邵莉娜さんと夫の張振侖さんを招き「和解を導いた力part6」集会を開催
【広島】10月17日(土曜日)、広島市中区の広島弁護士会館で「広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会(継承する会)」が主催した「和解を導いた力集会part6」が開催されました。
広島県山県郡安芸太田町にある安野発電所は、1944年に日本に強制連行された中国人360人が、45年の敗戦までの期間に過酷な労働を強いられて建設された発電所です。

第1部:遺族・邵莉娜さん夫妻を迎えて
今回、その苦難を体験した邵義誠さん(2018年逝去)の娘の邵莉娜さん、その夫の張振侖さんが来日されたので、第1部では、遺族から見た邵義誠さんの人となりなどについて語ってもらいました。
邵義誠さんは、1944年7月に関東州(当時)の大連駅で汽車を降りた際、日本人に雇われたヤクザ風の中国人の男たちに捕まり、しばらく一室に幽閉された後、貨物船に乗せられて強制的に広島県の安野に連行されました。
翌月から大田川に入って石を拾い、トラックに積むという作業をしましたが、疥癬に罹ってしまい、体調不良に苦しんだものの治療は一切なかったそうです。
そして、翌45年3月には、病気やケガのために働けなくなった者が集められ、下関から船で天津港に行き、放り出されるような形で中国に帰国しましたが、その生活は苦しく、無理やり兵士にされたり(脱走3回)、一時期は物乞いをしながら路上生活をしたと証言していました。

そして、52年に戸籍を回復させて定職につき、結婚をして3人の子どもを設け、ようやく生活が安定しました。
96年には、河北大学の調査で安野の生存者であることが分かり、原告となって来日し、当時、安野発電所の建設工事を請け負っていた西松組(現西松建設)を相手に広島地裁に提訴したのです。
一審では敗訴し、控訴審の広島高裁の二審では逆転勝訴したものの、最高裁では再び敗訴となりましたが、西松建設との和解を勧める文言が判決文にあったこともあり、2009年に被害者に2億5000万円を支払うという和解が成立。それを基に西松安野友好基金が設立され、安野発電所前に「安野中国人受難之碑」が建立されることになりました。
登壇した娘の邵莉娜さんは、西松建設との和解について、「父はとても喜んでいたし、私も嬉しかった。決して容易なことではなかったが、長年支援してくださった日本の皆さんに感謝したい」と会場の参加者に語り、深々と頭を下げていました。
そして、「私は明日初めて父が過酷な労働を強いられた所に行く。気持ちはとても複雑だが、円満に気持ちの区切りをつけたい。だから追悼式を楽しみにしている」とも話しています。
また、邵莉娜さんの夫の張振侖さんは、「96年の河北大学の調査の後、義父が初めて強制連行の話をしてくれた。日本が中国を侵略したのは知っていたが、身近な人がそんな体験をしていたので驚いた」と話し、その後に訴訟団を率いて何度も来日したことに触れて「和解成立後、来日して安野の受難碑の除幕式に義父と出席し、改めて強制連行された中国人の尊厳を取り戻し、この出来事を永遠に刻むことが出来て素晴らしいことだと思った」と語っていました。
第2部:控訴審判決と新美隆弁護士
短い休憩を挟んで、第2部では、控訴審判決で勝訴となった新美隆弁護士(2006年逝去)について、足立修一弁護士が「控訴審勝訴判決を導いた新美隆弁護士」と題した講演を行ないました。
足立弁護士は、「安野発電所の建設を請け負った西松建設による中国人強制連行裁判の控訴審、広島高裁での勝訴判決を導いたのは、ひとえに新美隆弁護士の尽力によるものです」と述べ、「新美弁護士は、02年7月9日の広島地裁での一審判決の敗訴後、控訴審から西松裁判の弁護団長に就任されたが、もともと、2000年11月の秋田県花岡鉱山への強制連行事件で鹿島との和解を成立させることをけん引した方です。確かにこの和解を巡っては、議論もありますが、歴史的な意義は否定できませんし、その後の西松建設や三菱マテリアルにおける中国人の強制連行問題についての和解に繋がりました」と語りました。

そして、「花岡事件の裁判では、強制労働の現場において企業側が負うべき安全配慮義務についての法論理をローマ法やドイツ民法などの経緯に遡って議論を展開し、使役する者、つまり、鹿島が安全配慮義務を負うことを説得的に論じて和解に至りました」と説明し、「この方法を西松建設にも適用させ、控訴審では、詳細な事実認定をした上で、原告側の全面勝訴となりました。西松建設の時効主張を権利の濫用として、時効による損害賠償請求権の消滅を認めさせず、時間の壁を崩した判決だったのです」と、その成果を強調しています。
その後、「花岡和解と西松控訴審判決の歩み」と題した、新美隆弁護士の長崎での講演の映像を放映し、新美隆弁護士をよく知る人たちが、次々と登壇し、故人を偲んでいます。
第19回 中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い
翌18日(日曜日)には、広島市内から北に20キロ離れた安芸太田町の安野発電所で、「19回目中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」が行なわれ、約70人が参加しました。
まず参加者全員で黙とうし、続いて主催者を代表して、継承する会の代表世話人である足立修一弁護士が、「第2次世界大戦の末期、日本国内の労働力不足を補うため、国策として無法にも約4万人の中国人を日本に強制連行し、鉱山や土木・建築、港湾荷役などの現場で強制労働させました」と話し、「ここ安野の地でも360人の中国人が西松組のもとで安野発電所の建設工事に従事させられ、苛酷な労働によって、被爆死を含む29人の方々が異国の地で亡くなられました。無念の死を強いられた29人の方々に哀悼の意を改めて表し、また受難者および、家族や遺族の方々に改めて思いを馳せる次第です」とあいさつしました。
そして、邵莉娜さんも「今日、私はこのよく知らないけれども熟知している場所に来て、とても重苦しい気持ちです。よく知らないのは、私が初めて広島に来たからです。そして、熟知しているのは、父がここで強制労働をさせられ、食べる物も着る物も十分に無いうえ、監督からひどく殴られる非人間的な生活を送ったことをいつも聞いていたからです」と話し、「私が今日、この地に立てたことを継承する会の友人たちに感謝いたします。私は中日両国人民は平和を求めていると信じています。この時期の経験はすでに歴史となりましたが、私たちはこれに正しく向き合わなければなりません。中日友好が世代を継いで伝えられ、両国人民が平安で幸せに健康でありますように心から願っています」と訴えています。

来賓として、安芸太田町の木村富美副町長(橋本博明町長代理)と中華人民共和国駐大阪総領事館の楊光参事官(薛剣総領事代理)、広島県教職員組合の頼信直枝委員長などがあいさつを行ない、竹内ふみのさんの二胡の演奏に合わせて、参列者全員が献花をしています。
日中労働者交流協会からは、伊藤彰信会長と第9次訪中団員で、現在は共同通信広島支局に勤務している工藤優人さんの2人が、18日の集会から、19日の祈念する集い、そして善福寺での法要までの全ての日程に参加しました。
(松尾直樹)