記憶と忘却との闘争――労働者、劉少明の場合

劉少明さん

先日の劉少明さんへの弾圧について、香港のナショナルセンターの香港職工会連盟の総幹事の蒙兆達さんが文章を書いていましたので訳してみました。重複して受け取られるみなさんごめんなさい。 <会員 I・Y>

原文と写真はこちらです。


記憶と忘却との闘争――労働者、劉少明の場合

(原題)6・4天安門事件を理由にふたたび実刑判決を受けた労働者

蒙兆達(香港職工会聯盟総幹事)

劉暁波の病状に世界の関心が集まるなか、「国家政権転覆扇動」罪の判決を受けた人物の名前がニュースに流れた――劉少明。

彼はかつて鋼鉄廠の労働者として1989年の「北京工自聯」に参加をし、6・4天安門事件の後に「反革命宣伝扇動罪」で起訴され、一年の禁固刑を受けた。出獄後、劉少明は珠江デルタに移住し、運搬工、警備員、工場の雑役、工事現場などで働き、弱い立場にある労働者の状況を経験したのち、労働者の人権を守る活動に敢然と身を投じた。

劉少明は現場労働者への支援を義として貫いてきた。それは彼自身の不安定な労働者としての経験から出たものであるが、彼の胸の奥深くに秘められた忘れることのできないもう一つの思いとして、28年前の[天安門事件の]弾圧によって絶望の中でもがき苦しむ人々の姿があったからである。

香港では毎年6月4日には、数万人の市民が厳粛な気持ちで、[追悼集会の行われる]ヴィクトリア公園にあつまり、炎が灯された蝋燭を掲げる。しかし中国国内では、劉少明とおなじく6・4天安門事件を経験した多くの人々が、苦痛の古傷に耐えながら、何事もなかったかのようにふるまうことを余儀なくされている。

2014年6月、天安門事件25周年の直前に、劉少明はついにこらえきれずに、広州天河地下鉄駅の出口で、一人で6・4天安門事件を追悼するデモを敢行し、警察当局に目をつけられ、10日間の行政拘留処分を受けた。だが彼は屈しなかった。翌年、劉少明は警告を無視して、「北京で6・4民主化運動を支援した私の経験」という文章をインターネット上で公表し、その後に当局に拘束さて、「国家政権転覆扇動罪」の容疑で起訴され、2年間勾留されたのちの[2017年]7月7日の裁判で四年半の懲役刑の判決を受けた。

人民と強権との闘争は、記憶と忘却との闘争ともいえる。中国で生活する多くの人々にとって、この記憶の闘争に参加するということは、現在の一切を犠牲にするかもしれない通行証――底なしのブラックホール行きの――を持たなければならないということだ。いつ警察が家にやってくるのか、いつ事情聴取を受けるのかも分からない。連行されたまま行方が分からなくなり、最愛の人との別れが訪れる。

無名の草の根の労働者は、ノーベル平和賞の受賞者とは比べるべくもないが、直面する困難な運命は、劉暁波とおなじように、強権政治に首を垂れることを拒否したことによってもたらされたものである。それは、世界で最も堅固な牢獄でさえも、自由と勇気を封じ込めることができないということの表現である。

<参考>* 労働人権活動家の劉少明さんに国家政権転覆罪で禁固4年の判決(7/7)