。

 進藤栄一(筑波大学)さんが総括発言

最後に進藤榮一(筑波大学大学院名誉教授)さんが総括発言を行い「『知識は人間を自由にする』と初代国会図書館館長だった羽仁五郎さんの碑があります。『歴史は人間を自由にする』ことを改めて感じました。歴史を忘却する者は歴史のトラウマにあって反逆される。日本はバブルが弾けて立ち直れないでいる。日米半導体協定が日米安保同盟から逃れられなくした。米中貿易摩擦は同様のせめぎあいである。左派、リベラル派は、経済、外交を語らなければならない。平和とは暴力がない状態を言うのではなく、構造的暴力のない状態、抑圧のない状態をいうのです。子どもの貧困、子どもの虐待が常態化してるではないですか。平和にとって最大の脅威は敵をつくることです。戦争をすすめようとする人間、抑圧を強めようとする人たち、それによる利益を求める者たち、集団、国家がいるのです。21世紀はパックス・アシアナの時代です。3.1独立宣言は日中韓が軸となって新しいアジアをつくろうとした。習近平の『一帯一路』は新しいグローバル・ガバナンスです。国と国の関係は敵をつくる同盟関係ではなく、連結する関係がキーワードです。私たちは、平和なアジアをつくっていこうではありませんか」とまとめた。

<報告と写真・伊藤彰信>

日本反戦平和記憶国際シンポジウム (3/8) へのご案内

連日のご奮闘に心から敬意を表します。
さて、来たる3月8日16時から、村山首相談話の会の主催で、衆議院第1議員
会館で、中国から著名な学者の皆さんを招聘し、日本の各界でご活躍の大学教授
・ジャーナリスト・市民運動家の皆さま方の出席のもと、「日本反戦平和記憶国
際シンポジウム」(添付のカラーチラシを御参照下さい)を、下記の要領で開催
いたします。
大変、中味の濃い、充実した内容の国際シンポジウムとなりますので、ご多忙
中、恐縮ですが、万障お繰り合わせの上、ご出席いただきますようお願い申し上
げます。

村山首相談話の会・理事長・藤田高景(携帯090-8808-5000)

*****************************************************************
「村山首相談話を継承し発展させる会」主催/「国際アジア共同体学会」後援

●●日本反戦平和記憶国際シンポジウム●●

第二次安倍内閣は、防衛費を毎年増加させ続け、2015年には集団的自衛権
の行使容認を含む安保法制を制定して憲法の平和主義を形骸化させようとしています。
現在、安倍首相は2020年の憲法改正で自衛隊を憲法に盛り込み平和主義の核
心である憲法9条2項の「戦力不保持、交戦権否認」を死文化させようと狙っています。
このように日本の政治状況は大変危険な方向に向かって進んでいますが、日本
人の中には政治に無関心な人も少なくありません。その原因は、一つには日本人
が過去の旧日本軍による中国・アジア諸国への侵略と植民地支配という歴史につ
いて教育を受けていなことにあります。
同時に、日本人、特に若者が憲法の平和主義を支えてきた戦後の日本民衆の粘り強い反戦平和の運動を知らないことにあります。
今回、私たちが中国からお招きする南京師範大学の林敏潔教授は、「日本の民
衆の反戦運動とその記憶」ついて研究されています。林敏潔教授は、中国の人々、
特に若い世代に日本での反戦・平和の活動の事実を正確に伝えることは、長期的
に見れば日本と中国の友好と和解と共生に役立つという信念から、地道な研究に
取り組んでこられました。林教授の研究は、実は日本人にとっても極めて重要です。
私たちは、アジアと世界の平和実現をめざし林敏潔教授の日本における反戦・
平和の活動記憶を後世に残そうと言う思いに賛同し、日本の学者・研究者・ジャー
ナリスト・社会運動家が一堂に会し、日本反戦平和記憶国際シンポジウムを下記
の要領で開催する事にしました。多くの皆様方のご出席をお待ちしております。

日時 2019年3月8日(金)16時~19時30分
15時30分から、衆議院第1議員会館のロビーで入館証を配付します。
会場 衆議院第1議員会館・B1・大会議室
※必ず、事前申し込みが必要です。

●申込先:会場は300名定員です。300名で申し込みを締め切りますので、恐縮ですが、大至急、以下までメールでお申し込みを、お願い致します。
村山首相談話の会・Email : murayamadanwa1995@ybb.ne.jp
<mailto:murayamadanwa1995@ybb.ne.jp>
携帯電話 : 090-8808-5000

*日本反戦平和記憶国際シンポジウム案内チラシ

第5次「日中不再戦の誓いの旅」 ~北京、南京を訪問~

2018年12月20日

日中労交訪中団報告

 伊藤彰信

第5次「日中不再戦の誓いの旅」訪中団団長

 日中労交の第5次「日中不再戦の誓いの旅」は、12月11日に出発し、北京、南京を訪問して15日に帰国しました。この旅は、中国職工対外交流センターの受け入れで実現したもので、訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)、副団長=前川武志(日中労交事務局長)、秘書長=藤村妙子(南部全労協事務局長)、団員=渡部公一(前目黒区職労委員長)、広岡浄進(大阪市大人権問題研究センター准教授)、横山貴安基(全港湾大阪支部執行委員)、神部紅(ユニオンみえオルグ)の7名です。

