月別アーカイブ: 2018年2月

白西伸一郎さんを偲ぶ会(2018/2/27)

白西伸一郎さん(左)人民大会堂にて習近平国家主席と(2012年)

「白西伸一郎を偲ぶ会」が2月26日、パレスホテル東京で行われました。白西さんは、日中協会の理事長として永く日中友好活動を続けられてきた方です。昨年10月7日、出張中の大阪で急逝されました。77歳でした。

白石さんは、日中労働情報フォーラムの会員でもありました。総会や望年会にも出席されて中国に関する話題を披露してくださり、私どもの活動を見守ってくださいました。50年間で約600回近く中国を訪問し、何よりの中国通でした。
偲ぶ会には約400人が出席し、日中協会の野田毅会長(衆議院議員)、駐日中国大使館の程永華大使、中日友好協会の会長(周副秘書長が代読)がお別れの言葉を述べました。その後、故人を偲んで懇談しました。
白西さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

伊藤 彰信(日中労働情報フォーラム代表)

中国:読書の権利を守れ!左翼への弾圧をやめろ!(声明とフォトアクションのお願い)(2/20)

 

すこしまえに、中国国内の大学のマルクス主義読書会メンバーに対する弾圧を紹介しました。
レイバーネット日中労働情報フォーラムのサイトでも紹介していただきました。多謝!

旧正月のいまも迫害は続いているようで、以前、ユニクロ問題で来日した香港の方から、弾圧されている青年らを応援するフォトアクションを世界に呼びかけているというメールをもらいました。

被疑者8名の名前と応援メッセージが書かれたボードをもった写真を撮って応援する、というよくあるスタイルです。こちらの応援FBページに写真がありますのでご覧ください。FBページには、被疑者の青年らの訴えも掲載されており、なかなか根性の入った訴えなのですが、ちょっと翻訳紹介する時間がなくてすいません。かわりにこの応援FBに掲載されている声明「読書の権利を守れ!左派への弾圧をやめろ!」と、「あなたにできること」という支援要請のメッセージを訳して紹介します。

声明によると警察は、マルクス主義を学ぶ真の理由を訊問したそうですが、そんなの革命にきまってるじゃない。そしてそれを罪に問うてはいけません。偉大な主席も言っていませんでしたか?「革命無罪」って。読書の権利は「right to read」と言うようですが、この場合は「left to read」かな。がんばれ~。

以下、FBページからの超訳です。

会員・IY


★ あなたできること

旧正月の期間に、保釈中の人やウェブ上で指名手配され逃走中の左翼青年を応援する運動をはじめました。メッセージボードを掲げた写真を撮って、wendychow1985@gmail.comまで送ると、その写真がこの応援サイトのアルバムに掲載され、連帯の意志を示すことができます。

メッセージボードはこちら(googleドライブ)
英文
中文

★ 声明:読書の権利を守れ!左翼への弾圧をやめろ!

この数か月のあいだ、中国政府は南京と広州にある二つの大学のマルクス読書会に対する摘発を行うという弾圧をつづけてきた。

2017年11月、警察は広州工業大学のマルクス主義読書会を襲撃し、6名の参加者を逮捕し、うち2人を「聚衆擾乱社会秩序罪」の容疑で刑事拘留した。その後、読書会の他の関係者2人も同じ容疑で拘束された。そのうちの一人、張雲帆が拘束されたというニュースが広がり、幾名かの著名な知識人が釈放を求める公開書簡を起草し、検閲の厳しいインターネット上において400名を超す賛同署名を集めた。それからおよそ一か月後、4人の被拘束者は保釈された。別の4人の読書会参加者もインターネットをつうじて指名手配されている。

広州事件が発生する3カ月前の2017年8月、南京中医薬大学のマルクス主義読書会のメンバーが、10人の警察官によって襲撃され、「違法マルチ商法」容疑で派出所に連行された。派出所に一晩拘留され、何度も張り手をされながら、マルクス主義を学ぶ背後の意図は何かを訊問された。その後かれらは釈放されたが、その後の警察は読書会の妨害を続け、読書会は継続できなくなってしまった。南京読書会に対する弾圧は2018年1月29日になって、参加者の一人が弾圧の実態を暴露したことで、広州の事件が単独のケースではなかったことが明らかになった。

今回の事件は、学生や青年がマルクス主義の文献を学ぶだけで犯罪とみなされ、読書会は当局によって「反党反社会的組織」というレッテルを貼られたが、これが形の上ではマルクス主義が主導する国家の警察人員によって行われたのである。これは一般的に言われている事とは異なり、中国政府による迫害が共産主義に起因するものではなく、資本主義であるがゆえである!

われわれは当局に対して、保釈された人や指名手配中の人をふくむ読書会に参加した青年らに帰せられた一切の容疑を撤回し、左翼および読書会への迫害を停止するよう求める。焚書反対!読書の権利を守れ!

