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紹介『日本と中国、「近代化」の誘惑 アジア的なものを再考する』 - いながき

 こんにちは。会員のいながきです。中国のレイバーに関することですので、こちらのメーリングリストにも投稿します。長文すいません。
 先日、梶谷懐さんという中国研究者の『日本と中国、「近代化」の誘惑 アジア的なものを再考する』という書籍を購入し、このMLの参加者など何人かの知人に、「なかなかいい本だとおもいます」と紹介しました。梶谷さんの論考はちょっと前から、いろいろと勉強になるので読んできました。
ブログも運営されています。http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/

 最後まで読んで、結論から言うと、大変残念な内容でした。簡単にいうとこの本は、中国でここ10年余り続いていた「新左派」と「自由主義派」の論争における、「自由主義派」の論点に立った中国論に、日本等の論客による中国論をまじえて、日中の関係性を論じたものでした。
 先日紹介した時は、第二章の途中くらいまで読んだところでした。安倍政権への批判、新左派的論説をもちあげた日本の論客に対する批判だったので、スッと落ちたのですが、若手の研究者ということで、自由主義派の立場にもそれなりの距離をもちつつ論評するのかな、と思ったらそうではなく、ほぼ全面的にそれに与するものでした。
 とくに第三章の「『国家』と『民間』のあいだ──国家資本主義・格差・イノベーション」が痛い。簡単にいうと、中国の自由主義派は、市場改革はNAIだが国家があまりに関与しすぎるのはOXIという主張です。私的所有権の確立はNAIで、国家が個人に介入することにはOXIです。中国では民主主義はポピュリズムからファシズムになるので(文革のこと)、民主主義よりも立憲主義のほうが重要、という感じです。そして労働者階級は政治参加ではなく、雇用される身分としての権利の確立を目指すべきだ、という感じです。「国家」の関与を排して、「民間」の権利を確立する、というところです。
 もちろん著者や著者が紹介する自由主義派の方々は、こんな簡単には言っていませんが、だいたいこんな感じです。中国における労働問題における着眼点は、今年初めに香港のNGOによって暴露されたユニクロのひどい労働環境を述べた箇所に続けて書かれた以下のところにあります。
 「中国における労使間の対立が複雑なのは、それが労働/資本の対立と国家/民間の対立という二重の構造を内部に抱え込んでいる点です。これまでみてきたように、現在外資系企業や私営企業でデモやストライキが多発している背景には、『労働者が資本家に搾取されている』という側面と、『国有企業によって非国有の民間企業が割を食っている』という側面の二つがあるわけです。」(256頁)
 まったく意味不明です。ユニクロの製造工場の労働環境の悪さの問題で、なぜ「国家」と「民間」の対立が持ち出されるのか。あえて言うなら、「労働/資本」の対立に加えて「国際資本/民族資本」の対立がある、くらいなのではないですか?(ユニクロのケースは製造工場は香港や台湾資本)
 著者の新左派やそれを持ち上げる日本の論客に対する冷静な批判的思考から考えれば、ふつうはこんな分析がでるはずもありません。中国における労働問題の分析を、まったく間違った方向に捻じ曲げようとする意図が感じられるといえば言いすぎだと言われるかもしれませんが、あえてそう言います。
 というのもこの第三章の最後で著者は、こんなひどいことを述べているからです。
 「習近平政権は、経済のさまざまな分野において、『市場』『民間』を重視する自由主義的な改革を志向する経済政策を明確に打ち出してきました。一方で、中国政府は電力や電信、鉄道といった国有資本が支配権を持つ産業で労使間の対立が生じることを何よりも恐れており、国有企業の従業員が享受する『不公平』な厚待遇になかなか手を付けられていないのもまた事実だと考えられます」(262頁)
 このような主張は、日本でも新自由主義者らによる労働者/組合攻撃でもよく見られたもの、今でもみられるものではないですか。
 中国政府が2001年にWTOに加盟する条件として、この国有企業労働者の『不公平』な厚待遇に手を付けたことで、ユニクロなど中国の被服産業労働者の劣悪な労働環境が、中国そしてそれに連動して南アジアや中南米の同産業に蔓延したことの言及はありません。
 2010年に国有独占企業と日本のグローバル資本の合弁企業である広州本田に、製品の核心部分であるエンジンのトランスミッションを納品するホンダ100%子会社の南海本田で、よりよい労働条件と民主的な労働組合のあり方を訴えてストライキに立ちあがった青年労働者たちのことも一言も言及がありません。「国家/民間」というつまらない分析にはまったく当てはまらないからでしょう。
 中国の在野の自由主義派の知識人の多くは、厳しい政治状況のなかで厳しい言論統制や身柄の拘束、ありもしない容疑で何年も牢獄につながれるなど、ほんとうに不当な状況に置かれていることは確かです。しかし批判してはならないことにはなりません。
 中国における「新左派」と「自由主義派」の問題は、社会主義の理念とはまったく無縁の一党独裁をつづける政権の問題が根本にあり、日本からそれをとらえかえすときには、明治以降の日本の侵略戦争の問題を抜きには語れないでしょう。しかしそれは一方で、著者が随所で指摘している中国の政権党のパターナリズム、そして官僚体制の利害関係によって分裂させられた世界の社会主義的労働運動の問題にも行き着くものだと思います。
 昨年に日本での出版をお手伝いした香港のマルクス主義者、 區龍宇さんの中国分析『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』でも、この新左派と自由主義派のそれぞれの問題を取り上げています。お手にする機会があればぜひお読みください。こちらのブログでも區さんが香港のあるセミナーで新左派、自由主義派、マルクス主義派について述べた論考も日本語で読めます。http://monsoon.doorblog.jp/archives/54340907.html
 このセミナーの時点(2010年8月)では、新左派の論客の一人である汪暉の問題点は明らかになっていませんでしたが、2012年に大きな問題となった重慶事件をめぐって彼の立場があきらかになりました。その立場に対する批判は 、梶谷さんの本でも書かれていますし、區さんの『台頭する中国』で述べられています。
 いつものように長くなってしまいましたが、自由主義派の人々がことさら「国家/民間」や「国有企業労働者(労働貴族)/非国有企業労働者(賃奴隷)」の対立をあおる事に対して、區さんは『台頭する中国』のなかに収められている「中国における労働者の抵抗闘争 1989~2009」の最後で次のように述べて、全く違う展望を示しています。
 「2008年からの世界経済危機は、中国の社会矛盾の調和をいっそう難しくした。もし労働者階級が尊厳ある労働と生活を享受したいと願うのであれば、抵抗だけでなく、組織化が必要となる。とりわけ国有企業の労働者と民間企業の労働者の団結が必要である。近年において、この二つの部分の労働者による自然発生的な抵抗によって、1989年の弾圧の恐怖をいくらか克服しつつあり、部分的な勝利が労働者の抵抗に対する自信を回復させる手助けになっている。もしこの二つの部分がともに手を取り合えれば、歴史の新しい一ページが開かれることになるだろう。」(『台頭する中国』207頁)
 今年の秋、この本の出版の記念を兼ねて區さんを招待する予定です。その時には區さんの『雨傘運動 プロレタリア民主派 政治論評集』(仮題)も合わせて出版する予定です。