以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。

<北京>

中華全国総工会の看板(毛沢東筆)の前で

12月11日、訪中団は、東京・羽田、名古屋・中部、大阪・関空から北京に着きました。北京空港には、中国職工対外交流センター技術経済交流処の李晶宇さん、石晶晶さんが出迎えてくれました。空港で昼食をとったあと、職工の家(中華全国総工会が所有するホテル)に移動しました。その後、中国職工対外交流センター技術経済交流処の何際霞処長らと懇談しました。

中国職工対外交流センターとの懇談(一番左が何際霞処長)

伊藤団長から「8月に中国職工対外交流センターと日中労交の共催によって日中友好労働者シンポジウムを成功裏に開催できたこと、日中労働者の友好の歴史を学び、日中の労働者が現在のそれぞれの取り組みと課題を紹介し、今後の連携の方向性を確認できたことは、非常に意義あることでした」とお礼を述べ、「安倍首相は、憲法9条に自衛隊を銘記しする憲法改正を何が何でも実現しようとしています。憲法改正問題は歴史認識問題です。今回の訪問を通じて、日本軍国主義が犯した加害行為を知り、安倍が目論む9条改憲を絶対に阻止する決意を改めて固めたいと思っています」とあいさつしました。

新しく着任した何処長は、彭勇秘書長らが出張のため不在であることを謝りつつ、「日中友好労働者シンポジウムは今後の交流の方向を示す意義あるものでした。日本の中国侵略を否認する安倍首相の改憲策動は日中関係にダメージを与えました。しかし、日中平和友好条約締結40周年の今年、中日両国のトップレベルの交流が盛んになっています。このような時期に皆さんが訪中されることは意義深いことです」と歓迎のあいさつを述べました。

そのご、10月に開催された中華全国総工会第17回全国代表大会について、①労働運動の時代的テーマを巡って、広大な労働者を団結させ、主人公として積極的に功績を立てる、②労働者の権益を擁護し、労働者にサービスする、③労働組合改革の3点にわたって説明がありました。(詳しくは別紙中華全国総工会第17回全国代表大会について参照

張茂華総工会書記処書記と記念写真、一番右が何際霞処長
張茂華総工会書記処書記(右から二番目)による歓迎夕食会

懇談会のあと、張茂華・中華全国総工会書記処書記が主催する歓迎夕食会が開かれました。

12日は、午前中、盧溝橋にある中国人民抗日戦争記念館を見学し、午後から高速鉄道(新幹線)で南京に移動しました。

<南京>

南京駅には江蘇省総工会弁公室副主任の高華さんが出迎えてくれました。

江蘇省総工会の歓迎夕食会が催され、朱勁鬆・江蘇省総工会党組書記・副主席、曹海・江蘇省総工会副巡視員が歓迎してくださいました。

朱勁鬆江蘇省総工会党組書記副主席から記念品を受け取る伊藤団長

13日は南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加しました。全国人民代表大会の王晨・常務委員会副委員長があいさつしました。午後は南京大虐殺遇難同胞記念館の本館を見学しました。夜は記念館で行われたキャンドル祭に参加しました。南京の小学生、中学生も参加し、宗教者の祈りなどがありました。今回の訪中団の秘書長を務めた藤村さんらが執筆した「東京満蒙開拓団」を江蘇省総工会と記念館に寄贈しました。

南京大虐殺死難者国家公祭の式場で
キャンドル祭(侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館:祭場)

14日午前は、2015年12月にオープンした利済巷慰安所旧址陳列館を見学しました。中国各地の慰安所、日本、アジアの慰安所の資料が展示されており、日本軍の従軍慰安婦の実態がわかる陳列館です。午後は、明時代の城壁、中山陵、夫子廟を見学しました。

城壁から玄武湖を眺める(右:石晶晶さん、左:高華さん)
城壁からみた鶏鳴寺
392段の階段が続く中山陵

15日は、南京から上海まで高速鉄道を利用し、上海駅から浦東空港まで車で移動しました。浦東空港で昼食をとったあと、夕方の便で成田、中部、関空へと飛び立ちました。通訳として全行程を同行してくださった石晶晶さんには大変お世話になりました。

来年は、日中不再戦の誓いの碑を侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館に建立して10年にあたります。8月に東北(旧満州)の訪問、12月に南京の訪問を計画しています。「お子さんを連れてきてもいいですよ」と言われました。学生の参加を含めて検討したいと思っています。

 写真:神部紅


<関連記事>

「中華全国総工会第17回全国代表大会について」何際霞(中国職工対外交流中心技術経済交流処処長)
「誓い」の碑を前にしてーー藤村 妙子 (東京南部全労協事務局長/東京の満蒙開拓団を知る会共同代表)

 

韓国大法院、三菱重工に元徴用工への損害賠償を命じる(11/30)

昨日、韓国大法院は、三菱重工に対し元徴用工へ損害賠償を支払うよう命じる
判決を下しました。10月30日に新日鉄住金にも同様の判決がありました。
安倍首相は、1965年の日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決した」問
題と述べ、マスコミも同様に韓国を非難する論調を続けています。しかし、韓国
大法院の判断は、日韓請求権協定によって外交保護権も被害者個人の賠償請求権
もいずれも消滅していないというものです。日本政府もいままで個人の損害賠償
権は消滅していないと述べてきました。
弁護士有志の声明が発表されています。また、中国新聞に在間秀和弁護士の記
事が掲載されています。添付します。

伊藤 彰信

盧溝橋事件81周年―「明治150年」の徹底批判! 侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い (7/5)

2018 年7/5(木)18:00~21:00
会場:文京区民センター3階3-A会議室

東京都文京区本郷4-15-14   電話 03-3814-6731

基調講演: 纐纈厚(明治大学教授)
演題:「明治150年」に隠された日本の侵略思想を問う!