「人民網日本語版」2018年2月前半 抜粋(2018/2/16)

<20>「人民網日本語版」2018年2月14日
年末ボーナスがホワイトカラー転職の原因の6割に
就職情報サイトがこのほど行った「2017年ホワイトカラー年末ボーナス調査」の結果、ホワイトカラーの約60%が、「年末ボーナスが原因で転職を考えている」と答え、16年の39%に比べて大幅に増加した。年末ボーナスが支給されず、転職したい気持がわき起こったという人もいれば、社員がボーナスをもらってすぐにやめてしまうと困るので、2回に分けてボーナスを支給するという企業もある。同調査によると、17年にはホワイトカラーの56.6%が、「年末ボーナスは転職するかどうかを決める重要な要因」との見方を示し、16年の39%から大幅に増加した。こうした傾向について就職の専門家は、「ここ数年、年末ボーナスはこれまでのようなごく一部の人を励ます手段から、社員全員に恩恵がゆきわたる奨励の手段へと変わった。支給しない企業は、社員がそのために転職を考えることが多くなる」と述べた。

<19> 「人民網日本語版」2018年02月14日
中国配車大手・滴滴とソフトバンクが合弁会社を設立し日本進出へ
ロイター通信の9日付けの報道によると、タクシー配車とライドシェア(相乗り)サービスの中国最大手・滴滴出行(DiDi)はこのほど、ソフトバンクグループと合弁会社を設立し、日本のタクシー市場に参入する計画を発表した。滴滴出行にとって日本は、ブラジルに続く2番目の海外市場となる。今後、メキシコにも進出する計画を立てているという。報道によると、両社は滴滴のAI技術を活用して、タクシー配車プラットフォームを構築し、日本のタクシー配車サービスの最適化を目指す。また、今年中をめどに、大阪府、京都府、福岡県、東京都などで実証実験を実施する。両社は現在、日本の市場や交通政策について研究中で、日本のタクシー会社や監督官庁、他の利益関係者などと積極的にやりとりを続けているという。滴滴とソフトバンク双方は、開放的で包容力のあるプラットフォームを開設し、日本のすべてのタクシー会社と幅広く協力を結べるよう模索していく。

<18>「人民網日本語版」2018年02月13日
中国、変わる春節の過ごし方 帰省せずに食事もデリバリー
旧暦12月8日(今年は1月24日)の臘八節に臘八粥と呼ばれるお粥を食べ、旧暦12月23日(今年は2月8日)に祭■(かまど祭り、■は火へんに土)を祝い、旧暦12月24日(今年は2月9日)に大掃除をし、先祖を祀り、大晦日(今年は2月15日)に家族みんなで年夜飯(大晦日の夜に家族で食べる御馳走)を食べ、夜明かしして新年を迎え、年始の挨拶周りをし、お年玉を配る……。これらの伝統文化は現在の中国の多くの人にとって、よく知られたものであるが、遠い存在となりつつある。現代テクノロジーが飛躍的に進歩し、生活のあらゆる分野に新たな可能性と選択肢が生まれた。例えば、春節(旧正月、今年は2月16日)に親戚の家に行って新年の挨拶をし、お年玉を配るという習慣は、微信(Wechat)などのSNSによって行われるようになっており、多くの人が微信を使って年賀メッセージを送り、お年玉を配り、お年玉の取り合いをし、それらを非常に楽しんでいる。 続きを読む 「人民網日本語版」2018年2月前半 抜粋(2018/2/16)

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館から農暦新年のごあいさつ

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館から農暦新年のごあいさつ

 

謹賀新年

2018年農歴春節を迎え、謹んで新年のお慶びを申し上げます。

皆様のご支持とご協力の元で、80年の重い歴史を背負った2017年の南京大屠殺死難者国家追悼式を無事終えました。

2018年は『中日平和友好条約』が合意40周年です。新たな年に、私たちは歴史を忘れず、未来を開こうとの使命感を持ち、展示、教育、交流などの方式で中日友好のために更なる固い基盤を作っていくと決意しています。

窓際から蝋梅の匂いが漂って来て、まだ寒い時期ですが、春風の吐息が近くに来ていると感じています。中日両国の未来のために、もっと多くの日本の方が記念館に来られることを歓迎し、またお会いできることを期待しております。

