10月1日、キャンプ・シュワブ前で「日中友好・不再戦」を掲げて辺野古基地反対の大集会で内田雅敏さんはアピールした

「佐渡おけさ」をもう一度 日中が「敵対的な相互依存」から抜け出すには

内田雅敏・弁護士
2022年9月29日

 日中共同声明調印後、上海に向かう田中角栄首相(当時)ら政府代表団を空港で見送る子供たち=中国北京の北京空港で1972年9月29日、同行特派員団撮影日中が国交正常化した50年前には、保守の政治家にも先の大戦で日本が中国を侵略したことについての申し訳なさがあり、また中国の文化への敬意もあった。50年前にお互いが何を約束したのか、そこに立ち返る必要がある。
 1972年の日中共同声明は「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省」とした。そのうえで、お互いに覇権国家とならないとし、台湾問題については、日本は台湾が中国の一部であるとする中国側の見解を尊重するとした。尖閣諸島の帰属については棚上げした。
 その後も両国はこの姿勢を繰り返し確認してきた。2007年の温家宝首相(当時)の国会演説では尖閣諸島問題について「両国は係争を棚上げし、共同開発をする原則にのっとって(中略)平和・友好。強力の海にすべきです」と述べている。

 台湾問題についても、日中共同声明に戻れば、日本の立場は明らかだ。いたずらに台湾有事とあおり、防衛費を増額し、米国の軍事産業から兵器を「爆買い」していれば、中国の軍拡派の口実になるだけだ。不信の連鎖を喜ぶ人たちが両国にいる。敵対的な相互依存関係になってしまう。これでは外交とは言えない。
 08年の胡錦濤国家主席(当時)が来日した際の共同声明では「日本側は、中国の改革開放以来の発展が日本を含む国際社会に大きな好機をもたらしていることを積極的に評価し、恒久の平和と共同の繁栄をもたらす世界の構築に貢献していくとの中国の決意に対する支持を表明した。中国側は、日本が、戦後60年余り、平和国家としての歩みを堅持し、平和的手段により世界の平和と安定に貢献してきていることを積極的に評価した」と互いにエールを交換した。
 それほど昔のことではない。たかだか14年前のことだ。胡氏は早稲田大学での講演で「我々は歴史を刻みつけなければならないと強調するが、恨みを持ち続けるべきではない」とも言つている。
 こうしたことをお互いが理解していれば、両国関係はまた違った形になるはずだ。この50年だけをとってみても、日中関係が現在のような状況になったのは、つい最近のことだ。

民間交流の積み重ね

 中国人強制連行。強制労働など戦後補償問題の訴訟に関わってきた経験から言えば、歴史問題は判決とその執行だけで解決するものではない。一つめに事実関係を認め、責任を求めて謝罪をする。二つめに謝罪の証としてなんらかの金銭的な補償をする。二つめに同じ過ちを起こさないために将来に向かっての歴史教育を行い、その被害者に対する追悼事業を継続する。
 この二つは並列ではなく、三つめをすることによってはじめて、一つめの謝罪が本当に被害者とその遺族に理解されてくる。謝罪した側も二つめのことを遂行するなかで、もう一度、加害の事実を捉え返す。
 私が関わった花岡事件の訴訟でも、西松建設や三菱マテリアルの訴訟でも、裁判で和解した時点では被害者側には不満もある。しかし、たとえば花岡事件では地元の自治体が毎年、追悼事業を実施し、その事業を地元の市民が下支えしている。交流するなかで、中国の遺族も「本当に反省してやってくれている」と感じるようになる。

 国交正常化40周年の12年の時は尖閣諸島の国有化の問題があり、日中関係は非常に厳しかった。広島県安芸太田町で実施している西松建設の強制連行を巡る追悼式では、中国側が参加しない懸念もあった。しかし実際には、人数は減ったものの来てくれて「来てよかった」と言ってくれた。国の関係が厳しい時であっても、民間の交流を途絶えさせてはならない。
 日中国交正常化の際、田中角栄首相は周恩来首相に「私は長い民間交流のレールに乗って、今日ようやくここに来ることができました」と述べている。中国側もレセプションで田中氏の地元の「佐渡おけさ」を演奏することで応えた。
 そのような関係が50年後のいま、どうして変わってしまったか。もちろん日本の政治家が歴史を十分に認識していない問題があるが、中国側にも問題はある。たとえば四つの基本文書(※ )の一つである98年の日中共同宣言では中国は日本のODA(政府開発援助)に謝意を表明している。こうしたことを中国はどこまで認識しているか。
 四つの基本文書の内容は日本でも中国でもまだ十分理解されていない。このような平和資源を双方の民衆が自分のものにして、それぞれの為政者に迫っていく。一見遠回りに見える道しか方法がないのではないかと思つ。

※四つの基本文書

(1)国交を正常化し、中国が戦争賠償請求を放棄した1972年の日中共同声明(2)紛争解決を武力に訴えないことを確認した78年の日中平和友好条約(3)両国首脳の相互訪問を決めた98年の日中共同宣言(4)戦略的互恵関係の推造を約束した2008年の日中共同声明――の四つを指し、日中関係の礎と位置付けられている。習近平国家主席も14年11月11日の安倍晋三首相(当時)との日中首脳会談で「四つの基本文書を踏まえ、戦略的互恵関係にしたがって日中関係を発展させたい」と述べた。

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10月1日、キャンプ・シュワブ前で「日中友好・不再戦」を掲げて辺野古基地反対の大集会で内田雅敏さんはアピールした