資料代: 800円

主催者挨拶: 藤田高景(村山首相談話を継承し発展させる会・理事長)
中国細菌戦被害者の発言: 王選(NPO法人731部隊細菌戦・資料センター共同代表)
総合司会: 市来伴子(杉並区議会議員)

集会の趣旨
今、安倍政権は森友・加計問題の嘘とペテンでガタガタ状態、その政治危機を北朝鮮への圧力継続と中国を仮想敵国にして突破しようとしています。戦争勃発の虞を含む非常に危険な状況が進行しています。
今年7月は盧溝橋事件から81年。1937年7月7日の盧溝橋事件からの中国全土を狙った本格的な中国侵略戦争によって中国は軍民あわせて2千万人の犠牲者を出しました。私たちは今こそ中国侵略の誤りから歴史の教訓を学び、安倍政権にNOを突きつけるべきです。
現在の日本の政治と軍事の実相を学ぶために、その領域の研究の第一人者である纐纈厚明治大学教授(前山口大学副学長)の講演会を開催します。皆さまのご出席をお待ちしております。

代表呼びかけ人
田中宏(一橋大学名誉教授)
西田勝(植民地文化学会代表・文芸評論家)
内海愛子(恵泉女子大学名誉教授)
高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)
山田朗(明治大学教授)
鳥越俊太郎(ジャーナリスト)
高野孟(インサイダー編集長)
前田朗(東京造形大学教授)
藤田高景(村山首相談話の会・理事長)

主催:村山首相談話の会
TEL: 090-8808-5000(藤田)
Email:murayamadanwa1995@ybb.ne.jp

★案内チラシ 180705明治150年批判チラシ

日中労働者交流協会 第4次「日中不再戦の誓いの旅」 報告(3)  相沢瑞男

私は、日中労働者交流協会の第4次「日中不再戦の誓いの旅」訪中団の一員として、2017年12月11日から15日まで、中国を訪問して来ました。

中華全国総工会との交流

中国職工対外交流センターとの交流

12月11日、羽田から北京に向かいました。飛行機が中国大陸に入ると窓からは、PM2.5と思われる黄色い空気の層が見え、予想はしていたが相当なものだなと感じ、これからの中国での生活に不安を予感させました。しかし、北京が近づくにつれて空気が澄んできて、きれいな青空が見え不安が杞憂だったと感じました。あとで、通訳をしてくれた石さんから聞いた話しでは「北京市では、冬場の石炭による暖房を取りやめ、集中暖房方式をとることにより、空気が清浄化され心配がなくなった。」とのことでした。事実、石さんが持っていたスマホでPM2.5の値を見てみると、14で東京と変わらない状況に安心しました。
予定時間より30分ほど送れて、12時ごろ北京空港に到着しました。空港には、総工会から査良青さんと石晶晶さんが出迎えてくれました。私は、30年前に平壌に行くために北京に立ち寄りました。その時は、空港建設中で大混雑していて、空港から中心街に向かう道も高速道路などなく自転車があふれていて混沌としているなという印象でした。それが今回は、空港は洗練された大空港で、道路は高速道で片道4車線で目を見張るものでした。
40分ほどで総工会本部に到着しました。本部ビルには、3つのホテルが併設されていて巨大組織なんだということが理解できました。休憩のあと、総工会と交流を持ちました。
16時から総工会の会議室で本部の彭勇秘書長以下7名の方々と交流をしました。緊張して参加しましたが、中国総工会の方々はとても友好的で、しかも全員が日本語を流暢に話していて、日本で交流しているのと変わりない状況でした。
始めに、日中労働者交流協会の伊藤彰信団長より「日本軍の南京大虐殺から80年の今年、私たちはしっかり改めて学習するために、日中不再戦の旅を企画した。安倍は二枚舌を使い憲法9条の改悪を狙っている。沖縄の先島諸島に自衛隊を配備して東アジアの緊張を高めている。10月の総選挙では自公の圧勝でしたが運動の後退とは考えていない。憲法9条の改悪を許さない闘いを強めたいと考えている。」と挨拶をしました。

総工会からは彭秘書長が「皆さんを熱烈歓迎する。北京・天津・南京で有意義な交流をして、中日の交流を強め、過去の歴史を直視し未来への発展へ繋げていきたい。今年は中国共産党第19回大会があり、その報告をしたい。大会では、習主席より中国の最新状況と未来への課題が報告された。そして、中国の特色ある社会主義と小康社会の全面的決戦の勝利をめざすことを採択した。それで『革新、開放、発展、調和、みどり』を旗印に人民生活の格差をちぢめる。そのことで環境にやさしい美しい社会主義の実現を達成する、ことを決定した。
また、歴史を振り返ると中日間には3000年の関係がある。2000年間は友好の歴史だったが、清日戦争からの50年では、中国は侵略され、大きな被害を受けた。日本は広島・長崎に原爆が落とされ、唯一の被爆国としての被害国としての側面を強調してきた。しかし、中国をはじめとする東アジア諸国への加害国としての側面は隠してきた。この両方の歴史を直視し、これから両国が平和で友好関係を継続するためには、若い世代のシンポジュームなどを開催することが大切だと考えている。協力していきましょう。」との歓迎の言葉がありました。その後、双方自己紹介など有意義な交流ができました。