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館館長 張 建軍

2018年2月16日

日中労働者交流協会 第4次「日中不再戦の誓いの旅」 報告(3)  相沢瑞男

私は、日中労働者交流協会の第4次「日中不再戦の誓いの旅」訪中団の一員として、2017年12月11日から15日まで、中国を訪問して来ました。

中華全国総工会との交流

中国職工対外交流センターとの交流

12月11日、羽田から北京に向かいました。飛行機が中国大陸に入ると窓からは、PM2.5と思われる黄色い空気の層が見え、予想はしていたが相当なものだなと感じ、これからの中国での生活に不安を予感させました。しかし、北京が近づくにつれて空気が澄んできて、きれいな青空が見え不安が杞憂だったと感じました。あとで、通訳をしてくれた石さんから聞いた話しでは「北京市では、冬場の石炭による暖房を取りやめ、集中暖房方式をとることにより、空気が清浄化され心配がなくなった。」とのことでした。事実、石さんが持っていたスマホでPM2.5の値を見てみると、14で東京と変わらない状況に安心しました。
予定時間より30分ほど送れて、12時ごろ北京空港に到着しました。空港には、総工会から査良青さんと石晶晶さんが出迎えてくれました。私は、30年前に平壌に行くために北京に立ち寄りました。その時は、空港建設中で大混雑していて、空港から中心街に向かう道も高速道路などなく自転車があふれていて混沌としているなという印象でした。それが今回は、空港は洗練された大空港で、道路は高速道で片道4車線で目を見張るものでした。
40分ほどで総工会本部に到着しました。本部ビルには、3つのホテルが併設されていて巨大組織なんだということが理解できました。休憩のあと、総工会と交流を持ちました。
16時から総工会の会議室で本部の彭勇秘書長以下7名の方々と交流をしました。緊張して参加しましたが、中国総工会の方々はとても友好的で、しかも全員が日本語を流暢に話していて、日本で交流しているのと変わりない状況でした。
始めに、日中労働者交流協会の伊藤彰信団長より「日本軍の南京大虐殺から80年の今年、私たちはしっかり改めて学習するために、日中不再戦の旅を企画した。安倍は二枚舌を使い憲法9条の改悪を狙っている。沖縄の先島諸島に自衛隊を配備して東アジアの緊張を高めている。10月の総選挙では自公の圧勝でしたが運動の後退とは考えていない。憲法9条の改悪を許さない闘いを強めたいと考えている。」と挨拶をしました。

総工会からは彭秘書長が「皆さんを熱烈歓迎する。北京・天津・南京で有意義な交流をして、中日の交流を強め、過去の歴史を直視し未来への発展へ繋げていきたい。今年は中国共産党第19回大会があり、その報告をしたい。大会では、習主席より中国の最新状況と未来への課題が報告された。そして、中国の特色ある社会主義と小康社会の全面的決戦の勝利をめざすことを採択した。それで『革新、開放、発展、調和、みどり』を旗印に人民生活の格差をちぢめる。そのことで環境にやさしい美しい社会主義の実現を達成する、ことを決定した。
また、歴史を振り返ると中日間には3000年の関係がある。2000年間は友好の歴史だったが、清日戦争からの50年では、中国は侵略され、大きな被害を受けた。日本は広島・長崎に原爆が落とされ、唯一の被爆国としての被害国としての側面を強調してきた。しかし、中国をはじめとする東アジア諸国への加害国としての側面は隠してきた。この両方の歴史を直視し、これから両国が平和で友好関係を継続するためには、若い世代のシンポジュームなどを開催することが大切だと考えている。協力していきましょう。」との歓迎の言葉がありました。その後、双方自己紹介など有意義な交流ができました。

中国職工対外交流センターの歓迎宴

交流後は、ホテルの夕食会場に移動し、総工会から歓迎の宴を催していただきました。

在日殉難烈士老工記念館見学

次の12日は、天津の在日殉難烈士老工記念館を見学するために、北京を後にしてバスで向かいました。北京から天津までは、耕地が広がり中国の広大さの一端を垣間見ることができました。高速道を3時間程かって記念館に到着しました。

中国殉難烈士記念館入口

在日殉難烈士労工記念館(今後は記念館と記)は、中日戦争時に日本軍により4万人ほどの人々が強制連行され、主に日本の鉱山などで過酷な強制労働を強いられた歴史を記録する施設であり、日本で虐殺されたり病死したりした同胞を慰霊する施設でした。記念館は以前、天津港近くにあったそうですが、より充実したものにするために現在地に2006年に移設したそうです。記念館内部の展示は、1931年からの戦争・強制連行・抗日闘争・帰国、遺骨帰還・賠償請求などの歴史を6つのコーナーに分けられ誰もが理解できるように展示されていました。
また、当時の人々がどのような所に押し込まれていたのかも理解できるように「寝床」なども再現されていました。説明文は中国語の下に日本語・英語でも書かれてあり、日本人にとっても理解しやすいものでした。その中には、日本の教科書記述の変遷・改悪状況にも触れてあり、日本のことを研究して記録されていると感じました。

