第8次「日中不再戦の誓いの旅」

4年ぶりの訪中、北京・南京を友好訪問

伊藤彰信(訪中団団長)

 日中労交の第8次「日中不再戦の誓いの旅」は、12月11日に出発し、北京、南京を訪問して15日に帰国しました。コロナの世界的な流行により、4年ぶりの訪中でした。今回も学生2名が参加し、平均年齢をぐっと下げた老・壮・青の訪中団になりました。

 訪中団は、団長=伊藤彰信(日中労交会長、元全港湾委員長)、副団長=新崎盛吾(元新聞労連委員長)、秘書長=有田純也(新潟県平和運動センター事務局長)、団員=佐久原智彦(全港湾大阪支部特別常任執行委員)、今村錬(上智大学4年)、遠山和泉(長崎大学4年)の6名です。

 訪中団は、南京大虐殺犠牲者追悼国家公祭に参加するとともに、北京では中国職工対外交流センターの張広秘書長と懇談し、南京では南京師範大学の林敏潔教授ならびに学生と交流してきました。以下、旅の経過と概要を簡単に報告します。

<12月11日>

 訪中団は前日、東京で結団式を行い、11日は羽田空港から飛び立って北京首都空港に着きました。前日の東京の気温は21度でしたが、北京の気温は1度で雪が積もっていました。空港には中国職工対外交流センター技術経済交流部の石晶晶さんが出迎えてくれました。昼食をとったあと、マイクロバスで宿泊先である職工之家に向かいました。職工之家は中華全国総工会が経営するホテルです。

中国職工対外交流センターの張広秘書長と伊藤彰信訪中団団長が懇談

 中国職工対外交流センターの秘書長は、前任の王舟波秘書長が5月に定年退職して以降空席のままでした。10月に中華全国総工会の第18回全国大会が開かれ、総工会の新しい体制が選出されましたが、職工対外交流センターの秘書長はなかなか決まらず、張広秘書長が着任したのは、訪中団が北京に着いた当日でした。歓迎夕食会の前に少し懇談する時間がありました。張秘書長は「国家公祭に毎年参加している日中労交の訪中団を歓迎する」と述べたあと、第18回大会について以下のように簡単に報告しました。

 中華全国総工会は、世界最大の労働組合であり、中央、省、市、県、郷・鎮、職場のレベルまで整った組織である。第18回大会では、この5年間の総括、向う5年間の方針の確立、章程(規約)改正、役員の選出を行った。方針の主な柱は、労働者の権益の擁護、経済の発展、調和のとれた労使関係である。この5年間で、職工図書室、職人学院をつくった。貧困者への支援やカンパ支給、農民工の相談業務、屋外労働者向けのサービスステーションの設置、コロナ対策では77.5億元を使って労働者対策を行った。また活動項目のひとつに組合交流を加えた。一帯一路の交流、技術交流、国際的な労組交流などを行う。交流を通じて平和に貢献したい。

 伊藤団長からは、日中労交が名実ともに日中労交として再出発したことを報告し、「市川誠初代会長の『日中不再戦の誓い』の精神を継承し、加害の歴史を忘れずに『台湾有事』を阻止するために活動している。日中友好運動を若い人に引き継ぐようにし、平和構築に努力している。来年は日中労交結成50年にあたる。8月に祝賀会を行うので参加してほしい。」と述べました。