中国職工対外交流センターの歓迎宴

交流後は、ホテルの夕食会場に移動し、総工会から歓迎の宴を催していただきました。

在日殉難烈士老工記念館見学

次の12日は、天津の在日殉難烈士老工記念館を見学するために、北京を後にしてバスで向かいました。北京から天津までは、耕地が広がり中国の広大さの一端を垣間見ることができました。高速道を3時間程かって記念館に到着しました。

中国殉難烈士記念館入口

在日殉難烈士労工記念館(今後は記念館と記)は、中日戦争時に日本軍により4万人ほどの人々が強制連行され、主に日本の鉱山などで過酷な強制労働を強いられた歴史を記録する施設であり、日本で虐殺されたり病死したりした同胞を慰霊する施設でした。記念館は以前、天津港近くにあったそうですが、より充実したものにするために現在地に2006年に移設したそうです。記念館内部の展示は、1931年からの戦争・強制連行・抗日闘争・帰国、遺骨帰還・賠償請求などの歴史を6つのコーナーに分けられ誰もが理解できるように展示されていました。
また、当時の人々がどのような所に押し込まれていたのかも理解できるように「寝床」なども再現されていました。説明文は中国語の下に日本語・英語でも書かれてあり、日本人にとっても理解しやすいものでした。その中には、日本の教科書記述の変遷・改悪状況にも触れてあり、日本のことを研究して記録されていると感じました。

花岡事件記念碑

その中で、私は秋田花岡鉱山での蜂起暴動についての展示に興味がひかれました。展示を見て、私の花岡事件についての理解は皮相的なもので浅いんだなと反省させられました。それにしても、強制連行にかかわった企業が現在も大手ゼネコンとして君臨している日本の状況に怒りそして暗澹とさせられる気持ちになりました。見学には、天津市の総工会の方々に付き添っていただきました。見学後の市内見学にも同行をしていただき感謝のしようがありません。

昼食後、天津駅から高速鉄道(新幹線)で南京に向かいました。駅では、日本の空港のように厳しいセキュリティーチェックがあり、常に警戒を怠らないんだなと感じました。列車の中では、東京清掃労組OBの押田さんと同席になり、押田さんがインドやバングラデシュで清掃労働のあり方を交流していることなどの話を聞きました。私などには真似のできない活動をしている人がいるんだと感心しました。列車は時速300kmで4時間以上かかり、中国の広大さをあらためて感じました。南京駅には江蘇省総工会の高華さん、朱輝さんが出迎えてくれました。夜にもかかわらず申し訳ない限りでした。

南京大虐殺遭難者国家公祭儀式参加

13日は、1937年12月13日に日本軍が南京に侵略し30万人の中国人民を虐殺した日です。以前は南京市主催で行っていた追悼儀式を4年前から国家公祭として国主催で行い、世界遺産登録を行っているとのことでした。10時からの国家公祭ですが、1万人追悼儀式ということで、緊張して6時前には起きて、開会の2時間半前にホテルを出発しました。南京市内の様子はどこにでも見られる通勤の様子でしたが、道々には「国家公祭」の黒い幟が並び、警備の警察官がそこここに警戒していて、追悼儀式の日なんだと理解できました。それもそのはずで、儀式には習主席をはじめ中国の政府関係要人が出席すると言うことで厳戒態勢になっていました。

国家公祭儀式場

国家公祭の会場は、「南京大虐殺遭難者同胞記念館」の広場で、会場近くには出席者が乗った多くのバスで渋滞でした。私たちは、大阪の銘心会の方々と一緒のバスでした。会場に入るには、空港以上のセキュリティーチェックがあり、パスポート・貴重品以外、携帯・カメラなど一切の物の持込が禁止されていました。会場に入ると、前列には各国大使館員、小中学生、警察・軍隊の学生、市民がきちんと整列していました。私たちは、中ほどに整列し周りには、日本からの参列者も多数見受けられました。
その中で、私の隣には、熊本からの参加者の一人が「父が日本陸軍第6師団の一員として南京侵略に関わっていた。父はそのことを克明に日記に残していた。私は父が生きていたとき、どうして虐殺なんかしたんだ。中国の人たちにどう謝罪するんだ。と責め続けた。父はなにも反論をしなかった。」と語り「私はとても南京を訪問できるとは思っていなかった。しかし、日記が何かの役に立つかと考えて記念館に連絡をした。そしたら、ぜひ寄付をしてほしい。国家公祭にも参加してほしい。と言うことになり、今日来ている。」と話してくれました。日本からもいろいろな経過、思いを持って参加している人がいるんだと思いました。
儀式は、10時にサイレンの合図で黙祷し、国歌斉唱で始まりました。儀式では、習主席が演説をすると思われていましたが、兪政治局員が行いました。要旨は「歴史を銘記し、烈士をしのび平和を愛し、未来を開く中国人民の堅固な立場を示し、平和的発展の道を歩む崇高な願いを厳かに表明する。」と言うものでした。話は横道にそれますが、南京で宿泊したホテルは元名鉄資本で作られたとかでスタッフの中には、日本語ができる方もいました。また、部屋のテレビではNHKの国際放送が入っていて、日本語が聞こえることで安心もしました。そのNHKのニュースで要旨を説明し、習主席は日本に配慮して演説をしなったのではないかと解説をしていました。おごそかな儀式は、大きな花輪の顕花、平和の象徴の鳩の放鳥などがあり40分程で終了しました。
その後、ホテルに戻って休憩して、午後は記念館の見学をしました。

