花岡事件80年の集会と慰霊式

伊藤彰信(日中労交会長)

  講演する齋藤光雄さん

 今年の花岡は、3日間のスケジュールが組まれました。6月28日(土)は、午後からフィールドワーク。29日(日)は、10時から16時まで「中国人強制連行6.30フォーラムin大館」が開かれ、夜は歓迎夕食会が開かれました。そして、30日(月)は、大館市主催の中国人殉難者慰霊式が、10時30分から十瀬野公園墓地で開催されました。

 今年は、戦後80年。中国では世界反ファシズム戦争・抗日戦争勝利80年といいます。花岡蜂起80年です。中国側の参加者は、いつもよりも人数も多く、ランクも上がっていると感じました。

  ご遺族の証言

 私は、28日のフィールドワークには参加しませんでした。以前参加したことがあるからです。29日の「フォーラムin大館」は、150名ほどの参加がありました。日曜日ということもあって労働組合からの動員もあったようです。若い人の参加が増えた感じです。

 林伯耀さんの報告「花
岡事件受難者追思の旅」

 川田繁幸実行委員長のあいさつのあと、「七ツ館事件とその背景」について齋藤光雄(花岡の地・日中不再戦友好碑を守る会)さんが講演しました。七ツ館事件とは、1944年5月29日に起きた花岡川の大陥没事故で日本人11名、朝鮮人11名が犠牲になった事件です。その後、花岡川の水路変更工事がはじまり、鹿島花岡出張所に強制連行された中国人が従事させられるようになったわけです。

 続いて、ご遺族の証言が行われました。さらに「花岡事件受難者追思の旅」の報告を林伯耀さんが報告しました。昨年11月に林さんらが、花岡決起を闘い、鹿島の責任を追及する花岡裁判を闘った耿諄さん、李鉄垂さん、王敏さんのお墓参りをした旅の報告です。立派な報告パンフレットが配られました。花岡事件の紹介と中国人俘虜殉難者遺骨

 講演する内田雅敏弁護士

送還の第1船が天津に着いた時のニュース映像が流され、林さんの一生の闘いの思いがこもった報告でした。「戦後80年というが、日本軍国主義が復活し、新たな戦前といわれる情勢である」と切り出した林さん。花岡蜂起は、抗日民族解放闘争の一環であり、「国共合作」による統一戦線の政治的・軍事的リーダーシップによる蜂起だったという思いが伝わってきました。

 歓迎夕食会であいさつ
 する趙宝鋼・中国公使

 最後に内田雅敏弁護士が「未完の日本国憲法」と題して記念講演を行いました。講演は、2015年の中国は日本の植民地になれという対華21か条要求から始まり、日中共同声明で台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを認めている、両国は平和5原則と反覇権の外交関係を確認したと話が進み、「台湾有事」を煽るこの間の情勢を批判し、自由民権運動も大正デモクラシーも侵略と植民地主義に反対するものではなかった、韓国や沖縄の闘いに学び、日本国憲法の理念を実現していかなければならないという内容でした。

 あいさつする王斌・中国 
 紅十字総会副会長

 29日の夜の歓迎夕食会には、趙宝鋼・中国大使館公使、王斌・中国紅十字総会副会長も参加され、にぎやかな懇談が行われた。

 30日には、十瀬野公園墓地で大館市主催の中国人殉難者慰霊式が行われました。全国最年少市長の石田健佑大館市長が「人の尊厳を 奪う行為は許されるものではありません。悲惨な歴史を後世に伝えていくことが私たちの使命です」と式辞を述べました。

 花岡受難者聯誼会からNPO花岡平和記念会へ贈呈

 趙公使は「花岡事件は日本軍国主義が中国人民に対して侵した重大な罪の縮図です。今年は中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年にあたり、再び歴史に向き合う時です。日本が過去の歴史を反省することが、近隣諸国との友好関係を築く基礎です。侵略の歴史を美化・隠ぺいすることと決別し、平和の道を進み、国際社会の信頼を得ることを希望します。歴史を銘記することは憎しみを継続することではなく、平和へのあこがれを喚起することです。平和を愛する日本人と共に歴史の灯を世々代々伝えていきます」と慰霊のことばを述べました。

 大館市主催の中国人
 殉難者慰霊式

 私の花岡への参加は4回目になりましたが、来るたびに、花岡は日中友好運動の原点になっているという思いを強く感じます。