 懇談会・夕食会には、何際霞技術経済交流部部長、2019年の東北旅行でお世話になった李明亮さんも参加し、4年ぶりの再会を喜び合いました。

<12月12日>

 7時30分にホテルを出発し、北京南駅から高鉄(新幹線)で南京に移動しました。何際霞部長も同行しました。乗車時間は3時間25分ほど、途中の停車駅は済南だけ、時速350㎞の運転でした。到着した南京南駅では、江蘇省職工服務センターの盛卯弟副主任、南京市総工会の付光宇弁公室副主任が出迎えてくれました。駅近くのレストランで昼食をとった後、南京市総工会の工人文化宮と職工服務中心(労働者サービスセンター)を訪問しました。工人文化宮は、1951年につくられたものですが、2021年に新しい施設がオープンしました。総建設面積は約73,000㎡、トレーニングジム、プール、バスケットやバトミントンのコート、健康相談室、劇場、イベント広場があり、貸衣装など文化芸術活動の支援などを行っています。職工服務センターは、2019年にも訪れた施設ですが、以前のところから移転して工人文化宮に併設してつくられ、2022年5月に新装オープンしました。業務内容は、①職業訓練、②起業への貸付、③職業紹介、④困難な労働者の生活支援、⑤インターネットを活用した包摂的なサービスの5部門です。インターネットでの事務手続きがほとんどなので、窓口に来て相談している人はいませんでした。新しい施設になって、以前より活動が充実しているように感じました。

 宿泊先は南京市総工会が経営するホテルである天豊大酒店です。夜は、江蘇省総工会のミョウ(糸へんに翏)建華二級巡視員が主催する歓迎宴が開かれました。ミョウさんは以前、江蘇省職工対外交流センターの秘書長をしていた方で古くからの友人です。白酒がすすみました。

<12月13日>

 南京大虐殺受難者追悼国家公祭に参加するため、8時40分にホテルを出発し、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館に向かいました。「日中不再戦の誓い」の碑を見たあと、式場に入りました。4年ぶりの参加ですが、参加者の顔ぶれが変化しているのに気づきました。隣との間隔が今までより広くなっていました。全体の参加者を以前より制限しているように感じました。昨年のビデオをみるとマスクを着用していましたが、今年はマスクを外すように言われました。外国の大使館からの参加がありませんでした。日本人参加者のブロックには日本からの高齢者の参加がほとんどなく、南京在住日本人留学生が参加しているとのことでした。初めて前から3列目での参列となりました。

 国家公祭のあと、長江ほとりの南京大虐殺遭難者中山港記念碑を訪れました。南京市内には20か所以上の記念碑があります。慰霊式が行われます。10時には歩いている人も、バスも自動車も止まって、黙とうをします。昼食後、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館を見学しました。17時30分からキャンドル祭に参加しました。キャンドル祭も演出が変わりました。宗教行事がなく国際平和集会となりました。参加人数も制限された代わりに、大型ビジョンが設置され、ドローンを使って記念館全体を撮影しながら中継で発信されていました。マギー牧師のお孫さんがあいさつし、南京紫金草芸術団の小学生が歌いました。紫金草合唱団の日本からの代表者が、南京の子どもたちに引き継いだというあいさつは、今回の集会を象徴する出来事でした。幸存者が38人になった現在、南京大虐殺の記憶を若い人に伝えていくことを重視した集会だったと思います。

<12月14日>

 午前中、2015年12月にオープンした利済巷慰安所旧址陳列館を見学しました。中国各地の慰安所、アジアの慰安所の資料が展示されています。

南京師範大学、東アジア文化研究所所長の林敏潔教授と同大学院学生と訪中団が交流

 午後は、南京師範大学を訪ね、東アジア文化研究所所長の林敏潔教授と同大学院学生と交流しました。林教授は、日本民間反戦記憶に関する多分野研究をおこなっており、戦争関係のあらゆる分野についてデータベース化をすすめています。過去の歴史を忘れず、日中は平和共存しなければならないと熱い挨拶で迎えてくれました。そのあと、新崎副団長を司会役にして、日中学生の交流会が行われました。学生たちは校門まで見送ってくれました。日中の学生たちはウィチャット仲間になったようです。若者交流、民間交流の実際を見たような気がしました。その後、南京博物院、夫子廟を見学して南京での日程を終了しました。

<12月15日>

 5時にホテルを出発し、マイクロバスで上海浦東空港に向かいました。9時30分に空港に到着し、午後の便で関空、成田へと飛び立ちました。

 通訳として全行程を同行してくださった石晶晶さんには大変お世話になりました。