加害者としての反省を背負いながら日中友好の絆を強めよう

内田雅敏講演会あいさつ

伊藤彰信(日中労働情報フォーラム代表)

 

伊藤彰信(日中労働情報フォーラム代表)
伊藤彰信(日中労働情報フォーラム代表)

1 昨日9月29日は、1972年9月29日に、日中共同声明が発表され、日本と中国の国交が正常化された日から、44年にあたります。

日中共同声明において、日本側は「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えてことについての責任を痛感し、深く反省する」と述べました。そして両国は「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意」し、日中国交正常化が図られました。

2 ドイツの平和運動はアウシェビッツから始まった。日本の平和運動はヒロシマ、ナガサキから始まったと言われます。日本の平和運動の弱点は、加害者意識よりは被害者意識から始まったことです。日本国憲法前文の「日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意し」というフレーズは、日本が戦争の被害者にも加害者にもならない決意だと思います。

3 日中労働フォーラムは、日中労働者交流協会の継承組織です。日中労働者交流協会は、日中国交正常化を受けて、1974年、中華全国総工会と総評の交流窓口として結成されました。初代会長は、総評議長だった市川誠さんです。市川会長が起草した「日中不再戦、反覇権の誓いの碑」を南京大虐殺記念館に建てました。その後、12月13日の南京大虐殺犠牲者追悼式典に参加するようにしています。今年も訪中団を派遣しますので、参加希望者は申し出てください。

4 中国から強制連行された者は、チラシにもありますように、38.935人です。うち、6,830人が日本でなくなりました。私は全港湾の委員長を2年前まで務めていましたが、港湾には10、129人が25事業所に配置され、1,173人が死んでいます。全港湾は、中国人俘虜殉難者慰霊運動に参加し、亡くなられた中国人強制連行者の遺骨返還に取り組んできました。全港湾にとっては、これが平和運動の出発でした。

5 全港湾の組合員のいる企業が、強制連行された中国人から損害賠償を求める裁判を起こされました。平和フォーラムは中国人原告を支援しましたが、その企業で働く組合員の偽らざる気持ちは、損害賠償を払えば賃上げや一時金に支障が出ると言うものでした。

6 本日、内田弁護士に6月1日に和解が成立した三菱マテリアル事件の経過を報告しながら、日中友好の展望について講演していただきますが、加害者としての反省を背負いながら、二度と戦争を起こさないために、どう日中友好の絆を強めていくのか、考えてみたいと思います。