藤村 妙子(日中労交 事務局長)
12月13日午後、全水道会館で行われた東京集会に行ってきました。毎年私たち日中労交はこの日、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館において開催される「南京大屠殺死難者国家公祭儀式」に参加するために訪中していますが、今年は世界的な新型コロナウィルスの流行下で訪中できないため、この集会に参加してきました。
集会は「歴史を忘れず、現在の戒めにしよう」をテーマにしてノーモア南京の会が呼びかけた実行委員会が主催して行われました。はじめにノーモア南京の会代表田中宏氏の挨拶がありました。「南京大虐殺があった1937年に生まれた私は虐殺があった年から同じ月日を暮らしてきた。日本がこの虐殺の事実を認めないことは、許すことができない。とりわけ1982年に教科書にこの史実を捻じ曲げて記載する「教科書問題」があり、85年には中曽根首相が「戦後政治の総決算」を掲げ靖国神社を参拝した。一方中国では、同じ年に南京の記念館が開設されている。この事実だけでも歴史に蓋をする日本の姿勢がいかに問題なのかは明らかだ。」と訴えていたことが印象に残りました。
続いて「ノーモア南京の会」が訪中して生存者の石秀英さんのお話を聞いた時のビデオの上映がありました。石さんは、1937年当時11歳で父親とお兄さんを日本軍に殺された事や、南京師範大学の斜面に作られた粗末な避難小屋の様子など、現場に立ちながら語っていた。お父さんは、日本軍に連行される途中にズボンの紐を直すためにかがんだことが逃亡しようとしているとみなされて虐殺されたとのことだった。ビデオ上映後の解説でこの虐殺された12月16日は、17日の日本軍司令官松井石根が南京入場式を挙行する前日で徹底した「敗残兵狩り」が行われていた事。年恰好で「敗残兵」とされた人は有無を言わさず連行して虐殺していたことなどが語られた。改めてこの史実に怒りを感じました。
更に、2006年に中国で放映された番組(山東テレビ制作 原題「郷胞祭」)『故郷鎮魂~任世淦』の上映が日本語字幕付きでありました。任世淦(レンシーガン)氏は1936年生まれで、1997年に教師を退職後に日本軍の戦争犯罪に関する記録を作り、また日本兵東史郎氏が綴った「日記」に記載されている現場での聞き取り調査を行った人です。番組では、彼が聞き取り調査をしている様子が写されていました。特に印象に残ったのは、彼が毛筆で作成した「殉難郷胞名録」のことです。山東省江蘇省を中心に彼は自転車を何台も乗りつぶしながら調査しました。そして、一人一人の虐殺場所、氏名、殺害方法などが書かれたこの巻紙には5458人が記録されているということです。
この後「山東省にもあった『南京虐殺』」と題された講演がノーモア南京の会 細工藤 龍司氏によって行われました。この講演で特に印象に残っていることは、日本兵東史郎氏によって書かれた従軍「日記」のことです。東氏は戦後、南京の記念館を訪れた際自分が中国で行った事実を告白し、以降1987年に『我が南京プラトーン』として日記の一部を公開しました。しかし、これに対して1993年12月に東さんの上官がこの書籍に書かれていることは事実無根だとして出版社と東さんを「名誉棄損」で訴えました。2000年1月に最高裁において上告棄却され東さんらが敗訴しました。私は、史実を否定し、勇気を出して告白しことを「名誉棄損」と裁判で確定させるこの所業に対して強い憤りを感じました。「東日記」と任世淦さんの記録は「東日記と私」としてノーモア南京の会が冊子としてまとめているとのことです。是非取り寄せて読んでみたいと思いました。
なお、会場で主催者のご厚意で伊藤会長と一緒に「南京大虐殺の史実展」の販売を行いました。