日本軍南京大虐殺遭難者同胞記念館見学

南京大虐殺記念館入口

13日午後は記念館の見学をした。記念館は、国家公祭のため閉鎖されていましたが、外国人には解放するということで、ゆっくり見学することができました。記念館は国家公祭が行われた広場の地下に展示室が作られていて、少し暗がりの状態での見学でした。展示室はいくつものコーナーに分けられていて、中国語の下に、英語・日本語の解説がつけられていて日本人に理解しやすいように工夫されていました。展示内容はとても1・2時間では見つくせない内容で、当時を再現したコーナーや遺品、そして遺骨もありました。また数箇所には、欧米のマギー牧師らが隠れながら撮ったフィルムが上映されていました。とても正視できない内容でしたが、しっかりと見て心に刻んできました。
この映像こそ「南京大虐殺はなかった」なんて言っている、安倍をはじめとする日本会議の人にこそ直視してほしいものだと強く思いました。また、私たち日本人は過去の歴史としてではなく、憲法9条が改悪されるかもしれない今だからこそ、訪れて見学する必要があると思いました。見学には、欧米の方々も多くいました。見学の後、
記念館の庭に、2009年に日中労働者交流協会が設置した「日中不再戦の誓い」の碑を見学しました。あらためて、日中ばかりでなく世界の平和・友好発展を誓いました。
夜は記念館の中庭でキャンドル祭がありました。南京の市民・小中学生と共に南京大虐殺時の生存者、家族、マギー牧師やシーメンス社の南京支社長だったジョンラーベさんのお孫さんたちも出席していました。また、日本からの仏教僧侶の方々の読経などがありました。

 利済港「慰安所」旧址陳列館見学

利済港「慰安所」旧址陳列館

14日は朝から冷たい雨でした。「慰安所」見学の涙雨かと思いました。
「慰安所」は利済港近くの路地の奥まったところにありました。ここでも入場するときは厳重なセキュリティーチェックがありました。また、入場制限があり一日に200人まで、14歳以下は入場禁止にしているとのことでした。1945年、日本軍が敗走したあとは、中国の一般人民が住居として使用していたために、存在は知られていましたが確認はできていなかったそうです。しかし、2003年韓国人「元慰安婦」の朴さんが南京を訪れた際、この場所を確認してその存在が確定されたとのことでした。その後、整備され2015年から「南京利済港慰安所旧址陳列館」として公開しているそうです。内部は、6畳ほどの小さな部屋がいくつも並び、いくつかには逃亡ができないように屋根裏に寝起きする場所を作り、夜は登るはしごをはずすしかけを作っておく「周到さ」でした。さまざまな生活用品とともに軍の通達文書、検査器具なども展示してあり、日本軍が管理・経営していたことは明らかです。

旧慰安所の説明

安倍などが「韓国旧慰安婦」問題で「日韓合意」云々「なんど謝ればいいんだ」など暴言を発していますが、気持ちのない言葉だけの謝罪はなんどしても意味がありません。安倍には「ここも見学しろ」と言いたいと感じました。

江蘇省総工会との交流

14日の「慰安所」見学の後、江蘇省総工会の本部ビル会議室で井良強江蘇省総工会副主席をはじめとする7人の方々と交流をしました。交流には、教員関係の工会(教職員組合)から江蘇省特殊教育師範学院から2名の教員の方が参加していました。私も障害児学級担任をしていたこともあり、中国の障害児教育に興味がありました。
始めに井副主席から「日本から、国家公祭の日に南京にこられた皆さんは、友達であり感謝している。このような友好から、中日関係の友好発展に寄与されることを願っている。江蘇省は中国東南に位置し人口8000万人で、発展レベルは高い。全国でも重要な所となっている。長い歴史、重要な位置で経済も発展している。また、文化、観光の地としても有名である。総工会は全国組織の支部であり、会員は2300万人になっている。そのうち女性は960万人である。中国共産党指導のもと、19回代表大会の習主席の理論を堅持して取り組み豊かな成果をあげている。
日本は、第2次世界大戦時、誤った教育のため大きな犠牲をアジア諸国にもたらした。安倍など右翼勢力は歴史をゆがめている。道徳が子どもたちに正しい方向を示さなければ、未来はありません。幸いなことに、日本には皆さん方のような正しい運動をしている方々がいる。このような行動が、両国人民の友好関係の未来が正しい道に進むことを確信している。中国は改革開放政策で大きく発展をした。この発展は日本にとっても、大きなチャンスとなる。だから、中日は協力と友好に努め、中国の発展は日本を脅かすものではなく、共に発展する有意義なものとなる。」との歓迎の挨拶がありました。
そのあと、孫教育科技工会副主席から江蘇省の特殊教育事情の説明がありました。「江蘇省特殊学校は101校あり、13000人あまりが学習している。視覚・聴覚・知的・その他に分けられていて独立した学校になっている。小・中学校の入学率は96%で20あまりの高校もあり600人が通学している。教育レベルは高く、特殊教育システムの一層の向上を目指している。」との話がありました。その後、日中教育状況の交流になり、福元沖縄高教組委員長から「日本では、教員の長時間労働、精神疾患が大きな問題になっていること。」などの報告をしました。それに対し孫副主席から、「中国では、教員には残業と言う概念はない。子どもを教育する特殊な仕事で、中国でも朝から夜まで一生懸命働いているが、使命と考えている。」と「ただ、日本の問題を聞いたが、将来的には中国の問題ともなり得る。検討をしておかなければと思う。」との話がありました。その後、教育問題から障害者・人種差別の問題の話になりました。最後に、伊藤団長より「差別の最たるものが戦争だ。世界から差別・偏見・蔑視をなくし平和な世の中にしましょう。」という言葉で交流が終わりました。そのあと、江蘇省総工会の皆さんからの歓迎の宴を開いていただき、楽しい有意義な交流ができました。
今回の交流では、全国総工会の石晶晶さんには、北京から通訳ばかりではなく私たちの生活全般にわたりお世話いただきました。南京では、江蘇省の高華さん朱輝さんに大変お世話になりました。

