日中労働者交流協会結成50周年記念集会を開催(報告)

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 日中労働者交流協会結成50周年記念集会が、2024年8月24日(土)午後、東京都内のホテルで開催され、50名が参加した。

 はじめに、「日中労交50年の記録」として「南京に『日中不再戦の誓い』の碑を建てて―日中労働者交流協会50年のあゆみ」に使われた写真のスライドが上映された。続いて主催者を代表して伊藤彰信日中労交会長があいさつした。伊藤会長は、「現役時代に憲法第18条の『奴隷的拘束及び苦役からの自由』をよりどころに軍事物資輸送拒否のストを闘ってきた。戦争協力は強制労働にほかならない。今春闘では防衛産業で要求を上回る賃上げが行われた。軍官民挙げての戦闘態勢がつくられようとしている。『憎悪と敵対の悪循環』を断ち切り『友好と平和の好循環』をつくっていかなければならない。『和解から友好へ』の道筋を共に考え、共に歩んでいきたい」とあいさつした。

 来賓のあいさつとして、中国職工対外交流センターの張広秘書長のビデオメッセージ、中国大使館の王琳公使参事官のあいさつがあり、南京紀念館のメッセージが紹介された。

 東京大学大学院の外村大教授が「新たな時代の『歴史問題の和解』の展望―日中労交の活動を踏まえて」と題して記念講演を行った。外村さんは、加害の意識化が市民運動によってつくられてきた経過を説明したあと「日本経済の高度成長が終わると、経済的繁栄の余韻として肯定的に語られてきた戦後補償は目立たないものになって行く。加害を語ることが『自虐的』と否定的になり、嫌韓、反中の風潮、歴史自体を意識しない傾向が強まる。侵略戦争は悪だと言いながら、植民地支配は善政であったという意識は強い。侵略戦争は侵略者と非侵略者の人間関係は限定的であるのに対して、植民地支配では支配・被支配の構造はあるといっても人間的な交流が築かれたことも確かである。日中戦争は帝国主義国同士の戦争とは異なる。日中間の歴史問題の和解は、意識的に人間関係を作り、維持する努力が相対的に多く求められている。あと何十年もすれば、家族・親族が先祖代々日本人であるケースはなくなる。非日本人と付き合うことを前提とする社会になる。国の論理を超えた交流やその可能性を過去の事象の中で見出し、つながりを意識していく。労働者という枠組みの交流は、過去について考え、現在のあり方を考える上で重要である。」と述べた。

 パネルディスカッション「和解から交流へ―日中労働者交流の新しいチャンス」が日中労交の藤村妙子事務局長の司会ですすめられた。

弁護士の内田雅敏さんは「歴史問題の解決の要素として、①加害の事実と責任を認め謝罪する、②金銭的な給付を支払う、③将来に向けて歴史教育を行うの三つがある。①が重要だと思っていたが、最近は和解事業を行うことによって③を深めていくことが重要だと思っている。花岡和解の時は、すべてのメディアが歓迎し『次は国の責任だ』と言った。西松和解の時は産経だけが『戦後体制が崩れる』と批判した。三菱マテリアル和解の時は産経と読売が『国は民間和解を放置していてよいのか』と批判した。2018年韓国大法院判決をすべてのメディアが批判した。日本社会の変わり様は大きいが、日中関係の4つの基本文書を平和資源として友好関係を築く以外にないと思う。」と述べた。

 移住連共同代表理事の鳥井一平さんは「日中労交が技術交流を行ったことは意味があった。日本政府は移民政策を取らないと言って1990年に『研修』という在留資格を創設し、研修・技能実習制度をつくった。研修は留学、実習は労働という曖昧な制度によって外国人低賃金労働者が増えるようになった。人権侵害も起きたが、日本の労働組合はどう対応したのか。強制連行や徴用工問題の反省があったら、労使対等原則が担保された多民族・多文化共生社会を目指すことができたと思う。技能実習制度は廃止されるが、日本と中国、アジアの国々との市民社会(労働者)の連帯のあり方が問われている。」と述べた。

 月刊『地平』編集長の熊谷伸一郎さんは「日中労交との関りは『ジョンラーベ』の上映運動の時。私が中国に関心をもったのは本多勝一の『中国への旅』である。百人斬りを行った遺族が本多勝一を訴える。本多さんの支援を行った。日本兵が中国やアジアで何をしたか取材してきた。それが縁で雑誌の編集を行うようになる。この間、内閣が吹き飛ぶような政策が平気で国会を通過していく。自衛隊は米軍と中国は仮想敵国とした共同作戦計画をつくっている。共同通信がすっぱ抜いたが、他のメディアは報道しない。特定秘密だから。戦後民主主義を若い人と議論してバージョンアップする中で、アメリカは同盟国、中国は敵国という状況を変えていくことが課題だと思っている」と述べた。

 新潟県平和運動センター事務局長の有田純也さんは「若いと言っても45歳。昨年、日中不再戦の旅に参加し南京に行った。私は日中友好の時代を知らない。いつ頃から悪くなったのか調べてみたら、今は『中国が嫌いだ』という人が8割以上、1980年代は『中国が好きだ』という人が8割以上である。ソ連が崩壊して社会主義に良いイメージを持っていない。その世代が大学生になって、流行っていたのが小林よしのりの『戦争論』だった。今のSNSはヘイクだらけ。歴史の一面を切り取ってみるというより、自分が信じたい歴史を見るという状況だ。韓国には良いイメージを持っている。韓流やKPOPのおかげ。メイクとかダンスとかキラキラしたものは韓国ですね。本当に交流するためには歴史を知らなければならないが、日中友好も文化から入っていくのもよいのではないか。」と述べた。  会場には、日中労交の機関紙のバックナンバー、職工対外交流センターからの贈答品、南京紀念館が出版した本、南京平和宣言の巻物などが飾られ、友好ムードを高めていた。中国中央テレビが取材に訪れたが、日本の報道機関の取材は無かった。