日中労働情報フォーラムの活動

  南京大虐殺76周年追悼式典と平和集会(12/13)に日中労交を代表して参列・献花

南京虐殺76周年記念式典


 前川武志(日中労働者交流協会事務局長)

 12月11日
 関西国際空港を16時40分に発つ。上海空港で乗り換え、江蘇省総工会羅先生に上海につき、深夜に南京につくことを連絡。南京空港へ22時30分着ホテルまでタクシー メーターが9・00となっているのを900元スタートになっていると勘違いし、運転手に尋ねる。しかしメーターが1ずつ上がるので、いくらなんでも100元ずつ上がるメーターはないだろうと心を落ち着かせる。無事ホテルに着、南京飯店。建物は古いが老舗ホテル。ルーム料もサービスもバランスがとれている。

 12月12日
 ホテルで羅先生と落ちあい、南京虐殺紀念館へ候副館長先生が応対。「不戦の碑」台座について要請する。何らかの行き違いがあったかもしれないが、本会の会員は台座のついた記念碑を想定していた。「この解決を見ないことには、会員の中に、不満が残る」ことを強調した。
 候副館長から善処する旨の返事を頂いた。春までには何とかするという話であった。羅先生より昼食の招待を受け、ホテルの隣のレストランで食事をとる。ホテルに戻り休憩。午後、市内散策、中華門見学、玄武門から玄武湖見学、夫子廟見学、夕食、徒歩でホテルへ。

日中労工からの献花

12月13日
 日本軍の南京入城の日、この日より、南京市とその郊外で虐殺が繰り返される。南京市内では10時より33分間空襲警報がならされ、市民がその故事を胸に留めている。
 10時から国際和平集会が開催される。労交として献花する。日本からもJR総連や曹洞宗や真宗の関係者、銘心会(南京虐殺の証言集や日本での集会を企画。本会とは友好関係)などの参加者があった。午後市内散策。


 12月14日
 西安へ。空港へタクシー。前日までの主要なミッションが完了したので、少しリラックス。空港バスでホテルへ。ホテルは市内中心部の鼓楼飯店。名前のとおり鼓楼のすぐ前にある。清真寺(イスラム寺院)の門前町で、イスラムタウンとでもいうべき違った街の情緒を味わう。

西安

 12月15日
 西安のメイン観光地である兵馬俑と楊貴妃の別荘であった華清池へホテルのタクシーでいく。駅前から乗合観光バスが出ているのに。しまった。

西安の清真街

 12月16日
 北京へ。朝6時のバスで空港へ。北京着。タクシー運転手に首都空港飯店と言うが場所がわからない様子。たぶん出稼ぎの人だろう。結局たどり着いてみたら歩いていけるところだった。運転手は料金はいらないというが、基本料金だけ払う。
 全国総工会の邱氏と連絡を取りつつ、総工会の職工の家にへ着く。そこから総工会の車で国際交流協会へ表敬訪問。倪秘書長と面談。前川ごときに秘書長が応対いただくので恐縮する。意見交換。 最近の情勢、また、日中労働情報ファーラムへの協力要請を行った。
 その後、総工会甘福祥副部長先生出席の夕食会。今回の訪中団目的である南京虐殺記念館の記念碑の台座の件、順調に話がすすんだこと、また、総工会の助力があった事へのお礼を述べた。

 


 最後に、後日南京より連絡が入り、写真のように記念碑の台座が出来上がったようです。

日中不再戦の碑

<写真説明>
(1)南京大虐殺76周年 追悼式典と平和集会が実施(人民日報日本語版)より
(2)南京大虐殺76周年記念式典に日中労交として献花した花輪
(3)式典の前に舞台を背景に同行の松下憲二氏(全金西成合同)を撮影
(4)西安のホテル前に鼓楼を背景にした筆者(前川武志)
(5)西安の清真街の風景
(6)記念館に設置された「反覇権・日中不再戦の誓い」碑

<参照>
南京大虐殺76周年 追悼式典と平和集会が実施(人民日報日本語版)


「反覇権・日中不再戦の誓い」の碑

誓い われわれは1931年および1937年を契機とする日本軍国主義の中国侵略戦争を労働者人民の闘争によって阻止し得なかったことを深く反省し、南京大虐殺の犠牲者に対して心から謝罪するとともに、哀悼の意を表し、ご冥福を祈ります。 われわれは、日中不再戦、反覇権の決意を堅持し、子々孫々、世々代々にわたる両国労働者階級の友好発展を強化し、アジアと世界の平和を確立するため、団結して奮闘することをあらたに誓います。
     公元1985年8月15日

 日中労交は2009年12月13日に南京虐殺記念館に市川誠会長の「反覇権・日中不再戦の誓い」の碑を建立し、除幕式を行った。 関連記事