相澤瑞男(宮城県教組OB)
掲載写真も筆者撮影

<参考>
▽ 第4次「日中不再戦の誓いの旅」報告(1)伊藤彰信
▽ 第4次「日中不再戦の誓いの旅」報告(2)渡辺学

第4次「日中不再戦の誓いの旅」報告(2)・渡辺学

侵略の歴史と戦後の日中友好運動の長い伝統を認識

渡辺学(全労協青年委員会代表・全国一般南部支部)

 個人的にもはじめての中国訪問でしたが、今回の日中不再戦を誓う旅(第4次「日中不再戦の誓いの旅」2017/12/11~15)に参加できて本当によかったです。南京大虐殺から80年目の12月だったということ、安倍政権が憲法9条改悪を具体的な政治日程にあげてくるなかで、かつての日本軍による侵略の歴史と戦後の日中友好運動の長い伝統を感じ、その大切さを認識することができました。

 <天津の在日殉難烈士労工祈念館>

在日殉難烈士労工に供花(2017/12/12 天津)

2日目(12/12)に訪問した天津の在日殉難烈士労工祈念館の展示は驚きと怒り、感動がありました。花岡事件など強制連行されてきた中国人労働者の暴動決起。残虐な弾圧。戦後補償を要求した裁判闘争と日中の連帯。中国共産党の支部を建設して活動した労働者もいたとのこと。
そのたたかいに決起した労働者たちはどんな気持ちで、どんな計画で活動していたのか?知らないことばかりです。あらためて勉強し直してみたいなと思いました。
中国人労働者の強制連行にサインをしたのは東条英機内閣の商工相・岸信介でした。安倍首相が尊敬してやまない祖父です。閣議決定によって強制連行された中国人労働者は日本の鉱山や港湾、工場、土建などの現場で奴隷労働を強いられました。かつて、山谷や釜ヶ崎などの寄せ場で活動した船本洲治(1945-75)が「われわれは強制連行された朝鮮人労務者・中国人労務者の中に労務者としての歴史的・普遍的な運命をみる」を言いましたが、労働者・労働組合として、戦争責任や戦後責任を考える時に重要な視点であることを再確認することができました。
その労働者の帰還運動や遺骨返還運動を1953年から行ってきたのが、日本赤十字や宗教団体、炭労や全港湾などの労働組合だったそうで、日中労働者友好運動の原点のひとつだという言葉が心に残りました。

 <南京大虐殺国家公祭>

南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加した団員(2017/12/13 南京 )撮影:渡辺学

3日目(12/13)は南京大虐殺国家公祭に参加しました。習近平主席ら中央政府要人が来ているというので、警備はものものしく、参加者も兵士や人民解放軍の幹部候補の学生、警察の幹部候補の学生などが多く、まわりを固めていて、個人的にはいやな雰囲気でした(笑)。毎年そういうわけではないようです…。
そうしたなかで、式典は大虐殺の幸存者(生存者)の方たちも参列し、厳かに儀式が行われました。今年は習近平主席は演説はせず、政治協商会議全国委員会の兪正声主席が演説しました。安倍政権発足以来、ようやく好転しつつある日中関係に配慮したもののようです。当時、南京に滞在していたジョン・マギー牧師やジョン・ラーベの孫も参加していました。日本からも地道に日中友好運動と南京大虐殺の真相究明に取り組んできた団体が参加。わたしたちもその一団でした。現場で何名かの知り合いと再会できたことも偶然でうれしいことでした。ニュース映像にもたくさん登場したようです。2014年の習近平演説は日本語で読むことができますが、日本軍国主義と日本人民を分けて考える姿勢を堅持しつつ安倍政権に釘をさしています。夜はキャンドル祭が南京市内の各所で開かれました。わたしたちは記念館のキャンドル祭に参加しました。日中の宗教者たちが祈りを捧げていました。

南京大虐殺記念館で行われたキャンドル祭(2017/12/13 南京)撮影:渡辺学

 <中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館>

南京大虐殺記念館内の展示(2017/12/14 南京)