花岡事件記念碑

その中で、私は秋田花岡鉱山での蜂起暴動についての展示に興味がひかれました。展示を見て、私の花岡事件についての理解は皮相的なもので浅いんだなと反省させられました。それにしても、強制連行にかかわった企業が現在も大手ゼネコンとして君臨している日本の状況に怒りそして暗澹とさせられる気持ちになりました。見学には、天津市の総工会の方々に付き添っていただきました。見学後の市内見学にも同行をしていただき感謝のしようがありません。

昼食後、天津駅から高速鉄道(新幹線)で南京に向かいました。駅では、日本の空港のように厳しいセキュリティーチェックがあり、常に警戒を怠らないんだなと感じました。列車の中では、東京清掃労組OBの押田さんと同席になり、押田さんがインドやバングラデシュで清掃労働のあり方を交流していることなどの話を聞きました。私などには真似のできない活動をしている人がいるんだと感心しました。列車は時速300kmで4時間以上かかり、中国の広大さをあらためて感じました。南京駅には江蘇省総工会の高華さん、朱輝さんが出迎えてくれました。夜にもかかわらず申し訳ない限りでした。

南京大虐殺遭難者国家公祭儀式参加

13日は、1937年12月13日に日本軍が南京に侵略し30万人の中国人民を虐殺した日です。以前は南京市主催で行っていた追悼儀式を4年前から国家公祭として国主催で行い、世界遺産登録を行っているとのことでした。10時からの国家公祭ですが、1万人追悼儀式ということで、緊張して6時前には起きて、開会の2時間半前にホテルを出発しました。南京市内の様子はどこにでも見られる通勤の様子でしたが、道々には「国家公祭」の黒い幟が並び、警備の警察官がそこここに警戒していて、追悼儀式の日なんだと理解できました。それもそのはずで、儀式には習主席をはじめ中国の政府関係要人が出席すると言うことで厳戒態勢になっていました。

国家公祭儀式場

国家公祭の会場は、「南京大虐殺遭難者同胞記念館」の広場で、会場近くには出席者が乗った多くのバスで渋滞でした。私たちは、大阪の銘心会の方々と一緒のバスでした。会場に入るには、空港以上のセキュリティーチェックがあり、パスポート・貴重品以外、携帯・カメラなど一切の物の持込が禁止されていました。会場に入ると、前列には各国大使館員、小中学生、警察・軍隊の学生、市民がきちんと整列していました。私たちは、中ほどに整列し周りには、日本からの参列者も多数見受けられました。
その中で、私の隣には、熊本からの参加者の一人が「父が日本陸軍第6師団の一員として南京侵略に関わっていた。父はそのことを克明に日記に残していた。私は父が生きていたとき、どうして虐殺なんかしたんだ。中国の人たちにどう謝罪するんだ。と責め続けた。父はなにも反論をしなかった。」と語り「私はとても南京を訪問できるとは思っていなかった。しかし、日記が何かの役に立つかと考えて記念館に連絡をした。そしたら、ぜひ寄付をしてほしい。国家公祭にも参加してほしい。と言うことになり、今日来ている。」と話してくれました。日本からもいろいろな経過、思いを持って参加している人がいるんだと思いました。
儀式は、10時にサイレンの合図で黙祷し、国歌斉唱で始まりました。儀式では、習主席が演説をすると思われていましたが、兪政治局員が行いました。要旨は「歴史を銘記し、烈士をしのび平和を愛し、未来を開く中国人民の堅固な立場を示し、平和的発展の道を歩む崇高な願いを厳かに表明する。」と言うものでした。話は横道にそれますが、南京で宿泊したホテルは元名鉄資本で作られたとかでスタッフの中には、日本語ができる方もいました。また、部屋のテレビではNHKの国際放送が入っていて、日本語が聞こえることで安心もしました。そのNHKのニュースで要旨を説明し、習主席は日本に配慮して演説をしなったのではないかと解説をしていました。おごそかな儀式は、大きな花輪の顕花、平和の象徴の鳩の放鳥などがあり40分程で終了しました。
その後、ホテルに戻って休憩して、午後は記念館の見学をしました。

