台湾:2人の女性操縦士が台湾史上初の操縦士ストを指導(2/13)

5日目に突入した台湾史上初めてのパイロットのストライキですが、2/13の午前1時から徹夜の労使交渉が断続的に続いています。このインターネットで生中継されたりと、注目も高いです。

ライブ中継はこちらのfbから

現地報道は山のようにあり、本来は運動系ウェブサイトの情報を訳したいのですが、体調が思わしくなく、断念。
で、「経済日報」という地元紙のウェブで、今回ストに突入した操縦士職能組合の委員長と執行委員の二人の女性について報じていたので訳してみました(最後の「空の女王」はどうでもいいのですが…)。

日本でも世界でも女性たちががんばっています。

原文はこちら

※陳倍倍さんの「倍」は本来は草かんむりがありますが、文字化けするので「倍」にしています。ご容赦。


2人の女性操縦士が台湾史上初の操縦士ストを指導

台湾紙「経済日報」ウェブ版
2019-02-10掲載

【写真】操縦士組合の李信燕委員長(右)はエバー航空の操縦士、陳倍倍執行委員はチャイナ・エアラインの操縦士として、操縦士組合を率いて会社に対する断乎かつしなやかな革命を発動した(記者・撮影 韓化宇)
チャイナ・エアラインのパイロットが台湾史上初めての操縦士ストライキを実施し、台湾社会を震撼させた。視聴者はテレビのモニターで、男性を中心とする組合員を率いる二人の女性を常に目にした。操縦士の世界にもたらしたしなやかな革命[原文:温柔革命]は、操縦士組合の李信燕委員長と陳倍倍執行委員による。

李信燕の経歴は陳倍倍ほどではないが、彼女が委員長の任を引き受けるまでの思いは、感動なくして語れない。

淡江大学の航空宇宙学部を卒業した李信燕は、エバー航空で操縦士になる前に、遠東航空のグラウンドスタッフ(地上勤務)を6年務めた。パイロットと知り合いになったことが、彼女の大空への情熱に火を灯した。2007年にエバー航空の航空研修生に合格し、現在はエバー航空A321便の操縦士を務めている。

操縦士組合はもともとチャイナ・エアラインの操縦士しか加盟していなかったが、2016年の台風17号の来襲の際、エバー航空は欠航を回避するためにフライトを強行し、世論からの非難を浴びた。このとき操縦士たちは労働組合を結成して、労働者の権利を守らないといけないと感じ、エバー航空分会が発足した。李信燕も立ち上げに参加した。

彼女によると、組合への加盟は同僚から協力を促されたのがきっかけで、彼女も組合参加は正しいことだと思い、この道に進んだが、それほど大きな理想を持っていたわけではなかったという。

去年5月、操縦士組合の役員改選で、李信燕は4人の常務執行委員の一人になった。ほかの3名はチャイナ・エアラインの操縦士だった。前任の委員長がチャイナ・エアライン出身だったので、今期はエバー航空から委員長を出すということで、李信燕がエバー出身ではじめて委員長に就任した。

しかし李信燕は当初、委員長に就任したことを家族には言えなかったという。とくに両親には、去年8月にスト権を確立したスト権投票後の記者会見の前日まで言えなかった。その日、李は勇気を振り絞って両親に告白することにした。いま操縦士組合の委員長で、「あす記者会見をする」と。

それを聞いた両親はびっくりして、彼女に問いただしたという。なぜまじめに仕事をしないのか?何もないのになんで組合なんかに?操縦士は高給で安定しているのにキャリアに傷がついたらどうするのか?等々。とくに母親の反発は強かった。

両親の理解が得られず、委員長を止めようかとも思ったが、この職責について権利をまもるために仲間らと立ち上がったのに、途中で辞めてしまったら、仲間に申し訳が立たない。こうして引き続き労働者の権利のために戦うことに決めた。

そして母親に、どうして組合に入ったのか、組合では何をしているのかなどを、懇切丁寧に説明した。

そして今回、操縦士組合がストライキを打ったとき、母親が突然、李信燕にこう言った。「もしプラカードを掲げて応援が必要なら、わたしがやってもいいわ」。このエピソードを語ったとき李信燕はおもわず涙を流した。この活動にはいってから母親からの反発が一番強かったのに、いまでは応援してくれる。「今日も『ちゃんとご飯食べてるの』と連絡があった。それにいつも『安全には注意するんだよ』と気遣ってくれる」。娘を愛する気持ちが言葉に現れている。

パイロットは男性の世界だと思っている人も多いだろう。しかしチャイナ・エアラインとエバー航空には多くの女性操縦士がいる。チャイナ・エアラインの1400人近くの操縦士のうち女性は100人で、操縦士歴28年の陳倍倍は女性操縦士の模範だ。

陳倍倍は、五年生専科学校を卒業して就職、一年余り働いたのち、チャイナ・エアラインに入社して客室乗務員を務めた。1991年に操縦士試験に合格し、その後28年つづく大空のキャリアに進んだ。

アメリカでトレーニングを受けて帰国した陳倍倍は、エアバスA300B4機を操縦した。当時はまだコンピューターが普及していない時代だったので、操縦席には正副の操縦士の他に、もう一人、航空技師が搭乗していた。

その後、彼女の操縦機がボーイング747-200型に変わり、現在は747-400型の操縦士である。「空の女王」と呼ばれるボーイング747型を女性が操縦するという独特の意味合いがある。

テレビカメラに映ることについて、他の組合員は恥ずかしがって出てこないと陳倍倍は笑う。「私は面の皮が厚いので、みんな私が前に立てと押すんですよ」