国家公祭とキャンドル祭の間、午後の時間帯に中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館を見学しました。南京大虐殺犠牲者の遺骨発掘現場に建てられた施設です。ちょうど80年前、南京攻略戦(包囲―殲滅戦)の過程で、あのすさまじい民衆虐殺を行ってしまった日本人の子孫として、二度と侵略戦争をさせないとあらためて決意しました。
一方で、資料館のなかには「国が弱く、軍隊が弱かったからこうなった」という趣旨の「歴史の教訓」もあり(大多数は世界の人々のと平和友好の先頭に立とう、というものでしたが)、複雑な気持ちになりました。しかし、安倍政権の「戦争する国」づくりは、中国政府からみたら、「人民を守る強い国家・軍隊」が必要だということになってしまうことはたしかです。資料館は中国共産党直轄の施設なので、その時々の情勢によって展示内容が変わります。そういう意味でもろに「政治的」なのです。
80年前、7月7日にはじまった 日中全面戦争。8月に、上海から南京(約300キロ)への本格的な進撃を開始した日本軍は、中国側の猛烈な抵抗に苦戦し、4ヶ月後にようやく南京を占領(12月13日)。宣戦布告はなく、「北支事変」「支那事変」と、わい小化して呼ばれました。さらに、戦争遂行の目的は「暴支膺懲」などとされ、「暴戻支那(ママ)ヲ膺懲ス」(暴虐な中国を懲らしめよ)と、近衛文麿首相が声明を出しました。

南京大虐殺記念館内の展示(2017/12/14 南京)

当初の日本軍の作戦計画は、上海付近の中国軍を撃破するというものでした。ところが、3ヶ月の激戦の末に、上海の戦線を突破し中国軍が後退をはじめると、功にあせった現地司令官たちは南京入りを競い合って、次々と陸軍参謀本部が設定した「制令線」(指揮命令線)を越えていきました。そのため、南京に急進した各部隊はじゅうぶんな後方補給施設をもたず、食糧などを徴発=略奪でまかないました。すでに、上海~南京の300キロの地域で、日本軍は略奪、虐殺、レイプ、放火などを行っていました。そして、日本軍は南京を完全包囲し、殲滅戦を行いました。12月12日に南京防衛軍の唐正智司令官は南京を脱出。日本軍は南京を占領し、そこから2ヶ月に渡って、国際法で禁止されている捕虜の集団虐殺、非戦闘員への虐殺、レイプや放火、略奪をしていきました。

 <まごうことなき侵略戦争であった>

これが歴史の事実です。中国側は犠牲者を「30万」としていますが(これはこれで根拠がある)、1人だろうが、100人だろうが、1万人だろうが、外国から押し寄せてきた軍隊が捕虜や非戦闘員を殺せば虐殺です。南京大虐殺の事実は、沖縄戦などとならび、日本軍=神聖な天皇の軍隊の正統性を根本からゆるがす汚点です。だから、日本の極右勢力は「あれはまぼろしだった」などと歴史を歪曲するのに躍起です。歴史教科書からも抹消していきます。
当時から、国際世論はこの日本軍の蛮行を非難していました。しかし、日本政府は厳しい言論統制、報道統制を敷き、日本国民にこの事実を知らせないようにしました。多くの日本人は「南京陥落」を喜び合い、提灯行列までしました。歴史を直視し、あの戦争が日本による「正義の戦争」「解放のための戦争」では絶対になく、まごうことなき侵略戦争であったことを対象化していきたいと思います。

 <日中不再戦、日中平和友好、反覇権の誓いとともに…>

日中労交(日中労働者交流協会)が建立した南京大虐殺祈念館の敷地内にある碑文にある「われわれは1931年および1937年を契機とする日本軍国主義の中国侵略戦争を労働者人民の闘争によって阻止し得なかったことを深く反省し、南京大虐殺の犠牲者に対して心から謝罪するとともに、哀悼の意を表し、ご冥福を祈ります。
われわれは、日中不再戦、反覇権の決意を堅持し、子々孫々、世々代々にわたる両国労働者階級の友好発展を強化し、アジアと世界の平和を確立するため、団結して奮闘することをあらたに誓います」という誓いをかみしめました。

 <利済巷慰安所旧址陳列館>

利済巷慰安所旧址陳列館(2017/12/14 南京)

4日目(12/14)は南京市内にある利済巷慰安所旧址陳列館へ。ここで慰安婦として働かされていた女性の証言をもとに「南京市内の慰安所」として使われていたこの場所を「再確認」し、資料館とした場所です。アジア太平洋地域やヨーロッパなどに住む元日本軍慰安婦の被害女性たちの記録や2000年の女性国際戦犯法廷などの展示が充実していました。日本右翼の襲撃訪問を警戒してか、入場にはパスポートが必要で、ライターなども受付で預けなくてはなりません。ここも多くの人に訪問してもらいたいです。案内してくれた女性たちも「とても辛い場所なので自分からは行きたくはない。それでも来れてよかった」と言っていました。

 <若い世代に歴史を継承していく学習や議論を>

今回の訪中で、あらためて歴史認識を確立することの大切さを痛感しました。そのためにわたしたちやわたしたちよりもっと若い世代に歴史を継承していくための学習や議論を重ねていくことが求められていると思います。また、同世代ふくめて「中国の人たち」と語り交流したことも大きな財産になりました。この人たちやこの人とつながる人たちと戦争するわけにはいきません。