日本軍南京大虐殺遭難者同胞記念館見学

南京大虐殺記念館入口

13日午後は記念館の見学をした。記念館は、国家公祭のため閉鎖されていましたが、外国人には解放するということで、ゆっくり見学することができました。記念館は国家公祭が行われた広場の地下に展示室が作られていて、少し暗がりの状態での見学でした。展示室はいくつものコーナーに分けられていて、中国語の下に、英語・日本語の解説がつけられていて日本人に理解しやすいように工夫されていました。展示内容はとても1・2時間では見つくせない内容で、当時を再現したコーナーや遺品、そして遺骨もありました。また数箇所には、欧米のマギー牧師らが隠れながら撮ったフィルムが上映されていました。とても正視できない内容でしたが、しっかりと見て心に刻んできました。
この映像こそ「南京大虐殺はなかった」なんて言っている、安倍をはじめとする日本会議の人にこそ直視してほしいものだと強く思いました。また、私たち日本人は過去の歴史としてではなく、憲法9条が改悪されるかもしれない今だからこそ、訪れて見学する必要があると思いました。見学には、欧米の方々も多くいました。見学の後、
記念館の庭に、2009年に日中労働者交流協会が設置した「日中不再戦の誓い」の碑を見学しました。あらためて、日中ばかりでなく世界の平和・友好発展を誓いました。
夜は記念館の中庭でキャンドル祭がありました。南京の市民・小中学生と共に南京大虐殺時の生存者、家族、マギー牧師やシーメンス社の南京支社長だったジョンラーベさんのお孫さんたちも出席していました。また、日本からの仏教僧侶の方々の読経などがありました。

 利済港「慰安所」旧址陳列館見学

利済港「慰安所」旧址陳列館

14日は朝から冷たい雨でした。「慰安所」見学の涙雨かと思いました。
「慰安所」は利済港近くの路地の奥まったところにありました。ここでも入場するときは厳重なセキュリティーチェックがありました。また、入場制限があり一日に200人まで、14歳以下は入場禁止にしているとのことでした。1945年、日本軍が敗走したあとは、中国の一般人民が住居として使用していたために、存在は知られていましたが確認はできていなかったそうです。しかし、2003年韓国人「元慰安婦」の朴さんが南京を訪れた際、この場所を確認してその存在が確定されたとのことでした。その後、整備され2015年から「南京利済港慰安所旧址陳列館」として公開しているそうです。内部は、6畳ほどの小さな部屋がいくつも並び、いくつかには逃亡ができないように屋根裏に寝起きする場所を作り、夜は登るはしごをはずすしかけを作っておく「周到さ」でした。さまざまな生活用品とともに軍の通達文書、検査器具なども展示してあり、日本軍が管理・経営していたことは明らかです。

旧慰安所の説明

安倍などが「韓国旧慰安婦」問題で「日韓合意」云々「なんど謝ればいいんだ」など暴言を発していますが、気持ちのない言葉だけの謝罪はなんどしても意味がありません。安倍には「ここも見学しろ」と言いたいと感じました。

江蘇省総工会との交流

14日の「慰安所」見学の後、江蘇省総工会の本部ビル会議室で井良強江蘇省総工会副主席をはじめとする7人の方々と交流をしました。交流には、教員関係の工会(教職員組合)から江蘇省特殊教育師範学院から2名の教員の方が参加していました。私も障害児学級担任をしていたこともあり、中国の障害児教育に興味がありました。
始めに井副主席から「日本から、国家公祭の日に南京にこられた皆さんは、友達であり感謝している。このような友好から、中日関係の友好発展に寄与されることを願っている。江蘇省は中国東南に位置し人口8000万人で、発展レベルは高い。全国でも重要な所となっている。長い歴史、重要な位置で経済も発展している。また、文化、観光の地としても有名である。総工会は全国組織の支部であり、会員は2300万人になっている。そのうち女性は960万人である。中国共産党指導のもと、19回代表大会の習主席の理論を堅持して取り組み豊かな成果をあげている。
日本は、第2次世界大戦時、誤った教育のため大きな犠牲をアジア諸国にもたらした。安倍など右翼勢力は歴史をゆがめている。道徳が子どもたちに正しい方向を示さなければ、未来はありません。幸いなことに、日本には皆さん方のような正しい運動をしている方々がいる。このような行動が、両国人民の友好関係の未来が正しい道に進むことを確信している。中国は改革開放政策で大きく発展をした。この発展は日本にとっても、大きなチャンスとなる。だから、中日は協力と友好に努め、中国の発展は日本を脅かすものではなく、共に発展する有意義なものとなる。」との歓迎の挨拶がありました。
そのあと、孫教育科技工会副主席から江蘇省の特殊教育事情の説明がありました。「江蘇省特殊学校は101校あり、13000人あまりが学習している。視覚・聴覚・知的・その他に分けられていて独立した学校になっている。小・中学校の入学率は96%で20あまりの高校もあり600人が通学している。教育レベルは高く、特殊教育システムの一層の向上を目指している。」との話がありました。その後、日中教育状況の交流になり、福元沖縄高教組委員長から「日本では、教員の長時間労働、精神疾患が大きな問題になっていること。」などの報告をしました。それに対し孫副主席から、「中国では、教員には残業と言う概念はない。子どもを教育する特殊な仕事で、中国でも朝から夜まで一生懸命働いているが、使命と考えている。」と「ただ、日本の問題を聞いたが、将来的には中国の問題ともなり得る。検討をしておかなければと思う。」との話がありました。その後、教育問題から障害者・人種差別の問題の話になりました。最後に、伊藤団長より「差別の最たるものが戦争だ。世界から差別・偏見・蔑視をなくし平和な世の中にしましょう。」という言葉で交流が終わりました。そのあと、江蘇省総工会の皆さんからの歓迎の宴を開いていただき、楽しい有意義な交流ができました。
今回の交流では、全国総工会の石晶晶さんには、北京から通訳ばかりではなく私たちの生活全般にわたりお世話いただきました。南京では、江蘇省の高華さん朱輝さんに大変お世話になりました。