天津ー南京の高速鉄道車内での渡辺学さんと通訳の石晶晶さん

通訳兼ねて同行してくれた女性は、わたしとほぼ同じ年頃の子どもがいます。出張で家を留守にしているため、夜は中国版・lineでビデオ通話をしていました。北京や南京など、都市部では保育園不足が深刻で本当に困ってる早期に改善しなければ、と意気込んでいました。 わたしより少し若い彼女は、偽「満州国」のあった黒竜江省に実家があり、友だちには残留孤児の孫もいたそうです。天津から南京に向かう高鉄(新幹線)の中で少し話し込むことができました。中国共産党第19回党大会決定についてもレクチャーを受けました(笑)。北京市内の大学に進学し、「日本語をいかせる仕事を」と中華全国総工会に就職したそうです。こちらが答えにくい質問をしても誠実に、丁寧に、自分の言葉で答えてくれました。
彼女によると、習近平はたたきあげの苦労人だと。前の胡錦壽が共青中央からはじまったのに比べて、習近平は父親が抗日戦争や国共内戦で活躍した将軍だったのが、文革で農村に追われ思春期を労働改造所のような学校で過ごしたと。そして、地方の村の党の書記となり、下層の民衆と共に活動した経験があり、厦門市長の時は中央政府の要人が来た際の贅沢な接待を禁止し汚職をなくそうと努力した人だと評価していました。
中国共産党や中国政府のことを、「あれは社会主義ではない」と切って捨てるのはたやすいことですが、事はそう単純ではないようです。多くの人口と民族を国土に抱え、生活水準をあげるために改革・開放を打ち出し30年。アメリカの歴史的後退のなかで、中国が大国として台頭しようと挑戦してきたのがこの20年近くの経過ではないでしょうか。日本のわたしたちの側も激動する東アジアのなかで、どのような具体的・現実的な政策を打ち出し、磨き上げて、人々に訴えていけるか問われているんだと思います。それぞれの現場で四苦八苦しているところですが…。

 <日本社会の歴史認識・社会認識は歪んでいる>

あらためて、日本社会の歴史認識・社会認識は歪んでいるのだと思います。
日本は皇帝のいる国です。ここは中国との大きな違いです。2018年を明治維新150年などとはしゃぐようですが、アジア太平洋地域を侵略し、国内の民衆からの搾取・収奪をほしいままにしてきたのが日本帝国主義です。1945年8月15日に帝国主義間戦争に敗れた後、東西冷戦が東アジアに波及したこと(中国革命と朝鮮戦争)を受け、戦前からの支配層が政治・経済・教育・メディア・軍事・警察などの機関に復帰してきました。そうした人々はアジア蔑視・敵視を継続させながら、「鬼畜米英」のアメリカを最高位の同盟国とし、沖縄を犠牲にし、アジア地域に経済侵出しながら高度経済成長を続けてきました。このなかでつくられてきた日本人の精神構造は、象徴天皇制に支えられつつ、とても陰湿なものとして醸成されてきたのではないでしょうか。

江蘇省教育技術工会との懇談(12月14日 南京)

4日目(12/14)の夜、南京で白酒(パイチュ)をとにかく大量に乾杯して、杯を乾かすために(苦笑)とにかく飲み続けました。おかけで最終日は夕方までひどい二日酔いでした。南京~上海までのマイクロバスでの車中はそれはそれは大変でした。旅の恥はかき捨てとばかりに迷惑うぃかけまくりました。それから、お土産の「爆買い」もしました。もう二度と中国人観光客のことを悪く言いません。
歴史学習、日中友好運動お歴史の重みと世代継承、そして中国というスケールの大きなひとつの社会を旅し、交流ができました。お世話になったすべてのみなさんに感謝申し上げるとともに、これからの運動の実践の中でその恩を返していきたいと思います。

(写真提供:団員 押田五郎-清掃・人権交流会会長)

トップ写真:井良強江蘇省副主席と握手する渡辺団員(12月14日 南京)

<参考> 第4次「日中不再戦の誓いの旅」~北京、天津、南京を訪問~ (2017/12/21)

中国人強制連行に関する院内集会(11/27)

日時 2017年11月27日(月)午後2時~4時
場所 衆議院第一議員会館 地下1階の部屋(変更になりました) (会館入口で通行証をお渡しします)
・国会議員の挨拶
・弁護団と支援団体の報告
・三菱マテリアル和解当事者中国人被害者が来日・出席!
講演 強制連行事件の全体解決と歴史的意味 ―ドイツとの比較で―(仮題)
講師 石田 勇治 (東京大学大学院総合文化研究科教授)

 1942年11月27日、当時の東条内閣による「華人労務者内地移入に関する件」という閣議決定がなされてから今年で75年になります。この決定による日本軍の武力による中国人の連行は38,939人におよびました。
日本各地の35企業、135ヶ所の事業場で奴隷労働を強いられ、過酷な労働と劣悪な待遇の中で6,834人の中国人が命を失いました。
被害者中国人は10年に及ぶ日本での裁判を闘い、請求は退けられましたが、事実認定と当事者による解決を促す「付言」つき判決を勝取り、西松建設につづき昨年は三菱マテリアル(旧三菱鉱業)事件の画期的な和解も成立させました。
しかし、強制労働を強いた他の企業は未だに事件解決に向きあおうとせず、日本政府は国策で行ったのに、全く解決に動こうとしていません。
75年の節目の年に、中国人強制連行事件の全面解決に向けた運動を前進させるための院内集会を開催いたします。
みなさまのご参加をお願いいたします。

主 催:中国人強制連行事件の解決をめざす全国連絡会
中国人強制連行事件全国弁護団
連絡先:わかばの風法律事務所 FAX :: 03-3357-1788

「中国人強制連行の全面解決を! 院内集会」チラシ