相澤瑞男(宮城県教組OB)
掲載写真も筆者撮影

<参考>
▽ 第4次「日中不再戦の誓いの旅」報告(1)伊藤彰信
▽ 第4次「日中不再戦の誓いの旅」報告(2)渡辺学

旅順大虐殺と南京大虐殺の現場を訪ねて 乗松聡子

旅順大虐殺と南京大虐殺の現場を訪ねて

明治期に遡る大日本帝国の暴虐の系譜

乗松聡子

「週刊金曜日」2018.1.19(1168号)より転載

萬忠墓紀念館 旅順 2017/12/17 乗松聡子撮影

南京大虐殺から80年を迎えた昨年12月12日から19日にかけて、日本軍の中国侵略を30年以上調査研究してきた松岡環氏が主宰する「第33次銘心会南京友好訪中団」に参加し、上海、南京、大連、旅順を訪ねた。

このうち、南京で12月13日(注=1937年南京城陥落の日)に開かれた追悼式典は、2014年から「国家公祭日」と指定され、国の行事となっている。同日早朝、式典が開かれる「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」に向かうバスの中で、松岡氏は「侵略戦争において、“惨案”(ツァーアン)と呼ばれる虐殺は、南京だけではなく中国全土で起こりました。調査でわかっているだけでも、100人以上の虐殺があったのは390か所、10人以上の虐殺があったのは2300か所にも及びます」と説明した。この日は、全国で南京大虐殺犠牲者を追悼する日でもある。南京では午前10時ちょうどに街中の車がクラクションを鳴らし、10時1分から1分間の黙祷をする。

約1万人が参列した同紀念館での式典は献花、荘厳かつ感情に訴えかける音楽演奏、3000羽もの放鳩、平和の鐘・・・と続いた。紀念館自体が虐殺の地に立つ。代表演説に立った全国政治協商会議の兪正声主席は、「戦争の歴史を学ぶことによって、人々がよりよく歴史を認識し、平和を大事にすることができる。日本軍国主義が発動した中国を侵略した戦争は中国人民に巨大な災難をもたらしたが、日本人民にも同じく大きな災難をもたらした。」と語った。

証言できる「幸存者」の減少

13日の午後は、魚営雷や中山埠頭など、揚子江沿岸の虐殺現場を訪ねた。この日は紀念館の主会場の他、市内17か所の虐殺現場で同時に追悼式典が開催された。行く先々で真新しい献花に覆われた追悼碑を見るたびに、虐殺事件がいかに広範囲で大規模に行われたかを肌で感じた。

劉民生さんの家で 2017/12/15 乗松聡子撮影

現在この事件を証言できる人は少なくなってきている。同紀念館が把握している「幸存者」と呼ばれる生存者は、17年9月末現在で98人だ。今回私たち訪中団はこのうち劉民生さん(83歳)と王津さん(86歳)のお2人を自宅に訪問する機会に恵まれた。劉さんも王さんも、幼かった当時、日本軍に父親を連れ去られて殺され、大変な苦労をして生きてきた。

多くの家庭ではこのように一家の大黒柱が殺され、残された者たちが極貧生活を余儀なくされた。80年前の出来事の影響を、今も被害者やその家族は心身の傷と共に背負って生きている。劉さんが語った「今の日本政府の高官たちは歴史をなくそうとしている。みなさん、この目で見た歴史を日本で伝えてください。一緒にがんばり平和な世界をつくりましょう」との言葉を心に刻み、南京を後にした。

次に、遼東半島の大連市と、行政的には大連の一部となっている旅順口区を訪ねた。清朝は1881年に旅順に軍港を建設し、そこに北洋艦隊を編成する。1894年から95年にかけての日清戦争後、遼東半島は日本に割譲されたが「三国干渉」で清国に返還。98年になってロシアが強制的に租借権を得た。そして日露戦争(1904年-05年)の勝利で、日本は再びこの地域の権利を獲得する。

この日清戦争は、清国の影響を排除して朝鮮を日本の支配下に置くための侵略戦争であった。1894年7月23日、日本軍は朝鮮王宮の門を破壊して占領。その二日後に日本海軍は黄海の豊島沖で北洋艦隊を攻撃し、続いて朝鮮の清国軍に日本陸軍第一軍が奇襲をかける。

伊藤博文が虐殺を隠蔽

朝鮮を制した第一軍は朝鮮・清国境を超えて10月24日、清国に侵攻し、これとは別に同日大山巌率いる第二軍が遼東半島花園口に上陸して金州に攻め入り、虐殺や強かん、略奪を行う。さらに第二軍は11月21日に北洋艦隊拠点の旅順を占領するが、その日からおよそ4日間にわたり、南京と同様の大虐殺に手を染めた。年寄りから子どもまでの無差別市民殺戮、女性の強姦、武器を捨てて無抵抗状態の清軍兵士・捕虜の虐殺で、約2万人が殺されたと推定されている。

この事件は、軍に同行していた「伯爵写真家」亀井茲明が多くの写真のみならず、「日本兵は、兵農を問わず容赦せず殺した…流れる血、血なまぐさい匂いが満ち満ちて、のちに遺体は原野に埋葬した」という内容の日記も残している。第二軍の山地元治第一師団長も、「土民といえども我軍に妨害する者は残らず殺すべし」と命令していた。山地の上官の大山も虐殺をやめさせようとしなかった。

当時、新聞記者のジェイムズ・クリールマンが『ニューヨーク・ワールド』という新聞で報道しており、12月20日付の新聞には、日本兵が「少なくとも2千人の無力な人々を虐殺」「市街端から端まで略奪」「街路は切り刻まれた男、女、子どもの死体で埋め尽くされその一方で兵士らが笑う」といった内容が書かれている。参戦していた日本軍夫の日記にも、子どもが裸で死んでいる有り様を見て目に涙をためたり、若い娘が露わな姿で死んでいるといった記述が残されている。

事件後、当時の首相の伊藤博文は隠蔽工作に奔走する。伊藤の命令で陸奥宗光外相は海外メディアに、「平服を着て殺害された大部分は兵士だった」「住民は交戦前に立ち去っていた」「清軍捕虜を厚遇している」など、嘘に満ちた内容の画策電報を送った。松岡氏は、「これらの虐殺の否定の仕方は、南京大虐殺の否定派と全く同じです。」と強調する。
さらに旅順では、地元の地域史研究家の姜広祥氏の案内で、虐殺や埋葬の場を訪ねた。姜さんが40年務めた遼寧造船場は1883年に建設された遼東半島一の清国の軍艦造船所だった。日本軍は清国軍兵士のみならず造船所労働者、その家族を沼地に追い込んで殺害した。造船所は約2000人の工人がおり、それぞれ数人の家族がいたであろうことを考えると、被害総数は相当のものになっていたであろうと松岡氏は語る。

「坂の上の雲」の虚構

萬忠墓紀念館 旅順  2017/12/17 乗松聡子撮影

日本軍が虐殺の犠牲者の遺体を焼却処理した場所の一つに、旅順港近くに位置する白玉山東の麓の「萬忠墓」がある。最初は1896年に清国官吏が墓碑を建て、地域で死者を追悼する場となった。その後も何度かの修築を経て1994年、虐殺100周年に「旅順萬忠墓紀念館」が建立され、その壁には「1894.11.21-24」と刻まれている。

南京大虐殺を生み出した日本軍の野蛮な性質と、アジアの隣人を人間として扱わない差別感情は、決して「15年戦争」と言われる期間に限定されない。旅順大虐殺に象徴されるように、明治期から1945年の敗戦まで脈々と続いた、大日本帝国とその軍隊の本質そのものだったのだ。明治初期から日本軍は1874年の台湾出兵、1875年の朝鮮を威嚇した江華島事件をはじめとして国外に武力行使し、日清戦争は初の本格的侵略戦争であった。その後も日露戦争や山東出兵、満州事変、日中全面戦争と侵略戦争を広げていく。

広く読まれている司馬遼太郎の『坂の上の雲』の影響によって流布された、明治という時代と日清、日露戦争を美化する歴史観が、大日本帝国の本質を見えなくしている。安倍政権はこれを利用して「明治維新150年」の祝賀ムードを演出し、明文改憲にも利用としているかに見える。しかし、「100人中100人が知らない」(松岡氏)と言っても過言ではないほど日本人が無知な旅順大虐殺だけを取っても、明治の「古きよき時代」という神話はいとも簡単に崩れ去るはずだ。再び侵略国家にならないためにも、侵略戦争に明け暮れた70年余に及ぶ大日本帝国の歴史と実像を、冷徹に振り返りたい。

*乗松聡子さん(「アジア太平洋ジャーナル」エディター)のブログ「ピース・フィロソフィー・センター」(カナダ・バンクーバー 2007年設立)は平和で持続可能な世界を創るための対話と学びの場を提供します。


乗松聡子さんの記事を掲載するにあたって

伊藤彰信(日中労働情報フォーラム代表)

 「週刊金曜日」(2018年1月19日)に掲載された「旅順大虐殺と南京大虐殺の現場を訪ねて」と題する乗松聡子さんの記事を、著者並びに「週刊金曜日」編集部のご了解をいただき、日中労働情報フォーラムのホームページに転載することにしました。

乗松さんとは、私が団長を務めた日中労働者交流協会の「第4次日中不再戦の誓いの旅」で、昨年12月13日に南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加した時にお会いしました。カナダ在住のジャーナリストで、「琉球新報」などにも記事を寄稿されている方です。沖縄から参加した副団長の福元(沖縄高教組委員長)さんも「お名前は存じております」と名刺交換をしていました。

「週刊金曜日」に記事を書いたら送ってくれると約束して別れたのですが、送られてきた記事を読んで私はショックを受けました。旅順大虐殺のことを私は知りませんでした。南京大虐殺が兵站を無視した軍部の無謀な作戦の結果と説明することは事の一面しか表していません。日本の侵略戦争そのものが「虐殺」を孕んでいたことが分かります。南京大虐殺以前の多くの残虐行為も、その本質を知ることができたように思います。

中国に行くと「日本と中国の関係は2000年以上の友好交流の関係の間に50年の不幸な関係がありました」という言葉をよく聞きます。私たちは中国との不幸な関係を日中戦争の15年間と捉えがちですが、1894年の日清戦争以降の50年間をもう一度見つめ直す必要があると思います。

今年は明治維新から150年です。前半の77年が戦争に至った時代、後半の73年が戦争をしていない時代です。日本が再び戦争をしないように、日中友好の意義をもう一度考えてみたいと思います。

「人民網日本語版」2018年1月後半 抜粋(2018/2/1)

<20>「人民網日本語版」2018年2月1日
中国、上海・広州・深センの95後の給与が10万円以上に 最新報告
クラシファイドサイトを運営する58集団が30日に北京で発表した「2017-18 年度一般職求職者の行動特徴研究」報告によると、95後(1995-99年生まれ)の若者を主力とする一般職の求職者の平均給与は、上海、広州、深センが6000元(約10万円)以上で、給与の上昇幅が最大だった都市は広州、長沙、南京だった。消費者の生活水準が向上を続けているのを背景に、関連業界の給与も上昇している。業界別平均給与ランキングトップ 10を見ると、サービス業が多数を占めている。17年第三四半期(7-9月)における一般職の給与を見ると、不動産業仲介業、金融/銀行/証券/投資、スポーツ・ジム、運転手/交通サービス、保険、娯楽/レクリエーション、販売、物流/倉庫などの業界が上位に入った。

<19>「人民網日本語版」2018年01月31日
中国で「旅かえる」が爆発的ヒット その陰に孤独な一人暮らしの若者の姿
中国で今、日本のスマホゲーム「旅かえる」が爆発的人気となっている。その理由は何なのだろう?中国のショッピングサイト・淘宝が発表した「2017年中国の一人暮らしの若者図鑑」のデータによると、20-29歳的一人暮らしの若者の総数は5000万人以上で、うち、90後(1990年代生まれ)が60%以上を占めている。これは、90後の6人に1人が実家を離れて一人暮らしをしている計算になる。一人暮らしの若者の最も際立つ特徴は「インドア派」と「貧乏」だ。社会に出て働き始めてまだ間もなく、彼らの多くが北京や上海、広州、深センなどの一線都市で生活しているため、生活コストが高く、自由に使えるお金は少ない。淘宝の統計によると、一人暮らしの若者8割が淘宝で使う金額は年間5000元(約8万5000円)以下にとどまっている。都市で一人暮らしをしている若者を対象に実施された実態調査では、それらの若者が「インドア派」であることがはっきり分かった。

<18> 「人民網日本語版」2018年01月31日
人民元上昇で海外通販・観光が過熱 1月
新しい年が始まると、人民元も急騰し始め、1ヶ月足らずでオンショア人民元市場の人民元対米ドルレートが累計2千ベーシスポイント以上上昇し、上昇幅は約3%に達した。上昇を続ける人民元レートによって、大勢の人が海外通販や海外旅行への意欲をかき立てられている。「最近は人民元の上昇傾向が明らかで、米ドル、日本円、韓国ウォンなどに対して値上がりしており、これは海外通販の愛好者や海外での代理購入を考えている人にとって朗報であることは間違いない。人民元の最近の高騰の勢いが、海外旅行への情熱もかき立てている。旅行予約サイト・携程旅行網の予測によれば、今年の春節(旧正月、今年は2月16日)に海外旅行に出かける人の数はのべ650万人に達する。広州の旅行会社数社に聞いたところでは、春節連休中の海外ツアーの多くが満員御礼になったという。 続きを読む 「人民網日本語版」2018年1月後半 抜粋(2018/2/1)